今年もついに7月に入る。昨日今日、陽射しに刺されて顔も腕も真っ赤である。日焼け止めクリームが必要かもと人生で初めて思えてきた梅雨もそこそこに夏本番の様相である。


そんな中私は相も変わらず歴史を教える日々。今日は中国史で宋が登場。中国では統一王朝のひとつに数えられるが軍事的にはからっきしで遼や西夏に押され平和を金で買う弱腰を見せる。一方

、平和が長く続いたおかげで文化経済が飛躍的に成長したことも間違いない。


そしてなんといってもこの宋の時代といえば「水滸伝」である。小学校の時父が持っていた横山光輝が書いた漫画「水滸伝」に出会って以来、彼らの任侠の世界に虜になった。同時に「三国志」も横山光輝からだったが今ではどう考えても「水滸伝」の方が私に大きな影響を与えている。「花和尚」魯智深など百八星全ての人物にニックネームがあり、キャラクターも林冲のような真面目キャラから李逵、王英のようなトラブルメーカーまで多種多様である。また、梁山泊に宋江以下百八星が集結するまでのライバルとの戦いももちろん面白いのだが百八星が梁山泊に身を投じるまでのエピソードがドラマチックで俊逸なのである。中でも「行者」武松が兄嫁の潘金蓮を殺すエピソードは昼ドラを軽く越えるドロドロぶりで幼少ながら女性は怖いと学んだわけだが実人生ではあまり生かされなかったか。

次回は梁山泊の好漢の中で武松はじめ印象的な人物に触れていきたい。


昨夜は新陰流の稽古だった。燕飛六箇之太刀の型の細かいところを師とおさらいした。手順はさすがに10年やっていると忘れないが、拳を高く掲げる教えがあるのに動いている内に下げてしまったり、手の内の効きが甘かったり、余計な動きをしてしまっていたりと、人それぞれさまざまな癖が出てくる。


こんなことを書いても剣術をやっていない人にはちんぷんかんぷんかもしれないが、料理やモノづくりに関わる職人さんならわかってくれるかもしれない。例えばお寿司屋さんが寿司を握る動作もはためには同じ動きをただ繰り返しているように見えるけど、シャリの分量、にぎりの強さ、ネタののせ方など、常に師匠の教えが守れているか自分で自分の動きを見守りながら寿司を握っているのではと寿司に関しては素人ながら想像してしまう。たまにはあ、やっちまったなあ、なんて思いながら客に寿司の皿を差し出すこともあるのかもしれない。


長年やっているとわかるが、身体はわかっているが意識では把握しきれていないことがある。

自分ではやってるつもりになっているが師のようなわかる人からみるとやれていない。流儀の鍛錬で身につけた身体知を常に意識の力で顕在化して実現する。フランスの哲学者、ベルクソンの言葉を借りれば「意識の純粋持続」である。だいぶ前に読んだが、何が書いてあったかはもう忘れた。今読んだらまた違う感銘を受けるだろうか。


師にも周りの塾生にどんどん教えるように諭された。未熟だから、という段階は過ぎた。未熟で上等である。生業が講師業などでよくわかるが教えるということは上達の早道なのである。人に教えるとなるとこれで大丈夫か、と重箱の隅をつつくようにあれこれ考える。教えてみてこれはよかった、あれはちょっと違った、自分で考えてわからない時は師に聞いて納得して成長、このサイクルを繰り返すことで気づいてみたら自分が思ってもいなかったところに達していることかある。


泉鏡花原作、衣笠貞之助監督作品「歌行灯」のラストシーンで桑名の芸者宿で山本富士子演じるお袖と旅の老人2人、実は東京の能の宗家、恩地流の家元と鼓打なのだが、一緒に仕舞を演ずる。その仕舞の前に信欣三演ずる鼓打の老人が「相変わらずの未熟」と発する言葉が見るたびに胸を打つ。流祖流儀の前においては何年何十年、死ぬまでやっても結局は未熟なのだ。自分の未熟さに負けずにどこまで自分の芸を生きている間に高められるのか。思えばこんなに有難い道はないはずである。

引き続き昨日の社会史授業について振り返る。


高校2年生と日本史授業。お題は平治の乱。普通なら藤原氏の院近臣の権力争いの中で源氏と平氏が双方に別れて戦った、ぐらいの説明で過ぎて行くのだがそうはいかず、後白河天皇と二条天皇の関係、二条天皇の生母が出産後急死したため、美福門院が二条天皇を育てたという事実などを紹介する。保元の乱で美福門院が後白河を推した理由も見えてくる。あの手にこの手。美福門院のしたたかな策謀に触れることで後白河も政界とは何かを学んだのだろうか?


