からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -55ページ目

アラクネ(14)~再投稿~

「ずばり、死なない方に3000点」

「その根拠は?」

「超常現象とか超能力とか不思議パワーなんてまるっきり信じてないから。というか無いから。私達が冷静にさえなればなんら問題はない」

「なるほど。シンプルね」

「おいおい、根拠がそれかよ。前提がおかしいだろ」

「何よタケハル、あんた幽霊とか前世とか信じてるタイプ?」

「そうじゃないけど」

「マユミ、超能力は無くてもロマンはあるでしょ!」

「ホノカ、ピラミッドってあるでしょ?ピラミッドには、宇宙人が建てた説ってのがあるんだけど、あれを宇宙人がやって来て建てたって考えるのはロマンじゃなくてただの思考停止。マイナスとマイナスをかけるとプラスになるように、わからないこととありえないことをかけるとそれっぽく聞こえるものなの。そういう風に出来てる。本当のロマンは当時の人間が重機も使わずに知恵と労力を振り絞ってあれだけ精巧な巨大建築物を造ってみせたってことよ」

「あー、そっちね」

「そっちってホノカ、どっち?」

「そんなこと話してる場合か?いい加減、とりあえずでも結論出そうぜ。だべりに集まったわけじゃねえだろ。俺明日早いんだよ」

ころころ替わる話題にタケハルはイライラしていた。

「私も早いよ」

「鈴木、それをへらず口って言うんだぜ。しっかりメモして覚えとけ」

「マユミぃ、タケハル君がいじめるぅ」とかわいらしく言った後、「心の天秤ぐらいバランスバランスさせていいだろうが」と、無表情で吐いた。

タケハルはつきあってられないとばかりに話を続ける。

「いいか、確かに土師の言ったことは的を射ている」

おれも同じことを言ったのだが。カズタカはどうにかこうにか言葉を嚥下した。

「ここで決めちまおう。俺達は死なない。だからみんな死ぬな。サブリミナルだなんだと出てきたが俺にはそれしか結論が出ない。心理的作用で死ぬ可能性があるというなら精神科医の診察を受けるのもいいだろう。少なくとも、俺達はしばらく密に連絡を取り合うんだ。朝昼夜、定期的に、そうだな、メールを送りあおう。何か異変があったらすぐに誰かに、いや、みんなに連絡を入れるんだ。これでいいな?」

「お、おう」

「そうね」

「まあ、ね」

「うん」

「うーん」

「なんだ?俺の意見になにか言いたいことがあるなら言ってくれよ鈴木」

「いやあ、君達に毎日三回もどんな内容のメールを送ればいいのかなって」

「…一斉送信を使え。互いのアドレスは知ってるな?以上、解散」

殴られるのとおごるの、どっちがいい?

懐が淋しかったカズタカは逡巡したのち、こいつらなら本気で俺が変な声を出すまでやりかねない、と結局後者を選択した。

それから数日が経ち、菱山カナコの葬儀は晴れ渡る冬の近い空の下しめやかに行われた。カナコの顔はやはりヒロフミと同じように、大きな蜘蛛がへばりついているかのように苦悶に満ちたものであった。葬儀に出席した六人。メールのやり取りが早くも形骸化し空メールの送り合いになる程、六人の日常生活に何ら異変は無かった。アヤもぷっくりほっぺをより腫らすこともなく、元気そうな様子である。

「でね、お母さんったら管理人さんに、あの子は小さいからその必要ありませんって言ったのよ。ふふふ、それ聞いてあたし吹き出しちゃってさぁ。あの子棺桶に入れないまま運ぶ気なのって。エレベーターで遺体を抱えた人とかち合わせたら、あたしだったら失神しちゃうよって。こんな時にエレベーターの奥の扉を開けるくらい遠慮すんなって」

マユミ達にお酌をしにきたカナコの姉が形式的な挨拶を済ますと開口一番笑えない軽口を言い出した。カナコの姉の痛々しい明るさがマユミ、ホノカ、ミシモ、アヤの四人に若くして妹を無くしたその辛さを伝える。どうして良いものかわからぬ三人は、ははぁそれはそれは、などと相槌を打つことで精一杯であった。

タケハルとカズタカはマユミ達と近況を報告し合うと、先に帰った。カナコとそれ程親しい間柄ではなかったからである。薄情ではなく、遺族側からみて二人は招かれざる客なだけだ。

ヒロフミの葬儀の時のような混乱もなく、つつがなく葬儀は終了した。

「姉ちゃんのさ。様子思い出すとさ。あたし駄目だ。泣いちゃうかもぉ、ううぅ」

帰りに四人で寄ったカラオケ店の気密性の高い部屋の中でそう言うと、ホノカは人一倍ぴんとしたまつげを濡らした。一人っ子のホノカにとって幼い頃からの親友であるカナコの実質的保護者だったカナコの姉はまさしく「姉ちゃん」であった。

