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1988年9月25日ー台風のさまざまな呼び名

また、台風について書こう。

台風は、発生する場所で、呼び名が変わることは知っているね。

ベンガル湾で生まれ、インドなどで襲うのが「サイクロン」。

カリブ海で生まれ、アメリカを狙うのは、「ハリケーン」。

太平洋で発生するのが台風、英語で「タイフーン」だ。

カリブ海付近を通る船乗りは、ハリケーンを用心するため、

こんな歌をうたう。


6月 そろそろ始まるぞ

7月 さあ来るぞ

8月 見張りはよいか

9月 油断するな

10月 もう、すんだ


大体、ハリケーンと台風の発生時期は、同じだ。

台風が「もう、すんだ」といえるのはやはり、10月まで待たなければならない。


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1988年9月19日ー日本の気象史上で最強のシーボルト台風ー

1988年9月24日ー源義経・西郷隆盛の英雄伝説

英雄というものは、死んでも、必ず、伝説が生まれ、

なかなか、あの世にいくことができない。

代表的なのは源義経(みなもとのよしつね)。

あの牛若丸だ。

奥州で、兄頼朝の軍政に、弁慶とともに殺されたあとも、

人々はだれもその死を信ぜず、ついに、ジンギスカンを

義経だということにしてしまった。

これは、今も本当だと思っている人がいる。


西郷隆盛にも伝説がある。

明治10年9月24日、西南戦争に敗れて鹿児島の城山で自殺する。

ところが、伝説では、彼も海外に逃げ、活躍したことになっている。

最も有名なのが、フィリピンへの脱出説。

当時、フィリピンはスペインの領土だったけれど、

原住民の独立運動を助ける。

しかし、つかまって、今度はシベリアの幽霊州の塔に

閉じ込められたのだそうだ。

1988年9月23日ー小中学生の教室掃除は戦争の置き土産ー

大学生になると、教室など掃除しないのに、

小・中学生は、なぜ、掃除をさせられるんだろう。


最近、出版された、学校の歴史についての本によると、

どうやら、日清戦争(明治27年~28年)に原因があるらしい。

学校の掃除は、もともと、親と先生の役割だった。

そのうち、学校も大きくなり、先生らだけでは手に負えず、

だからといって掃除をする人を雇う金もなく、

子どもにやらせる学校が増えてきた。


そのころ、起こったのが、日清戦争。

この戦争で、たくさんの兵隊が赤痢などで死んだ。

公衆衛生思想がなく、米をとぐのも下着を洗うのも

同じ川の水を使ったからだ。

そこで、きれい好きにしなくてはならないと、

文部省は明治30年に「学校清潔方法」という命令を、

小・中学校に出したのだという。

掃除当番は戦争の置き土産だった。

1988年9月22日ーもうひとつの年号「戊辰の年」ー


天皇が死ぬと、元号が変わる。

新しい元号になってから生まれた人からは

○○○ちゃんも、「あ、昭和生まれか」といわれ、

古い人間みたいに思われるのでイヤだね。

天皇が死んでも、変わらない年号の呼び方がある。

十二支を組み合わせたものだ。

ことしは「戊辰の年」。

この名の年は60年後にやってくる。

この前は昭和3年、その前は明治元年。

だから、明治維新のときの戦争を「戊辰戦争」という。



きょう9月12日に会津藩が薩長軍に負け、その戦争も終わった。

この前、NHKが、この日を記念して、会津若松市と長州山口市と

仲直りの番組を作ろうとしたが、会津の人が反対、

実現しなかった。まだ、うらみを持っているんだろうね。

なお、今の景気を「戊辰景気」という。

1988年9月20日ー国際大学ー

きょうから二日間、新潟県の浦佐にある、国際大学の入学式に

各社の論説委員とともに招待されて、行ってくる。

この国際大学は、財界のひとたちがつくったもので、

学生のほとんどは外国人。

講義は、すべて、英語を使って行われる。

日本人も英語だ。



学生のほとんどは外国人と書いたが、もともとは、

すでに会社に入った日本人を、ここに入れ、わざわざ、

高いカネを払い、アメリカに留学しなくても、

大学院なみの学力をつけさせようとして作られた。



しかし、日本も豊かになり、個人の留学生はもちろん、

会社も社員をどんどん留学させるようになった。

だから、国際大学も、ちょっと、行き詰った形だ。



お父様たちを呼ぶのも、きっと、もう少し宣伝したいためだろう。

1988年9月19日ー日本の気象史上で最強のシーボルト台風ー

