川越style「南大塚餅つき踊り2015」前編 | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真



今年も川越の南大塚が一体となる年に一度の伝統行事、

南大塚餅つき踊りの季節がやってきました。

例年、成人の日前の日曜日に開催されているものです。

会場となるのは、西武新宿線南大塚駅北口から

16号線マクドナルドがある交差点向かいにあるお寺、西福寺です。

 

南大塚自治会、餅つき踊り保存会の方々が朝の9時半に集まって、

 

席を準備し、横断幕を掲げ、小屋から臼を曳き出し、と設営を進めます。



臼に巻く注連縄は、地域でとれた稲藁を編んで作ったもの。

さがり、幣束を下げています。

この臼は、10年ほど前に川越の南通町にある「臼・横溝木工所」に特注で制作してもらったもの。
横溝さんは家庭用の臼を作ることはあっても、
餅つき踊りで使用するような巨大な臼はめったに制作しないとのこと。

これは3人がかりで持ち上げるくらいの重さです。

横溝木工所では、臼や杵以外にも、
川越まつりに欠かせない山車の車輪や軸をオーダーメイドで制作している会社で、
今はもう川越唯一の存在。
川越以外に関東各地からも注文があるそうです。

 

境内を見渡すと、今年も餅つき踊りを一目見ようと観客の方も早くから場所を陣取っていました。

 

今年も天候に恵まれ、風もなく穏やかな一日になりそう。

 

保存会は、この日を迎えるまでに練習を重ね、ダイナミックな踊りを披露しようとやる気満々でした。

 

長い人だと60年この行事に関わっている人がいるくらいなので、

体の芯まで踊りが染み込んでいる。練習では、動きを覚えるというより、確認し体を慣らしているようでした。

その練習の様子は先週伝えたばかりです。

寒さで身が凍る夜、西福寺の裏手で餅つき踊りの練習をする保存会の姿があった。

今年は地域の中学一年生が4人新たに参加するので、その奮闘ぶりもみもの。

4人は9月から毎月練習に参加するようになり、晴れの舞台に臨む。

餅つき踊りに参加することは、中学生にとって一生の思い出になるはずです。

 

特に今年は、メディアの取材が多数入っていて、

 

NHK「音の風景」が、前日のもち米を洗う音から収録に来ていたそう。

この日も臼を運ぶ音や、臼に注連縄を巻く音など、

餅つき踊りに関するさまざまな音を終始マイクで追いかけていました。

餅つき踊りという伝統行事は川越で唯一であり、

独特で目を引くものなので、毎年注目を集める行事でもあります。

かつては北足立から入間地方にかけての米作地帯に広く行われたものですが、

今では大宮市上加・桶川市上日出谷・東松山市金谷と、

ここ川越市南大塚などに残っているに過ぎません。

 

11時。西福寺の裏手に回ると、もち米を蒸かしている真っ最中だった。

 

薪の火力でせいろから轟々と湯気が立ち上がり、香ばしい香りが辺り一面に充満していました。


この日蒸かしたもち米はなんと20キロ。

5キロずつ4回に分けて餅つき踊りを行い、

ついた餅は奉納用、来場者に振る舞う用と用意します。
12時半前にこれが蒸かし上がれば、いざ餅つき踊りのスタート。

もち米は自治会の方に任せ、設営などの準備が終わった保存会の面々は、

「さあ、腹ごなしすんべ!」と
隣にある菅原神社の社務所でお昼御飯に向かいました。

今年は天気が良いこともあって、外にテーブルを並べてうどんをすすりました。



いつも美味しいうどんをここで作り、提供してくれる南大塚の駒形屋さん。
地域のお店も行事を支えてくれています。

 

朝早く集まって準備をし、それが一段落したらお昼を食べて、本番に臨む。
それがずっと続いてきた、南大塚餅つき踊りの流れ。
今年もいつものようにここでうどんを食べて、いつものようにここで着替えて出陣。
本番直前ということで、緊張感が漂う中
かき込むように食べている姿が印象的でした。

 

 

餅つき踊りというのは、その名の通り1つの臼を数人で囲み、踊りながらつく芸能です。
南大塚餅つき踊りは、
幕末の安政年間に始まったといわれ、
以後大正時代までは子どもの「帯解きの祝い」に行われてきました。
7歳のお祝いに、その家では「餅つき連中」に餅つき踊りを頼みます。
家の庭で餅をつきながら踊り、
菅原神社まで臼を引きずり奉納する、引きずりながらも餅をつきます。

 

 

大正末期から第二次世界大戦にかけては中断してしまいましたが、
戦後昭和30年代に再開され、その後は南大塚全体の祭りとして実施されています。
現在では、餅をつく場所が個人の家から西福寺境内に代わり、
そこから菅原神社まで引きずって、
昔ながらの形を受け継いでいます。
昭和43年には、埼玉県指定無形文化財に指定。
復活後は、成人者のお祝いに行われ、
20年くらい前までの餅つき踊りでは、成人者20~30人に紅白の餅を振舞っていたそう。

 

南大塚はもともと、大田村と日東村があり、二つの地名を取って大東村、

 

大東地区へと変遷してきました。

「昔はこの辺りは何にもなくて、350世帯くらいしかなかったんだよ」

と話す保存会の重鎮。

振り返れば、今16号線からマクドナルドへ曲がっていく道は、昔は細い砂利道で、

車もほとんど通らないような道だったんです。(大田街道)

