難航していた地理の学習も生徒の授業準備と東進ハイスクールの村瀬先生のおかげで大分はかどってきた。ヨーロッパに吹き付ける偏西風も気圧帯や海流との関係性で生徒に話せると、ただここは覚えてね!というより、なるぼど!そういうことか、となるし、ほぼ同緯度だが寒流が流れる北アメリカの西岸地域、シアトル、サンフランシスコあたりの気候と比べても面白い。

この偏西風が北西ヨーロッパに温暖湿潤の気候をもたらしているわけであるが、負の一面もある。北ヨーロッパでは酸性雨の被害が深刻化している。ドイツやイギリスで石炭が燃やされることで発生する硫黄酸化物と窒素酸化物が偏西風に乗って運ばれるために雨が降ると酸性化して人体にはもちろん他の生物や土壌に悪影響を及ぼすというわけである。このあたりまで授業で話せると系統地理と地誌のバランスがとれた展開になって少しは面白く聞いてもらえるかな?

歴史と地理の連携も企画してみたい。例えば天候が不順だと世が乱れるという陰謀論は本当か?

日本史だと聖武天皇の時代や院政、源平合戦あたりは天候不順だったとの記録があり、考古学の研究で該当される時代の樹木の幹の生育を調べたら他の時代に比べて劣っていたという。

自然は嘘をつかない、と教育実習の地理の授業で実感した。最近では気象兵器なんて私の考えを逆手にとったものも出てきているが気象の原理を知ることでその逆を知ることも可能である。あざむきも原理がなくては生まれない。

今日も早朝から地理の授業準備。二度寝しそうな身体を押しとどめるように文章を書いてみる。

今日はヨーロッパの地誌。イギリス、フランス、ドイツといろいろあるが、とりわけオランダに関心を持った。国土の大半が海水下にある国で干拓によって無理やり土地を作り、その面積も日本の九州程度なのにスペインから独立した17世紀以降は世界の商業を一手に引き受け、その後ナポレオンによる占領、2度の大戦と困難にまみれながらも現在ではアメリカに次ぐ農生産商品の輸出量を誇っている。生産方法も農業というより工業的で完全に機械化されていて、農作物に与える光量、水、二酸化炭素の量を出荷予定時期に合わせて管理しているだけでなく、各農家で自家発電して発生する熱や二酸化炭素を農作業に利用するという徹底的な合理性はなかなか真似できない。

夏はオランダの歴史という特別授業を企画予定だが意外な面からオランダという国の精神性に触れられた気がしてなんだか少しうれしい朝。

今日は一日雨。午後の授業までひたすら中国史の唐の時代の授業準備である。

唐自体も元々は鮮卑という民族が生み出した国家だが周辺諸国を見ると日本を含めてさまざまな民族、国家があったことに驚く。教科書的には唐が東ユーラシア世界の中心として堂々と君臨していた、という説明になるのだろうが、そこまで単純な話ではないだろう。唐の外交政策として名高い羈縻政策もつまるところ撫民、防衛政策であり、雑多な民族を一手に統治はできないというあきらめと府兵制の崩壊を補う打開策であることが透けて見える。のちに自治を認められた羈縻府の長が節度使、さらに藩鎮という一大勢力となり、唐の衰退を加速させるのである。これは両税法の誕生という税制大改革を含め、次回の授業の課題となろう。

則天武后、玄宗の時代はまさにその過渡期にあり、長安の繁栄など外目には派手に見えるが、内部では門閥貴族、科挙官僚、宦官、節度使、そして、楊家に代表される外戚など、さまざまな層の人々が鎬を削っていた。玄宗の時代はこれら権力層のバランスをうまく取ろうとした政治を行い「開元の治」と後世にも評価されているが晩年はやはり疲れてしまったのだろうか。そうなると楊貴妃に逃げた気持ちもこの年になるとわからないではない気になる。

