朝から雨が降っていた。

明かりをつけてもなんとなく暗い感じ。

テレビの画面は煌々と明るくて、日曜の朝のバラエティをいつも通りやっている。

 

春は別れと出会いの季節。

別れはいいとして、なにか新しい局面と出会うべきなんではなかろうか。

ふと、そう思った。

 

 

ここ数年、悶々としていることがある。

そんな悶々がその日曜の雨の朝にもあーんと蘇ってきた。

水俣のことだ。

 

いま新聞記事を読んでも、水俣病事件を広報している諸団体の方がたの話を伺っても、みな一様に「風化してきた」「伝わりにくい世の中になった」と嘆息されている。

 

そこの間になにがあるのか。

あるいは何もないのか。

 

僕は「教科書や新聞紙上で流布されてきた水俣のこと」は、捉え直しをするべき時に来ていると考えている。

 

僕は当事者ではないし、支援団体として患者さんと接したりしているわけでもない。

そんな僕は、水俣の経験は私たちの世代以降がきちんと受け取って、これからの世の中に必要な知恵をそこから学んでいくべきと考えていて、それは世界の水銀汚染研究の第一人者の方がたとも共通する思いであることを知った。

 

とはいえ子供の頃から感じていた水俣病のいろんなことへの違和感、立教大学のゼミで触れた水俣のことへの違和感、1995年頃に感じた政治決着にまつわるいろんなことへの違和感、そして近年のうごきへの違和感が抜き去り難くある。

 

数年前、その違和感は日本の多くの大衆・一般生活者として普通に感じる違和感なのではないかと思い至った。

違和感があるから、そんな面倒臭いことを理解するのはイヤなのだ。

現代人は忙しい。

受け取り側のそんな事情も含めて、なんやかんやで伝わりにくいことになってるんじゃないか。

あるいは今までの報道される情報自体が「皆が持つべき知見」としての伝え方をしてこなかったということもあるだろう。

 

そう思って長年積み重ねてきた違和感を、見知ったことや経験をもとに因数分解したら。

意外なことに今後の道が見えてきた。

 

子供のころの違和感も、大学のころの違和感も、前世紀末の政治決着の中で出会った少年アッキーの「なんで水俣に住んでいるというだけで環境意識が高いことが求められないといけないんですか?」という問いに対する答えも、整理できた。

 

そのことをひとことで書くと「水俣の経験を皆で共有するためには、新たな展開が必要だ」ということ。

ちょっと大雑把な書き方だけど。

 

その前提として「水俣の経験は何か」ということと「そもそも水俣の経験を皆で共有しなければならないのか」あるいは「共有することのメリットはあるのか」ということも考えなくてはならない。

特に前者はそうとう力量がいる話だ。

けれど、現在まで報道や、教科書に載った情報ではそこが語られなかった。

「良識ある人なら共感して理解して当たり前」といわんばかりだった。

 

 

そんな違和感を分解しながら漠然とながら整理できてきたことを、水俣病闘争の「戦士」が集まった店として有名な「カリガリ」の女将のイソさんに話をしたりして。

 

でもここに集まる新聞記者あるいは論説委員あるいは偉い人と話をしてみたら、どうもすっきりしない。

 

では僕が考えていることが大きく間違っているのか、ズレているのかと。

そう思うけれども、「水俣のことに一家言ある」という誰と話をしても暖簾に腕押しのような返事した来ないので悶々としていたのだ。

 

そんな日々だったのだけれど、この日曜の朝、ついに思いついた。

 

 

「話してみる相手が間違っていたのかもしれない」。

 

 

そのとき脳裏に浮かんだのは金刺潤平さん。

そうだ!潤平さんと話をしてみたらどうなんだろうか。

潤平さんはもともと水俣の方ではない。

僕が栗原彬ゼミで水俣のことに触れ始めた1980年代の中盤、潤平さんは水俣に来た。

 

最初はよそ者だった。

当時の水俣病の患者支援の本拠地の一つ、水俣生活学校を支えた人である。

その彼は石牟礼道子さんに薫陶を得て和紙作りを始め、いまでは行政からも認定される伝統工芸師だ。

潤平さんは水俣生活学校の場所をそのまま浮浪雲工房という工房に変えて、現在も素晴らしい和紙を漉いている。

奥様も無農薬の綿花を栽培し、素材を織り、草木染めの作家として活動されている。

水俣にあって、現在と未来を見据えた暮らしをされている(ように見える)。

 

そんな経歴だから、もしかするといままで話してみた人々と異なる話を伺えるかもしれない。

そう思った午前9時。電話を差し上げ、13時のアポイントメントをいただいて、バタバタと僕は家を出た。

 

 

雨の日曜日の朝。

最寄りの停留所からのバスは空いていた。

JR九州の南へ向かう二両編成の電車の大きな窓からは垂れ込めた雨雲が大きく山に垂れ込めていた。

 

 

お世辞にも明るいホリデーの朝とはいえない風景。

僕は「長年の悶々が整理できるかも」という、雲間から一筋の日差しだけがさすような、不安と期待が入り混じる微妙な心持ちで電車に揺られていった。

 

※この1日の旅の概略はnoteにも書いています。

 

 

 

 

撮影場所:熊本県熊本市水道町交差点あたり

     同県氷川町有佐駅あたり

撮影機材:Phone 11

     back dual wide camera 4.25mm f/1.8