苗木城は中津川市苗木、木曽川を望む高森山(432m)に造られた自然石の巨岩と
人口の石組を巧みに組み合わた山城です。
岐阜県の東濃地方で勢力をふるっていた遠山氏の一族、遠山直廉が天文年間(1532~1555年)に
岩村城の支城として築いたのが始まりとされ、恵那明智城主と苗木城主は遠山三人衆と
言われた。
遠山家の分家が江戸町奉行・遠山金四郎景元(遠山の金さん)で知られます。
信濃と美濃の境にあることから、武田・織田の攻防に明け暮れます。武田氏の侵攻により岩村城が
武田の拠点になると、苗木城が織田方の最前線になりました。
信長が本能寺で亡くなると城主の遠山友忠は家康の家臣となりますが、金山城の森長可に攻められ
落城。城は森氏のものに。
関ケ原合戦で遠山友忠、友政親子は徳川方として苗木城を攻めて奪還。城主に返り咲きます。
以来明治維新まで12代、1万石の城主として存続しました。
明治の廃城により取り壊され何一つ残されていません。
城の入り口、大矢倉。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181009/21/ksuigyok/dd/84/j/o0622041514281210141.jpg?caw=800)
大矢倉から本丸
国指定史跡、自然の巨岩と石垣を組み合わせて築城されました。
小藩の資金不足から、板張り屋根、壁は漆喰ではなく赤土のままの城であったため、
赤壁城と呼ばれました。
本丸跡から大矢倉。
本丸跡から眼下に木曽川、中津川市街地、正面は雲に隠れた恵那山。
木曽川下流側、トップの写真を撮った赤い橋。
巨岩の間に遠山家の守り神である大竜王が祀られている。
4年前訪れた時にお会いしたのは二人ほど、今回は百人を超えるような賑わいでした。
昨年は織田信長が斉藤竜興を倒して稲葉山城に入城し、地名を「井口(いのくち)」から「岐阜」に改めた
永禄10年(1567年)からちょうど450年に当たり、いろいろな記念行事が繰り広げられました。
ひがし美濃の山城を巡りましたが斉藤道三、小見の方、濃姫、明智光秀、森蘭丸、土田御前、
おつやの方、御坊丸とすべて信長につながる一時代を彷彿とさせる地でした。
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