この年になるとだんだん図々しくなると若い時のようになんでも一生懸命やるということではなく、ある意味の余裕を持たせるというか、1日の終わりは酒を飲んで一日の疲れを癒す、ある意味ぜいたくな時間を過ごしていた。自分を追い込む過ぎずに日々をやり過ごす。そんな生活に流されて。

が、さまざまな出来事を経てもうそんなことばかりしていてはいけないなあという自覚が生まれてきた。悪くもないが良くもないという中途半端な状態から抜け出して1日1日本当にやり切ったと満足できるそんな日々を積み重ねて今よりもっといい生活をしたいと思い始めている。

すぐに結果がでるかはわからないが、しっかりと目標を定めて、いやもうそれはわかっているはずだ。簡単な道ではなく、難しい道を行け。こんな世だからこそ思い切って勇気を持って生きよう。

イブン・バットゥータについて書いてから随分ご無沙汰してしまった当シリーズだが、再び続きを書きたいと自分を促したのは一冊の本との出会いからなのであった。

写真家、野町和嘉氏の「サハラ縦走」。図書館でアフリカ地理の授業のいいネタはないか、と探していたところ出会ってしまった本である。

アルジェリアからニジェール、そしてリビア。この男は砂漠をランドクルーザーでサハラを疾走する。時には落雷や嵐といった悪天候に見舞われて車内に雨水が入りこむのを横目にしつつただただ全てが収まるまでひたすら耐え忍ぶ。サハラの砂地は絶えず変化を繰り返し、時にはランドクルーザーのタイヤを黄砂の深みに引きづり込み、後退を余儀なくさせる。まさに蟻地獄といった情景だがそれでもなお目標とする土地へと向かおうとするこの男を駆り立てるものは一体なんなのか、と読みながら平和な日本では考えられない非日常空間に正直驚愕している。


「移動する」ということの重みが違いすぎる。


北アフリカ、サハラはイスラーム教徒が多い。

7世紀にムハンマドを信奉する集団がアフリカ大陸に進出してからのことだろうが、先住民であったベルベル人は元来の自然崇拝的な信仰を持ち合わせていたと考えられるが、不思議なことにイスラームの教えと融合していくのである。なぜなんだろう。


イブン・バットゥータもそうであったように、イスラーム教徒が生涯を通じて願うことは聖地であるメッカ巡礼である。メッカに行くことができさえすれば全ては成就する。

しかしその聖地への旅は文字通り命をかけるに等しい難行だったはずである。




新陰流という剣術の流儀の鍛錬に関わり続けて11年目となる。簡単に新陰流について説明すると戦国時代に上野国、現在の群馬県にあった長野氏という戦国大名に仕えた上泉伊勢守信綱という人物が生み出した流派である。この方は剣術は新当流、念流、陰流を鍛錬していたが、他にも軍学、陰陽道、薬学などにも博学者である。田舎大名の一家臣にも関わらず、当時の正二位、山科言継とも交流があり、従四位の伊勢守にも叙せられている。室町幕府13代将軍の足利義輝(新当流の使い手としても有名)、正親町天皇の前で演武(新陰流の術を内包した截り合いの型を演技する、型とはわかりやすくいうと、相手がこのように打ってきたら、新陰流の剣士は刀をこのように使うみたいなもの)を披露したというからちょっと並外れたなんて言葉で表現できるお方ではありません。

簡単にと思ったらやっぱり長くなったが、この方の残したこの流儀はあまりにも偉大すぎてあらためて日本というこの小さな島国が生み出した叡智の数々に敬服せざるを得ない。私も特別な能力を持ってるわけではなく、どちらかというと不器用な方だし、生活の全てを流儀に捧げるほど格別の稽古をしてきたとはいえない。しかしこの流儀に惚れ込み、師に言われたことを素直に励行して来たこの十年余の年月で心身ともに大きく成長できたことは何よりの喜びである。

