江戸時代の枚方移民の痕跡を探して。江東区中川船番所資料館 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

11月の関東滞在中のこと。

先日、長々と書き終わった長野37000年の旅と同様
 


自分の中でかなり大興奮な街歩きがありました。

それはまさかまさかの都内っラブキラキラ


数年前に書いたこちらのブログ下矢印
 


江戸時代に
うちの地元、大阪府枚方市から
越谷市に移り住んだ人の街があるのでは!?

という内容。

結果、枚方市からの移民の街ではなかったのですが

東京都江東区に
枚方から移り住んだ人々の痕跡がある!

と分かりました電球

いつか訪れたいなーえーと思ってて、

11月に近くに行くことがあったので

街歩きしてきました!キラキラランニングキラキラ


※うちの父は九州、母は四国が祖先の地なので、江東区に移住した人々は私の祖先でもなんでもないです(笑)
友達の中にはずっと枚方の人もいるから繋がってたら面白いなー!!


まず、江戸川区にある大島小松川公園に車を停めて

近くで買ったパンで


ほんわか公園ランチラブパンぽってりフラワー

お天気が良くて最高の街歩き日和でした晴れ


川を渡って江東区へランニングルンルン

川にかかる橋の上は都営地下鉄東大島駅↑
東出口は江戸川区で西出口は江東区なんだそう。

江東区へ渡るといきなり現れるこの建物っびっくりキラキラ


江東区中川船番所資料館っ!

地図を見たときから気になってました。

これは絶対面白いやつだよなー、、チュー
でもあまり時間がないし、ショボーン
早く移民の痕跡を探したいし、、キョロキョロ

悩みつつ、川に面した番所跡公園を見たら


これは見学しといた方がいいなっラブ!!

スルスルスルルーと資料館へ入ってしまいました。

これがね、

入館料200円とは思えないほどの充実っぷりびっくりキラキラ

時間がないはずなのに

どっぷり1時間以上は滞在してしまいましたタラー(笑)


まずこの番所の再現っぷりよっ!!


建物の中とは思えないリアルな再現びっくりキラキラ

特に水の質感がすごいのよっ!

一気に江戸時代の船番所の世界へ入り込めますっ!

音声付きでみるとより臨場感が!


運んできた酒樽の検問を受ける舟(笑)


そもそも中川番所とは


中川関所とも呼ばれ、河川交通路上における江戸の出入口に設けられた関所です。小名木川が中川へ流入する中川口の北岸、小名木村に設置されていました。
中川対岸の船堀川からは江戸川、利根川水系へとつながり、江戸と関東各地さらには信濃、東北方面へ結ぶ流通網の要として、ここを通過する船の積荷と人を改めました。
江戸時代の中期以降、江戸へ運ばれる荷物の品目と数量を把握する機能も担うようになり、海上交通上における浦賀番所と並び江戸の東側窓口として重要な機能を果たしました。

とのこと。

道だけでなく水上交通にも関所があったのかびっくり

っていうか小名木川、、どこキョロキョロ?(笑)

なんかブラタモリで見たことあるなー

小名木川とは、、下矢印


秀吉に領地を与えられた家康は、城下町江戸の建設に着手。隅田川、中川、江戸川の3本の川が江戸湾に注いでいましたが、海岸部は潮の流れが変わることから、「確実に安全に大量に」物資を輸送するために小名木川を開削しました。

ふむふむ。

続いて中川番所について

この説明板をじっくり読んで学習っ!


そりゃ時間もかかりますわなえーん(笑)

もともとは深川番所がその役を担っていたのですが

1657年の明暦の大火後の町の再編成により

深川番所は市中に組込まれ機能を低下することに。

そこで1661年に

番所の機能を中川口へ移転することになったそうです。


中川番所に務めた役人は

3千から8千石のかなり高禄の旗本が勤めたそう。


中川番所を通行する手形をもらうための願書。


中川番所の高札。


一、夜間の江戸からの出船は禁止。
一、番所前を通行するときは笠や頭巾を脱ぐ。
一、女性は身分の上下によらず通行を許可しない。
一、鉄砲は2、3挺まで改めの上通行許可。
一、人が入ることができる大きさの器は確かめてから通行許可。
附、囚人、怪我人、死人についても証文がなければ通行を許可しない。

なかなか厳重な検問ですねガーン

死人まで証文が必要なんて!!

それだけこっそり移動しちゃう人がいたのかしら。


江戸時代後期の主な街道と水路。


街道や水路を使って

いろいろな物が交易されていました船ルンルン


関東各地のお酒や下総のお醤油の絵図上矢印

江戸で荷物を降ろした船は

関東や東北向けの荷物を積んで帰ります。


奥川筋船積問屋はそうした船向けの荷物を扱う問屋さん。


番所だけでなく、江戸湾沿岸では


海苔作りや貝採りも盛んだったそううお座

深川猟師町や


大阪から移住した漁師の町、佃島の漁業の様子。



枚方からの移住者以外にも大阪出身者がいて

意外と河内や摂津の言葉が飛び交っていたのかも。

うるさそー爆笑笑い


小名木川の南側にある砂町はかつて砂村といって


農業が盛んな地域だったそうで、

他の地域より早い時期に収穫できる方法を考え

将軍家に献上していたそうですにんじん

砂町にあるSUNAMOというショッピングモールで
似顔絵のイベントしたことあるわー!
砂町って歴史ある地域だったのね!!



水上交通は荷物だけでなく


鹿島神宮や成田山への参拝客も運びました〜神社


いやぁ、、東京の歴史も面白いねラブ

武士のドンパチが歴史を動かしているようだけど

こうした物流や名もなき市民達が経済を動かして

豊かな国を作ってたんだなーキラキラキラキラ

少し前に千葉県市川市の歴史資料館でも
江戸時代の水上交通をチラッと学びましたし、
江戸の河川改修を行った伊奈忠治について
埼玉県川口市の資料館で学びました。
今月の関東滞在では、、
水上交通の歴史の要となる念願の資料館にも行きました!
その様子はまた後日書きますが、
今年は江戸の河川について学びの年となりました。
テーマを決めて学ぶといろいろ繋がって面白いね!
  




ひとまず続きは枚方移民について書きます〜ウインク

つづく。

   中川船番所資料館

めっちゃオススメです!

  これまで巡った全国、世界の博物館 


 11年前の今日のブログ

日本各地の通行手形!?集めてました(笑)

 13年前の今日のブログ

知り合いの役者さんが出ているお芝居。また見に行きたいなー。