興福寺は法相宗の大本山です。藤原鎌足の子・藤原不比等によって平城京遷都とともに
現在の地に移され、藤原氏の氏寺として栄えました。
境内は現在の奈良公園の敷地を含め多数の伽藍がありましたが、平安時代には三度もの
大火に見舞われたほか、1180年の南都焼き討ちでは東大寺と共に大きな被害を受け、
明治の廃仏毀釈で多くの自地が没収されました。
この度300年を経て興福寺の伽藍の核となる中金堂の落慶法要が執り行われました。
奈良時代から残る礎石の上に東西37m、南北23m、高さ20mの壮大な伽藍で
御本尊は釈迦如来像。
10月7日から11日まで毎日3千人ほどの参列者が招かれましたが、私共町内の5人が
招待頂き、11日には3人が参列させて頂きました。
結願(けちがん)法要が始まる10時寸前まで雨が降り、支給された雨合羽を羽織りましたが、
法要の2時間の間、嘘のように雨が止みました。
雅楽等は表の舞台を使われることもなく左右の大太鼓はカバーを被ったまま。
献茶、バロック音楽の献曲、舞踊、法要はすべて本堂の御本尊の前で行われ、
参列者は左右の大スクリーンで見せて頂くのみになりました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181012/21/ksuigyok/75/20/j/o0622041514282985603.jpg?caw=800)
大スクリーン
散華が中金堂の屋根の上から撒かれました。
寺院で法要を厳修する際、諸仏を供養するために花が撒かれます。これを散華といい、
元来は蓮の花をはじめとする生花が使われましたが、いつの頃からか蓮の形をかたどった
色紙が代用されるようになりました。
散華
最後に多川俊映貫首(かんす)が参列のお礼と落慶の喜び、今日がスタートでさらに境内の
整備を進めていきたいとの決意を語られました。
古都を象徴する五重の塔(国宝)、730年の創建後何度も被災、再建後、1426年頃に完成。
東金堂(国宝)、1415年再建の堂内には、本尊の薬師如来像や国宝の十二神将立像が安置。
左奥の国宝殿に有名な阿修羅像が陳列されています。
南円堂、国内最大級の木造八角円堂。西国三十三番札所。
私共町内でお世話する無住の南円堂大垣別院。
毎年7月の大般若転読法要には多川貫首をはじめ5名の僧侶を興福寺からお迎えして執り行われます。
(以下の写真は数年前の法要です)
雨が降って一部変更の法要でしたが、二度とない貴重な経験をさせて頂けました。
中金堂は10月20日より一般公開になります。
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