アラクネ(9)~再投稿という名の校正作業~
「それって、やっぱり」カズタカの云わんとしていることは、マユミに三つの意味を以て伝わった。それは彼女の死に両親、もしかしたら幼いヒロフミ、が関わっているという疑惑。そして、近所の住人が殺したという疑惑が地域コミュニティーに蔓延したということ。もうひとつは、その両方である。
「ばか野郎。寝言は寝て言え。田舎とはいえよぉ、警察の捜査力をなめるなっつうの。家族なんか真っ先に疑われただろうよ。それでシロならシロなんだよ。それでいいんだ」カズタカの頭の中には、両親が殺した、以外のことは入っていないようである。ましてや、ヒロフミが関わっているなど思いつきもしていないようだ。
「ま、変死であることには変わりない。しっかしあれだな。娘さんと息子を共にこんな、言っちゃ悪いがこんな理解不能な、なんだ、不可思議っつうかさ、得体の知れぬ死に方で亡くすなんてな。あ、ヒロフミの死因は知ってるよな?」
「そりゃね。近所だし。ニュースでやってたし。氷川神社の前でしょ?女富士のあるあそこの」
マユミが女富士と呼んだのは富士塚のことである。富士の溶岩を積んで作られたこの富士塚は女子供しか登ってはいけない、と、子供の頃親だか教師だかに教わって以来、マユミは女富士と呼んでいる。それは、おそらく、富士塚が富士に登ることの出来ない者、すなわち、女子供老人障害者の為の模擬であり、富士に登れぬ彼らが富士を信仰する為のものである、という説明をマユミが曲解したことによるものだと思われる。
「そう。あそこでヒロフミは自分の腹を自分の手で引き裂いて死んだ。なかなかどうして、ヒロフミ君もおつな死に様をチョイスしたもんだ。まったく。何でもはらわたを引きずり出し、ズタズタに裂きながら、最期は心臓を自分で握り潰したっていうじゃない。ったくよぉ」カズタカは変わらずに淡々と語る。
カズタカの死は平成のハラキリ事件として当初大々的に、しかしグロい事実をはぐらかしながら、報道されたが、上述したように、どうやら精神異常者の“犯行”であることがわかると、事件は無かったことにされた。
「俺もう二度ともつ鍋食えねえよ。とんだ呪いを残してくれたもんだ。へへ」カズタカが続ける軽口は精神の均衡を保つ為なのだ。
「お前らあいつの顔見たか?」
「いや、まだ見てない」ミシモが答える。
「そうか。それなら、なるべく見ない方がいいかもしれないな」
「そんなに酷いの?」
「酷い」
軽い口調のままカズタカが発した、たった三音の乾いたシンプルな言葉だが、車中の雰囲気を変えることに於いて十分過ぎる言葉だった。
「ま、今日まで棺にも入れられず、あいつんちでドライアイス入れた布団の上に寝かされてたんだけどさ。火葬はなるべく早くしろって教訓になったよ。あんなもんが置かれっぱなしとあっちゃ、おばさん達、それはそれはつらかったろうな」
カズタカの声が、一つフィルターを挟んだように車中に流れた。
「おい、ちょっと、こんな雰囲気の中で悪いが、お二人のどちらか、タケハル達の誰かに電話しろ。番号わかんなかったら俺の携帯使ってタケハルにかけろ」変な話だが、いうなれば沈黙を愉しんでいた車中をカズタカが、牛のようにのんびりとした口調で破った。
「わかるけど、なんでよ?あ」
言いながらマユミは携帯電話を探り、指に当たると壊れていることを思い出した。
「実は結構前からあいつら見失っちまった」のんびりとした口調には、焦る気持ちを隠す狙いがあったようだ。
「大体の場所はわかるが、俺こっちの方の道わかんねえんだよ。どうせお前らも場所知らねえんだろ?」
「とことん頼りねえなお前は」
「タクシーじゃねえんだよ俺は。しっかし、あいつら、わざとだろ。お前が昨日野崎に何かしたからじゃねえか?」
「うっ」
