1988年8月4日ー狼男ー
もともと、狼男は「人狼(じんろう)」といって、ギリシャ・ローマ時代から
伝わる西洋の伝説だ。
多くの場合、変身は人の肉を食べるために行われ、夜間にさまよい、
夜が明けると人の姿に戻る。
それも、しばしば、月の夜にみられる。
また、人の姿に戻ったとき、狼の皮をぬいでかくすが、
冷たい場所に置くと一日中ふるえ、皮がだれかに見つかり、
捨てられると、人狼は死ぬ。
真昼に狼のままでいる「ティーンウルフ」は、現代狼男だ。
日本では「大神(おおかみ)」といわれ、狼は大事にされた。
「送りオオカミ」も、女性を親切そうに送ってだます男といわれているが、
本当は旅人を、うしろからひそかに送り、安全を守ってくれる
オオカミのことをいう。
1988年8月3日ー逆飛び込みからスタートへー
小、中学校の水泳の授業で、これまで使われていた「逆飛び込み」という
名前が4年後から変わる。
新しい名前は「スタート」。
いまの名前では、ドブーンと頭から真っ逆さまに飛び込むような印象をうけ、
危ないからだそうだ。
確か、普通は、単に「飛び込み」と呼ばれたはずだ。
しかし、学校の授業は文部省が作った「学習指導要領」というのに、
細かく書かれた規則に従って教えることになっている。
その要領では、「飛び込み」の正式名は、「逆飛び込み」。
この要領が67年から変わるのに合わせて、名前も変えることになった。
実際、この名前通りに、逆さに飛び込み、プールの底で頭を打ち、
重傷を負う事故は多い。
そうなると、名前もバカにならない。
1988年8 月2日ーフォッサマグナー
明治の初め、日本は多くの外国人のお世話になり、その人たちを通じて、
日本のことを逆に教えてもらった。
「少年よ大志を抱け」と言い残した札幌農学校(今の北海道大学)の
クラーク教授、大森の貝塚を明治10年に発見したアメリカ人のモース、
日本の怪談を愛したラフカディオ、ハーンなど数え上げるとキリがない。
明治8年にドイツから招かれた地質学者のナウマンも忘れてはならない。
来日するやいなや、1日20キロも歩きまわり、日本列島が新潟と静岡を
結ぶ線上にある大断層で、真っ二つに裂けていることを発見した。
これを「フォッサマグナ」(大断層という意味のラテン語)
このときナウマンは21歳。この前に行った北陸自動車道の
トンネル掘りは難工事だった。
この断層のため地質が複雑で、すぐに落石がおきたからだ。
1988年8月1日ー宣戦の詔勅ー
選手宣誓(せんしゅせんせい)。
いやな言葉だ。
○○○ちゃんも、きらいだといったけれどお父様も大きらい。
国体や高校野球などで、声を張り上げているのを聞くとうんざりする。
オリンピックの時には、外人もするけれどアメリカ人などは、途中で
言葉を忘れても、ニヤッと笑っている。
大体、日本は、こんなことが好きで、戦争を始めるときにも、天皇は
「宣戦の詔勅(しょうちょく)」を出し、国民に「がんばれ」といったものだ。
8月1日は、明治27年に日清戦争の詔勅が出た日。
「天佑(てんゆう)を保全し万世1系の皇祖(こうそ)を踐(ふ)める
大日本帝国皇帝はー」
日露戦争も、この前の戦争の詔勅も、同じ文章で始まる。
ただし「皇帝」は「天皇」に変わった。
多分、そのころは、外国に対しては「皇帝」といっていたのだろう。
1988年7月31日ー修身ー
戦前は小学校に「修身(しゅうしん)」というのがあった。
いまでいえば「道徳」。
それよりも、もっと、忠義、孝行といったものが多く、
教科書も、そんな内容のものばかりだった。
いわゆる「君に忠、親に孝」だ。
たとえば、こんなのがある。
「テキのタマニ アタリマシタガ、シンデモ
ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」
明治27年7月29日に戦死した木口小平のことを書いたものだ。
これが当時、忠義のお手本だった。
でもラッパを口から離さないのは当たり前という説もある。
ショックで手が硬直したのだそうだ。
修身もマユツバものが多かった。
67年から小学校の教科書がかわり、道徳の時間が増える。
○○○ちゃんはよかったね。
