夜の浅草寺が好きだ。

 

 

昼間、国内六十余州をはじめ、いろんな国からやってきた善男善女がぶつかりそうな密集度合で参詣する風景にはいつも圧倒される。

(最近はコロナ禍で少し減っているらしいけど)

 

そして、暗くなり境内が静かになって、それでもお参りしたい人が三々五々やってきている風情も、またいいのだ。

 

 

昼間来る時間がなかったのか。

近くに宿泊していて、ぶらりときたのか。

 

すでにお寺さんは業務時間を終えていて、ご本尊へのドアは閉まっている。

稼働しているのは御賽銭箱とお御籤箱の集金システムだけ。

 

そんな御賽銭箱にみんな健気にお供えのお金を投じ、お御籤では「よかったー、大吉だー」「僕は吉だったー」と一喜一憂する。

浅草寺の御籤は凶比率が異常に高い。

たまに「えええっ」という声が、静かな境内に控えめに響いたりする。

 

僕らいろいろあるけれど、善男善女なんだよなあ。

そんな感じが僕を覆う。

 

 

振り返ると酔眼に映る江戸からの意匠を受け継ぐ五重の塔。

向こうには平成の技術の粋を凝らした電波塔。

オレがオレがという自我の意識が、時の流れのなかに蹴散らかされる。

 

塔のたもとに広がる「今を生きる暮らし」の中にいる、心や行いがすべて美しいわけではないが「一介の善男善女」の一人になっている僕。

静かな境内でそんな自分を改めて味わうのは悪くない。

 

 

 

採取地:東京都台東区浅草2-3-1 聖観音宗 浅草寺

撮影機材:OLYMPUS OM-D E-M5

      + M.ZUIKO DIGITAL 12-50mm ED MSC

 

福島での最後の夜。

街へ飲みに出た。

 

福島駅の東側に、美味しい会津料理のお店がある。

会津といえば熊本と同じく馬刺しを食べる。

学生時代に会津出身の先輩がいて、彼のアパートで郷里から送ってきた馬刺しを食べたことがあった。

熊本のとは違って、屠畜してから少し寝かすらしく肉の色が落ち着いていた。

熊本では生姜とニンニクを薬味にして醤油で食べる。

けれど先輩は「会津ではもろみ味噌をつけた食べるんだよ、これがうめーんだ」と勧めてくれた。

本当にそれは旨かった。

 

そんな大学生時代を思い出しながら、

泊まったホテルがある駅の西側から自由通路を歩いて東側へ。

通路の壁にはディスプレイスペース。

 

と、そこにプラモデルが…

自衛官募集の展示だった。

薄暗い通路の照明の下で、手作り感あるPRが寂しげだった。

 

 

僕が大学生だった35年ほど前の東京では「上野公園の階段のところに行くと『自衛隊に入りませんか?』と声かけられっぞ」という話がまことしやかに語られていた。

自衛隊入隊は貧しい若者をなんとかする最後の(に近い)砦のような言われようだった。

 

僕の出身高は、近年の新書で「名門校」にも(なぜか)選ばれている学校で、昔からそこそこの大学進学を誇っているが防衛大学校への進学も一定数ある。

だから自衛隊に貧困者が行くようなイメージはなかったのだけれど、東京の(ちょっといけ好かない、すかした)大学生の間ではそうだったのだ。

 

照明不足の、手作り感ある、切実なディスプレイを見ているといろんなことを思い出す。

 

 

2011年。

僕は長崎に赴任していた。

その春、東日本大震災が起こった。

救援救出復旧のために長崎の大村駐屯地から多くの自衛官が派遣された。

 

その夏の夜、長崎の街で夕飯を食べていて、東北から帰ってきた2人の隊員さんと同席することになった。

現地の状況、耐えられないほどの光景。

話の端々にはPTSDになってしまうほどの彼らの体験が滲んでいた。

そんな彼らが日本を救っている。

彼らの尽力をPRすべきだと僕は思った。

 

 

秋の連休には長崎国際テレビの大きなイベントが予定されていた。

そこでPRできないものか。

けれど、どこにPR企画を持ち込むべきなのかがわからない。

大村駐屯地に飛び込みで行くか、それとも九州全域を統括する熊本の西部方面総監部に行ったものか。

 

とりあえず地元の長崎地本に、作った企画書を持って飛び込みで行ってみた。

「地本」とは地方本部。

自衛隊への窓口で各地域で自衛官募集などを担っている。

そこには陸自・海自・空自から隊員が集まり、業務を行う。

 

恐る恐るドアを開け、対応いただいた男性自衛官の方に趣旨を説明し、どこに持ち込んだものかと相談した。

「民主党政権下のいま、自衛官募集以外の広報予算はカットされ、自衛官募集の広報予算も削られていて余裕はないんです」

「だから持ち込む先としては、この長崎地本しかないです」

と教えてくれた。

 

