ここ数年世界史や地理を勉強することが習慣になったがやっぱり現地に出向いて見てみたいという気持ちが出てくる。


昨日は本当に久しぶりに時間の余裕ができて本屋に立ち寄ったが、歴史コーナーで宮脇淳子氏の「満洲国から見た近現代史の真実」を見つけて2時間近く立ち読みしてしまった。内容としては満洲国そのものについてはあまり書かれておらず、近現代史の解説も聞いたことのあるような内容ばかりで正直物足りなかったが、満洲の地理的な情報の説明を聞くとワクワクしてくる。大興安嶺山脈を挟んで東側が満州で西側はモンゴル高原。瀋陽や遼陽という土地でモンゴル人と満州人、かつては女真、女直といったが、お互い交易を行っていたという。女真族は狩猟民族として有名だが世界的にも珍重されたのが満州の地にいた動物の毛皮でかなり高価な値段で売買されていたらしい。川も中ソ国境の一部をなすアムール川から松花江、牡丹江など豊富な支流が日本海、渤海、黄海などに流れ込む。そんな雄大な自然をいつか目にしたいものだ。


日本人は日露戦争で旅順、大連の租借権および両都市を結ぶ長春以南の南満州鉄道の経営権力を獲得したことを皮切りに現地に関東都督府と南満州鉄道株式会社、いわゆる満鉄を設立し満洲経営に乗り出していく。満州事変は現在の日本の歴史教育は侵略行為と否定的に説明されるが、一方宮脇氏は満洲の国家的価値、つまり日露戦争で日本国民が命をかけて手に入れた土地であるとともに、本土から満洲に夢を描いて移住した日本人はもちろん、朝鮮、台湾とともに当時の日本本土の経済にとってもなくてはならない土地であったこと、また共産革命を掲げる北方のソ連から中国本土を守るのは中国統一にこだわる南京国民党政府には至難の業でソ連の南下を防ぐためにも関東軍が満洲全土を確保することを何よりも必要だったことを指摘している。有名なリットン調査団の報告書でも日本が満州利権を確保する必要性については一定の理解を示している。


満州国についても関東軍の傀儡政権という一般的な見方に全く異議を唱えるつもりはなく、関東軍の暴走と日本の戦況の悪化によって崩壊の道をたどっていた。


しかし満洲人の根拠地に満洲国ができたことは溥儀をはじめとする清王朝関係者に王朝再興の道筋ができたことは確かであり、満洲国が謳った「五族共和」のスローガンはかつての清王朝がモンゴル、青海、チベット、新疆に住む人々に自治と現地文化の維持を認めた藩部支配を呼び起こさせる。

うまく行かなかったという結果だけを見るのではなく、このような清王朝の優れた制度を意識して移植させた人がかつての日本人の中にはいたのだろうか。そして本当にその夢のために生きた日本人がいたとしたら。。。

そういえば気づけば都知事戦が終わっていた。
結果は予想通りで緑のたぬき帝政が継続することになった。また相も変わらず何やってんだかわからん都政が続くことになるのか。投票に行かなかった分際なので口は慎まなくてはいけないがとにかく余計なことだけはしないでほしいなあ。
緑のたぬき以下上位の2人は都政に興味ないこと丸出しで都知事選を宣伝に使うな、といいたい。男性の方はネット戦略が長けていたようで
周りでけっこう彼の名前を挙げていた人がいてある人からは彼への投票を促されたからびっくりした。
女性の方は選挙の終盤戦に街中にRシールを貼りまくっていたらしいが法律的に大丈夫なんだろうか?選挙戦告知前のパンフレット投函もそうだが限りなく黒に近いグレーを明日も行く。
ネットで話題になっていた暇空茜さんがけっこう票数重ねていたのはびっくり。日本のさまざまな闇に風穴を開けるすごい人。ただ某取材するYoutuberの暇空氏にインタビューする企画を見たけど言葉がきつくて人格的にはちょっとなあ、と思ってしまった。

某取材するYoutuberの都知事選候補インタビュー企画で1番好印象を持ったのは桜井誠さん。以前彼のYoutuberチャンネルをみていた時期もあったがとにかく信念があるし過激なイメージもあるが至って紳士だった。北九州市出身で在日朝鮮人集落との軋轢を身をもって経験しているだけに在住外国人が増えていく今の日本の現状にも言いたいことあるんだろうな。

