からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -56ページ目

アラクネ(9)~再投稿という名の校正作業~

「それって、やっぱり」カズタカの云わんとしていることは、マユミに三つの意味を以て伝わった。それは彼女の死に両親、もしかしたら幼いヒロフミ、が関わっているという疑惑。そして、近所の住人が殺したという疑惑が地域コミュニティーに蔓延したということ。もうひとつは、その両方である。

「ばか野郎。寝言は寝て言え。田舎とはいえよぉ、警察の捜査力をなめるなっつうの。家族なんか真っ先に疑われただろうよ。それでシロならシロなんだよ。それでいいんだ」カズタカの頭の中には、両親が殺した、以外のことは入っていないようである。ましてや、ヒロフミが関わっているなど思いつきもしていないようだ。

「ま、変死であることには変わりない。しっかしあれだな。娘さんと息子を共にこんな、言っちゃ悪いがこんな理解不能な、なんだ、不可思議っつうかさ、得体の知れぬ死に方で亡くすなんてな。あ、ヒロフミの死因は知ってるよな?」

「そりゃね。近所だし。ニュースでやってたし。氷川神社の前でしょ?女富士のあるあそこの」

マユミが女富士と呼んだのは富士塚のことである。富士の溶岩を積んで作られたこの富士塚は女子供しか登ってはいけない、と、子供の頃親だか教師だかに教わって以来、マユミは女富士と呼んでいる。それは、おそらく、富士塚が富士に登ることの出来ない者、すなわち、女子供老人障害者の為の模擬であり、富士に登れぬ彼らが富士を信仰する為のものである、という説明をマユミが曲解したことによるものだと思われる。

「そう。あそこでヒロフミは自分の腹を自分の手で引き裂いて死んだ。なかなかどうして、ヒロフミ君もおつな死に様をチョイスしたもんだ。まったく。何でもはらわたを引きずり出し、ズタズタに裂きながら、最期は心臓を自分で握り潰したっていうじゃない。ったくよぉ」カズタカは変わらずに淡々と語る。

カズタカの死は平成のハラキリ事件として当初大々的に、しかしグロい事実をはぐらかしながら、報道されたが、上述したように、どうやら精神異常者の“犯行”であることがわかると、事件は無かったことにされた。

「俺もう二度ともつ鍋食えねえよ。とんだ呪いを残してくれたもんだ。へへ」カズタカが続ける軽口は精神の均衡を保つ為なのだ。

「お前らあいつの顔見たか?」

「いや、まだ見てない」ミシモが答える。

「そうか。それなら、なるべく見ない方がいいかもしれないな」

「そんなに酷いの?」

「酷い」

軽い口調のままカズタカが発した、たった三音の乾いたシンプルな言葉だが、車中の雰囲気を変えることに於いて十分過ぎる言葉だった。

「ま、今日まで棺にも入れられず、あいつんちでドライアイス入れた布団の上に寝かされてたんだけどさ。火葬はなるべく早くしろって教訓になったよ。あんなもんが置かれっぱなしとあっちゃ、おばさん達、それはそれはつらかったろうな」

カズタカの声が、一つフィルターを挟んだように車中に流れた。

「おい、ちょっと、こんな雰囲気の中で悪いが、お二人のどちらか、タケハル達の誰かに電話しろ。番号わかんなかったら俺の携帯使ってタケハルにかけろ」変な話だが、いうなれば沈黙を愉しんでいた車中をカズタカが、牛のようにのんびりとした口調で破った。

