今の自分を、客観的に見ると、こんな言葉で表せるのかなという題名です。今は悪くはないけど、本当にあともう一歩。努力とかじゃなくて、意識の問題だと思う。意識の中に何かを追加するのか、逆に意識の中から何かを消すのか、意識の中にある何かを変えるのか、それとも眠っている意識を叩き起こすのか。今はわからないけど、このままでは惜しい!もったいない!って、頭の中で、誰かが連呼する(笑)。意識がどうだこうだと言わなくたって、人間は生きていける。でも、人生の彩りは意識によって全く変わる。気付いてみるときっとそんなに難しいことじゃないと思うから余計に悔しい。今、自分の中で描く、自分の人生のあるべき姿。まずは、それをもっと描ききることからまず始めたい。
自分が書きたいと頭で思っていることを全て書ききることは非常に困難である。語彙不足はもちろんあるが、何か見えない抵抗が全てを表現しきろうとするのを邪魔しているように思える。何かいつも奥歯のなかにモノが挟まっているような、気味の悪い感覚なのである。最近、小林秀雄や坂口安吾の作品を読み直している。彼らの知識量、広い視野にも感服するが、彼らの文章を読んでいると、自分の思っていることを全て書ききっているかのような印象を受ける。自分の思いをできるだけ文字という、目に見える形にする、整理して見直す、別の思いを文字にする、そしてまた見直す。このような地道な作業を日々続けることで、自分の魂を吐き出されたかのような作品が生み出されるのかもしれない。しかし、一方で、時代の違いも感じずにはいられない。彼らの時代は、時代の閉塞感からか、語らざるにはいられない人がたくさんいたのではないか。現代の日本は、表向きは豊かさと自由に満ち溢れている。ネットの普及により、語ること、表現する人は多くなったように思える。でも、本当に語れている人、表現できる人ってどれだけいるんだろうか。 表向きだけの文章は書きたくないと常々思うが、まだ自分も不自由だなと思う。ともかく、下手な文章もたまってきたし、そろそろ整理でもしますか。

最近の日曜日は、何かを吹っ切るかのように、音楽漬け生活である。音楽のない生活など精神的に考えられない。っていうとかっこよすぎますか?とにもかくにも、発声することと、好きな音楽を聞くことが、自分の生活を心地よいものにしていることは事実。発声は、自分の中でコツがつかめてきた気がしている。素晴らしい先生に、熱心なトレーニングを受けていることもひとつだが、時間のある時に、口のあけ方、呼吸法の練習をしていたからかもしれない。屋外でやっているとかなり間抜けだが・・・。普段の会話の時も、意識すると面白いかもしれない。話す相手にどん引かれされそうだが・・・。正しく歌うには、発声だけでなく、音楽理論も必要なのはわかっているが、「理論は実践があって初めて意味をなす」との先生の教育方針もあり、発声が上達するまでは封印。聞くほうは、実はかなりおろそかにしている。少し幅を広げていこうかなと思う今日この頃。幸い、合唱サークルという、心強い人のつながりがあるので、いろいろ聞いてみたい。もちろんクラシックだけでなく、ロック、ジャズにも興味深深。そういえばそろそろ新しいオーディオも欲しい。誰か僕に資金援助してくださいw

人生、深刻に考えすぎるのもどうかなと最近思います。前から言ってますかw

特に恋愛。「本気になったら負け」っていうけど、ほんと当たっている気がする。

僕の場合、特に気を付けなくてはならない。好きになったら相手の気持ちを

考えずに、まっしぐら。だめだめな男気w女の子とは、友達関係で

付き合っているうちが花ですな。まあ永遠のテーマですわね。


毎日いろいろ創造、いや想像(妄想?)している分、想像したことを脳みそに

留めておく事が最近難しく思える。メモ帳はもはや手放せませんが、

メモばかりしていると、ますます頭がバカになり、周りからは「メモ魔だ、

神経質だ」って思われるんだろうなw深刻に考えている?