このような教科書に載っていない新しい情報を提示しながらなぜ後白河が天皇親政ではなく自らの院政に舵をとったかを生徒と一緒に考えていった。自らの母、待賢門院は美福門院のために出家の道を選ぶこととなった。本来なら歌舞の世界、民衆の世界と関わり続けるのが本望だったはずの後白河がそれを犠牲にしてまで政界に止まることを選択したのは母を追い落とした美福門院への復讐心か?それとも。。。


このような答えのない問いを考えて行く授業を最近は続けている。平治の乱で藤原信頼が清盛の熊野詣でのタイミングで後白河らを幽閉するクーデータを起こしたがその後信頼は京に帰参するであろう清盛とどのように渡り合うつもりだったのか?という議論では生徒から清盛と話し合うつもりだった、という意見が出た。では何をエサに交渉するつもりか?荘園か、知行か、官職か?このように歴史の登場人物の身になって具体的に考えて行くのが私流「演劇的日本史」である。生徒からも信西がなぜ自殺したのかという問いが出てきた。自ら問いを立てられたのは素晴らしい。次回の課題である。


それにしても平清盛、後白河は私としては日本史における大有名人だと思っていたが、生徒にとってはぜんぜんそんなことはなく、そりゃ孝謙天皇ならなおさらだわ、と妙に納得する。


時間があれば人物史というジャンルもやりたいけどさすがにそこまでの時間がないのが悩ましい。

社会科授業について振り返る新コーナー。ほぼ自分のためにやっているが誰かの足しになればという思いも多少はある。


本日の授業。地理のオンライン授業。ヨーロッパ地誌がテーマ。イギリスに天皇陛下が来訪されていることをイントロに、イギリスの産業の変化(工業→金融)、ドイツの炭鉱業、自動車工業に触れる。北海油田の話からイギリスとノルウェーの原油の輸出入の状況について触れ、ハイテク産業として航空機産業としてエアバス、フィンランドのノキアについて触れた。最後に中学レベルのヨーロッパの課題、環境問題、交通問題、経済格差について触れる。話題としては掘り下げていったらどれも面白いに決まっているのだが、ひとつの単元に使える時間は復習も含めると限られるのでせいぜい1〜2トピック。選んだトピックの中から生徒の興味関心に合わせてどのトピックを深掘りするかを考える。自動車産業は割と深掘りして授業準備したため割と関心を引いたかもしれない。

終盤は用語説明が多くなってしまい、平板になる。ただ平板になる時間も仕方がないかな、と思った。教師としては生徒の感情の抑揚を求めて面白い話題を話したいと考えがちになる。しかし、単元の中で必ず覚えてほしい出来事、用語について分かりやすく伝えてしっかり覚えてもらうことも大切だ。つかみと用語説明と盛り上がり、授業展開のバランスを毎回試行錯誤している。

恐ろしいほど暑い陽ざしである。月曜日は1週間の中で、唯一朝から都心に向かう日なのだが、いつも乗る列車に乗り込んだ時からいつもの立ち位置がとれず、なんかおかしいな、と思っていたら、気づけば超満員電車の乗員の一員となっていたのである。しかし月曜日、とりわけ夏は普段より電車が混む気がするがなぜだろうか。知っている人がいたら教えてほしい。

ともかく毎日体験している人ならいざ知らず、新参者の私には荷が重い圧力だったらしく朝から周りの人様に謝りつつついついしゃがみこんでしまう。

この満員電車という状況が他の国に存在するのかこれは調べなければならないが、この国の東京の民は70年以上もこの困難な移動を自らに強いているのである。どちらかと言えば知ったもの同士以外との接触を嫌う日本人が早朝の電車の中では真逆にお互いの身体を密着させながら硬直するのである。

この移動のあり方に美学を見出すとすればみずからを生きた存在である人間から電車に運ばれる「モノ」としての人間へと置き換えることによる脱構築を無意識に図っているのかもしれない。

日常を哲学的に、非日常に還元してみた。

難航していた地理の学習も生徒の授業準備と東進ハイスクールの村瀬先生のおかげで大分はかどってきた。ヨーロッパに吹き付ける偏西風も気圧帯や海流との関係性で生徒に話せると、ただここは覚えてね!というより、なるぼど!そういうことか、となるし、ほぼ同緯度だが寒流が流れる北アメリカの西岸地域、シアトル、サンフランシスコあたりの気候と比べても面白い。

この偏西風が北西ヨーロッパに温暖湿潤の気候をもたらしているわけであるが、負の一面もある。北ヨーロッパでは酸性雨の被害が深刻化している。ドイツやイギリスで石炭が燃やされることで発生する硫黄酸化物と窒素酸化物が偏西風に乗って運ばれるために雨が降ると酸性化して人体にはもちろん他の生物や土壌に悪影響を及ぼすというわけである。このあたりまで授業で話せると系統地理と地誌のバランスがとれた展開になって少しは面白く聞いてもらえるかな?

歴史と地理の連携も企画してみたい。例えば天候が不順だと世が乱れるという陰謀論は本当か?