コロナ騒ぎの前後で情報収集をインターネットに切り替えたおかげでさまざまな質の高い情報に触れることができるようになったのはありがたい。
中には知りたくなかった真実もあったりするが知るべきことを知っておかないと状況判断を誤ることになるからやはり大切なことだといえる。
武松といえばなんといっても景遥岡の2頭の人喰い虎を退治したエピソードがあまりにも有名である。景陽岡に超える前に酒をしこたま仕込んですっかり泥酔状態なのに素手で倒しちゃうのだから物語とはいえ恐れ入る。陽穀県の都頭になれたのもこの厄介な人喰い虎を武松が倒した話を聞きつけた県令がぜひこの土地を守ってほしいと拝み倒してスカウトしたからであった。武松も故郷である清河県に帰る途上で、故郷に帰ったら武大の饅頭屋でも手伝おうか、とでも思っていたかもしれないが、都頭となれば饅頭屋より当然金も弾む。じゃあまあこれも一時の縁、お世話になるか、ってなものだったろう。ところがその陽穀県で兄の武大に偶然出会ってしまうのだから運命の悪戯とは本当におそろしい。しかも兄嫁が武大よりかなり年下でどちらかといえば自分と年の近い男を魅了してやまない妖しいまでの美女と来たらまあそれは驚いたという言葉では済まされない。豪傑でならした無頼漢の武松とて男も男盛り。所詮石仏ではない。金蓮の美しさに惹かれた自分を隠そうと動揺したに違いない。そのことを金蓮もはっと気づいたに違いない。そして金蓮自身も武松と出会ったその刹那でくらくらしてずっと隠していた女の部分が騒ぎ始めたのである。

「主人の弟が今街で評判の都頭さんだったのね。同じ兄弟でこんなにも姿形が違うことがあるのかしら。勇敢な眼差し、堂々とした身体。。。」

あまり直接的な表現を使うとエロチックになりすぎてしまうのでよい子の読者の方は想像力を働かしてほしい。

「それに都頭さんも私の姿を見てハッとしてびっくりしてあわてているように見えたわ。私よりはいくらか年下に見えるわ。ふふふ。なんとか手なづけて可愛がってあげたいわ。。。」

いかんいかん、、、やっぱりエロ小説になってしまいそうだ。とはいえ、この物語はただ美しいだけではなく人間的な欲望もふんだんに兼ね備えた「ダークヒロイン」金蓮という存在をどのように際立たせることがなによりも肝なのである。
金蓮を見る人は彼女の美貌にさまざまな態度をとるだろう。中でも男の目はさぞかし物欲しげな、また未練がましい姿に彼女からはうつるかもしれない。

「ほんとにそんな淫らな目で見ないでほしいわ。。。」

しかし一度彼女の眼鏡にかなう男が目の前に現れるやいなや、それまで押し留めていた愛欲はしびれを切らしたからのように溢れ出さんとするから危うい。

彼女が男に色目を使うのは男が戦場に敵を見つけて刻の声をあげるのとまた同じなのである。
彼女にとって男を愛することは男が戦場に打って出るのと等しい。

「この可愛い人をどう料理しようかしら?」

次回以降の金蓮と武松の出会いからその後の展開は横山光輝「水滸伝」もしくは吉川英治「新・水滸伝」のストーリーに準拠して書くつもりだがそれよりも古今東西女性が男性を誘う仕草とはいかがなものなのだろうか?もうそんなことはすっかり忘れてしまった年齢となったが金蓮の再会につけ思い出してみてもいいかもしれない。
先日のブログで触れた中国北宋末期を舞台とした小説「水滸伝」の中で語られる梁山泊百八星の1人である行者武松と絶世の美女、潘金蓮に関わる物語をテーマとして数回にわたって潘金蓮の心情の分析を中心に書いていきたいと思うのでどうかお付き合い願いたい。

この話は単純に見れば武松の仇討ち物語である。時代劇のテレビドラマでは勧善懲悪がたびたびテーマとなるが、この話でいえば殺された兄の武大の敵討ちをした武松が善であり、ダンナである武大を殺して近所の色男、薬屋の西門慶に入れ上げた金蓮は悪ということにするととてもわかりやすい。私も幼少期にこの話に触れた時は潘金蓮はなんて悪い女なんだと思ったし、武松が見事金蓮と西門慶を殺して兄の仇をとった姿の方がかっこいいと思った。

