授業準備やさまざまな仕事に追われながら気づいたら今年も暑い夏である。今日は真夏日になるとかで朝から2lのペットボトルを抱えて水をぐびぐびと飲み、身体をうるおしていく。夏はどれだけ飲めるか(水だけじゃなく酒も)、どれだけ食べれるかが勝負で体力さえあればどこまでも暑くなろうが必ず乗り切れるのである。日本も最近では40度近くまで気温が上がるがサハラ砂漠は50度を超えることもあるときくから人間その気になればどんな状況になろうとも生きていけるということである。今年の夏はどんな時間を過ごすのだろう。期待と不安が入り混じりながらも行く道を研ぎ澄ましてはっきりとみつめてあゆんでいきたいものである。

中国史をたっぷり時間をかけて授業している。昨日は唐の太宗の功績まで話をして、次回は則天武后、玄宗、そして楊貴妃である。白楽天の「長恨歌」を題材として授業を企画しようかと考えている。玄宗は開元の治と言われる名政治を行ったことで有名だが、晩年は絶世の美女の魅力に骨抜きにされてついに国を滅亡寸前まで追い込むのだからなんともすさまじい人生である。

楊貴妃のような国の大事を揺り動かすような、いわよる「傾国」の女性は中国史の中で多く登場する。則天武后もその1人であろう。ある人は彼女たちのことを「悪女」と呼ぶことがある。しかしその呼び名だけで彼女たちを本当に語りうるになるのか私の大きな興味である。

かつてドストエフスキーの「白痴」を通じてナスターシャ・フィリポーヴナという女性に出会った。周りから見ればただの金持ちに囲われた気狂い女としか見えないが、彼女の中にはとんでもない悪魔が育っていた。容赦のない真実をつきつけて他人を断罪するのである。同時にやさしく大きな愛もあわせもっている。彼女のイメージを中国史の女性たちに重ねてみた時、ただの「悪女」だけではすまされないまた違う性格というものが浮き彫りになっていくのではなかろうか。

ムイシュキンがナスターシャの写真を手にして見入ってしまうほど引きつけられた美しさはそう簡単に言葉で説明できるものではありませんね。