「マイクを握れ。騒ぐっきゃねえよ」

マユミが吠える。

「そうよ。がなりたてるの、ホノカ」

「アヤもわかってきたじゃない」とミシモ。

「うん。そうだよね、そうだよ。よーし。今日はのりにのってやる。ぶっ飛んでやる」

「いけ!」

四人のエレジー無き挽歌の狂宴は声が出なくなるまで続いた。

この日からちょうど一ヶ月後に行われた土師マユミの葬儀に野崎アヤは出席しなかった。



アラクネ(13)~再投稿~

カズタカの失墜を前に、タケハルは巻き添えを食いたくないわいとばかりトイレに立った。男一女四、ただでさえカズタカにとって危機的な状況であるが、これではまるで正論をかさに女子達から帰りのホームルームで吊し上げられた男子の呈である。

「最低」

「ろくでなしのごくつぶし」

「ガキ以下」

「誰のでもいいから爪の先を煎じて飲め」

「人間じゃねえよ」

「よかった。手袋着けてきて」

「あ、それかわいいね。それで殴られるなら本望だね!」

「いや、ホノカ、ちょっと違うよ。喪服の手袋だし」

やいのやいのと、アヤを除く、いつの間にか復活したホノカも交えた罵声が飛び交う。カズタカは思考停止をきたした。

一通りの罵声を言い終えると、タケハルが帰ってきたこともあり、カズタカを糾弾する会は解散した。

「科学的見地から解決、着眼点はいいけど、じゃあなんでみんな遺書を失くしたのよ。結果だけみてそれも偶然だとでも言うの?」

あまりに馬鹿らしくなったからか、ランチェスターの法則に於ける数の優位性の故か、こちらも少し落ち着きを取り戻したアヤが、動かざること上野の山のハシビロコウの如し、状態のカズタカに訊いた。

「おい、お前に訊いてるんですけども」マユミは放心状態のカズタカに向けてストローを弾いた。ぴっ、とほとばしるアイスティの飛沫は見事カズタカの顔面を捉える。

「えっ、なに?」

「ふうぅ、みんなが遺書を失くしたのはどういうこと?説明しなさいよ」残された力を振り絞るように溜め息をつきながら早口で再度アヤはカズタカに訊く。

「あ、野崎、大丈夫なのか?」

「早く答えろバカ!」またしてもアヤは精神メーターの針を振り切った。

貶めて怒られ、気遣っても怒鳴られ、この瞬間カズタカの魂は確実に窓の向こうの景色を飛び越え、名古屋辺りで一段落したのち、体を忘れたことに気付きえっちらおっちら戻ってきた。

「そ、それは、そうだな、…サブリミナル効果って知ってるか?サブリミナル効果で説明出来るだぎゃ、…う、うん、説明出来る」もとよりそんなことを解決する気などなかったカズタカ。説明しなさいよ、と言われても、そんなの知らねえよと言ってしまいたかったが、それを言ってしまえばどうなるか目に見えている。議論になろうがならまいが、この場は口八丁手八丁でやりきるしかない。そう思ったカズタカの冴えない脳みそがボキャブラリーの中から探しあてた一応のカッコがつく言葉がサブリミナル効果だった。

「それ知ってるぅ。写真とか映画とかに目で見えないくらいのメッセージを織り込んで、見た人に暗示をかけるってやつでしょ?」

「ま、端的に言ってしまえばその通り。良くできました」

「でっへへ」と、わざとらしく笑ったあと、ホノカは表情を一変させて冷たく「こいつ何様だようぜえな」と吐き捨てた。

「…」無邪気な小天使みたいなホノカだということで油断していたカズタカの魂はこの瞬間、以下略。女という生き物はおぞましいな、ぴょこんぴょこんと鼓動を打つカズタカの心臓が言う。

「ちょっと待ってよ、なにそれ!ていうことは私達が自殺するように暗示をかけたとでも言うの!?ヒロフミが!?」

「あ?、いや、野崎、そこまでは言ってない。あいつらの死と勝手に結びつけるな」

「なに!あんたなんなのバカなの!わからない!理解出来ない!」

「ろ、論理的に語り合おうぜ」

「うるさいうるさいうるさいうるさい!」アヤは頭を腕で守り固め、つむじをカズタカに向けテーブルに突っ伏した。カタツムリみたいである。

「俺はただ遺書を失くした理由の可能性を推察しただけで、超能力者のしてみせた現象を、手品でも出来る、とやってみせた手品師みたいなもんだ。それだけじゃインチキを証明したことにはならない。結果に帳尻を合わせたに過ぎないからだ。算数の虫食い問題みたいに、x+y=5の時のxとyに入る数字は何個もパターンがあるだろ?遺書を失くした理由はサブリミナル効果で説明出来る、それはそのパターンのひとつ、それだけなんだ。野崎、」この事態に参ってるのはお前だけじゃないんだぞ。喉元まででかかった言葉をぐっと飲み込む。それを言っちゃおしまいというものだ。そんなことは皆わかりきっているのだから。