コミュニケーションって、本当難しいですね。伝えたいことがうまく伝わらない

ことで、誤解が生じることがたまにあります。いっそうのこと、マンガの

吹き出しみたいに、考えていることが目に見えればいいのだけど。

余計ややこしいことになりそうw話し方教室でもいけばって言われそうだけど、

そういうことを超えたコミュニケーション手法ってないかなって模索中。


だんだん乗ってきました。妄想という名の創作。この辺でやめにしよっと。

禅問答が続きそう。言no葉更新しました。今の僕の心境です。

お好み焼きをきれいに焼ける男はかっこいい。
焦げ目が出ない程度に、真ん丸くと焼く。
焼きあがったお好みに、ソースとマヨネーズを豪快に注ぎ込み、
青海苔とかつおぶしをさらさらかけながら、「おいしくなあれ」とおまじない。
食べやすい大きさに、ざっくざっくと切る。
お好み焼きには、作った人の優しさとマメさが詰まっている。

僕は、料理はともかく、お好み焼き作りにはかなり苦手意識がある。
たぶん小学生ぐらいだと思ったが、友達と行ったお好み屋で
「お好みひっくり返し担当」を受け持ったのだが、勢いよくひっくり返した
お好み焼きが見事に着陸失敗。当然、友達は僕のことを、鬼の首を
とったかのように嘲笑う。そのトラウマなのか、お好み屋に行くときは、
連れに調理をお願いするのがごく当たり前になっていた。

この年になって思うのは、お好みにかかわらず、「できなくてもいいや」っ
てあきらめてしまっているものがけっこう僕には多い。
普通の人が当たり前にできるのに、僕にはできないこととか。
例えば風船ふくらまし。阪神タイガースファンとしてはかなり痛い。
きっとできないことを認識してしまうことで、劣等感を感じるのがイヤだった
のだろう。かなり嫌なガキだったなあと思う。

お好みくらい焼ける男になりたい。
変なプライドを捨てて、作らせてって言ってみる。
そして自分の優しさ、マメさを表現するんだ~!

言no葉、更新しました。「魔の山」で有名なトオマス・マンの作品、「トニオ・クレイゲル」の一節にある言葉です。「最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ」。共感される方も多いのではないでしょうか?この言葉もさることながら、主人公のトニオが、芸術家としての自分の主張を、誇らしげに友人の画家に語るシーンが印象的でした。芸術家としての自分の並外れた才能を誇りながらも、彼は苦悩に満ちている。俗な部分を持ち合わせていることを知りながら、芸術に身を投じる生き方をする以上は、俗人にもなれず迷い続ける。芸術家とはこういうものだと教えられている気がしました。しかし、苦悩することで、はじめて新しい見方・考えを生もうとするのが人間の性かもしれません。もう一度読んでみたい小説です。


デスクに座って落ち着いて書くと、かえって文章をまとめるのに苦労している気がする。書いている内に、違う考えが出てくるからということも言えなくはないが、たかだかこの程度の長さで時間をかけているようではまだまだ先が思いやられる。早く文章をまとめるための訓練法を考えたいと思う。


今日は5時半起床。5時間も寝てないが、寝起きがスムーズで、気持ちのよい朝。昨日から降り続く雨が少しそれを邪魔しているけれど。電気をつけっぱなしにして寝てしまったらしい。昨夜は確か寝床で、ダリのアートライブラリーを読んでいたが、力尽きてそのまま寝てしまったようだ。いや、ダリが発する狂気におののき、電気を消すのが怖かったのか。今朝は、有意義な時間が過ごせた。こうやってブログも書く時間が持てているし、そのほかにも用件をいくつかこなすことができた。それにしても「忙しい」という言葉は、やっかいなものである。たいして何かをこなしたわけではなくても、なんとなく達成感を持たせてしまうような、嫌な言葉だ。「やりたいことがたくさんあってわくわくしているのに、24時間しかなくて困る」と、これからは言いたい。ちょっと長いか。わくこま。「ふっきれた」。というよりも。「ふっきった」といった方が、正直な僕の今の心境を伝えることができると思う。まだ胸の中に無理やり押し込んでいる思いがある。これはいつか解決しなくてはならない。でも、今は自分のことだけで本当に精一杯。そういってしまうことが悲しく、やりきれなくなって悩んだ。でも、すでに選んでしまった。もう決して戻らない。これからは、信じて歩くしかない。