二人のやりとりの傍ら、ミシモはカナコに電話をかけたのち的確なナビゲートをした。路面に出来た薄汚い雪の轍をなぞり、軽自動車はまっすぐ火葬場に着いた。無論、霊柩車は先に着いている。丁度ヒロフミの棺桶が、一段であるが蜂の巣状に開かれて並ぶ祭壇スペースに安置されたところだった。タケハル達も車中で同じような会話をしてきたらしかった。
早速、質素な告別式が始まった。あまり広くない祭壇スペースにまばらな親戚縁者。ちらほらとやって来る弔問客は皆、奥歯に何か詰まっているようなむつかしい顔をしていた。
カズタカはヒロフミの死に顔をあまり見ない方がいいと言ったが、それはどだい無理なことだった。
ヒロフミの死に顔に、マユミ達は度肝を抜かれた。そしてマユミとミシモは何故カズタカが、見ない方がいいかも、と忠告したのかを理解した。
この世のものとは思えぬ形相をしている。少年の頃の面影などまるでない。肉体を切り裂いた苦痛の果てか、むき出しのままですっかり乾いた灰色の歯を死後もなお食いしばり、まるで死ぬ直前の苦しみを今も受け続けているかのようだ。顔中に走る異様な太い皺がその苦悶の相をより物語っている。瞼こそ閉じられているが、つり上がった眼、鼻、口角。額には、道路にでも打ちつけたのだろうか、傷を処理した跡があり、まるでバードイータークラスの大蜘蛛が顔面にへばりついているかのようであった。
あまりにもグロテスク。しかしそうはいっても、つつましやかな場である。ゲロを吐いたり、腰を抜かしたりといった忌避の表情、行為をするような輩はいない。粛々と式は進む。
式も終わりに近づき、参列者が途絶えたのを見計らい、ヒロフミの父親が残ったマユミ達含む近親者の前で挨拶をする段になる。嗚咽まじりにぐぐもり、声を裏返しながらも、東北訛りで、暖かな挨拶をすると、皆で棺に花を手向けることになった。ヒロフミの母親は虚ろな眼差しでヒロフミの棺の足の方を見ている。棺の中にソフトビニール製の色褪せた着せ替え人形があることを知ったマユミは、何とも云えぬ、戦慄に似た感情に襲われた。
続
「ばか野郎。寝言は寝て言え。田舎とはいえよぉ、警察の捜査力をなめるなっつうの。家族なんか真っ先に疑われただろうよ。それでシロならシロなんだよ。それでいいんだ」カズタカの頭の中には、両親が殺した、以外のことは入っていないようである。ましてや、ヒロフミが関わっているなど思いつきもしていないようだ。
「ま、変死であることには変わりない。しっかしあれだな。娘さんと息子を共にこんな、言っちゃ悪いがこんな理解不能な、なんだ、不可思議っつうかさ、得体の知れぬ死に方で亡くすなんてな。あ、ヒロフミの死因は知ってるよな?」
「そりゃね。近所だし。ニュースでやってたし。氷川神社の前でしょ?女富士のあるあそこの」
マユミが女富士と呼んだのは富士塚のことである。富士の溶岩を積んで作られたこの富士塚は女子供しか登ってはいけない、と、子供の頃親だか教師だかに教わって以来、マユミは女富士と呼んでいる。それは、おそらく、富士塚が富士に登ることの出来ない者、すなわち、女子供老人障害者の為の模擬であり、富士に登れぬ彼らが富士を信仰する為のものである、という説明をマユミが曲解したことによるものだと思われる。
「そう。あそこでヒロフミは自分の腹を自分の手で引き裂いて死んだ。なかなかどうして、ヒロフミ君もおつな死に様をチョイスしたもんだ。まったく。何でもはらわたを引きずり出し、ズタズタに裂きながら、最期は心臓を自分で握り潰したっていうじゃない。ったくよぉ」カズタカは変わらずに淡々と語る。
カズタカの死は平成のハラキリ事件として当初大々的に、しかしグロい事実をはぐらかしながら、報道されたが、上述したように、どうやら精神異常者の“犯行”であることがわかると、事件は無かったことにされた。