「推測も仮説も、余分なものを削ぎ落として出来るだけシンプルにしないといけないものよ」

砂漠に降った豪雨があっという間に砂の中に吸い込まれていったかのような、一旦さらっぴんになった雰囲気の中、マユミが静かに語り出した。

「シャーロック・ホームズだって言ってるわ。全ての不可能を消去して最後に残ったものは、如何に奇妙なものであろうと、それが真実だ。ってね」

「どういうことだ?」とタケハル。

「まず、私達はこの件について何が可能で何が不可能なのかを見極めなきゃならない」

「意味不明なことばかりでそれが出来ないから問題なんでしょ」

「そう、ミシモの言う通り。だけどシンプルに考えるの。まず、私達にとって一番の問題はなに?それだけをみれば事件のあらましさえ余分なものに過ぎない。あんまり言いたくないけど」

と言って、マユミは軽く息を吐いた。

「思い出して。私達が問題を抱えているのなら、それはこれから私達が死ぬかどうかでしょ?他のことは警察のお仕事」

マユミが出来るだけ棒読みでそう言うと、アヤの両肩がぴくりと震えた。

「確かにそう。考えてみれば、何こいつこんな時にヒスってんだって思ってたけど、アヤだけがまっすぐ私達の問題を見つめていたのかもね」

ミシモは今も、ヒスってんじゃねえよ、と思っている。しかし、こういうアヤみたいなタイプは自分の行動、所為をお世辞とはいえ肯定されると、その世界の秩序にでもなったかのような優越感に浸り、自分のしていることや、そこから得られた経験、知識は絶対的に正しく、それらを人に自慢したくなり且つ押し付けたいと思い込む。簡単に言ってしまえば自己顕示欲の強い「いい気になる」奴であると判別しており、この場合多少元気づけることにより、これ以上無益にアヤに騒がれてはたまらないとの意志からの肯定発言であった。

「そ、そんなことないけど」案の定、アヤは調子に乗る気配をみせた。

これ以上お調子づけても意味がないので、ミシモはアヤを無視し、

「で、マユミはどう思う?」

と、話を戻した。




アラクネ(12)~再投稿~

「書き初めはこうだ。“カズタカ君。この手紙を君が読んでいるということは、既に僕はもうこの世にいないのだろう。なんて、ありきたりなことを書いてみたけど今から大事なことを書き残すから、あきれずに最後まで読んで欲しい。たとえ僕がどんな死に方をして、世間からどんな判断を下されようとも、僕が今から書くことだけは信じて欲しい”だ」カズタカはまるでシェイクスピアの一節を吟じるように朗々と語った。

「そうだった。私達のも」

「うん」

マユミとホノカが反応する。

「そんなことはどうでもいいんだけど、あの遺書の内容に問題があるとすれば、あの遊びの部分ね」

どうでもいい、そうか、そうかそうか、どうでもいいか、俺が言ったことはどうでもいいんだな。結構長いこと言ったのに。そらで暗記してたのに。カズタカはもはや虚ろと化した。そんなカズタカに気付く者は居らず、当然ミシモは話を続ける。

「どう思う?悪いけど普通に考えればヒロフミの遺志と反して典型的な精神に異常をきたした人物の夢物語の押し売り、という印象ね」

「あの…蜘蛛遊びのくだりか」

タケハルが応える。

「普通、遺書に、あんなこと、書かない」ホノカが鼻声でつまりながら言う。

「そう、普通あんなこと書かない。だから問題なのよ。全体的におかしいっていう、異常者が書くような支離滅裂な、いかにもお花畑で歌をうたってます的な文章ではなかった。だけど、なぜあの遊びのことをわざわざ私達に言い遺したのか。自分が死ぬことを意識してる人間が。大した思い出でもないのにさ。その後のカズタカの行動、蜘蛛遊びをした神社の前であんなことしたことを考えれば、私は」

ミシモが言い切る前に、
「あいつが異常者だ、とは俺は考えられない」

と、タケハルが釘をさした。少し間を置くと、

「俺とヒロフミと、それとカズタカは一ヶ月前、クリスマス前に一緒に飲んだ。その時は普通だった。その前だって、俺とヒロフミ、それにカズタカとでちょくちょく飲んでたが、ちっともそんな気はなかった。人間ってのはそんな短い間に壊れちまうもんなのか?」

と言い、カズタカはタケハルの言い種に怒るべきかどうか悩んだ。

「やっぱり、呪いなんだ」力無く、アヤが言った。

「野崎、そんなものあるわけないじゃないか」タケハルが落ち着いた口調でアヤに言うと、

「何よ!あんたの言ってることは矛盾してるじゃない!」

アヤは突然、ドン、とテーブルを叩きつけ、語気を荒げた。聞き耳を立てていた店員はびくりとして、緑色の雑巾でテーブルを拭いていた手を止めた。カズタカもびっくりして、タケハルの言い種のことはどうでもよくなった。