大昔、その道を真っ直ぐ行った先の地主の家で餅つき踊りを見せ、

また真っ直ぐ臼を引き摺りながら菅原神社に戻ってくる、という行事だったのがそもそもの餅つき踊り。

 

現在の南大塚(一丁目~六丁目)は、3000世帯なので10倍近くまで増えたことになります。

 

この辺りの大東地区が盛り上がる祭典といえば、自治会が出場する体育祭がありますが、

外からの注目度という意味では、やはり、地域のメインイベントは餅つき踊りでしょう。

 



 




 

 




いよいよ準備が整いました。

社務所を出て、舞台となる西福寺に移動する保存会の人たち。

お寺の方では、すでにたくさんの方が今か今かと始まる時を待っていました。

本堂前の席には、地域の小学校六年生が20人ほど座り見守っています。

昨年も、ここで見学していた小学生が、中学生になり餅つき踊りに参加してくれるようなったので、

継承していく大事な機会です。

マイクを手にした保存会会長による挨拶が始まった。

その声を遠く耳にしながら、裏手ではついにもち米が蒸かし上がり、

熱々のもち米を急いで運んでいく。

このもち米を運び込む様子もまたみもので、数社のメディアが一斉に追いかけた。

 

 





蒸し上がったもち米を臼に入れると、

「ヤレヤレ」のはやし言葉を合図に
「目出度な目出度 目出度が3つ重なれば…」の歌が威勢よく始まる。

餅つき踊りはいくつかの工程があり、

準備としての前段階を経てから3てこ、6てこで舞い踊ります。

 

まずは杵を手にした6人で餅をならす工程、「ならし」からスタートです。

 

 

 

「目出度な目出度 目出度が3つ重なれば
庭にやな、庭や鶴亀ヤレサ五葉の松 ハアーヤレヤレ
蝶よな蝶よ花よと育てた吾が子
今日はな、今日は目出度いヤレサ神参り ハアーヤレ
戸田のな戸田の渡し場で今朝見た島田
男な、男泣かせのヤレサなげ島田」

 

ならしはその名の通り、臼に入れたもち米を杵でならすもの。

 

この後から一同で押せ、押せと練る「ねり」が続きます。

「押せよな押せ押せ下関までも 押せばな港が、なんでもちかくなる
ハア ヤレ押せそれ押せ
押せよな押せおさなきゃ行かぬ押してな気をやるななんでも筏乗り
ハア ヤレ押せそれ押せ
餅はな練れたがコネ取りやどこだ コネ取りやな勝手の方で何でもつまみ喰い
ハア ヤレ押せそれ押せ」


これで大分もち米も練られてきました。

最後に、一斉に杵を振り上げてつく「つぶし」で準備段階は終了です。

「娘島田に蝶々が止まる 止まるはずだよ コラノチョイト 花じゃもの
ハア キタコラ ドッコイショ
お前搗ききてよ、わしゃコネ取りよ、ともに仕上がるヨッコラノチョイト祝餅
ハア キタコラ ドッコイショ
坊が寝ついたスルなら今よ ソットあてろヨッコラノ、チョイト、かみそりを
ハア キタコラ ドッコイショ」

 

ここまでが準備として、いよいよ、3てこ、6てこでつき手が入れ替わり立ち代わりついていきます。

 

始めの3てこは中学生が入り、順番に、1、2、3のタイミングでついていく。
歌と踊り、二つの噛み合わせが大事です。

 

 

 


三、「お江戸じゃ日本橋 神奈川 川崎 戸塚 保土ヶ谷 馬入 平塚大磯 小田原
箱根を越えてな五十と三次 なかでも、とりわけ 小夜の中山
夜泣き石がな名所でござるが 十六、七なる うすら毛のぱらりと生えたる
姉ちゃん達がよ 今の流行の小河内絞りの前掛け タスキで
小松の木陰で飴で餅せるよに、せらずばなるまい せらずばなりますまいなあ!
イナハヨホ ホホーヨーホホイ、ヨーハヨーホイ、ヨホンホホホホイ、
ナーンハハハイ イナハヨー ホホホホイー」

 


さらに3人が加わり、ついに6テコに。

6てこの時は、向かい合う二人が同時につき、それを隣、隣と順番に行っている形。

速いスピードで餅をついていくので、熟練の技、あうんの呼吸が必要になります。

そして単につくだけでなく、
「杵ワタシ・カツイデヒトメグリ・股クグリ・餅カッキリ・ケコミ・ダマシヅキ・キネノホウリナゲ」などの
曲芸を入れて見るも楽しい舞い踊りです。

例えば、股クグリは杵を股の間を通す動作、

カツイデヒトメグリは杵を担ぐ動作、など趣向が凝らされている。

面白いのは、つくふりをして、わざと杵を空振りさせる動作もある。

臼の上を空振りさせています。

 

そして、餅をならす役のコネ取りが入る時はインターバルとなり、

 

杵の逆側で臼の中ではなく外側を叩く動作が入る。

どの工程でも動き続けるのが餅つき踊りです。

欅の木で作られた臼は、本当に良い音を響かせます。


代々伝わる型に、オリジナルで考えた技も入れ、個性が溢れる。


 

 





最後に仕舞いとなるあげづきをして終了です。


この餅つき踊りを、計4回行います。

目の前でゼーゼーと息が切れる音が聞こえ、相当ハードなことがひしひしと伝わってくる。
ついたお餅はきな粉餅として来場者の方に振る舞われました。
そして・・・
ここからがもう一つの見所、というか一番大事なところです。。。!


後編に続く。

 



 

 

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