が、勧善懲悪の物語では悪であるはずの潘金蓮の心の内はいかほどだったのだろうか、と心を寄せる人はあまりいないように思う。中国史においては「ダークヒロイン」と呼べる悪女、妖婦、淫女が多く出てくるわけだが潘金蓮は中国におけるそんな女性を象徴する結晶ともいえる。今後潘金蓮は「金蓮」と呼ばせていただく。

金蓮は現在の中国河北省の清河県の商人に仕えていた。若くて美しい金蓮を商人がほっておくはずもなく、商人は金蓮に関係を迫る。しかし金蓮はこれを断り逆に商人の浮気を奥さんに告げ口してしまう。そのことを根に持った商人は県でも一番の醜男、武大と金蓮を無理やり婚姻させてしまうのである。2人は人目を避けて誰も知る人のいない現在では山東省の陽穀県に移り住む。商人にしてみれば俺の誘いを断った見せしめというところらだろうか。しかし利用された武大もなんともかわいそうである。

この時金蓮が以下のような気持ちを抱いていたことは想像に難くない。

「何よ!偉そうに。金でこの私が口説けるとでも思ってるのかしら。アンタみたいなおじさんには興味ないのよ」

「しかも奥さんに告げ口した腹いせにこんな風采の上がらない不細工男を私に娶らすなんてどこまでも意地の汚い男なのかしら。いつかみてらっしゃい。必ず私に相応しい男を見つけて見せるから。。。」

なんとも鼻息の荒い気の強さであるが主人の奥さんに告げ口したのはやはりよくなかった。私の美貌はすごいでしょ、貴女の旦那の気持ちはあなたにはないのですよ、という奥さんへの当てこすりの気持ちもあったのだろうか。

しかしこれだとただの性悪女になってしまう。金蓮の類まれな美貌にぶさわしい気位の高さの裏には男に尽くす優しさも、また男に優しくしてほしいと思う愛らしさもまたあった。

武大は貧乏な饅頭屋で風采もあがらず近所にも不釣り合いな夫婦だと馬鹿にもされていた。しかし武大にしてみれば金蓮ほどの美人を嫁に迎えるなど渡りに船で自慢の種であり、金蓮を毎日大切にして優しくよく尽くした。最初は不満だらけの金蓮だったが徐々に武大の不器用な優しさに打ち解けていくのである。金蓮は並外れた美貌をもってはいたものの、元々は商人に使われる一介の小女だったわけだから決して恵まれた身であったとはいえない。愛に飢えていたのもしれかい。

「この人見かけはよくないけど私のこと大切にしてくれる純粋な人だわ。生活は決して楽じゃないけど私も家庭を持てたのね。これが普通の幸せというものかしら。。。」

しかし!そこに夫の武大とは似ても似つかぬ堂々たる体躯、しかも美男子、街でも虎を退治したと評判の都頭、武松が兄の武大を訪ねて金蓮の目の前に現れた時、金蓮の女性が再び燃え上がるのである。(続く)

家の外に出たら今日もやっぱり暑い。が、曇りがちで陽射しがささないせいか汗がかけない中途半端な暑さである。


水滸伝は中国では「白話文学」といって簡単に言えば日常生活で使う言葉で書かれたものである。それまでの中国では何を書くにせよ、やれこの形式、やれこの言葉を使え、やれ韻を踏め、とかあれこれしばられていたのだろう。それが唐宋の時代になって漢詩の世界では李白とか杜甫とか、欧陽脩やら蘇軾やら唐宋八大家なんていう人たちが現れる中で少しずつ方向性が変わっていったのかな、と想像している。誰かか知らないが作られた物語はやがて一般の庶民にも口伝えに広まってやがて仕事の合間にみんなで集まっては誰かが話す物語に耳を傾けてはつかの間の楽しみと安らぎを味わうようにもなった。


日本で言うと落語とか講談なんていうジャンルになるのだろうけど、いわゆる「語る」ということには以前から興味を持っている。演劇も言ってしまえば同類なのだろうけど、我々人間が語らずにはいられない、ぜひ語りたい言葉というものがあってそのことを意識して書いているなあ、と思える作品に出会うと本当に心が洗われる気になる。泉鏡花とか中里介山、チェーホフもドストエフスキーも、映画だと小津安二郎も今まで出会ってきた作家の作品の中には言葉の力というものがふつふつと宿っていてぜひ声にして発する機会が作れればと願っている。それかな声に出さないとわからないことがあると思う。