「あいつは狂ったのよ!カナコも狂ったの!狂い死んだのよ!そう言ってよ!そう断言してよ!してみせなさいよ!」店内にアヤのひび割れた声が響く。

「…してみせてよ…どこを探しても見つからないのよ…狂ったって言ってよ…ただの狂った奴らだって………」

そしてアヤはしおれた。ミシモがそう導き出そうとしたように、アヤの言葉はそうであって欲しいという皆の心の奥底にある願望を代弁したものであった。ヒロフミの精神異常を否定したタケハルも、である。

「なるほど、確かに」

「てめえ!何言ってんだ!」

タイミング悪く二つの意味でイカンな発言をしてアヤ以外全員からシンクロした罵声を浴びせられたカズタカ。心の奥底でそうであって欲しいと望んではいるものの、揺れ動く精神の振り子は自然に揺れが収まるまで時間をかけて待たなくてはならないもので、途中、楔を打ちこむことは許されない。しかし、カズタカは必死に顔の前で手を振ると、

「いや、いやいや、違う。そんなんじゃない。今回ばかりはちゃんと聞いてくれ、違うんだ。聞いてくれ」

と、哀願した。

「なんだよ」と、少し意外な顔をしてタケハルが言う。

「聞いてくれ、いいか野崎、この世に呪いなんてものは無い」

そう言われても、アヤは全く聞いている素振りを見せていない。

「くっ、いいか、呪いなんてそんな摩訶不思議なパワーなんてありゃしないんだ。ありゃしない」
カズタカは視線をテーブル対面のアヤから対面の者全体に変えた。

「あるのは人間の意志だけだ。意志が悪意であった場合、その悪意を感じたり物的証拠を見たりして気分を害すということが、いわゆる呪いだ。さっき土師が言ったプラシーボ効果がそれだ。単なる人間の思い込みの成せる力で、呪いなんて不思議パワーはありゃしない。ま、単なるっつっても厄介なやつだが、所詮は心のもちようさ。確かにヒロフミの遺書には、呪われた、みたいなことが書かれてた、たぶん。でもそんなものは無いよ。ありゃしない。この点に関して、ヒロフミは確かにとち狂っていた。ありゃしないんだからな。ありゃしないんだ」

カズタカはわざと「ありゃしない」と連呼している。それでアヤが救われるのならと本気で思っている。ちらりとアヤを見やるが、南無三。

「…一見して不可思議な事件だが、この件は菱山のことも含め科学的見地から解決出来る。まずヒロフミは何か思うところあって自殺した。ずいぶんとえぐい死に方だが。そしてやっぱり菱山も何か思うところがあって自殺した。以上だ」

「なにそれ。全然科学的でもなんでもないし解決もしてないじゃん。そもそも自殺する理由が見当たらないから困ってるわけで」

ツッコミ、というよりも好奇心からくるホノカの指摘。

実のところカズタカはこの一連の件についてあまり深く考えがまとまっていない。アヤやホノカのように態度にこそ出していないものの同じような混乱の渦中にいる。今話していた話も、アヤを元気づけようととにかく喋り出した、以上のものはなく、そのアヤに無視されている為引くに引けず、否、この話の引き方がわからずにペラペラと詭弁妄弁にもならぬ愚弁駄弁を弄してしまっただけである。従って、解決してないだろ、と、言われても、困る。こういう場合は相手の核心をえぐって相手がひるんだ隙にささっと逃げるに限る。

「起こったことだけを見ればいいんだ。それ以上のものは無いんだ。それに鈴木、お前はそう言うが、何故に理由が無いと言える?俺達はとてもじゃないがヒロフミの全てを知ってるとは言えないぞ。俺達は俺達以外のあいつの人間関係さえ知らない、なあタケハル?」

「俺は結構知ってるけど」

「…うん、鈴木お前はどうだ?」カズタカはタケハルの返事を無かったことにした。

「菱山の全てを知っていてそれで、無い、と言っているのか?」

「それは、そうだけど」

えっ、その「そうだけど」はどっちの「そうだけど」?知ってるの?知ってないの?あやふや、あやふやだよ鈴木ぃ。カズタカの背中に冷たい汗が滴り落ちる。

「…だろ?」カズタカはすました顔でそう言ってみた。

「でも、全てを、知らなくたって、生きるか死ぬかぐらい、わかるよ」

よし。ついに泣き出してしまいそうなホノカを前に、カズタカは心の中でガッツポーズを決めた。それは見覚えはあるが誰だか思い出せない人物から親しげに挨拶された時に、うまく相手の個人情報を引き出した時のような達成感に似ている。さあ、今だ、逃げよう。しかし、

「あんたの言ってることは“悪魔の証明”ってやつ。この宇宙に人類の他に知的生命体がいることもいないことも証明出来ないのと一緒。知ってるとか知らないとか、全てを知っているかって訊かれたら、そりゃ全てを知っているとは理性的な人なら答えないでしょ。占い師か詐欺師の手口と一緒。まったく。何言ってんの?何言わせてんの?最悪。人として最低。ホノカ、あんな奴の言ったことは気にすることないんだよ。あとでみんなで変な声だすまで殴ろう。だからさ、ね?」

