Chajinの 徒然フォトブログ -54ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

本日(1/9)、岐阜県は新型コロナウイルス禍の急拡大を受けて独自の非常事態宣言を発令しました。
8時以降の飲食店の閉店、家族、パートナー以外との長時間の飲食を避けるよう、県外の移動は避ける
よう、特に関東、関西、愛知県などへの移動は控えて欲しいと、4月と同じような内容になっています。
当地のような田舎都市でもクラスターが発生するなど身近にひたひたと押し寄せています。


年末にインプラントの義歯のトラブルで正月は奥歯なしで過ごし、予約受診が1月4日、正月早々に
なりました。治療後、名古屋インター近くの歯科医院から3,40分で訪れることの出来る、恒例の
「なばなの里イルミネーション」を楽しみに出かけました。

入口前のイルミネーションツリー。







 ミレニアムガーデン「光の海」






樹齢千年のオリーブの木




高さ約20mの自然木、ヒマラヤ杉の「ツインツリー」。




水上イルミネーション 「光の大河」、木曽三川の流れをイメージしています。










長さ200mの「光のトンネル「華回廊」。なばなの里の人気スポット。





毎年変わるメインテーマエリアのイルミネーション、今年は「奇跡の大樹」。
高さ35m、横幅155mののイルミネーションで、およそ9分のストーリーが作られます。

まず一度ストーリーを楽しんで、次にカメラを向けて、もう一度楽しむというパターンで、
そのスケールの大きさとLED電球のコントロール技術に感銘を受けずにはいられません。













100mの光のトンネル「薔薇」。



鏡池。









関東の非常事態宣言が出される前でしたが、例年に比べれば園内の人数は半分ほど、ずいぶん
少ないようでした。


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あけましておめでとうございます

昨年は私共、拙いブログに大勢の皆様が訪れて下さり、誠にありがとうございました。
本年も変わりませず宜しくお願い致します。

大晦日から元旦の今朝にかけて当地でも雪が舞っていますが、3日ほど前に望めた伊吹山。




岐阜県古田知事は昨日、最多の80人を超える陽性者が出たのを受けて、まず集中的に1週間の
在宅を呼び掛け,酒を提供する飲食店の1月6日までの休業要請を出しました。
大垣市小川市長も昨夕、非常災害通報装置使って正月の在宅、分散初詣を呼びかけました。

当店の喫茶部は創業60年ほど、例年三ケ日は初詣帰りの大勢のお客様で大混雑するため、
新型コロナ禍を避け、開店以来初の正月休業とさせて頂きました。

元旦朝、正月飾りもして準備万端ではあります。


朝10時、隣の八幡神社へ初詣する前に大垣城を訪れました。薄っすら雪に包まれています。




大垣市民の総鎮守、大垣八幡神社。
例年ですとこの時間、入り口の鳥居から30分ほどは並ばないと本殿にたどり着けませんが、
今年は数えるほどの参拝者。



おみくじもテントの下でセルフサービス。



例年紹介させて頂きますが、境内にある私共町内がお世話する奈良の廣瀬、龍田大社の分社。
何年かの交代でお世話をします。昨晩は雪降る中、火守りお世話様です。

昨年はコロナ禍のなか今までにないキャンプ人気でししたが、火が燃えるのを見つめるのは
体も心も暖まるのも一因かとも思われます。非常災害時の準備でもあるようです。

九曜星は細川家の家紋であり、大垣城主の戸田家の家紋でもあります。



すぐ隣がやはり町内でお世話し今は私が責任者を勤める奈良興福寺南円堂大垣別院。






昨秋から扱ってきました茶道具の抹茶茶碗。

本年の歌会始のお題「実」  (み、みのり)。                     干支 丑




30年も前から茶道仲間が野の柳や自宅の庭の花を持参で正月飾り花を生けて下さいます。

青竹花入れ、結び柳に紅白椿。



ショーウインドー



本年も宜しくお願い致します。

穏やかな年でありますようにお祈りしております。



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不破郡垂井町、濃尾平野、美濃の最西地ですが、美濃国府があり、天下の泰平を祈って
天平13年(741年)聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺があるなど、美濃地方の
要の地であったと思われます。
今も垂井町には「府中」と言う地名が残っています。