「わかるけど、なんでよ?あ」

言いながらマユミは携帯電話を探り、指に当たると壊れていることを思い出した。

「実は結構前からあいつら見失っちまった」のんびりとした口調には、焦る気持ちを隠す狙いがあったようだ。

「大体の場所はわかるが、俺こっちの方の道わかんねえんだよ。どうせお前らも場所知らねえんだろ?」

「とことん頼りねえなお前は」

「タクシーじゃねえんだよ俺は。しっかし、あいつら、わざとだろ。お前が昨日野崎に何かしたからじゃねえか?」

「うっ」

二人のやりとりの傍ら、ミシモはカナコに電話をかけたのち的確なナビゲートをした。路面に出来た薄汚い雪の轍をなぞり、軽自動車はまっすぐ火葬場に着いた。無論、霊柩車は先に着いている。丁度ヒロフミの棺桶が、一段であるが蜂の巣状に開かれて並ぶ祭壇スペースに安置されたところだった。タケハル達も車中で同じような会話をしてきたらしかった。

早速、質素な告別式が始まった。あまり広くない祭壇スペースにまばらな親戚縁者。ちらほらとやって来る弔問客は皆、奥歯に何か詰まっているようなむつかしい顔をしていた。

カズタカはヒロフミの死に顔をあまり見ない方がいいと言ったが、それはどだい無理なことだった。

ヒロフミの死に顔に、マユミ達は度肝を抜かれた。そしてマユミとミシモは何故カズタカが、見ない方がいいかも、と忠告したのかを理解した。

この世のものとは思えぬ形相をしている。少年の頃の面影などまるでない。肉体を切り裂いた苦痛の果てか、むき出しのままですっかり乾いた灰色の歯を死後もなお食いしばり、まるで死ぬ直前の苦しみを今も受け続けているかのようだ。顔中に走る異様な太い皺がその苦悶の相をより物語っている。瞼こそ閉じられているが、つり上がった眼、鼻、口角。額には、道路にでも打ちつけたのだろうか、傷を処理した跡があり、まるでバードイータークラスの大蜘蛛が顔面にへばりついているかのようであった。

あまりにもグロテスク。しかしそうはいっても、つつましやかな場である。ゲロを吐いたり、腰を抜かしたりといった忌避の表情、行為をするような輩はいない。粛々と式は進む。

式も終わりに近づき、参列者が途絶えたのを見計らい、ヒロフミの父親が残ったマユミ達含む近親者の前で挨拶をする段になる。嗚咽まじりにぐぐもり、声を裏返しながらも、東北訛りで、暖かな挨拶をすると、皆で棺に花を手向けることになった。ヒロフミの母親は虚ろな眼差しでヒロフミの棺の足の方を見ている。棺の中にソフトビニール製の色褪せた着せ替え人形があることを知ったマユミは、何とも云えぬ、戦慄に似た感情に襲われた。



アラクネ(8)~再投稿~

信号に捕まると、ドライバーはハンドルを押すように、とん、と叩き、遠い目を浮かべ車でごった返す環状線の間隙を縫う灰色の空に目をやった。ノスタルジーに浸ると共に、そのノスタルジーを語る旧友が居なくなり、ふとした時に訪れる虚無。今がそれのようだ。

「そんなことより、さっきの霊柩車の話でさ。怪我人が出たってんで救急車呼ぼうとして電話しようと思ったら」

「119の筈が109って押してたって?それこそどうでもいいだろ。くだらないよ」ひょっとしたら誰よりも、マユミはカズタカの考えていることがわかるのかもしれない。

「なんとかセンターに繋がったら繋がったで、場所は?って訊かれたら」

「渋谷ですってか?もっとくだらねえよ。もうこの人やだ。運転手じゃなかったら殴ってる、そして、香港だったら…」殺してる、と、いつか観た香港映画に出てきたセリフを吐こうとしてマユミは口を濁した。さすがに、殺してる、はまずいと思ったからだ。