1988年7月29日ー新潟と富山の県境「親不知」
きょうから、また、家を留守にします。
今度は北陸自動車の見学です。
つい最近、富山県と新潟県の間がつながり滋賀県の米原から新潟市まで
全線が完成しました。
建設したのは日本道路公団。
自慢は「親不知」の難工事をやりとげたことです。
「親不知」は「おやしらず」と読みます。
新潟と富山の県境にあり、北アルプスの北の端が
日本海に落ち込んでいるため、300㍍から400㍍の断崖絶壁が
何㌔もつづいているのです。
だから、むかし、ここを通る旅人は、狭い波打ち際の道を、
波の合間をみては、走り抜けました。みんな必死ですから、
いっしょに渡る親や子のことなどかまっておられません。
「親不知」の地名の、これが由来です。
いまは、ここに見物台ができたというので、これも見てきます。
1988年7月28日ーエンパイア・ステート・ビルー
エンバイア・ステート・ビルといえば、アメリカのニューヨークを象徴(代表)するビルだ。
その高さも、さることながら、エンパイア・ステートという名前そのものが、
ニューヨーク州の別名からとった。
日本語に訳すと「帝国の州」。
いかにも、〝世界一の州”といった感じがする。
このビルに、本物の爆撃機が衝突したことがある。
昭和20年の7月28日のことだ。
戦争が終わる18日前のことになる。
102階のビルの78、9階の部分にB25が激突、13人が死亡、35人が負傷するという
大惨事となった。
まるで潜水艦事故の航空機版といったところだね。
それでも、ビルは倒れなかったんだから、大したものだ。
2010年7月28日
2000年に私はニューヨークを訪れた。
学生だった私は、すぐにニューヨークに魅せられた。
活気に満ち溢れ、「何かやらなきゃ!」とそんな気分にさせられる街だった。
もちろん、エンパイアステートビルにも上った。
映画では何度も見たNYの夜景が、目の前にあるという感動!
今でも忘れられない。
そして次の日には、ワールドトレードセンターから、エンパイアステートビルを
見るために展望台に上った。
エンパイアステートビルを含めたNYを見てみたかった。
NYの象徴という意識があったのだろう。
その翌日、ワールドトレードセンターのエレベーターが、突然落ちるという
事故がおこったらしい。
日にちがずれていたら、この事故に巻き込まれていたかもしれないと
恐ろしくなったが、まさか翌年にワールドトレードセンターに民間機が
激突することになるとは思いもしなかった。
1988年7月27日ー潜水艦ー
潜水艦(せんすいかん)。
英語でSUBMARINE(サブ・マリン)と書く。
SUBは「下」、MARINEは、「海の」。
だから、「海の下の船」といった意味だ。
19世紀半ばの、アメリカの南北戦争時代に初めて
南軍側(リンカーンと違う方)が使用したが、これはちゃちなものだった。
本格的な潜水艦は1900年に完成、アメリカ、イギリスで使い始めた。
日本も日露戦争中にアメリカから買っている。
但し、戦いには参加していない。
これまでに、最も有名な潜水艦はドイツの「Uボート」と呼ばれるものだ。
映画でみたね。
いま、潜水艦は航空母艦よりも重要な軍艦になっている。
核ミサイルを積み、敵国近くで発射できるからだ。
日本の潜水艦は、せいぜい釣り舟しか沈められない。
1988年7月26日ー大田道灌ー
江戸城を築いた大田道灌が、主人によって謀殺されたことは知らなかった。
ある新聞によると文明18年(1486年)のきょう7月26日、上杉定正の屋敷に
招かれ、風呂に入って、出ようとしとき、切られて死んだそうだ。
上杉家に仕え、領地を広げるなど、ずい分戦功もあったのに、
なぜ殺されたのだろう。
どうやら、小さい時から、少々、頭のいいことを、鼻にかけることが
あったらしい。
父に、こう書いて、それを戒められた。
「驕者不久」(おごる者、久しからず)」
まだ幼かった道灌は、ただちに、こう書き替えた。
「不驕又不久」(おごらざれば、また、久しからず)
=久しからずとは長生きしないの意
死んだ時は55歳。父の心配は当たった。
しかし、殺される時、道灌は「この家は間もなく滅ぶ」と叫んだ。
上杉家も、衰退したという。