南宮山、神社は国府の南方にあることから「南宮大社」と呼ばれるようになりました。
神社は美濃一宮で、崇神天皇(BC97年)に創建されたと伝わり、二宮は伊富岐神社、
岐阜の斎藤道三が再建した稲葉の稲葉神社は美濃三宮になります。

大垣市民の氏神、八幡神社の100m程に住まいがあり、私の結婚式を挙げたり、子供の
七五三に訪れたり、旧参道にもありますので、初詣は元旦一番、他の神社はお伊勢さんを
除いてご無沙汰しがちです。

南宮神社は金山彦命(かなやまひこのみこと)をお祀りしており、鉱山、鉱物、鍛冶、金物の神で
あるほか、金運、商売繁盛、厄除けなど全国からも参拝に来られる神社です。

楼門


舞殿



拝殿

20数年前表千家家元、而妙斎宗匠の岐阜県支部による献茶茶会のお手伝いをしたのも
懐かしい思い出です。




各所に会社の製造金物製品が供えられています。








今回初めて南門から南山方向へ向かいました。

聖武天皇は東大寺大仏建立成就祈願のため天正12年(740年)、南宮大社を訪れました。



聖武天皇は南宮大社の神泉とも伝わるこの曳常泉の水を汲まれ金山彦命に大仏建立の成就祈願を
されました。






瓦塚
長年神社を守ってきた旧瓦を祀っています。











初めて訪れた稲荷神社。



南宮大社のご神木は白玉椿で境内に数限りない白玉椿が奉納されています。








南宮山と言えば関ケ原合戦で毛利軍が陣を張ったことでも知られ、稲荷神社の先が標高419m、
大垣市、垂井町、関ケ原町、養老町にまたがる山です。

整備はされていますが延々と木造階段が続きます。

体力不足で休み休み登りますが、途中、80歳ほどの叔父様は週二度ほどは登ります、別の叔母様は
今日で今年40度めになりますとのこと、散歩代わり、体力維持のためとのことですが、本当にお元気、
普段の運動が元気の源と言えそうです。見習いたい。


最初が一ツ松旧跡。






木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る高山神社と子安神社。



標高419m、頂上が関ケ原合戦、毛利秀元陣跡。
















頂上から関ケ原は裏側で見渡すことは全く不可能です。毛利軍は岐阜城、東海道、大垣城等の
東方、家康軍など東軍を牽制するためにこの地に陣を張ったのでは言われています。



霞んでいますが名古屋まで見渡し、岐阜城、目の前に大垣城を望むことができます。



 




最後に明治の廃仏毀釈で南宮大社」から分離して西方へ移され朝倉山真禅院。







国重文、真禅院三重塔。





身近にありながら初登山の南宮山と朝倉山真禅院でした。

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年末年始は多忙な日々を過ごしますので、最後の遠出、奈良信貴山を訪れました。

信貴山へは茶道仲間に誘われて10度ほど訪れており、宿坊にも5度お世話になって
貴重な体験をさせて頂いております。

今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に
至り、太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かり
ました。
その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の
御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山 『信貴山』と名付けました。
以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。

標高437m、信貴山。手前はダムによる大門池。 



岩山の上が朝護孫子寺本堂。






赤門








成福院、いつもこちらの宿坊でお世話になりました。




毎回こちらの融通殿で護摩供養を行って頂き、不信心ながらも厳かな雰囲気に包まれたものでした。








多宝塔から437m、信貴山頂上へ向かいます。


それ程急ではありませんが、頂上まで30分ほど階段が続きます。






頂上に松永久秀の信貴山城址。

永禄2年(1559)、松永久秀が改修、城主となる。
元亀元年(1570)信貴山城へ本拠を移す。
天正5年(1577)に織田信長に背き大群の総攻撃を受け50日間籠城、落城しその後廃城。

ちょうど麒麟がくる~で度々吉田鋼太郎が味のある演技をしております。 
私の知るところは、東大寺を攻めて焼き払った事や、茶道関係では信長に名高い平蜘蛛釜を
所望されたものの渡さず、最後に壊したとか、一緒に爆死したとかの諸説程度でした。