「香港だったらなんだよ」

「香港だったら、こ、恋人が出来ないわ」

「なにそれ?意味わかんねえよ」

「意味を問うなんてお前には百年早い」

「あー、尾形、お前も大変だな」

くだらぬマユミとの受け答えの末、カズタカはなんとか虚無をやり過ごし、涙を溜めることなく運転を続けることが出来た。この無駄口。マユミにはやはり痛いほど理解出来る。

ドライに生きていたい。カラッカラの、干し椎茸のように生きていたい。ついでにいい味出したい。

これは昨夜のマユミがシイにこんがらがって叫んだ言葉だが、ドライに生きていたい、と望むということは現状に於いて非常にウェットであるということだ。うじうじじめじめしているからこそ、からっとさくっと、干し椎茸のように後悔無き人生を生きていたいと望む。そのうじうじじめじめした後悔の大半は自身の軽率な言動や自主性の無さ、そして酒の席での暴走によるものなのだが。

「あー、いつだったかヒロフミが俺とタケハルに言ったんだ。俺には姉が、いや、妹だったかな、ま、とにかく女兄弟がいたってさ。それで、話の流れからして彼女はもう死んでいるのだが、その彼女の死をきっかけにヒロフミは転校したって話だったな。子供は子供なりに気を遣って深いことは訊かなかったけど、あいつの家には彼女の仏壇があったから事実だと思う。着せ替え人形とかぬいぐるみとかが、あってな」

「何で彼女は亡くなったの?」後々、訊かなければ良かった、と、マユミは思うはめになる。

「嘘か本当か知らねえが、あいつが言うには、毒だよ」

「毒!?それって殺人ってこと?」

「いや…違う。ほら、あいつ福島から引っ越して来たろ?東北弁をからかわれたりしてさ。可哀想に、身を取り巻く環境が激変したんだ、あいつは身も心もズタボロだったろうよ。子供って残酷だよな。帰りの会で、佐藤君が何を喋っているのかわかりません、って発言して先生に殴り飛ばされたのはお前らだっけか?」

「違う。それは高橋達だ」今まで黙って二人の話を聞いていたミシモがややムスッとした口調で強烈に冤罪を主張した。

「あー、そういやそうだな。すまん。あれ?高橋…高橋アサミだっけ?あいつ今日泣いてたぞ。号泣だよ。うぉんうぉんひーひー泣いてた。ろくにヒロフミと話したことも無いくせにさ。悲劇のヒロインにでもなりたかったのかねぇ。体の方は相変わらずの大女のくせに泣き喚いてさ。女は怖いな。で、何の話だっけ?俺、運転しながら会話をするのって苦手なんだよ」彼なりに皮肉を言おうとしたのか本当に忘れたのか、いまいち釈然としない。

「毒の話」ということで、マユミもあっさりと返すしかない。早く話の核心部を聞きたい。

「あー、毒な。あいつんちは福島の山ん中でさ。ザ・田舎って風景らしい。ちょっと山に入ればワラビやらゼンマイやら行者ニンニク、えー、なんつったけ、タラのモエ?タラの芽?ま、どっちでもいいけど、山菜採り放題で、遠くからばあちゃんらしき人影を見つけて近付いてみたら猿だった。畑に猿がいると思ってよく見たらばあちゃんだった。そんな嘘みたいなこともあるぐらい田舎で、それで、えっと」

「毒だってば」

「あー、それで、山ん中には食べられるものだけがあるわけではなくて、そこいらに普通に沢山生えてたらしいんだよ。ニガヨモギ、じゃなくてトリカブトが」

トリカブト、言わずと知れた有毒植物である。キンポウゲ科の多年草の植物で、花粉や密を含む全草、特に根にアルカロイドの一種であるアコニチンを擁しており、致死量を経口摂取をした場合、呼吸困難に陥り、僅か数十分で死に至る即効性の強い毒草であり、尚且つ解毒剤が無い。その根は古くから漢方薬として用いられ、附子(ぶし、毒として使う場合は、ぶす)、烏頭(うず)と呼ばれる。