「俺もう二度ともつ鍋食えねえよ。とんだ呪いを残してくれたもんだ。へへ」カズタカが続ける軽口は精神の均衡を保つ為なのだ。
「お前らあいつの顔見たか?」
「いや、まだ見てない」ミシモが答える。
「そうか。それなら、なるべく見ない方がいいかもしれないな」
「そんなに酷いの?」
「酷い」
軽い口調のままカズタカが発した、たった三音の乾いたシンプルな言葉だが、車中の雰囲気を変えることに於いて十分過ぎる言葉だった。
「ま、今日まで棺にも入れられず、あいつんちでドライアイス入れた布団の上に寝かされてたんだけどさ。火葬はなるべく早くしろって教訓になったよ。あんなもんが置かれっぱなしとあっちゃ、おばさん達、それはそれはつらかったろうな」
カズタカの声が、一つフィルターを挟んだように車中に流れた。
「おい、ちょっと、こんな雰囲気の中で悪いが、お二人のどちらか、タケハル達の誰かに電話しろ。番号わかんなかったら俺の携帯使ってタケハルにかけろ」変な話だが、いうなれば沈黙を愉しんでいた車中をカズタカが、牛のようにのんびりとした口調で破った。
「わかるけど、なんでよ?あ」
言いながらマユミは携帯電話を探り、指に当たると壊れていることを思い出した。
「実は結構前からあいつら見失っちまった」のんびりとした口調には、焦る気持ちを隠す狙いがあったようだ。
「大体の場所はわかるが、俺こっちの方の道わかんねえんだよ。どうせお前らも場所知らねえんだろ?」
「とことん頼りねえなお前は」
「タクシーじゃねえんだよ俺は。しっかし、あいつら、わざとだろ。お前が昨日野崎に何かしたからじゃねえか?」
「うっ」
二人のやりとりの傍ら、ミシモはカナコに電話をかけたのち的確なナビゲートをした。路面に出来た薄汚い雪の轍をなぞり、軽自動車はまっすぐ火葬場に着いた。無論、霊柩車は先に着いている。丁度ヒロフミの棺桶が、一段であるが蜂の巣状に開かれて並ぶ祭壇スペースに安置されたところだった。タケハル達も車中で同じような会話をしてきたらしかった。
早速、質素な告別式が始まった。あまり広くない祭壇スペースにまばらな親戚縁者。ちらほらとやって来る弔問客は皆、奥歯に何か詰まっているようなむつかしい顔をしていた。
カズタカはヒロフミの死に顔をあまり見ない方がいいと言ったが、それはどだい無理なことだった。
ヒロフミの死に顔に、マユミ達は度肝を抜かれた。そしてマユミとミシモは何故カズタカが、見ない方がいいかも、と忠告したのかを理解した。
この世のものとは思えぬ形相をしている。少年の頃の面影などまるでない。肉体を切り裂いた苦痛の果てか、むき出しのままですっかり乾いた灰色の歯を死後もなお食いしばり、まるで死ぬ直前の苦しみを今も受け続けているかのようだ。顔中に走る異様な太い皺がその苦悶の相をより物語っている。瞼こそ閉じられているが、つり上がった眼、鼻、口角。額には、道路にでも打ちつけたのだろうか、傷を処理した跡があり、まるでバードイータークラスの大蜘蛛が顔面にへばりついているかのようであった。
あまりにもグロテスク。しかしそうはいっても、つつましやかな場である。ゲロを吐いたり、腰を抜かしたりといった忌避の表情、行為をするような輩はいない。粛々と式は進む。
式も終わりに近づき、参列者が途絶えたのを見計らい、ヒロフミの父親が残ったマユミ達含む近親者の前で挨拶をする段になる。嗚咽まじりにぐぐもり、声を裏返しながらも、東北訛りで、暖かな挨拶をすると、皆で棺に花を手向けることになった。ヒロフミの母親は虚ろな眼差しでヒロフミの棺の足の方を見ている。棺の中にソフトビニール製の色褪せた着せ替え人形があることを知ったマユミは、何とも云えぬ、戦慄に似た感情に襲われた。
続