天守があったとも伝わりますが、それ程広い面積でもなく、北側は木に包まれて眺望はありません。

いつも大勢の方々と訪れていましたので時間が取れず、城址登山は初めてでした。







頂上の南側には空鉢護法堂があります。こちらからは大和平野を見渡すことができます。











城址から4,50m下って信貴山の北側にはなんら遺跡は残っておりませんが、松永屋敷跡と伝わります。



さらに下って大谷池をみて30分ほど、信貴山北側をぐるっと回って信貴山本堂へ下ります。





境内へ戻って水屋ですが、コロナ禍で柄杓は取り去られていて竹から水を落としていました。




朝護孫子寺本堂。

醍醐天皇の病気平癒祈願をしたところ、たちまち癒えたため、天皇、朝廟安穏、守護国土、
子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜りました。
信貴山真言宗総本山であり多くの方に親しまれています。








舞台から大和平野を展望。







境内は最後の紅葉に包まれていました。












信貴山を下って、奈良まで来ましたのでやはりお世話する南円堂大垣別院の本山、興福寺を訪れました。

東金堂と五重の塔。



中金堂





南円堂本堂





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先のブログの坂本城址、城址公園を訪れた後、宇佐山城址を訪れました。

宇佐山城の戦いで知られ、摂津で勃発した野田城・福島城の戦いで織田軍主力が
投入されている中、浅井・朝倉連合軍は信長の背後を突くべく行動を開始。
城主・森可成(蘭丸の父)は交通の要所である坂本を先に占領して街道を封鎖して
連合軍の進軍妨害を試みた。

浅井・朝倉連合軍は3万兵が坂本口に進軍、9月16日に森可成軍1千兵は宇佐山城を下り
坂本の町はずれで合戦となる。緒戦では浅井・朝倉連合軍3万を相手に森軍は勝利を
おさめた。
しかし、石山本願寺の要請を受けた延暦寺の僧兵も連合軍に加わり、翌9月20日に
さらに数の膨らんだ連合軍が再度侵攻を仕掛けた。
森可成軍は先鋒の朝倉景鏡を押し返すなど健闘を見せるが、浅井長政本隊もこれに
加わったためついに崩壊した。可成、織田信治、青地茂綱の3人は討ち死にした。

連合軍は同日宇佐山城の攻城に取り掛かったが、城兵の強固な抵抗にあい落城は免れた。
摂津の信長にも知らせが届き、近江の情勢を知った信長はこの浅井・朝倉連合軍との対決を優先。
摂津から織田軍主力を撤退させた。その間、宇佐山城は坂本で連合軍の猛攻を受けていたが可成の
家老である各務元正らが城兵を指揮して頑強に抵抗。信長が大津から坂本に兵を進め救援に
現れるまでついに落城しなかった。
この時信長は宇佐山城に入城したと思われ、追いつめられた浅井・朝倉連合軍は、壺笠山城や
比叡山などに封じ込まれる格好となった。




宇佐山城からの眺めは琵琶湖、湖西が目の前。敵兵の動きが手に取るように望めたことと
思われます。







9月、琵琶湖の竹生島へ訪れた際、琵琶湖汽船発行の船中に置かれていたパンフ、「光秀と琵琶湖」の
コピーです。(編集 NPO法人 歴史資源開発機構)














宇佐山は325m、宇佐八幡宮が登り口になります。










坂本城址のガイドさんに、山道は急で厳しいし石垣があるくらいでそれほど見どころは無いよと
言われましたが、今まで訪れた名高い城址ほどには登山道は整備されておりませんでした。








本丸下の石垣。







本丸の平地はNHKと民放の送信所で占有されていました。





西側、本丸下の二の丸跡。




東、琵琶湖側に三の丸跡。



三の丸跡の木に括り付けられていた宇佐山城図。


三の丸跡から坂本、琵琶湖の眺望は素晴らしいものでした。 この景色を見れただけでも
登った甲斐があったと言うもの。


訪れたのは11月23日、祝日でした。
午後1時頃から登り40分ほど、登る時に会う方はありませんでしたが、下り25分ほどには、散歩代わりに上る様な地元の方5人程にお会いしました。




下って山麓に近い近江神宮を訪れました。
第38代天智天皇をまつる近江神宮は、天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社。



多くの七五三参りの方で賑わっていました。












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