日本があらゆる面で弱くなったと言われて久しい。本居宣長や吉田松陰が掲げた大和魂、この言葉を出すととたんに政治思想論くさくなるけれど、要は自らの先祖が引き継いできたものを純粋に愛して敬愛する心、この心がいよいよ風前の灯になっているのが現代の日本の姿である。

流儀を弘める、と書いて弘流というが、いつも難しさを感じているし、今もそうである。現代の日本人は剣道と剣術を同じものととらえているが、身体の使い方から心の持ち方、内包されている理論が全く違う。それを書き始めると話が長くなるので割愛するが、そのような難しさは受け入れつつ、自分に鞭を打ちながら弘流の行動をしなくてはいけない、いやさせていただきたい。

新陰流は楽しい。老若男女心があれば誰でもできる。一生の生きがい、誇りとなるものです。

授業準備やさまざまな仕事に追われながら気づいたら今年も暑い夏である。今日は真夏日になるとかで朝から2lのペットボトルを抱えて水をぐびぐびと飲み、身体をうるおしていく。夏はどれだけ飲めるか(水だけじゃなく酒も)、どれだけ食べれるかが勝負で体力さえあればどこまでも暑くなろうが必ず乗り切れるのである。日本も最近では40度近くまで気温が上がるがサハラ砂漠は50度を超えることもあるときくから人間その気になればどんな状況になろうとも生きていけるということである。今年の夏はどんな時間を過ごすのだろう。期待と不安が入り混じりながらも行く道を研ぎ澄ましてはっきりとみつめてあゆんでいきたいものである。

中国史をたっぷり時間をかけて授業している。昨日は唐の太宗の功績まで話をして、次回は則天武后、玄宗、そして楊貴妃である。白楽天の「長恨歌」を題材として授業を企画しようかと考えている。玄宗は開元の治と言われる名政治を行ったことで有名だが、晩年は絶世の美女の魅力に骨抜きにされてついに国を滅亡寸前まで追い込むのだからなんともすさまじい人生である。

楊貴妃のような国の大事を揺り動かすような、いわよる「傾国」の女性は中国史の中で多く登場する。則天武后もその1人であろう。ある人は彼女たちのことを「悪女」と呼ぶことがある。しかしその呼び名だけで彼女たちを本当に語りうるになるのか私の大きな興味である。

かつてドストエフスキーの「白痴」を通じてナスターシャ・フィリポーヴナという女性に出会った。周りから見ればただの金持ちに囲われた気狂い女としか見えないが、彼女の中にはとんでもない悪魔が育っていた。容赦のない真実をつきつけて他人を断罪するのである。同時にやさしく大きな愛もあわせもっている。彼女のイメージを中国史の女性たちに重ねてみた時、ただの「悪女」だけではすまされないまた違う性格というものが浮き彫りになっていくのではなかろうか。

ムイシュキンがナスターシャの写真を手にして見入ってしまうほど引きつけられた美しさはそう簡単に言葉で説明できるものではありませんね。


不意の雪で午前中の授業が休みとなり、久々に日中にゆっくりとした時間が過ごせている。


時間があると少しは大層なことを考えるもので今後の世の中がどうなるのか?ということに思いを馳せる。

自分が得ている情報から考えると先行きは決して良くなるとはとても思えない。特にこの国はかなり瀬戸際まで追い込まれている。

それなのに、僕らができることといったら、風雲急を告げる笛が吹かれるのを待つがごとく、あたかも事があかるみに出るのを待ち構えているだけだ。 


今まで自分はこの地球のためにいったい何ができたのか。何もなし得ていないのではないか。

いや、よりよい人間の生活が実現するために行動することを決してあきらめてはならない。

そんな思いに駆られたとき、僕はチェーホフの「ワーニャおじさん」のアーストロフの情熱あふれる言葉を思い出した。


「白樺の若木を自分で植え付けて、それがやがて青々と繁って、風に揺られているのを見ると、僕の胸は思わずふくらむのだ。そして僕は・・・」

(第一幕より)