ミシモに怒られ呆れられあまつさえの殴打予告、男武者カズタカ二十三にして立つ瀬無し。



アラクネ(11)八つ足~再投稿~

その死に様をのぞけば、菱山カナコの人生は至極平凡なものであった。共働きの家庭に生まれ、小さな頃はいつも二こ上の姉と遊んでいた。姉は子供らしからぬほどよくカナコの世話をした。親は普段あまり接せぬ贖罪の意識から、カナコ達姉妹を甘やかした。その為か、カナコは時に不謹慎なほど明るい子になった。いつも歌ったり踊ったりして周りの注目を集めている子で、楽しみを我慢できない子であった。その様は煽てられて木に登った豚ではなく、追い詰められて木に登るしかなかった豚のように必死であり、どこか憐憫たるものであった。保育園から小学校に上がると、名前の順で決まった席順から野崎アヤと土師マユミの両名となかよくなった。そしてすぐに尾形ミシモと鈴木ホノカを加えた五人で遊ぶようになった。その首にはいつも家の鍵をぶら下げていた。学区域内の中学校に進むと、我慢するということが苦手なカナコは勉強も苦手で、グレるしかなかった。周りの友達も程良くグレたので、「ま、いっか」と思い、河川敷で寝ているホームレスにみんなでロケット花火を撃ち込んだ時も、「ま、いいよね」と思った。好きでもない男子相手に処女を破った時も、「ま
、いいや」と思った。グレたと云っても、親や姉に直接的に迷惑をかけるようなことはなく、家族仲は良好で多感な時期にも親や姉と買い物に出掛けたりした。幼さの残る顔でタバコを吸うカナコを見ても、親は笑って、とにかくカナコが悲しい顔をせぬようにしていた。この頃からカナコは、「楽して生きていたい」と思うようになった。学校生活も、行けばみんなと会えて楽しいに決まっているはずなのに、たった十五分の通学時間が苦で苦でしょうがなく、休みがちになった。それでも両親は暖かく見守っていた。やりたい事なんて無いに決まってるじゃない、とばかりに、カナコはなんとか高校を卒業するとフリーターになった。てきとーに誰かと結婚して、てきとーに楽して生きていきたかった。それなりに楽しく日々を過ごしていると、小学校の同窓生が死んだというニュースがテレビで流れた。これを機に久しぶりにみんなと会えるかな、と思うとカナコは嬉しさを我慢出来なかった。電話で久しぶりにマユミと話すと、カナコは口実を作り、マユミに会いたい旨を記したメールを送ったのだった。カナコが自らの手で腹を引き裂いて死ぬ五日前のことである。



「あたし、死にたくない」

野崎アヤはうつむいたままぽつりとつぶやいた。

「そりゃそうだ。誰も望んで死にたくなんかない。自殺願望のある奴だって望んで自殺願望を抱いたわけじゃないからな」

己タケハルはそう言うとごくりと水を飲んだ。

「ま、落ち着けよ。まだそうと決まったわけではないだろ。偶然と言ってしまえばあれだが、多感な女性がヒロフミの死やおばさんのあの姿、そしてあれに感化されたとも考えられる。他にも、集団心理、集団妄想、集団幻覚って考えもある。あ、いや、まだ集団と決まったわけではないけど」

武者カズタカはそう言うと頭を掻きながらタバコを呑んだ。

「だけど、カナコが自殺すること自体考えられないのに、理由だって無いのに、同じ死に方するなんて、あんな死に方を選ぶなんて、考えられない」

鈴木ホノカはそう言うと鼻水をすすった。

「理由、か」

尾形ミシモはそう言うとハンカチを握りしめた。

「案外、お祓いとか効くかも。ほら、なんて言うの?プラシーボ効果って言うの?」

土師マユミはそう言うと苦笑いを浮かべた。突然背中に何かを突きつけられたような恐怖からくる、ひきつった苦笑いである。

時はヒロフミの火葬から二日後の夜、未だ解けきらぬ雪が日陰に佇む月曜日。菱山カナコの家で執り行われた遺体無き通夜に取り急ぎ駆けつけた帰り。場所はヒロフミの葬儀の前日、マユミ達が集ったファミリーレストラン。喪服姿に見覚えのある面々にあの時と同じ店員が訝しの視線を送る。

「葬儀は、いつになるのかな」うつむいたまま、またぽつりとアヤが言う。

「今回はヒロフミの場合と違うからな。あいつの場合家の外だったけど、目撃者も何人かいて、騒動に比べればすんなりと葬儀に至ったわけだが、今回は本格的に検死をする筈だし、多少なりともずれるわな。警察の捜査も、ヒロフミの時とは比じゃないだろ」タケハルが抑揚無く応える。