その後、ない予算をかき集めていただき、大村駐屯地の災害派遣の資料と写真パネルを手配いただいて、そのイベントでテント1張りのPRコーナーを出すことになった。

テントの前には、もちろん「自衛官募集」の幟も立てた。

 

 

長崎は左翼の人が多い街だ。

 

初日、テントの前をある父子が通りかかった。

その父親は小学生低学年くらいの子に

「いいか、自衛隊というのは鉄砲を持って人を殺す集団だからな」

と大声で諭すようにいいながら通り過ぎていった。

テントの中は人を救う写真ばかりだったのに。

 

そんな人もいたけれど、10分もあれば一通り見ることができる、この小さなテントの小さな展示に2日半で数千人の皆さんが見に来てくれた。

 

最終日の夜。

テントの中を撤収しながら「またこのような展示ができるといいですね」というと、女性自衛官の方が「でも予算がなくてですねえ」としみじみとした口調で応えてくれた。

 

そのとき「ドンッシュルシュルシュル…バーン!」と音が。

打ち上げ花火だ。

 

ひととき撤収の手を止めて、男性自衛官、女性自衛官の方と並んで花火に見入った。

 

 

福島駅自由通路の福島地本のコーナーを見ながら、そんな長崎のPRのことも思い出した。

東北では自衛隊の存在感は震災の前後で大きく変わったと思う。いま福島ではこの展示をうら寂しく思う人はいないのかもしれない。

 

ところで。

上の写真を見て「戦闘機には武器しか積んでいないよなあ」と思う人がいるかもしれない。

2016年の熊本地震では前震が4月14日の午後9時半頃、本震が同16日の午前1時半頃に起きた。

いずれも真っ暗な夜にも関わらず、地震発生から10 分もしないうちに空から爆音。

余震に揺られながら僕は「なにごと?」と思ったが、熊本市上空に火災発生確認などの目視のため飛行機がやってきていたのだ。

これが自衛隊の戦闘機である。

熊本に自衛隊の飛行場はない。

福岡県の航空自衛隊築城基地から飛んできたのだ。

巨大地震発生時にはスクランブル対応で3分とかからずに体勢を整え、離陸する。

戦闘機は最大出力時には東京・大阪間を10分かからずに飛ぶという。

自衛隊戦闘機のスクランブルのスピードは、人命を救うためにも役に立っているのだ。

 

だからこそ、もう少しこの展示に光を。

そして予算を。

1%なんて枠を誰が作ったか知らないが、働きに応じて、役割に応じて、そして理解されづらいその存在意義について、広報すべきことはするべきなのだ。

 

 

 

撮影地:福島県福島市 福島駅連絡通路

撮影機材:iPhone 7 back camera 3.99mm f/1.8

阿蘇山の外輪山の北側に上がり、波打つ高原の牧草地を走ってやや高度を下げていくと南小国という街に着く。

すでに分水嶺を超えこの辺りの水系は熊本の平野部には流れない。

福岡の久留米方面に注ぐ筑後川水系の地域となる。

熊本ながら、熊本人としては少しアウェイ感ある土地なのだ。

 

その南小国から、東側の山に分け入る。

最初は片側1車線の走りやすい道なのだが、途中からグッと狭くなる。

離合(熊本だけらしいね。すれ違いのこと)に気を使いながらくねくねといくと、山の中に唐突に集落が現れる。

満願寺温泉街だ。

 

 

駐車場に車を停め、立護寺満願寺に詣でた。

立派な楼門だ。

 

 

高野山真言宗の寺。

1274(文永11)年の元寇国難に際し、国家安泰・戦勝祈願のため鎌倉幕府の北条氏が建立した古刹。

九州最古の庭園といわれる心字池庭園は苔むした緑の中にひっそりとある。

 

 

このあたり小国郷は1221(承久3)年に起こった承久の乱により、公家の葉室氏から北条氏の所領になった。

いまは山奥のひっそりとした里だが、昔は山や森こそが生産の最前線であり、多くの生産人口を養っていたという話を裏付ける経緯である。

 

南小国あたりは九州のほぼ中央でありどこへ行くにも便利な場所であった。

北条氏にとっては、阿蘇氏をはじめ九州全土に睨みを効かせる拠点としてふさわしい場所だった。

山里としての殷賑もひときわだったのだろう。

 

 

元寇の襲来により北条時定(執権・北条時頼の弟)は、北条定宗、北条随時(ゆきとき)とともに小国郷へ下向しこの寺を創建。

その後、鎌倉時代末期まで北条氏の拠点だったが、南北朝時代は後村上天皇の祈願寺となった。

戦国時代には阿蘇惟豊、そして豊後の大友氏から保護されるが1587(天正15)年に起きた肥後国衆一揆の影響で寺域が大幅に減少、現在の姿となった。

 