「それを何を思ったか食っちゃって、山ん中で倒れてたらしいんだよ。そして彼女を見つけた時には」さらりさらりと、カズタカは感情を排除して語る。

「トリカブト…大学の時に長野に行って教授に騙されてベニテングタケの塩漬けなら食わされたことあるけど」

「おいしかったけどね」と、ミシモ。

「ま、そんなことが起きればヒロフミのご両親が村に居られなくなったのもわかるよな」

「え、なんで?」マユミは何も考えず反射的に訊いた。

「土師よぉ、お前は名前の通り、恥じ、だな。何年生きてきたんだよ。わかるだろ。ま、これは俺の推測に過ぎないけど、山に一人で入って行くぐらいの子供がトリカブト食って死ぬなんて、有り得ないんだよ。そりゃ、俺達都会っ子ならまだわかるよ?でも地元の子がさ。小さな頃から親に連れられて山に行って、あれは食べれる、これは食べたら死ぬって教わってきた子がさ。その食べたら死ぬの代表格のトリカブトを食うかっての。ま、若いトリカブトはセリとかヨモギに似ているらしいけど、それでもだ。まだ、ヤマカガシに噛みつかれた、の方が現実味がある。ヤマカガシって知ってるか?まあどうでもいいか。な?わかるだろ?ご両親が周りにどう見られたか、どうして引っ越さざるを得なかったか、は。ま、あくまで一エロ漫画家である俺の推測だがな」



アラクネ(7)~再投稿~

ホノカを交え暖をとる酒臭い三人。そぼ降る雪の中走ってきたのである。かじかむ足の小指がぽろりと取れてしまいそうだった。

そうこうしている内に出棺の儀に至る。火葬場で、近親者のみで、小さな告別式をやるとのこと。やつれ果てたヒロフミの両親が安っぽい神殿のような宮型霊柩車に乗り、近所迷惑を考慮し鳴らされた申し訳程度のクラクション。その様子を遠巻きに見守る五人と二人。タケハルとカズタカが車を出し、マユミ達も火葬場へ向かう。

カズタカの軽自動車に乗ったのはマユミとミシモと勿論カズタカ。向こうでは今頃私への文句で盛り上がっているのだろうな、と、マユミは溜め息を吐いた。

斎場から出て、少し行った交差点を右折する時、盲目的にタケハルの車を追従したカズタカが、前車の陰からやってきたカズタカの意識外の直進車とぶつかりそうになった。人間降って湧いた危機的瞬間では声など出ないものだ。とっさにカズタカがアクセルを踏み込む選択をし、ぶつかるより早く危機的状況を脱したことにより最悪の事態は避けられた。

「…止まってたら事故だった」ミシモが誰に対してでもなく呟く。

「向こうはでかいトラックでこっちは軽、勝ち目はなかった、ね」と、マユミは横のミシモに言うと、きっ、とバックミラーを睨みつけ、

「何やってんだよウスノロ!どこに目つけてんだ!ちゃんと前見て運転しろ!殺す気か!」

と、カズタカに罵声を浴びせた。

「そんなことはわかってんだよ。今のは俺が悪かったよ。油断してた。悪かったよ。反省してるし、こんなヘマもうしないよ。わかったからもう言うなよ。わかりきったことをくどくど言われるのが嫌いなんだよ」ミシモの文句を呆れた様子で、妙に落ち着いた口調でカズタカが言う。

「まあ、まあいいよ。しかしだね、しかしだよ?あんた、いや、あんたらさ、普通に車を家から出してきたけどさ、私達も普通に乗り込んだけども、さっきの場所で酒飲んでないよね?」マユミが強張った表情で問う。

「…それを聞いてどうするんだ?」

「はぁ!?マジかよぉ。こいつら酒気帯びだよぉミシモぉ。こいつが捕まったら私達も罰金だよぉ。ふざけるのも大概にしとけ!運転代われ下手くそ!」

「…多分、今私達の中で一番呼吸の中の酒気が高いのはあんただよ。それでマユミの次は私」ミシモが冷静に判断を下す。

「落ち着け。俺もタケハルも飲んじゃいないよ。タケハルに至っては最初から車で来てるからな。俺だって、考えても見ろよ、おばさんに言われた時から車移動は考慮済みなんだよ。ふふん」