社会科の勉強にかまけているとどうしても文学や映画に触れる機会は少なくなるのだけどYoutube文学朗読チャンネルっていう構想は前からあってずっと何もやらずにほっといているが、パソコンも新調することにしたのでまずは実験的なところからでもやっていこうかな、と思っているのでよろしくお願いいたします。

今年もついに7月に入る。昨日今日、陽射しに刺されて顔も腕も真っ赤である。日焼け止めクリームが必要かもと人生で初めて思えてきた梅雨もそこそこに夏本番の様相である。


そんな中私は相も変わらず歴史を教える日々。今日は中国史で宋が登場。中国では統一王朝のひとつに数えられるが軍事的にはからっきしで遼や西夏に押され平和を金で買う弱腰を見せる。一方

、平和が長く続いたおかげで文化経済が飛躍的に成長したことも間違いない。


そしてなんといってもこの宋の時代といえば「水滸伝」である。小学校の時父が持っていた横山光輝が書いた漫画「水滸伝」に出会って以来、彼らの任侠の世界に虜になった。同時に「三国志」も横山光輝からだったが今ではどう考えても「水滸伝」の方が私に大きな影響を与えている。「花和尚」魯智深など百八星全ての人物にニックネームがあり、キャラクターも林冲のような真面目キャラから李逵、王英のようなトラブルメーカーまで多種多様である。また、梁山泊に宋江以下百八星が集結するまでのライバルとの戦いももちろん面白いのだが百八星が梁山泊に身を投じるまでのエピソードがドラマチックで俊逸なのである。中でも「行者」武松が兄嫁の潘金蓮を殺すエピソードは昼ドラを軽く越えるドロドロぶりで幼少ながら女性は怖いと学んだわけだが実人生ではあまり生かされなかったか。

次回は梁山泊の好漢の中で武松はじめ印象的な人物に触れていきたい。


昨夜は新陰流の稽古だった。燕飛六箇之太刀の型の細かいところを師とおさらいした。手順はさすがに10年やっていると忘れないが、拳を高く掲げる教えがあるのに動いている内に下げてしまったり、手の内の効きが甘かったり、余計な動きをしてしまっていたりと、人それぞれさまざまな癖が出てくる。


こんなことを書いても剣術をやっていない人にはちんぷんかんぷんかもしれないが、料理やモノづくりに関わる職人さんならわかってくれるかもしれない。例えばお寿司屋さんが寿司を握る動作もはためには同じ動きをただ繰り返しているように見えるけど、シャリの分量、にぎりの強さ、ネタののせ方など、常に師匠の教えが守れているか自分で自分の動きを見守りながら寿司を握っているのではと寿司に関しては素人ながら想像してしまう。たまにはあ、やっちまったなあ、なんて思いながら客に寿司の皿を差し出すこともあるのかもしれない。


長年やっているとわかるが、身体はわかっているが意識では把握しきれていないことがある。

自分ではやってるつもりになっているが師のようなわかる人からみるとやれていない。流儀の鍛錬で身につけた身体知を常に意識の力で顕在化して実現する。フランスの哲学者、ベルクソンの言葉を借りれば「意識の純粋持続」である。だいぶ前に読んだが、何が書いてあったかはもう忘れた。今読んだらまた違う感銘を受けるだろうか。


師にも周りの塾生にどんどん教えるように諭された。未熟だから、という段階は過ぎた。未熟で上等である。生業が講師業などでよくわかるが教えるということは上達の早道なのである。人に教えるとなるとこれで大丈夫か、と重箱の隅をつつくようにあれこれ考える。教えてみてこれはよかった、あれはちょっと違った、自分で考えてわからない時は師に聞いて納得して成長、このサイクルを繰り返すことで気づいてみたら自分が思ってもいなかったところに達していることかある。


泉鏡花原作、衣笠貞之助監督作品「歌行灯」のラストシーンで桑名の芸者宿で山本富士子演じるお袖と旅の老人2人、実は東京の能の宗家、恩地流の家元と鼓打なのだが、一緒に仕舞を演ずる。その仕舞の前に信欣三演ずる鼓打の老人が「相変わらずの未熟」と発する言葉が見るたびに胸を打つ。流祖流儀の前においては何年何十年、死ぬまでやっても結局は未熟なのだ。自分の未熟さに負けずにどこまで自分の芸を生きている間に高められるのか。思えばこんなに有難い道はないはずである。

引き続き昨日の社会史授業について振り返る。


高校2年生と日本史授業。お題は平治の乱。普通なら藤原氏の院近臣の権力争いの中で源氏と平氏が双方に別れて戦った、ぐらいの説明で過ぎて行くのだがそうはいかず、後白河天皇と二条天皇の関係、二条天皇の生母が出産後急死したため、美福門院が二条天皇を育てたという事実などを紹介する。保元の乱で美福門院が後白河を推した理由も見えてくる。あの手にこの手。美福門院のしたたかな策謀に触れることで後白河も政界とは何かを学んだのだろうか?


