明智光秀室 煕子 生誕の 妻木城跡 令和2年4月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

新型コロナウィールス問題で日本中、外出が難しくなりましたが、車で訪問、私が訪れますのは
他の人が興味を抱かないような場所、この日は小雨が降る日でもありお許しを頂きたい。

NHKで明智光秀、「麒麟がくる」が放映されていて、30年ほど前から地上波はニュース以外視ず、
連続ドラマも視たこともなかったのですが、10年ほど前から私のブログに記載しておりますように
生まれ育った地が斉藤道三、土岐頼芸、織田信長、帰蝶、明智光秀などと繋がりがあることから
今回は毎回楽しみながら視ずにはいられません。

「麒麟」で少し前、光秀が幼馴染の妻木城の煕子(ひろこ)と再会し、妻になって欲しいと依頼する場面が
ありました。

以前、土岐市の曽木公園の逆さもみじを楽しみに出かけた際、妻木を通りましたが
煕子生誕の地とは知る由もありませんでした。

そこで今回は妻木城跡を訪れてみました。


妻木城はの妻木町を見下ろす標高409mの山頂に築かれた山城です。

稲葉山から可児明智城へは直線距離で20km、明智城から妻木城へは18kmほどの
位置になります。





山頂までの登り道の横には大きな岩が多数。 人口的に積んだ様にも見えますが、これは
「節理」と言われマグマが地表に現れた後花崗岩が変形したものだそうです。
城の石組には困らなかったと思われます。



巨石を割るために入れたノミのが残っています。


三の丸からは妻木を一望、天気が良ければ御嶽山、恵那山なども目の前、中央アルプスまで
望むことが出来るそうです。




真下には妻木氏菩提寺の崇禅寺。






二の丸から石組が残る本丸跡。



本丸跡から二の丸。






妻木城は江戸時代初頭まで機能しておりましたが廃城となり、その後八幡神社の社が設営されました。



土塁跡



井戸跡



光秀と夫婦仲は非常に良かったとされ、結婚直前に疱瘡にかかり、左頬にその後が残ってしまった
煕子を光秀は気にせず迎え、弘浩治2年(1556)斉藤義龍によって明智城が攻め落とされると、
身重の煕子を背負って越前へ逃亡したなどの逸話が残っています。
三女の珠(たま)は細川忠興に嫁ぎ、細川ガラシャとして知られます。
ただ生年、没年は、はっきりはしていないようです。

明智煕子の菩提寺坂本西教寺


妻木氏菩提寺の臨済宗崇禅寺。
土岐明智彦九郎頼重(妻木氏の祖)が文和3年(1354)に開山したと伝えられ、妻木氏の
代々菩提寺として栄えました。






妻木城主歴代廟所。 明智桔梗紋。



歴代墓地。墓碑は朽ちて読み取れず。



妻木氏は歴代陶器製作を奨励したため、城下には現在も製陶所や陶土工場などが多く、美濃焼を
広めた祖でもあります。

歴史に関しては門外漢に等しいのですが、今まで読んだ歴史書に記載されていなかった事項も
出てきて、ますます興味をそそられます。

過去に訪れた地を記載。


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