「それって、カナコの両親が殺したってこと?そんなことあるわけないじゃない」タケハルを睨みつけるホノカ。

「別に俺が疑ってんじゃなくて、警察はその性質上否応無しに疑うって話しだ」

「喧嘩はやめてぇ、か」

「おい」

冗談口調のマユミをミシモが静かに叱った。

「ま、とにかく、だ」

「何がとにかくよ!」

話をまとめようとしたカズタカがホノカのヒステリックな怒りを買った。

「でへぇ」この事態を全く想定してなかったカズタカはわけのわからぬ声を発し、呆然とした。

ややもすると収拾がつかなくなる事態に発展する可能性を秘めたホノカのヒステリーにミシモが助け船を出す。

「とてもじゃないけどこんな状況で、落ち着け、とは言えない、だけどホノカ、話くらい聞いてみようよ」ミシモはそう言いながら、ホノカの肩を少し爪を立てて、ぐいっと強く掴む。ひしひしと伝わる痛みが感情に訴えかける力をミシモは知っていた。

その正面でカズタカは、「落ち着けって野崎に言ったの俺だっけ?」などと考えていた。

「で、何?」

ミシモに促されたカズタカは、一瞬間を置き、その実何を話す予定だったかを忘れていた、タバコを一吸いすると何事も無かったかのように語りだした。

「あれだ、状況の整理をしたい。まず、改めて確認するが、あの遺書に内容の違いは無かった、でいいんだな?」

「みんなのと一言一句確認したわけじゃないけど、私とミシモのは初めの宛名のとこだけ違っただけで、一言一句同じだった筈。そういう風に私とミシモで言い合った記憶があるから確か。だから、みんなのも、少なくとも、私達五人は同じものなんじゃないかな?みんなから聞いた内容は同じなんだし」

マユミとミシモは、あの日あの後立ち寄った、えんぴつビルにテナントされていた狭いドーナツ屋の二階で、ヒロフミの遺書を早速読み比べたのだった。そして、あろうことか二人はその遺書を店に置き忘れたのであった。そのことに二人が気付いたのは地元に帰る電車の中であり、地元駅に着いてから店に電話をかけたが、そんなものは無い、とのことだった。

「俺とタケハルもだ」

「私も、私達も、あの後、カナコと二人で一緒に読んだ」

「出てこない。部屋にある筈なのに、探しても出てこないの。探しても探しても。ずっと探したのに。机の上に置いたのに」

アヤが怯えながら言うように、ヒロフミの遺書を失くしたのはマユミとミシモだけではない。アヤもホノカもカナコもタケハルもカズタカも、皆読んだ端から失くした。マユミ達はドーナツ屋に置き忘れ、ホノカ達はカフェに置き忘れ、カズタカ達は火葬場に置き忘れ、そしてアヤは“部屋で”失くした。

「野崎、落ち着け」

そう言ったカズタカは、はっ、としてミシモの方を見たが、ミシモは別段何ともない様子でアヤを見つめていた。

「ま、とにかく、だ」何食わぬ顔で仕切り直そうとしたカズタカはまたしても、はっ、としてホノカの方を見たが、ホノカは別段何ともない様子でアヤを見つめていた。

「とにかく、マユミの言ったように」ミシモが話を切り出した。。

ミシモのとにかく発言に、ええ!?、と、頭の中で驚愕の叫びを挙げたカズタカだったが、俺はこんな時に何を一人できりきりと舞っているんだ、と、情けなくなり、おとなしく聞くことにした。

「今となっては確かめようがないし、全員の遺書が同じ文章だという確証は得られなかったけど、内容は同じ、これでいいね?」

「ああ、そうだな」タケハルが応える。

「そしてあの遺書、あの文章はヒロフミが書いたもの、でいいのね?」

「親父さんが言うには、だけどな。まあ、嘘をつく必要もないし、あれをヒロフミ以外が書けるとは思えない」

「全体的にはぼんやりとだが、所々はっきりと覚えてる。あの内容は一緒に遊んだ俺達とヒロフミにしかわからない、従ってあれはヒロフミ本人が書いたと考えて支障はないだろう」

カズタカが、ようやく、言ったように、「本腰を入れて読む」前に失くしたからか、それにしても不思議なことに皆が皆、どこにでもあるA4コピー用紙に印刷された遺書に書かれていた文章を所々虫に食われ“続けている”かの如く明確に思い出せないのであった。



アラクネ(10)~再投稿~

再度の出棺が行われ、亡骸を乗せた車は斎場の敷地を、儀礼的とはいえ目と鼻の先の距離をちょこっと進んだ。焼き上がりを待つ間、今度は本格的な昼食が用意されていた。

そこは部屋の奥に上がり間の畳敷きになっている。カズタカは部屋を一瞥すると迷うことなく上座の、明らかに遺族達が座る一角に座し、それに無言でタケハルも続いた。結局、上座の一角はヒロフミの両親との不可解な四人の塊になった。マユミ達は戸口あたりは下座も下座、そこに陣取った。大して広いスペースではないが、少ない列席者には広すぎる部屋にぽつんぽつんといくつか人間の塊が出来た。後にカズタカは上座に座った理由を、