このような教科書に載っていない新しい情報を提示しながらなぜ後白河が天皇親政ではなく自らの院政に舵をとったかを生徒と一緒に考えていった。自らの母、待賢門院は美福門院のために出家の道を選ぶこととなった。本来なら歌舞の世界、民衆の世界と関わり続けるのが本望だったはずの後白河がそれを犠牲にしてまで政界に止まることを選択したのは母を追い落とした美福門院への復讐心か?それとも。。。


このような答えのない問いを考えて行く授業を最近は続けている。平治の乱で藤原信頼が清盛の熊野詣でのタイミングで後白河らを幽閉するクーデータを起こしたがその後信頼は京に帰参するであろう清盛とどのように渡り合うつもりだったのか?という議論では生徒から清盛と話し合うつもりだった、という意見が出た。では何をエサに交渉するつもりか?荘園か、知行か、官職か?このように歴史の登場人物の身になって具体的に考えて行くのが私流「演劇的日本史」である。生徒からも信西がなぜ自殺したのかという問いが出てきた。自ら問いを立てられたのは素晴らしい。次回の課題である。


それにしても平清盛、後白河は私としては日本史における大有名人だと思っていたが、生徒にとってはぜんぜんそんなことはなく、そりゃ孝謙天皇ならなおさらだわ、と妙に納得する。


時間があれば人物史というジャンルもやりたいけどさすがにそこまでの時間がないのが悩ましい。

社会科授業について振り返る新コーナー。ほぼ自分のためにやっているが誰かの足しになればという思いも多少はある。


本日の授業。地理のオンライン授業。ヨーロッパ地誌がテーマ。イギリスに天皇陛下が来訪されていることをイントロに、イギリスの産業の変化(工業→金融)、ドイツの炭鉱業、自動車工業に触れる。北海油田の話からイギリスとノルウェーの原油の輸出入の状況について触れ、ハイテク産業として航空機産業としてエアバス、フィンランドのノキアについて触れた。最後に中学レベルのヨーロッパの課題、環境問題、交通問題、経済格差について触れる。話題としては掘り下げていったらどれも面白いに決まっているのだが、ひとつの単元に使える時間は復習も含めると限られるのでせいぜい1〜2トピック。選んだトピックの中から生徒の興味関心に合わせてどのトピックを深掘りするかを考える。自動車産業は割と深掘りして授業準備したため割と関心を引いたかもしれない。

終盤は用語説明が多くなってしまい、平板になる。ただ平板になる時間も仕方がないかな、と思った。教師としては生徒の感情の抑揚を求めて面白い話題を話したいと考えがちになる。しかし、単元の中で必ず覚えてほしい出来事、用語について分かりやすく伝えてしっかり覚えてもらうことも大切だ。つかみと用語説明と盛り上がり、授業展開のバランスを毎回試行錯誤している。

恐ろしいほど暑い陽ざしである。月曜日は1週間の中で、唯一朝から都心に向かう日なのだが、いつも乗る列車に乗り込んだ時からいつもの立ち位置がとれず、なんかおかしいな、と思っていたら、気づけば超満員電車の乗員の一員となっていたのである。しかし月曜日、とりわけ夏は普段より電車が混む気がするがなぜだろうか。知っている人がいたら教えてほしい。

ともかく毎日体験している人ならいざ知らず、新参者の私には荷が重い圧力だったらしく朝から周りの人様に謝りつつついついしゃがみこんでしまう。

この満員電車という状況が他の国に存在するのかこれは調べなければならないが、この国の東京の民は70年以上もこの困難な移動を自らに強いているのである。どちらかと言えば知ったもの同士以外との接触を嫌う日本人が早朝の電車の中では真逆にお互いの身体を密着させながら硬直するのである。

この移動のあり方に美学を見出すとすればみずからを生きた存在である人間から電車に運ばれる「モノ」としての人間へと置き換えることによる脱構築を無意識に図っているのかもしれない。

日常を哲学的に、非日常に還元してみた。