社会科授業について振り返る新コーナー。ほぼ自分のためにやっているが誰かの足しになればという思いも多少はある。


本日の授業。地理のオンライン授業。ヨーロッパ地誌がテーマ。イギリスに天皇陛下が来訪されていることをイントロに、イギリスの産業の変化(工業→金融)、ドイツの炭鉱業、自動車工業に触れる。北海油田の話からイギリスとノルウェーの原油の輸出入の状況について触れ、ハイテク産業として航空機産業としてエアバス、フィンランドのノキアについて触れた。最後に中学レベルのヨーロッパの課題、環境問題、交通問題、経済格差について触れる。話題としては掘り下げていったらどれも面白いに決まっているのだが、ひとつの単元に使える時間は復習も含めると限られるのでせいぜい1〜2トピック。選んだトピックの中から生徒の興味関心に合わせてどのトピックを深掘りするかを考える。自動車産業は割と深掘りして授業準備したため割と関心を引いたかもしれない。

終盤は用語説明が多くなってしまい、平板になる。ただ平板になる時間も仕方がないかな、と思った。教師としては生徒の感情の抑揚を求めて面白い話題を話したいと考えがちになる。しかし、単元の中で必ず覚えてほしい出来事、用語について分かりやすく伝えてしっかり覚えてもらうことも大切だ。つかみと用語説明と盛り上がり、授業展開のバランスを毎回試行錯誤している。

恐ろしいほど暑い陽ざしである。月曜日は1週間の中で、唯一朝から都心に向かう日なのだが、いつも乗る列車に乗り込んだ時からいつもの立ち位置がとれず、なんかおかしいな、と思っていたら、気づけば超満員電車の乗員の一員となっていたのである。しかし月曜日、とりわけ夏は普段より電車が混む気がするがなぜだろうか。知っている人がいたら教えてほしい。

ともかく毎日体験している人ならいざ知らず、新参者の私には荷が重い圧力だったらしく朝から周りの人様に謝りつつついついしゃがみこんでしまう。

この満員電車という状況が他の国に存在するのかこれは調べなければならないが、この国の東京の民は70年以上もこの困難な移動を自らに強いているのである。どちらかと言えば知ったもの同士以外との接触を嫌う日本人が早朝の電車の中では真逆にお互いの身体を密着させながら硬直するのである。

この移動のあり方に美学を見出すとすればみずからを生きた存在である人間から電車に運ばれる「モノ」としての人間へと置き換えることによる脱構築を無意識に図っているのかもしれない。

日常を哲学的に、非日常に還元してみた。

難航していた地理の学習も生徒の授業準備と東進ハイスクールの村瀬先生のおかげで大分はかどってきた。ヨーロッパに吹き付ける偏西風も気圧帯や海流との関係性で生徒に話せると、ただここは覚えてね!というより、なるぼど!そういうことか、となるし、ほぼ同緯度だが寒流が流れる北アメリカの西岸地域、シアトル、サンフランシスコあたりの気候と比べても面白い。

この偏西風が北西ヨーロッパに温暖湿潤の気候をもたらしているわけであるが、負の一面もある。北ヨーロッパでは酸性雨の被害が深刻化している。ドイツやイギリスで石炭が燃やされることで発生する硫黄酸化物と窒素酸化物が偏西風に乗って運ばれるために雨が降ると酸性化して人体にはもちろん他の生物や土壌に悪影響を及ぼすというわけである。このあたりまで授業で話せると系統地理と地誌のバランスがとれた展開になって少しは面白く聞いてもらえるかな?

歴史と地理の連携も企画してみたい。例えば天候が不順だと世が乱れるという陰謀論は本当か?

日本史だと聖武天皇の時代や院政、源平合戦あたりは天候不順だったとの記録があり、考古学の研究で該当される時代の樹木の幹の生育を調べたら他の時代に比べて劣っていたという。

自然は嘘をつかない、と教育実習の地理の授業で実感した。最近では気象兵器なんて私の考えを逆手にとったものも出てきているが気象の原理を知ることでその逆を知ることも可能である。あざむきも原理がなくては生まれない。

今日も早朝から地理の授業準備。二度寝しそうな身体を押しとどめるように文章を書いてみる。

今日はヨーロッパの地誌。イギリス、フランス、ドイツといろいろあるが、とりわけオランダに関心を持った。国土の大半が海水下にある国で干拓によって無理やり土地を作り、その面積も日本の九州程度なのにスペインから独立した17世紀以降は世界の商業を一手に引き受け、その後ナポレオンによる占領、2度の大戦と困難にまみれながらも現在ではアメリカに次ぐ農生産商品の輸出量を誇っている。生産方法も農業というより工業的で完全に機械化されていて、農作物に与える光量、水、二酸化炭素の量を出荷予定時期に合わせて管理しているだけでなく、各農家で自家発電して発生する熱や二酸化炭素を農作業に利用するという徹底的な合理性はなかなか真似できない。

