阿蘇山の外輪山の北側に上がり、波打つ高原の牧草地を走ってやや高度を下げていくと南小国という街に着く。

すでに分水嶺を超えこの辺りの水系は熊本の平野部には流れない。

福岡の久留米方面に注ぐ筑後川水系の地域となる。

熊本ながら、熊本人としては少しアウェイ感ある土地なのだ。

 

その南小国から、東側の山に分け入る。

最初は片側1車線の走りやすい道なのだが、途中からグッと狭くなる。

離合(熊本だけらしいね。すれ違いのこと)に気を使いながらくねくねといくと、山の中に唐突に集落が現れる。

満願寺温泉街だ。

 

 

駐車場に車を停め、立護寺満願寺に詣でた。

立派な楼門だ。

 

 

高野山真言宗の寺。

1274(文永11)年の元寇国難に際し、国家安泰・戦勝祈願のため鎌倉幕府の北条氏が建立した古刹。

九州最古の庭園といわれる心字池庭園は苔むした緑の中にひっそりとある。

 

 

このあたり小国郷は1221(承久3)年に起こった承久の乱により、公家の葉室氏から北条氏の所領になった。

いまは山奥のひっそりとした里だが、昔は山や森こそが生産の最前線であり、多くの生産人口を養っていたという話を裏付ける経緯である。

 

南小国あたりは九州のほぼ中央でありどこへ行くにも便利な場所であった。

北条氏にとっては、阿蘇氏をはじめ九州全土に睨みを効かせる拠点としてふさわしい場所だった。

山里としての殷賑もひときわだったのだろう。

 

 

元寇の襲来により北条時定(執権・北条時頼の弟)は、北条定宗、北条随時(ゆきとき)とともに小国郷へ下向しこの寺を創建。

その後、鎌倉時代末期まで北条氏の拠点だったが、南北朝時代は後村上天皇の祈願寺となった。

戦国時代には阿蘇惟豊、そして豊後の大友氏から保護されるが1587(天正15)年に起きた肥後国衆一揆の影響で寺域が大幅に減少、現在の姿となった。

 

「こんな静かな山の中に…」

山肌に囲まれた寺の楼門の前で、まさにそんな感慨に耽るしかない場所なのだ。

 

その楼門から川沿いに歩くと公衆温泉がある。

内湯もあるけれど、露天風呂は湯が沸き出る河原を仕切ってるだけ。

川沿いには道もあるわけで。

丸見えなんである。

それで「日本一恥ずかしい露天風呂」と自称している。

 

 

湯布院にも周りから見える公衆温泉があるから、恥ずかしさ日本一かどうかはわからない。

 

そんな川沿いの湯船が一部マニアには人気だけれども、

そしてフォトジェニックだけれども、

僕はこの集落を覆う苔むした鎌倉幕府由来の時の沈殿が、たまらないと思った。

 

 

みなさまにもぜひ、

この全てが止まったような

苔むした時の世界を感じて欲しいと思う。

 

 

 

撮影地:熊本県阿蘇郡南小国町大字満願寺あたり

撮影機材:Canon EOS 5D MarkⅢ

     + Canon EF 24-105mm f4/L IS