合唱の演奏会が近い。来年春の定期演奏会までには、時間はあるけれど、今の時点での自分をしっかり表現してみたい。ボイストレーニングの初回レッスンを受けた。発声の基本をおさらい。腹式呼吸を正しく行うことで、声の響きが全然変わってくることを再認識。課題は、その響きを長く持たせることと、音程を正しく見極めて、声に表すこと。先生から「ここ3ヶ月は、上達が目に見えるようにわかるよ」とお言葉も頂き、モチベーションもあがってきている。これからの一回一回の練習がとても楽しみ。この週末は、いい時間を過ごせたと思う。今は、ゴチャゴチャ考えてばかりいないで、進める時は、一歩でも二歩でも前に進んだほうが良さそう。あとは、心を翻弄されて、乱されて、足踏みするときがあっても、すぐ我に返れるようにすること。後戻りしたらもったいないから。

言うは安し、行なうは難しと。今日は、冬物のスーツを着用。お気に入りのツーピースのスーツ。見た目、仕事できるように見えるところがお気に入り(笑)ただ、今日はそこまで寒くないので、中のチョッキは、家のハンガーに引っ掛けて、家を出たはずだった。が、会社に来て、サッと上着を脱ぐと、置いてきたはずのチョッキが、中からホロリ。上着にひっかっていたらしい。何で会社まで来ちゃったの?一人で置いてかれるのが寂しかったとでも?よしよし。夕方寒くなったら着てあげる。俺の天然ボケは死ぬまで治りませんね。。。

朝起きてから、条件反射的にテレビをつける。最近は、いじめによる自殺、殺人など、暗いニュースが全民放局のワイドショーを通して、お茶の間に流れる。こんな国が、他にあるのだろうか。はっきりいって、朝のテレビのワイドショーはもう見たくない。悲惨な「事実」(報道の内容が、完全な「真実」かどうかはわかりかねますが・・・)から目をそらすべきではないと言われるかもしれない。もちろん亡くなった人は気の毒だと思うし、心から冥福をお祈りするが、ここまで過剰放送されると、こちらとしても、朝っぱらから、気がめいってしまう。しかし、それにしても、条件反射的にテレビをつけるようになっているところを見ると、意外に深刻な刷り込みかもしれない。これは新しい習慣をつけなくてはいけない。少し考えてみる・・・・


テレビなら、、、NHKニュース→朝の連ドラの王道。「芋たこなんきん」はなかなか面白そうだ。藤山直美の演技は一度見たい気がどこかでしていたし・・・

インターネット、、、Podcastingで英語放送、落語などなど。なかなかアカデミックな朝。もう少しコンテンツを充実させればあきないかも。

音楽、、、もっぱらピアノソロのクラシック曲。バッベルディの「カノン」は燃える。ショパン、リストは癒される。ただ、寝起きの気分によっては、逆に暗くなることもあるのがリスクか。

朝の体操、、、ストレッチ、ヨガのポーズなど、軽い運動。時間があれば腹筋運動。これをやっておけば、一日通したときに、快適に過ごせた気がする。


朝は一日のスタート。始め良ければ全てよし。ゆとりのある、快適な朝を作りたいものです。

時として考えすぎるのが、僕の長年の課題らしい。いや、いろいろ考えすぎて、自分で何を考えているのか、ワケがわからなくなるといった方が正確か。ウィトゲンシュタインのように、論理化できないものは沈黙するしかないと言い切れれば、悩まないのかもしれないけど、僕の場合、感情が邪魔をしすぎるのか、無理。今は、あまりいろいろなことを考えないで、自分がこれだと決めたことに打ち込みたい時期です。それなのに、いろいろな考えが勝手に、私の頭の中を渦巻くのです。この思考回路は少しもてあましぎみです。考えない!と言いたいところですが、それは無理として・・・考えが広がり過ぎないように意識するしかないようです。昨日、寺山修二の本を通読しました。手と足が自分の意思を超えて勝手に動き出してしまう女の子が主人公のストーリーです。人間は、自分を、頭で制御しているように考えがちだけど、手と足に意思があるとしたら・・・おかしな話だけど、真偽は別として、人間が全て頭で動いていると考えるのも不自然な話。私も、頭に頼らないようにと思うことが少しでもできれば、もう少しラクに生きられそうです。自分が自分の素だと思う感情、感覚に気付いてあげて、それをもっと大切にしたいです。昨日、声楽レッスンの事前説明を受けてきました。コールユーブンゲンという声楽用の教科書を使って、音程とリズムを正確なものとすることを目標に、本格的に学習することになります。ボイストレーニングもやってくれるそうなので、楽しみ。 何より先生が情熱的。情熱か。情熱・・・・まだまだ自分にもあると少し安心。