「いやぁ、ここだけの話、なるべく目立たないよう奥の隅っこに座ったらさ、いやまったく。焦ったね。すっかり上座下座なんか忘れてた。気がついた時には、時既に遅し。気まずかったなあ。凄い後悔してる」と、言い放った。どうやらそれは本心で、上座に座ったのは決して義侠心や哀悼の意、弔問客の少ないヒロフミの両親を気遣った訳でもなく、単なるケアレスミスだったようである。タケハルはまっしぐらに上座へと歩を進めたカズタカに、何かある、と感じ、続いたとのこと。結局カズタカに何か思惑があったわけでもなく、非常にがっかりしたとのこと。

この雰囲気なら。

献杯が済むと、マユミはアヤに謝った。静かに素直に謝意を述べる。ここぞとばかり、しんみりしている周りの空気を利用するという計算も働いた。その謝罪はマユミの計算通り、受け入れられた。安心したマユミがコップに注がれたビールをぐいっと飲み干すと、アヤに睨まれた。

焼きが終わった知らせが入ると、それぞれ炉の前に集まる。遺骨を骨箸で拾うからだ。向かう道すがら、マユミは何とはなしに外へ出た。暖房の為かビールの為か、少し火照った顔に突き刺さる冬の冷たい空気がとても心地よかった。マユミは雪の降り注ぐ灰色の空を見上げた。安い眼鏡に雪が当たり、ゆるゆると溶けていく。そんなマユミの視界に、目に水が入った時などにたまに見えることがある、昔理科の教科書で見たアオミドロの拡大図のようなものがたらたらと縦横無尽に流れた。それは眼球内の体液の流れがレンズに何らかの異変が生じた時に見えるものである。例えば、目に入った雨、メガネについた水滴、涙。見上げた空は一面灰色で、煙突から出たであろう煙を認識出来なかった。この時代、煙になって空へ昇ることなどもうないのかもしれないが。

斎場の人間が粛々と遺骨を頭蓋骨とそれ以外に分け、マユミ達の作業が始まった。初めて人骨を目の当たりにしたマユミは、それに色がついていることに驚いた。棺に入れられた花々の色素が焼き付けられて伝染ったのであろう、赤、緑、黄色、色とりどりの薄いチョークのようであるその様は、遺骨を彩る化粧のようで少しロマンチックでもあった。水分の無くなった遺骨は骨箸を通して、乾燥したカルメ焼きのような、軽石のような、陶器の割れた面のような、肌触りの悪いがさついた感触で、おかしいかな、それはマユミの歯へとダイレクトに伝わった。とても嫌な感触だ。アルミ箔を噛んだ時のよう、背中の産毛が逆立つ。

最後に頭蓋骨を骨壷に納め、封印し、葬儀は終わった。その瞬間、ヒロフミの母親がとうとう壊れた。今まで、涙も枯れ果てた呈をしており、感情という感情が死んだが如く、不気味な程静かに佇んでいたのだが、うおぉうおぉ、と、その小さな体のどこから出ているのかと思う、鈍牛のような低音で泣き喚いた。もはやそれは人の声ではなく、地獄の門番が死者を呼ぶ声のようであった。狂い泣き、膝は折れ、髪を引きちぎり、真珠のピアスを引きちぎり、止めようとする夫を払いのけ、耳から振り飛んだ血でところどころ赤く染まった顔を殴り、夫の腕に噛みつき、歯が折れ、口周りを真っ赤に染め、隙あらば床を正拳に握った拳で叩く。ぐちゃぐちゃである。それを見ていた列席者の一人の赤い顔をした中年男が、「遺伝したんだな」、と、呟いた。それを聞いてしまったミシモとカズタカはその男を睨みつけた。男は「ああ、うむ」と、言うと、スタスタと場を後にした。

係員と夫がなんとか、狂い叫ぶ妻を昼食をとった控え室に連れ込むんだ。この混乱の発生源である母親に呼び留められているマユミ達は帰るわけにもいかず、無言のままロビーでただ時が過ぎるのを待っていた。カズタカとタケハルは係員と共にヒロフミの父親に付き、部屋の前で待機している。親戚でもない彼らが父親に付かざるを得ない程、人が居ないのだ。

「混乱に乗じて、あのおっさん殴っときゃよかったな」

雰囲気を変えようと、ミシモが先程の無礼な男のことを話すと、

「じゃあ、今から一緒に殴りに行こうか、って、ははは」

と、マユミが力無く笑う。

「あんたらこの場でよくそんなことが言えるわね」

アヤが人非人に対して言うが如く、心底蔑みを込め、吐き捨てるように言った。その眼はうっすら涙が溜まっている。勿論、ヒロフミの死によるものではなく、この騒動の衝撃からくるものである。

「ああ!?てめえ、ふざけんなよ!いい子ぶりやがってよぉ!お前なんだよ!この場にふさわしくないのは!みんな頑張ってんのにお前だけどこに居るんだ!」

アヤの言いように、ミシモがキレた。決して喧嘩っ早いミシモではないが、あまつさえお世辞にも喧嘩が強いと言えないのだが、侮辱されたと感じた時には誰であろうと向かっていくのがミシモである。アヤに近付くと、左手で胸倉を掴み、右手を弓なりに引いた。その拳は握りしめられている。グーで殴る気だ。