夏はオランダの歴史という特別授業を企画予定だが意外な面からオランダという国の精神性に触れられた気がしてなんだか少しうれしい朝。

今日は一日雨。午後の授業までひたすら中国史の唐の時代の授業準備である。

唐自体も元々は鮮卑という民族が生み出した国家だが周辺諸国を見ると日本を含めてさまざまな民族、国家があったことに驚く。教科書的には唐が東ユーラシア世界の中心として堂々と君臨していた、という説明になるのだろうが、そこまで単純な話ではないだろう。唐の外交政策として名高い羈縻政策もつまるところ撫民、防衛政策であり、雑多な民族を一手に統治はできないというあきらめと府兵制の崩壊を補う打開策であることが透けて見える。のちに自治を認められた羈縻府の長が節度使、さらに藩鎮という一大勢力となり、唐の衰退を加速させるのである。これは両税法の誕生という税制大改革を含め、次回の授業の課題となろう。

則天武后、玄宗の時代はまさにその過渡期にあり、長安の繁栄など外目には派手に見えるが、内部では門閥貴族、科挙官僚、宦官、節度使、そして、楊家に代表される外戚など、さまざまな層の人々が鎬を削っていた。玄宗の時代はこれら権力層のバランスをうまく取ろうとした政治を行い「開元の治」と後世にも評価されているが晩年はやはり疲れてしまったのだろうか。そうなると楊貴妃に逃げた気持ちもこの年になるとわからないではない気になる。

この年になるとだんだん図々しくなると若い時のようになんでも一生懸命やるということではなく、ある意味の余裕を持たせるというか、1日の終わりは酒を飲んで一日の疲れを癒す、ある意味ぜいたくな時間を過ごしていた。自分を追い込む過ぎずに日々をやり過ごす。そんな生活に流されて。

が、さまざまな出来事を経てもうそんなことばかりしていてはいけないなあという自覚が生まれてきた。悪くもないが良くもないという中途半端な状態から抜け出して1日1日本当にやり切ったと満足できるそんな日々を積み重ねて今よりもっといい生活をしたいと思い始めている。

すぐに結果がでるかはわからないが、しっかりと目標を定めて、いやもうそれはわかっているはずだ。簡単な道ではなく、難しい道を行け。こんな世だからこそ思い切って勇気を持って生きよう。

イブン・バットゥータについて書いてから随分ご無沙汰してしまった当シリーズだが、再び続きを書きたいと自分を促したのは一冊の本との出会いからなのであった。

写真家、野町和嘉氏の「サハラ縦走」。図書館でアフリカ地理の授業のいいネタはないか、と探していたところ出会ってしまった本である。

アルジェリアからニジェール、そしてリビア。この男は砂漠をランドクルーザーでサハラを疾走する。時には落雷や嵐といった悪天候に見舞われて車内に雨水が入りこむのを横目にしつつただただ全てが収まるまでひたすら耐え忍ぶ。サハラの砂地は絶えず変化を繰り返し、時にはランドクルーザーのタイヤを黄砂の深みに引きづり込み、後退を余儀なくさせる。まさに蟻地獄といった情景だがそれでもなお目標とする土地へと向かおうとするこの男を駆り立てるものは一体なんなのか、と読みながら平和な日本では考えられない非日常空間に正直驚愕している。


「移動する」ということの重みが違いすぎる。


北アフリカ、サハラはイスラーム教徒が多い。

7世紀にムハンマドを信奉する集団がアフリカ大陸に進出してからのことだろうが、先住民であったベルベル人は元来の自然崇拝的な信仰を持ち合わせていたと考えられるが、不思議なことにイスラームの教えと融合していくのである。なぜなんだろう。


イブン・バットゥータもそうであったように、イスラーム教徒が生涯を通じて願うことは聖地であるメッカ巡礼である。メッカに行くことができさえすれば全ては成就する。

しかしその聖地への旅は文字通り命をかけるに等しい難行だったはずである。




新陰流という剣術の流儀の鍛錬に関わり続けて11年目となる。簡単に新陰流について説明すると戦国時代に上野国、現在の群馬県にあった長野氏という戦国大名に仕えた上泉伊勢守信綱という人物が生み出した流派である。この方は剣術は新当流、念流、陰流を鍛錬していたが、他にも軍学、陰陽道、薬学などにも博学者である。田舎大名の一家臣にも関わらず、当時の正二位、山科言継とも交流があり、従四位の伊勢守にも叙せられている。室町幕府13代将軍の足利義輝(新当流の使い手としても有名)、正親町天皇の前で演武(新陰流の術を内包した截り合いの型を演技する、型とはわかりやすくいうと、相手がこのように打ってきたら、新陰流の剣士は刀をこのように使うみたいなもの)を披露したというからちょっと並外れたなんて言葉で表現できるお方ではありません。

簡単にと思ったらやっぱり長くなったが、この方の残したこの流儀はあまりにも偉大すぎてあらためて日本というこの小さな島国が生み出した叡智の数々に敬服せざるを得ない。私も特別な能力を持ってるわけではなく、どちらかというと不器用な方だし、生活の全てを流儀に捧げるほど格別の稽古をしてきたとはいえない。しかしこの流儀に惚れ込み、師に言われたことを素直に励行して来たこの十年余の年月で心身ともに大きく成長できたことは何よりの喜びである。