「笑ってんじゃねえよ。酔ってないなら尚更気をつけろ。酒気帯びだろうが酒気帯びてないだろうが、私達最悪死ぬとこだったんだぞ。一番危なかったのは助手席側にいる私なんだよ」ミシモの説教にカズタカは身を竦める。

しばらく無言が続いた車中、雰囲気を良くしようとしたのか、不意にカズタカが、

「しっかし、霊柩車とだけは事故を起こしたくはないもんだな。軽く当てただけで死亡事故扱いになったりして」

と、話し出した。しかしながらこれは藪蛇であった。

「カズタカ、あんた二つのことを同時に出来る?別に歌いながら読書するなんて難易度の高いものじゃなくて、テレビ観ながらご飯を食べる程度のことなんだけど。いやぁ運転しながら会話なんて出来るのかなぁ」マユミのネチっこい言葉にミシモが、

「いや、マユミ、タケハルが言うに彼氏は見事エロ漫画家とニートを両立させているらしいじゃない。相反した定義を両立させるって、これって奇跡じゃない?自称漫画家のニートなら存在する可能性は無限大だけど、エロ漫画家とニートを両立させるって、やっぱり奇跡だわこれは」

と、続いた。

「うるさいな。ただの矛盾だろ。俺は稼げなくて実家に寄生しているだけでニートではない。まあ、働いている、とも言えないが。だけど俺の描いたやつはちゃんと雑誌にだって掲載されてるんだぞ?お前ら知ってるか?月刊ムマデラックス」業を煮やしたカズタカは、少し自慢をしつつ話題の方向性をわずかにずらす作戦にでた。が、

「知ってる筈無いだろ」マユミが斬って捨てる。

「そうか。夢の悪魔と書いて夢魔なんだが」

「だからどうしたっていうの!?大体あんたよく実家でエロ漫画なんか描けるわね。別にエロ漫画を卑下しているわけじゃないけど、実家で描くようなもんじゃないでしょうに」と、言った所で、マユミはカズタカの家が小さいながらもいくつかアパートを経営していることを思い出した。実家に寄生していると言ったカズタカの言葉は、アパートの一室を無償で借りていることを指すのであろうことに思い至り、「ま、そんなことはどうでもいいけど」と、はぐらかした。変に気を遣う性質であるマユミは相手があまり触れられたくない、自分だったら聞かれたくない、聞かれたら困るといった類いの会話を時に不自然なほど、避ける。理性と記憶を失う前は、の話であるが。

「ま、確かに今日はそんなこたどうでもいいんだよ。ヒロフミの葬式なんだ。ヒロフミの話をしないと、あいつ化けて出るぜ」マユミがひるんだ隙をみて、カズタカは話題を変えた。

「ヒロフミねぇ」ふぅっと息を吐きながらミシモが呟いた。

「おいおい、なんだよ、思い出っつう思い出も見当たらないのか?これだから女ってやつは。ヒロフミどころかタケハルも浮かばれねえよ。何回か一緒に遊んだろ。いや、何回も、か。俺達なんてお前らと一緒におばさんに呼びかけられたってことであの思い出がさっきからずっと…しっかし、大変だよなあいつのご両親も。おばさんなんかあんなにやつれて。二人の子供に先立たれるなんてなぁ、ましてや」

