新陰流という剣術の流儀の鍛錬に関わり続けて11年目となる。簡単に新陰流について説明すると戦国時代に上野国、現在の群馬県にあった長野氏という戦国大名に仕えた上泉伊勢守信綱という人物が生み出した流派である。この方は剣術は新当流、念流、陰流を鍛錬していたが、他にも軍学、陰陽道、薬学などにも博学者である。田舎大名の一家臣にも関わらず、当時の正二位、山科言継とも交流があり、従四位の伊勢守にも叙せられている。室町幕府13代将軍の足利義輝(新当流の使い手としても有名)、正親町天皇の前で演武(新陰流の術を内包した截り合いの型を演技する、型とはわかりやすくいうと、相手がこのように打ってきたら、新陰流の剣士は刀をこのように使うみたいなもの)を披露したというからちょっと並外れたなんて言葉で表現できるお方ではありません。

簡単にと思ったらやっぱり長くなったが、この方の残したこの流儀はあまりにも偉大すぎてあらためて日本というこの小さな島国が生み出した叡智の数々に敬服せざるを得ない。私も特別な能力を持ってるわけではなく、どちらかというと不器用な方だし、生活の全てを流儀に捧げるほど格別の稽古をしてきたとはいえない。しかしこの流儀に惚れ込み、師に言われたことを素直に励行して来たこの十年余の年月で心身ともに大きく成長できたことは何よりの喜びである。

日本があらゆる面で弱くなったと言われて久しい。本居宣長や吉田松陰が掲げた大和魂、この言葉を出すととたんに政治思想論くさくなるけれど、要は自らの先祖が引き継いできたものを純粋に愛して敬愛する心、この心がいよいよ風前の灯になっているのが現代の日本の姿である。

流儀を弘める、と書いて弘流というが、いつも難しさを感じているし、今もそうである。現代の日本人は剣道と剣術を同じものととらえているが、身体の使い方から心の持ち方、内包されている理論が全く違う。それを書き始めると話が長くなるので割愛するが、そのような難しさは受け入れつつ、自分に鞭を打ちながら弘流の行動をしなくてはいけない、いやさせていただきたい。

新陰流は楽しい。老若男女心があれば誰でもできる。一生の生きがい、誇りとなるものです。