アラクネ(8)~再投稿~ | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

アラクネ(8)~再投稿~

信号に捕まると、ドライバーはハンドルを押すように、とん、と叩き、遠い目を浮かべ車でごった返す環状線の間隙を縫う灰色の空に目をやった。ノスタルジーに浸ると共に、そのノスタルジーを語る旧友が居なくなり、ふとした時に訪れる虚無。今がそれのようだ。

「そんなことより、さっきの霊柩車の話でさ。怪我人が出たってんで救急車呼ぼうとして電話しようと思ったら」

「119の筈が109って押してたって?それこそどうでもいいだろ。くだらないよ」ひょっとしたら誰よりも、マユミはカズタカの考えていることがわかるのかもしれない。

「なんとかセンターに繋がったら繋がったで、場所は?って訊かれたら」

「渋谷ですってか?もっとくだらねえよ。もうこの人やだ。運転手じゃなかったら殴ってる、そして、香港だったら…」殺してる、と、いつか観た香港映画に出てきたセリフを吐こうとしてマユミは口を濁した。さすがに、殺してる、はまずいと思ったからだ。

「香港だったらなんだよ」

「香港だったら、こ、恋人が出来ないわ」

「なにそれ?意味わかんねえよ」

「意味を問うなんてお前には百年早い」

「あー、尾形、お前も大変だな」

くだらぬマユミとの受け答えの末、カズタカはなんとか虚無をやり過ごし、涙を溜めることなく運転を続けることが出来た。この無駄口。マユミにはやはり痛いほど理解出来る。

ドライに生きていたい。カラッカラの、干し椎茸のように生きていたい。ついでにいい味出したい。

これは昨夜のマユミがシイにこんがらがって叫んだ言葉だが、ドライに生きていたい、と望むということは現状に於いて非常にウェットであるということだ。うじうじじめじめしているからこそ、からっとさくっと、干し椎茸のように後悔無き人生を生きていたいと望む。そのうじうじじめじめした後悔の大半は自身の軽率な言動や自主性の無さ、そして酒の席での暴走によるものなのだが。

「あー、いつだったかヒロフミが俺とタケハルに言ったんだ。俺には姉が、いや、妹だったかな、ま、とにかく女兄弟がいたってさ。それで、話の流れからして彼女はもう死んでいるのだが、その彼女の死をきっかけにヒロフミは転校したって話だったな。子供は子供なりに気を遣って深いことは訊かなかったけど、あいつの家には彼女の仏壇があったから事実だと思う。着せ替え人形とかぬいぐるみとかが、あってな」

「何で彼女は亡くなったの?」後々、訊かなければ良かった、と、マユミは思うはめになる。

「嘘か本当か知らねえが、あいつが言うには、毒だよ」

「毒!?それって殺人ってこと?」

「いや…違う。ほら、あいつ福島から引っ越して来たろ?東北弁をからかわれたりしてさ。可哀想に、身を取り巻く環境が激変したんだ、あいつは身も心もズタボロだったろうよ。子供って残酷だよな。帰りの会で、佐藤君が何を喋っているのかわかりません、って発言して先生に殴り飛ばされたのはお前らだっけか?」

「違う。それは高橋達だ」今まで黙って二人の話を聞いていたミシモがややムスッとした口調で強烈に冤罪を主張した。

「あー、そういやそうだな。すまん。あれ?高橋…高橋アサミだっけ?あいつ今日泣いてたぞ。号泣だよ。うぉんうぉんひーひー泣いてた。ろくにヒロフミと話したことも無いくせにさ。悲劇のヒロインにでもなりたかったのかねぇ。体の方は相変わらずの大女のくせに泣き喚いてさ。女は怖いな。で、何の話だっけ?俺、運転しながら会話をするのって苦手なんだよ」彼なりに皮肉を言おうとしたのか本当に忘れたのか、いまいち釈然としない。

「毒の話」ということで、マユミもあっさりと返すしかない。早く話の核心部を聞きたい。

「あー、毒な。あいつんちは福島の山ん中でさ。ザ・田舎って風景らしい。ちょっと山に入ればワラビやらゼンマイやら行者ニンニク、えー、なんつったけ、タラのモエ?タラの芽?ま、どっちでもいいけど、山菜採り放題で、遠くからばあちゃんらしき人影を見つけて近付いてみたら猿だった。畑に猿がいると思ってよく見たらばあちゃんだった。そんな嘘みたいなこともあるぐらい田舎で、それで、えっと」

「毒だってば」

「あー、それで、山ん中には食べられるものだけがあるわけではなくて、そこいらに普通に沢山生えてたらしいんだよ。ニガヨモギ、じゃなくてトリカブトが」

トリカブト、言わずと知れた有毒植物である。キンポウゲ科の多年草の植物で、花粉や密を含む全草、特に根にアルカロイドの一種であるアコニチンを擁しており、致死量を経口摂取をした場合、呼吸困難に陥り、僅か数十分で死に至る即効性の強い毒草であり、尚且つ解毒剤が無い。その根は古くから漢方薬として用いられ、附子(ぶし、毒として使う場合は、ぶす)、烏頭(うず)と呼ばれる。

「それを何を思ったか食っちゃって、山ん中で倒れてたらしいんだよ。そして彼女を見つけた時には」さらりさらりと、カズタカは感情を排除して語る。

「トリカブト…大学の時に長野に行って教授に騙されてベニテングタケの塩漬けなら食わされたことあるけど」

「おいしかったけどね」と、ミシモ。

「ま、そんなことが起きればヒロフミのご両親が村に居られなくなったのもわかるよな」

「え、なんで?」マユミは何も考えず反射的に訊いた。

「土師よぉ、お前は名前の通り、恥じ、だな。何年生きてきたんだよ。わかるだろ。ま、これは俺の推測に過ぎないけど、山に一人で入って行くぐらいの子供がトリカブト食って死ぬなんて、有り得ないんだよ。そりゃ、俺達都会っ子ならまだわかるよ?でも地元の子がさ。小さな頃から親に連れられて山に行って、あれは食べれる、これは食べたら死ぬって教わってきた子がさ。その食べたら死ぬの代表格のトリカブトを食うかっての。ま、若いトリカブトはセリとかヨモギに似ているらしいけど、それでもだ。まだ、ヤマカガシに噛みつかれた、の方が現実味がある。ヤマカガシって知ってるか?まあどうでもいいか。な?わかるだろ?ご両親が周りにどう見られたか、どうして引っ越さざるを得なかったか、は。ま、あくまで一エロ漫画家である俺の推測だがな」