「二人?どういうこと?ヒロフミって一人っ子じゃなかったっけ」カズタカの話を遮り、マユミが口を出す。

「ああ?知らないのか?ま、ヒロフミも転校してきた以前の話はしたがらなかったからな。ひょっとしたら俺とタケハルしか知らないのかもしらん」



アラクネ(6)~再投稿~

「あんた友達いないでしょ!」

「ああ、よく言われますです、はい」

「はあ!?」

「いや、あの、すみません」

アヤのそう断言したように、マユミに友達と呼べる人物はミシモしかいないと言っても過言ではない。勿論、友人関係にある人物は何人もいるが、マユミにとって彼氏彼女らは全てミシモと楽しく過ごす為のダシである。ミシモが笑っていればそれだけで良かったし、友達も、ミシモ一人が居ればそれだけで良かった。

アヤとのやりとりを今にも猿みたくキャキャキャと笑い出しそうにミシモが見ている。この状況がマユミの幸せである。その結果アヤと絶交になっても、一向に構いやしない。

「あのぉ、出来れば昨日ワタクシがあなたに何をしたのかを教えて頂ければこれ幸いと申しますか」

「覚えてないの!?」

「はあ、その通りで、いや、ま、所々覚えてはいるんですがね。あなたに背中をガンガン蹴られているところとか」

「なんでそんなとこだけ覚えているのよ!」火に油を注ぐ、とはまさにこのことで、ジャンガリアンハムスターの如く膨らんだほっぺを針で刺せばどこかに飛んで行ってしまいそう。ミシモは「ふぅしゃぁ」などと吐息を漏らす。

「衝撃のせい…でしょうか?」

「知らないわよ!壊れたテレビかお前は!あんたが思い出しなさいよ!あなたが何をしてそんな状況になったかを!」

「と、言われましても、酒で記憶を亡くすってやつぁ厄介なものでして、体験したことの無い人にはいまいちわかりずらいと思いますがね、忘れている、というよりも、抜け落ちている、って具合で、思い出そうにも、こりゃバックアップ不可能ってもんで」

「ふっ、マユミねぇ、あんたアヤの、ふふへ」ミシモが何か言いかけると、

「言うなぁ!」

と、アヤの声が閑散としているセレモニーホールに響く。そしてアヤはつっけんどんにカナコ達の下へ去って行った。

滑稽調で語りかけてはいるが、マユミは一人になれば泣いて落ち込む程反省をしている。しかし今回の件には、手応え、を感じていた。それはいつもの、ミシモに対してへの手応えと共に、アヤと絶交という事態には陥らないであろう手応えである。マユミの経験上、二度と飲み会には誘われなくなるが、後日感情をぶちまけてくる相手とは関係の修復が可能である。酔夢を探る旅の中、再会して目があった途端マユミを押し倒し、馬乗りになるとボコボコにした大学の友人もいたが、マユミが甘んじてそのペナルティを受け入れたことにより、彼女とはそれだけで関係は修復された。この時のマユミは彼女の彼氏を罵倒し続けた挙げ句彼女の顔面にゲロを吐いたようだった。厄介なのは全く相手にされないことで、白々しく振る舞われ明らかに一線引かれた大人の対応をとられると、もうなにをやっても手遅れである。

「ねぇ、私何した?」

「ふく。ふふふ。あんたねぇ、昨日は“恣意の女王”になってた」

「シイ?シイって、あー、恣意のシイ?“次”みたいな漢字の」マユミはアルコールで記憶を亡くした時、自身に何かが憑依することは散々聞いてきた。確か前回記憶を亡くした時には“犬の神”になったらしいということをマユミは思い出し、また、最近恣意という言葉をシイと読むのかジイと読むのか突然わからなくなり辞書で引いたことに思い当たった。

「恣意だ恣意だ喚いてね、何者に対しても私は恣意だって。思うままにやってやるんだって。しまいには椎茸だって言ってたよ」

「椎茸…ああ、だから椎茸。…つまんねえな、あたし。せめて地井武男にでもなってりゃ。突然散歩したり」

「同じことをアヤが言ったんだけどねぇ。あんた酔っ払うと変なところでこだわるから。地井?なんじゃそりゃ、シイじゃないじゃん、なんて言い出して。意味わかんない。ふふ。流石のキレっぷり。後先考えないからねぇ。あんた破壊念慮でもあるんじゃないの?」ミシモが薄く笑った。