台風18号が去ったら、南の洋上には台風19号が近付いている。

まるで日本は、台風の過密空港のようだ。


ところで、日本の気象史上で最強の台風は

文政11年(1828年)8月9日に西日本を襲った「シーボルト台風」だ。

いまの暦になおすと9月17日。


この台風の名前は、当時、発生した「シーボルト事件」にちなんで、

あとになってつけられた。


シーボルトは日本に西洋医学を伝えたドイツ人。

帰国しようとしたところ、積み荷を始めたばかりのオランダ船が

この台風で難破、中から外国に出すことを禁じられていた

日本の地図などがみつかった。


このため、多数の洋書と引きかえに地図を渡した多くの

日本人がつかまり、シーボルトも国外追放処分をうけた。

これが、その事件。

最近、シーボルトがスパイだったという説もでている。

1988年9月18日ーソウルオリンピックの聖火ランナー孫基偵ー

第24回オリンピック・ソウル大会が、いよいよ、きのうから始まった。

イランとイラク、中国とソ連、西ドイツと東ドイツー

つい、この間まで互いに戦争し、または対立していた国々が、

笑顔で歩む開会式は、長い戦争を経験した者にとって、

やはり感動の一幕だ。


だが、それにもまして、胸を打たれたのは、

聖火を手に会場に入ってきた孫基偵さんの姿だった。

ことし、76歳。知っているだろうが、52年前のオリンピック大会で

マラソンに優勝した選手だ。

当時、韓国は日本だった。

だから、あがったのは日本の国旗日の丸。

それが、くやしかったという。

きのうは、胸に韓国旗のマークをつけて、喜びをいっぱい

体に表し、走った。

日本には、そんな経験はない。

だが他国民に、そんな経験をさせた経験がある。

その胸のつかえが、お父様もおりた気がした。



1988年9月17日ー独裁者と歴史

ビルマが、いま、大ゆれにゆれている。

連日、デモが行なわれ、それには、軍人も警官も加わっているという。

何十年も続いた「一党独裁」に反対しているのだ。


一党独裁というのは、たとえば、日本で自民党だけで政治をして、

他の党は、いっさい、つくることも認めないということをいう。


独裁のこわさは、戦前に日本の軍部、ドイツのヒトラーをみてもわかる。

古代アテネでは独裁者が出そうになると、市民に投票させ

10年間国外に追放した。

これを「陶片追放(とうへんついほう)」という。

陶器の破片に字を書いて投票したからだ。

(貝殻追放といわれたことがあるが、これは間違い)


けれども、これも、ときには立派な人が、他人の企みで

追放されることがあって、よく投票で物事を決めることの

危険な例としてあげられる。

歴史は独裁者にてこずってきた。

1988年9月16日ー「醍醐味」の由来と牛乳

この前、長屋王の屋敷跡からみつかった木簡の中に

「牛乳」の文字があったことを書いた。

きょうは、その「続き」。

記録に残っている日本の牛乳の第一号は、

百済(くだら・いまの朝鮮の一部)から帰化した福常という人のこと。


7世紀の半ばごろ、牛から牛乳をしぼって孝徳天皇に献上した。

その後、彼は「和薬使王(やまとのくすりのおみ)」という姓を

与えられている。

そのころ、牛乳はやはり薬だったのだ。


約1世紀のちの天武天皇のとき、生き物を殺してはならないという

命令がでている。

しかし、牛乳は殺生とは関係ないので、かなり普及したらしい。


すでに、そのときチーズのような「醍醐(だいご)」が作られている。

おいしくてたまらない味のことをいう。

「醍醐味」の語源だ。


【関連記事】

1988年9月14日ー牛乳は奈良時代初期から存在ー

1988年9月15日ー「吾輩は猫である」のネコの死亡通知

明治41年9月14日、夏目漱石の弟子たちは、

まわりを黒く塗った、変なはがきをもらって、ニヤニヤ笑った。

それには、こう書いてあった。


「辱知猫儀久々病気のところ、療養不相叶(あいかなわず)・・・」


漱石が出した、ネコの死亡通知だったのだ。

もちろん、このネコは「吾輩は猫である」のネコ。

小説のネコは、ビールを飲んで酔っ払い、

水がめに落ちて水死した。


このモデルになった本物のネコは、前日の13日に

老衰のため、物置で死んだ。


「吾輩」はついに、死ぬまで、「吾輩」のままで、

名前がなかったが、モデルの方の名前があったか

どうかは不明。裏庭の墓には、しかし、こんな墓標が

たてられた。


「此の下に稲妻起る宵あらん」


多分、雷のようにやんちゃなネコだったのだろう。