「こんな静かな山の中に…」

山肌に囲まれた寺の楼門の前で、まさにそんな感慨に耽るしかない場所なのだ。

 

その楼門から川沿いに歩くと公衆温泉がある。

内湯もあるけれど、露天風呂は湯が沸き出る河原を仕切ってるだけ。

川沿いには道もあるわけで。

丸見えなんである。

それで「日本一恥ずかしい露天風呂」と自称している。

 

 

湯布院にも周りから見える公衆温泉があるから、恥ずかしさ日本一かどうかはわからない。

 

そんな川沿いの湯船が一部マニアには人気だけれども、

そしてフォトジェニックだけれども、

僕はこの集落を覆う苔むした鎌倉幕府由来の時の沈殿が、たまらないと思った。

 

 

みなさまにもぜひ、

この全てが止まったような

苔むした時の世界を感じて欲しいと思う。

 

 

 

撮影地:熊本県阿蘇郡南小国町大字満願寺あたり

撮影機材:Canon EOS 5D MarkⅢ

     + Canon EF 24-105mm f4/L IS

ファニエルホールマーケットプレイスで、僕ら一行はそれぞれ昼ご飯を食べることになった。

バラバラに行動しているから、誰が何を食べたのかはわからない。

 

僕は散々迷った挙句、そう高くない、量的に適量そうだという2つの考えてローストビーフバーガー屋さんに並んだ。

 

「大きいやつか?小さいやつか?

 テイストは?」

 

などと矢継ぎ早に聞かれた気がした。

「スモールワン、オーディナリースタイル、プリーズ」

とか、適当に喋ってみたら。

 

なんとか通じるものだ。

 

半分に切るか?という問いかけのジェスチャーもされた気がしたので、こっくりと頷いて返した。

 

するとお渡し口でズッシリと持ち重りする紙袋が。

 

思わず、

「Is this smaller one?」とか尋ねたが、

相手の兄さんは真顔で頷く。

なんども訪ねるのは野暮な気がしたので、受け取って屋外へ。

 

お値段は800円くらいか。

こちらの外食価格では安い方だ。

 

屋外のベンチに座って、さっそく包みを開ける。

 

 

でかっ。

 

二つに割ってみると。

ぎっしりと、肉!肉!肉!

肉だけが重なるミルフィーユ!

 

こっちは肉の本場だしな。

量にちょっとたじろぐが、まずは齧ってみよ。

 

 

大きくお口を開けてー。

がぶ。

肉を歯が引きちぎる感触があって。

バンズの味があって。

モグモグモグ。

 

んんんんんんんん。

 

肉の味つけが。

なんとも、なんとも…足らんー!

 

ダイショーの塩コショーか、イカリの中濃ソースがほしぃーーー!

 

新婚旅行でイギリスに行った時も奴らは塩味について勘なしだと思ったが、ここでもそうだとは。

さすが東海岸、イギリス風味が効いている。

 

ただ、日本の観光地のサンド系ならペラペラな感じになるところ、この肉の量には感心した。

 

アメリカだぞー!という感じがする。

それにしても塩コショー持ってたら、ものすごく美味しく食べられたのに。

それだけが心残りである。

 

 

 

 

撮影地:4 S Market St, Boston, MA 02109 アメリカ合衆国

撮影機材:iPhone 7 back camera 3.99mm f/1.8

昨日の夕ご飯はうどん。

ビールを飲むために、もう一品欲しいなと思った。

 

それにしても暑いよね。夏だよね。

 

むかし日本橋室町で働いていたころ。

同期入社の上村君と、退社時に何度か寄った店があった。

JR神田駅の近くで、鉄道ガード下にあった、たしか「好好(はおはお)」とかいう中華料理店。

今はもうないみたい。

 

「うわー暑い暑い」とかいいながらテーブルについて。

「とりビー、2つ!」

(訳:とりあえずの生ビール2杯ください)

 

そして二人で「なんにしようかー」とか言いながらメニューを見て。

「枝豆と…木耳の玉子炒めください!」

「いいねえー」

という流れで出てくる一品。

 

それが懐かしくて作ってみた。

 

 

ポイントは、すこし多めのごま油で木耳・ネギ・玉ねぎを炒めること。

木耳など具材を炒めた時に最後に鶏がらスープ(粉状)を加えたあと、ひと炒めすること。

 

そうして炒めた具材のうえから少し塩胡椒した玉子液を落とし、

全体がふんわりとまとわりつくように炒め合わせる。

 

少し冷めた頃がうまい。

ビールがすすむよねー。

 

ネギの甘みと、木耳のコリコリ。

木耳は食物繊維も豊富だから、とてもいいんだよ。

 

 

撮影場所:福岡ベース

撮影機材:OLYMPUS E-M5MarkII   

              +SIGMA 19mm F2.8 DN Art