「なるほど。ああ、何となくわかってきた。それでアヤを生贄にやりたい放題やったと」

「そう。いやはや、あれは酷かったねぇ。訴えられてもなんら不思議じゃない」

「そこまでのことをしましたか」

「だってさ、恣意になって椎茸になって恣意になってシイシイになってやるシイシイしてやるってブツブツ言いながら、ブラもパンツも脱ぎだして、アヤに同じことをしろと。ま、ここまではアヤも酔った勢いで乗ってね、二人仲良く脱ぎ捨てたと思ったら、それも作戦だったのか、あんたアヤを襲ったんだ」

「襲った!?」

「酷かったねぇ。半裸の狂態よ。ここに椎茸が欲しいのか、なんて引くようなことまで言って、嫌がるアヤを押さえ込んでアソコを写メしようとしてね」

「うっ。酷いなそれは。後で本気で謝ろ」ふとマユミは、そのレズ行為を本当はミシモにしたかったのかも知れない、と思った。

「で、携帯の奪い合いになって。しっかし、アヤに背中をガンガン蹴られながらヘラヘラ笑って酒を飲むあんたの姿は狂気じみていたわ」

「あー、そこでか。だから携帯もこんな状態に」疼痛を感じる背中をさすりながらマユミは真っ二つになった携帯を取り出した。

「そうそう。ま、携帯は自分で折ったんだけどね」

「自分で?」

「こんなものは恣意の敵だ、こんなものがあるから毎夜寂しい思いをしなけりゃならんのだって言って、ぽっきりと」

「ぽっきりと、ですか」

「ていうか寒い。下にストーブあったろ。足下乾かさにゃ。下半身の冷えは万病のなんやらだ」




アラクネ(5)追憶・変異~再投稿~

脚が棒と化した疲労感の中、それでも三人はつつがなく焼香を済ませた。卒業アルバムと記憶の中にあるヒロフミの面影を残した黒い縁取りの中のヒロフミ。棺の周りの百合と霞草。鯨幕。遺族席に列していたヒロフミの母親の、血の気の無い異常に白く且つ黄色い、明らかに棺桶に片足突っ込んでいる顔を見て、マユミは初めてヒロフミの死を実感した。

とはいえ、他人の悲しみは利己的な問題を越えることはないのである。本日のお役目はこれで終わり帰って寝よう、と、思っていた三人だが、そうはいかなかった。

焼香が終わった後、二階におもてなしが用意されていて、三人は半自動的に係員に案内される。あまり人のいない会場に、中年の男達が酒盛りをしている反対側、そこにアヤとカナコ、それから同年代の若い二人の男が座している一角があった。吸い込まれるよう三人はその一角へ近づく。

「お、来た来た。わかる?こいつら」

カナコが手招き、二人の男達を烏龍茶の入ったコップを持った手の中指を立てて指差した。

アヤは明らかに不機嫌な表情でマユミを睨む。カナコもアヤも、その美醜状態は三人と似たりよったりである。

「わからないけど」ホノカが椅子に腰掛けようとしながら言う。

「こいつらはねぇ、こいつらは、はぁ、んぐ、…ちょっと…トイレ」

カナコは立ち上がると口を左手で口を押さえ、コップを持ったままトイレへと駆け込んで行った。

「お前らこんな時に何やってたんだよ。呆れてものが言えない」

男の一人、アヤと面向かいに座っている赤茶けた髪の、ブラックスーツを着用しているとはいえ如何にも土方という風体をしている男が苦々しく言った。

「誰?」

挨拶も反論もせず、ホノカがアヤに問う。

「ああ、こっちは己(つちのと)だよ。で、そっちは武者(あぶふさ)」

「ああ、あー、あー、そんなの居たね。そういや」ミシモが悪態をつく。昨日散々っぱら小学校時代の話をマユミ達としたのである。ヒロフミのことはもとより、ミシモ達五人組と比較的仲が良かったこの二人の話が出てこないはずもなかった。そして何よりもこの二人は、小学五年時に転校してやってきたヒロフミと特に仲がよかったのだ。