アーストロフはこの後何を言おうとしたのだろうか。


「ワーニャおじさん」は悩みに悩んだ20代後半に「かもめ」とともに何度となく見た。ワーニャに自分の苦悩を見るのと同時に、アーストロフの姿から勇気と希望、情熱を持って生きることの素晴らしさを教えてもらった。


あれからもう20年近くが経ち、今年でワーニャと同じ47歳になる。仕事はなかなか忙しいが、人生を賭けるにふさわしい道は僕の前に常に用意されている。それはワーニャとは違う恵まれた点である。


僕の進む道が世の中を救う事につながるかどうかはわからない。しかし、アーストロフのように世の中に少しでも役にたとう、救おうという情熱を持つことはできるはずだ。


とめどもない熱い情熱。あきらめない気持ち。

ほんとうに大切にしたい。





来年度の指導について引き続き書いてみる。

来年度は古文を教える生徒が2人いる。2人とも受験生。これまでも古文を数人教えてきたが、他の勉強との兼ね合いで間に合わなくなり、途中で古文を捨てる結果に陥ることがほとんどなので今年は完遂することが目的である。

幸い1人は文法の勉強を楽しみ始めており、安心なのだが、もう1人は古文なんてぜったい無理!とのたまわっているが、いやもいやも好きのうちで頑張っていただきたい。古文って実は楽しい!と思える仕掛けを考えなくてはと思っている。


個人的には久しぶりに日本古典の世界を堪能できる機会なので、物語、日記、和歌の読解をしながら、知識を高めていきたい。


物語なら伊勢物語、雨月物語、好色一代男。

日記なら蜻蛉日記の再読、和泉式部日記。

和歌なら古今和歌集。

江戸文学もMARCHの文学部では出題されるので今年少し参入したいところ。雨月物語進められるかな。


古文の専門知識については小西甚一先生と川村裕子先生から学んでいきたい。


小西先生の「古文の読解」「古文研究法」はなかなか読み応えのある容量だが、今年度はかじりついてでも読みたいと思う。15年ほど前に演劇を通じて知った先生だが、ここでじっくりと向き合えるならありがたい。


川村先生が書かれた「蜻蛉日記の表現と和歌」を読み、和歌が作り出す表現が作品の底流を作り出すことを学んだ。また先生が書かれている「平安王朝の基礎知識」など、平安時代の風習などについてまとめている新書は参考になると思う。


受験書では「富井の古文読解をはじめからていねいに」がおすすめ。文法のポイントだけでなく、平安期の作品を読むのに必要な知識がまとめられているので、やる気のある方の生徒にはお勧めした。


最近売り出し中の岡本梨奈さんの参考書はビジュアル的にも女の子に受けそう。今回担当生徒は2人とも女の子なので、投入する機会があるかもね。特に古文は絶対嫌な生徒にw


なんと今年初のブログである。今年は受験生はなんと1人。塾講師としてはあまりにも早々と受験対応を終えて一息ついて来年度の策を練っているところである。


今年度は世界史という新境地を開くことができたことが大きい。苦しい局面もあったが、展開を考えるのは楽しかった。次年度は今まで書き溜めてきたものをレジュメ化していくのと、マイナーな国や地域の研究、文化史、現代史に力を入れたい。今年はあまりこだわらなかった特定の年代の各地域のつながりも気をつけていきたい。


さらに昨年度から地理に取り組み始めた。地理は系統地理と地誌学に分けられるが、系統地理がマスターできれば地誌は系統地理の知識を使ってひもといていくだけなので、系統地理を優先して勉強することになる。とはいっても系統地理の範囲は広く、地形、天候、土壌などの自然地理学から経済、都市の特徴などの人文地理学にわたり、なかなか遠大である。とはいえ、歴史を教えていても地理の知識が今まで思いもしなかったことに導いてくれる気がしてとても楽しい。地理をマスターすることで社会科教育の幅がさらに広がればと願い、根気良く学習する所存である。