マユミが、一発殴ったら止めよう、と、妙に冷静に状況を観察していると、突然視界に黒い大きな物体が現れ、ミシモに抱きつくような体当たりをした。カズタカだ。勢い余ったカズタカは、それでも器用に、ミシモを抱きかかえながら背中から落ち、ミシモと繋がっていたアヤも巻き込まれ、三人の人間の塊はくるくると二回、床の上を転がった。

「待て待て、それはまずい。普段なら他人の厄介ごとは歓迎なんだが、今日はもうややこしさが渋滞してる。ていうか、大丈夫か?」

カズタカは半笑いで、寝っ転びながら尚アヤを蹴ろうとしたミシモを制した。アヤはへたり込んだまま、だらだらと涙をこぼしている。

「なんなのよ!」アヤは立ち上がると同時に叫んだ。

「ここは一つ、私を殴って怒りをお治めください」その横からマユミが場に似つかわしくない飄々とした態度で割って入った。ミシモの様子を観察し、どうやらキレた状態から脱したようであると判断したからである。マユミにしてみれば、ミシモを満足させるための、劇場第二幕が開いた、といったところか。

「あんたのせいよ!」

「ええ?私ですか?」

何かの犯人に指名されたマユミが心許なげにそう言うやいなや、バチッ、錯乱状態にあるアヤは思いっきりマユミの頬をひっぱたいた。マユミは殴られ慣れている。酔っ払った翌日、迷惑をかけた女友達にボコボコにされたこともある。それに女子校時代、ミシモとプロレスにはまり、連日の如く昼休みの教室でプロレスごっこをしていた時期もある。プロレスは相手に手加減を加えるものだが、まだマユミ達がプロレスをリアルな格闘技だと思っていたということもあり、また、総じて素人の行う「プロレスごっこ」はガチンコで行われるものである。朝の貴重な時間に長時間かけて大事にセットした髪の毛がぐちゃぐちゃになる闘いを連日やっていたのだ。目から火がでる殴り合いを連日にわたり飽きることなくやっていたのだ。ひっぱたかれる耐性は十分持っていた。

「うーん、私のせいかぁ?」ひっぱたかれた頬に手をあてながらマユミが言った。痛いことは痛いが、マユミにショックは無い。冗談で言ったのだが本当に殴られる準備も出来ていた。

「あんたが変なこと言うからぁ」ひくひくとしゃくりあげながらアヤが言った。アヤの言い分では、事の火蓋を切ったその責任はマユミにあるらしい。

「あー、ま、なんだ。各人言いたいこともあるだろうが、今日はもう帰れ」

マユミの登場により序破急でいうところの破に陥った現状をなんとか結ぼうと、カズタカがズボンを、ぱんぱん、と二回はたきながら言った。

「っと、その前に」

カズタカは内ポケットから六通の封筒を取り出した。表には筆ペンで書かれたであろう達筆な字で、マユミ達それぞれの名前が宛名書きされている。

「あっ、何それ?」ホノカが興味津々で身を乗り出した。

「鈴木、お前はバカ犬か?はたまた三歩歩いたら全てを忘れる鶏か?この現場を前に、なぜそこまで精神の急ハンドルをきれる?」

「あっ、そうか、ごめん」ホノカはそう言うと、ひょこりと首をすぼめて一歩下がった。

「まあいいけどさ。それで、おばさんがお前らを呼び留めたのはこれを渡すためだ。ヒロフミからの遺書的なものらしい」

「なんだ遺書か」

「ホノカ!」カナコがホノカの頭を叩く。

「ごめん」

「もはや凄いとしか言えねえなお前は。しっかし、ま、あれだ。そうだそうだ。お前ら帰れ。俺達はまだ少し残る。何かあったら俺かタケハルに連絡してくれ。ま、言っても、特に何も無いだろうけどな。じゃあ、仲良くしとけよ」

言い終わるとカズタカはマユミ達にその書状を渡し、呆れているのか楽しんでいるのか、半笑いした表情を浮かべ階段を昇って行った。アヤが一人先に斎場を出て行くと、じゃあね、と言葉少なく別れの挨拶を済まし、カナコとホノカはアヤを追った。残された形になったミシモとマユミ。

「しっかし、しっかし、ま、あれだな。二人してアヤとの関係が泥沼になっちまったな」

ミシモがカズタカの口調を真似て笑った。

「なはは。しっかし、アヤ達何に乗って帰るんだろ?同じ電車に乗ったら気まずくない?」これはそのことを心から心配しているのではなく、マユミの誘い水である。

「どっかで甘いものでも食べようか」ミシモはそれに応えた。

「決まりでしょ。今日は色々ありすぎた。昨日からかな」

「無理してでも甘いもの食わなやってられない。懐には厄介なものもあるしさ」

「あー。わかるわかる」

決して苦い顔をしないよう、笑い合いながら二人も斎場を後にした。降りしきる雪の中、なんでもいい、甘いものを食える場所を目指して。

次の日、菱山カナコが死んだ。