日本史だと聖武天皇の時代や院政、源平合戦あたりは天候不順だったとの記録があり、考古学の研究で該当される時代の樹木の幹の生育を調べたら他の時代に比べて劣っていたという。

自然は嘘をつかない、と教育実習の地理の授業で実感した。最近では気象兵器なんて私の考えを逆手にとったものも出てきているが気象の原理を知ることでその逆を知ることも可能である。あざむきも原理がなくては生まれない。

今日も早朝から地理の授業準備。二度寝しそうな身体を押しとどめるように文章を書いてみる。

今日はヨーロッパの地誌。イギリス、フランス、ドイツといろいろあるが、とりわけオランダに関心を持った。国土の大半が海水下にある国で干拓によって無理やり土地を作り、その面積も日本の九州程度なのにスペインから独立した17世紀以降は世界の商業を一手に引き受け、その後ナポレオンによる占領、2度の大戦と困難にまみれながらも現在ではアメリカに次ぐ農生産商品の輸出量を誇っている。生産方法も農業というより工業的で完全に機械化されていて、農作物に与える光量、水、二酸化炭素の量を出荷予定時期に合わせて管理しているだけでなく、各農家で自家発電して発生する熱や二酸化炭素を農作業に利用するという徹底的な合理性はなかなか真似できない。

夏はオランダの歴史という特別授業を企画予定だが意外な面からオランダという国の精神性に触れられた気がしてなんだか少しうれしい朝。

今日は一日雨。午後の授業までひたすら中国史の唐の時代の授業準備である。

唐自体も元々は鮮卑という民族が生み出した国家だが周辺諸国を見ると日本を含めてさまざまな民族、国家があったことに驚く。教科書的には唐が東ユーラシア世界の中心として堂々と君臨していた、という説明になるのだろうが、そこまで単純な話ではないだろう。唐の外交政策として名高い羈縻政策もつまるところ撫民、防衛政策であり、雑多な民族を一手に統治はできないというあきらめと府兵制の崩壊を補う打開策であることが透けて見える。のちに自治を認められた羈縻府の長が節度使、さらに藩鎮という一大勢力となり、唐の衰退を加速させるのである。これは両税法の誕生という税制大改革を含め、次回の授業の課題となろう。

則天武后、玄宗の時代はまさにその過渡期にあり、長安の繁栄など外目には派手に見えるが、内部では門閥貴族、科挙官僚、宦官、節度使、そして、楊家に代表される外戚など、さまざまな層の人々が鎬を削っていた。玄宗の時代はこれら権力層のバランスをうまく取ろうとした政治を行い「開元の治」と後世にも評価されているが晩年はやはり疲れてしまったのだろうか。そうなると楊貴妃に逃げた気持ちもこの年になるとわからないではない気になる。

この年になるとだんだん図々しくなると若い時のようになんでも一生懸命やるということではなく、ある意味の余裕を持たせるというか、1日の終わりは酒を飲んで一日の疲れを癒す、ある意味ぜいたくな時間を過ごしていた。自分を追い込む過ぎずに日々をやり過ごす。そんな生活に流されて。

が、さまざまな出来事を経てもうそんなことばかりしていてはいけないなあという自覚が生まれてきた。悪くもないが良くもないという中途半端な状態から抜け出して1日1日本当にやり切ったと満足できるそんな日々を積み重ねて今よりもっといい生活をしたいと思い始めている。

すぐに結果がでるかはわからないが、しっかりと目標を定めて、いやもうそれはわかっているはずだ。簡単な道ではなく、難しい道を行け。こんな世だからこそ思い切って勇気を持って生きよう。

イブン・バットゥータについて書いてから随分ご無沙汰してしまった当シリーズだが、再び続きを書きたいと自分を促したのは一冊の本との出会いからなのであった。

写真家、野町和嘉氏の「サハラ縦走」。図書館でアフリカ地理の授業のいいネタはないか、と探していたところ出会ってしまった本である。

アルジェリアからニジェール、そしてリビア。この男は砂漠をランドクルーザーでサハラを疾走する。時には落雷や嵐といった悪天候に見舞われて車内に雨水が入りこむのを横目にしつつただただ全てが収まるまでひたすら耐え忍ぶ。サハラの砂地は絶えず変化を繰り返し、時にはランドクルーザーのタイヤを黄砂の深みに引きづり込み、後退を余儀なくさせる。まさに蟻地獄といった情景だがそれでもなお目標とする土地へと向かおうとするこの男を駆り立てるものは一体なんなのか、と読みながら平和な日本では考えられない非日常空間に正直驚愕している。


「移動する」ということの重みが違いすぎる。


北アフリカ、サハラはイスラーム教徒が多い。

7世紀にムハンマドを信奉する集団がアフリカ大陸に進出してからのことだろうが、先住民であったベルベル人は元来の自然崇拝的な信仰を持ち合わせていたと考えられるが、不思議なことにイスラームの教えと融合していくのである。なぜなんだろう。


イブン・バットゥータもそうであったように、イスラーム教徒が生涯を通じて願うことは聖地であるメッカ巡礼である。メッカに行くことができさえすれば全ては成就する。

しかしその聖地への旅は文字通り命をかけるに等しい難行だったはずである。