年内最後の遠出は 奈良 信貴山   令和2年12月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

年末年始は多忙な日々を過ごしますので、最後の遠出、奈良信貴山を訪れました。

信貴山へは茶道仲間に誘われて10度ほど訪れており、宿坊にも5度お世話になって
貴重な体験をさせて頂いております。

今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に
至り、太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かり
ました。
その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の
御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山 『信貴山』と名付けました。
以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。

標高437m、信貴山。手前はダムによる大門池。 



岩山の上が朝護孫子寺本堂。






赤門








成福院、いつもこちらの宿坊でお世話になりました。




毎回こちらの融通殿で護摩供養を行って頂き、不信心ながらも厳かな雰囲気に包まれたものでした。








多宝塔から437m、信貴山頂上へ向かいます。


それ程急ではありませんが、頂上まで30分ほど階段が続きます。






頂上に松永久秀の信貴山城址。

永禄2年(1559)、松永久秀が改修、城主となる。
元亀元年(1570)信貴山城へ本拠を移す。
天正5年(1577)に織田信長に背き大群の総攻撃を受け50日間籠城、落城しその後廃城。

ちょうど麒麟がくる~で度々吉田鋼太郎が味のある演技をしております。 
私の知るところは、東大寺を攻めて焼き払った事や、茶道関係では信長に名高い平蜘蛛釜を
所望されたものの渡さず、最後に壊したとか、一緒に爆死したとかの諸説程度でした。

天守があったとも伝わりますが、それ程広い面積でもなく、北側は木に包まれて眺望はありません。

いつも大勢の方々と訪れていましたので時間が取れず、城址登山は初めてでした。







頂上の南側には空鉢護法堂があります。こちらからは大和平野を見渡すことができます。











城址から4,50m下って信貴山の北側にはなんら遺跡は残っておりませんが、松永屋敷跡と伝わります。



さらに下って大谷池をみて30分ほど、信貴山北側をぐるっと回って信貴山本堂へ下ります。





境内へ戻って水屋ですが、コロナ禍で柄杓は取り去られていて竹から水を落としていました。




朝護孫子寺本堂。

醍醐天皇の病気平癒祈願をしたところ、たちまち癒えたため、天皇、朝廟安穏、守護国土、
子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜りました。
信貴山真言宗総本山であり多くの方に親しまれています。








舞台から大和平野を展望。







境内は最後の紅葉に包まれていました。












信貴山を下って、奈良まで来ましたのでやはりお世話する南円堂大垣別院の本山、興福寺を訪れました。

東金堂と五重の塔。



中金堂





南円堂本堂





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