宇佐山城址登山  令和2年11月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

先のブログの坂本城址、城址公園を訪れた後、宇佐山城址を訪れました。

宇佐山城の戦いで知られ、摂津で勃発した野田城・福島城の戦いで織田軍主力が
投入されている中、浅井・朝倉連合軍は信長の背後を突くべく行動を開始。
城主・森可成(蘭丸の父)は交通の要所である坂本を先に占領して街道を封鎖して
連合軍の進軍妨害を試みた。

浅井・朝倉連合軍は3万兵が坂本口に進軍、9月16日に森可成軍1千兵は宇佐山城を下り
坂本の町はずれで合戦となる。緒戦では浅井・朝倉連合軍3万を相手に森軍は勝利を
おさめた。
しかし、石山本願寺の要請を受けた延暦寺の僧兵も連合軍に加わり、翌9月20日に
さらに数の膨らんだ連合軍が再度侵攻を仕掛けた。
森可成軍は先鋒の朝倉景鏡を押し返すなど健闘を見せるが、浅井長政本隊もこれに
加わったためついに崩壊した。可成、織田信治、青地茂綱の3人は討ち死にした。

連合軍は同日宇佐山城の攻城に取り掛かったが、城兵の強固な抵抗にあい落城は免れた。
摂津の信長にも知らせが届き、近江の情勢を知った信長はこの浅井・朝倉連合軍との対決を優先。
摂津から織田軍主力を撤退させた。その間、宇佐山城は坂本で連合軍の猛攻を受けていたが可成の
家老である各務元正らが城兵を指揮して頑強に抵抗。信長が大津から坂本に兵を進め救援に
現れるまでついに落城しなかった。
この時信長は宇佐山城に入城したと思われ、追いつめられた浅井・朝倉連合軍は、壺笠山城や
比叡山などに封じ込まれる格好となった。




宇佐山城からの眺めは琵琶湖、湖西が目の前。敵兵の動きが手に取るように望めたことと
思われます。







9月、琵琶湖の竹生島へ訪れた際、琵琶湖汽船発行の船中に置かれていたパンフ、「光秀と琵琶湖」の
コピーです。(編集 NPO法人 歴史資源開発機構)














宇佐山は325m、宇佐八幡宮が登り口になります。










坂本城址のガイドさんに、山道は急で厳しいし石垣があるくらいでそれほど見どころは無いよと
言われましたが、今まで訪れた名高い城址ほどには登山道は整備されておりませんでした。








本丸下の石垣。







本丸の平地はNHKと民放の送信所で占有されていました。





西側、本丸下の二の丸跡。




東、琵琶湖側に三の丸跡。



三の丸跡の木に括り付けられていた宇佐山城図。


三の丸跡から坂本、琵琶湖の眺望は素晴らしいものでした。 この景色を見れただけでも
登った甲斐があったと言うもの。


訪れたのは11月23日、祝日でした。
午後1時頃から登り40分ほど、登る時に会う方はありませんでしたが、下り25分ほどには、散歩代わりに上る様な地元の方5人程にお会いしました。




下って山麓に近い近江神宮を訪れました。
第38代天智天皇をまつる近江神宮は、天智天皇の古都、近江大津宮(大津京)跡に鎮座する神社。



多くの七五三参りの方で賑わっていました。












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