日本があらゆる面で弱くなったと言われて久しい。本居宣長や吉田松陰が掲げた大和魂、この言葉を出すととたんに政治思想論くさくなるけれど、要は自らの先祖が引き継いできたものを純粋に愛して敬愛する心、この心がいよいよ風前の灯になっているのが現代の日本の姿である。

流儀を弘める、と書いて弘流というが、いつも難しさを感じているし、今もそうである。現代の日本人は剣道と剣術を同じものととらえているが、身体の使い方から心の持ち方、内包されている理論が全く違う。それを書き始めると話が長くなるので割愛するが、そのような難しさは受け入れつつ、自分に鞭を打ちながら弘流の行動をしなくてはいけない、いやさせていただきたい。

新陰流は楽しい。老若男女心があれば誰でもできる。一生の生きがい、誇りとなるものです。

授業準備やさまざまな仕事に追われながら気づいたら今年も暑い夏である。今日は真夏日になるとかで朝から2lのペットボトルを抱えて水をぐびぐびと飲み、身体をうるおしていく。夏はどれだけ飲めるか(水だけじゃなく酒も)、どれだけ食べれるかが勝負で体力さえあればどこまでも暑くなろうが必ず乗り切れるのである。日本も最近では40度近くまで気温が上がるがサハラ砂漠は50度を超えることもあるときくから人間その気になればどんな状況になろうとも生きていけるということである。今年の夏はどんな時間を過ごすのだろう。期待と不安が入り混じりながらも行く道を研ぎ澄ましてはっきりとみつめてあゆんでいきたいものである。

中国史をたっぷり時間をかけて授業している。昨日は唐の太宗の功績まで話をして、次回は則天武后、玄宗、そして楊貴妃である。白楽天の「長恨歌」を題材として授業を企画しようかと考えている。玄宗は開元の治と言われる名政治を行ったことで有名だが、晩年は絶世の美女の魅力に骨抜きにされてついに国を滅亡寸前まで追い込むのだからなんともすさまじい人生である。

楊貴妃のような国の大事を揺り動かすような、いわよる「傾国」の女性は中国史の中で多く登場する。則天武后もその1人であろう。ある人は彼女たちのことを「悪女」と呼ぶことがある。しかしその呼び名だけで彼女たちを本当に語りうるになるのか私の大きな興味である。

かつてドストエフスキーの「白痴」を通じてナスターシャ・フィリポーヴナという女性に出会った。周りから見ればただの金持ちに囲われた気狂い女としか見えないが、彼女の中にはとんでもない悪魔が育っていた。容赦のない真実をつきつけて他人を断罪するのである。同時にやさしく大きな愛もあわせもっている。彼女のイメージを中国史の女性たちに重ねてみた時、ただの「悪女」だけではすまされないまた違う性格というものが浮き彫りになっていくのではなかろうか。

ムイシュキンがナスターシャの写真を手にして見入ってしまうほど引きつけられた美しさはそう簡単に言葉で説明できるものではありませんね。


不意の雪で午前中の授業が休みとなり、久々に日中にゆっくりとした時間が過ごせている。


時間があると少しは大層なことを考えるもので今後の世の中がどうなるのか?ということに思いを馳せる。

自分が得ている情報から考えると先行きは決して良くなるとはとても思えない。特にこの国はかなり瀬戸際まで追い込まれている。

それなのに、僕らができることといったら、風雲急を告げる笛が吹かれるのを待つがごとく、あたかも事があかるみに出るのを待ち構えているだけだ。 


今まで自分はこの地球のためにいったい何ができたのか。何もなし得ていないのではないか。

いや、よりよい人間の生活が実現するために行動することを決してあきらめてはならない。

そんな思いに駆られたとき、僕はチェーホフの「ワーニャおじさん」のアーストロフの情熱あふれる言葉を思い出した。


「白樺の若木を自分で植え付けて、それがやがて青々と繁って、風に揺られているのを見ると、僕の胸は思わずふくらむのだ。そして僕は・・・」

(第一幕より)

アーストロフはこの後何を言おうとしたのだろうか。


「ワーニャおじさん」は悩みに悩んだ20代後半に「かもめ」とともに何度となく見た。ワーニャに自分の苦悩を見るのと同時に、アーストロフの姿から勇気と希望、情熱を持って生きることの素晴らしさを教えてもらった。


あれからもう20年近くが経ち、今年でワーニャと同じ47歳になる。仕事はなかなか忙しいが、人生を賭けるにふさわしい道は僕の前に常に用意されている。それはワーニャとは違う恵まれた点である。


僕の進む道が世の中を救う事につながるかどうかはわからない。しかし、アーストロフのように世の中に少しでも役にたとう、救おうという情熱を持つことはできるはずだ。


とめどもない熱い情熱。あきらめない気持ち。

ほんとうに大切にしたい。