「そんなのってお前なぁ。言葉に気をつけろよ。こいつはお前らの中のとある人物が好きだったんだぜ?初恋を台無しにしてやるなよ」

男のくせして、しかも社会不適合者の証である長髪を頭の後ろで結わんでいるくせに、光沢のある茄子のようと云ったらおかしくもあるが、どこか凛とした風貌の武者カズタカが小さく笑いながら言う。

「うるせえエロ漫画家兼ニートが!寝言はまともに働いてから言え!」己タケハルが色黒の顔をほんのり赤くしてカズタカの肩を殴った。その目は少し、腫れていた。

マユミはカズタカの変貌に少し驚いていた。変貌と云えば、昨日再会した三人が三人とも年月を経てそれなりの変貌を遂げていたのだが、ホノカの赤髪以外それらは想像の範疇であった。しかしこの武者カズタカ、記憶の中では少しぽっちゃりして、ミシモ達とクラスのかっこいい子ランキングを作った時にクラスの男子十五人中十位だった子だ。それがどうだ。タケハルの言ったカズタカの社会的ポジションはさて置き、かなり秀麗な容貌を持って目の前に現れた。

何故カズタカのかっこいい子ランキングをマユミが覚えていたかというと、恋心こそ抱かなかったが、マユミにとってカズタカは特別な存在だったからである。

おどおどと周りの雰囲気を察することに一生懸命で、主張を回避し常に受動的に動き、いつもガキ大将だったタケハルの後をついて回っているような子。それがマユミからみたカズタカであり、「ガキ大将だったタケハル」をミシモに代えれば、それは自身のことになる。似たもの同士、同じ立場の盟友、それでいて近親憎悪に似た付かず離れずの不可思議な距離感。お互い、人の振り見て我が振り直せ、とばかりに観察し合い、パラサイトとしての技量を養ってきたのである。

「あれ、他の子達はいないの?」マユミはさも、お前らなんかに興味ないよ、と言わんばかりの素っ気ない態度を打ち出した。

「ああ、俺が来た時は何人か居たんだけどな。みんなとっとと帰って、今頃同窓会でもしてんじゃねえのか。成人式以来か。俺成人式行ってねえけど」カズタカが応える。

「へぇ。じゃあ何であんた達牽いては私達はここにいるのさ」

「おばさんに引き留められたんだ。俺とこいつと野崎と菱山とでお前らのこと待ってたんだよ」

「私達も?それは何故に?」

「それはわかりかねるが、とにかく火葬場まで来て最後まで居て欲しいとのことだ。俺達、お前ら含めて、名指しでな。どうせ大した予定なんか無いんだろ?そういうことだ」

「うわぁ、それ本当?なんか気が重いなぁ」

「そうじゃなくても俺達は火葬場まで付いて行く気だったんだけどな」

「うっ、さいですか」マユミとカズタカのどこか他人行儀で事務的な会話はあの頃と変わっていない。立場は同じだが、違う猿山で生きている。

「まあ、それはそれとして、アヤ、ちょっといい?」ミシモがアヤを連れ出そうとする。

「マユミもだ。なに呑気に唐揚げ食ってんだよ」マユミの首根っこを捕まえて立たせるミシモ。さっきから会話どころか視線さえ交わさない気まずい二人を仲直りさせる、なんて気はミシモには無い。マユミの酔った時の凶行をとことん楽しむのが趣味なだけである。しかし、その行動が結果的に関係修復の一助を担っているのであるが。