アラクネ(11)八つ足~再投稿~
その死に様をのぞけば、菱山カナコの人生は至極平凡なものであった。共働きの家庭に生まれ、小さな頃はいつも二こ上の姉と遊んでいた。姉は子供らしからぬほどよくカナコの世話をした。親は普段あまり接せぬ贖罪の意識から、カナコ達姉妹を甘やかした。その為か、カナコは時に不謹慎なほど明るい子になった。いつも歌ったり踊ったりして周りの注目を集めている子で、楽しみを我慢できない子であった。その様は煽てられて木に登った豚ではなく、追い詰められて木に登るしかなかった豚のように必死であり、どこか憐憫たるものであった。保育園から小学校に上がると、名前の順で決まった席順から野崎アヤと土師マユミの両名となかよくなった。そしてすぐに尾形ミシモと鈴木ホノカを加えた五人で遊ぶようになった。その首にはいつも家の鍵をぶら下げていた。学区域内の中学校に進むと、我慢するということが苦手なカナコは勉強も苦手で、グレるしかなかった。周りの友達も程良くグレたので、「ま、いっか」と思い、河川敷で寝ているホームレスにみんなでロケット花火を撃ち込んだ時も、「ま、いいよね」と思った。好きでもない男子相手に処女を破った時も、「ま
、いいや」と思った。グレたと云っても、親や姉に直接的に迷惑をかけるようなことはなく、家族仲は良好で多感な時期にも親や姉と買い物に出掛けたりした。幼さの残る顔でタバコを吸うカナコを見ても、親は笑って、とにかくカナコが悲しい顔をせぬようにしていた。この頃からカナコは、「楽して生きていたい」と思うようになった。学校生活も、行けばみんなと会えて楽しいに決まっているはずなのに、たった十五分の通学時間が苦で苦でしょうがなく、休みがちになった。それでも両親は暖かく見守っていた。やりたい事なんて無いに決まってるじゃない、とばかりに、カナコはなんとか高校を卒業するとフリーターになった。てきとーに誰かと結婚して、てきとーに楽して生きていきたかった。それなりに楽しく日々を過ごしていると、小学校の同窓生が死んだというニュースがテレビで流れた。これを機に久しぶりにみんなと会えるかな、と思うとカナコは嬉しさを我慢出来なかった。電話で久しぶりにマユミと話すと、カナコは口実を作り、マユミに会いたい旨を記したメールを送ったのだった。カナコが自らの手で腹を引き裂いて死ぬ五日前のことである。
「あたし、死にたくない」
野崎アヤはうつむいたままぽつりとつぶやいた。
「そりゃそうだ。誰も望んで死にたくなんかない。自殺願望のある奴だって望んで自殺願望を抱いたわけじゃないからな」
己タケハルはそう言うとごくりと水を飲んだ。
「ま、落ち着けよ。まだそうと決まったわけではないだろ。偶然と言ってしまえばあれだが、多感な女性がヒロフミの死やおばさんのあの姿、そしてあれに感化されたとも考えられる。他にも、集団心理、集団妄想、集団幻覚って考えもある。あ、いや、まだ集団と決まったわけではないけど」
武者カズタカはそう言うと頭を掻きながらタバコを呑んだ。
「だけど、カナコが自殺すること自体考えられないのに、理由だって無いのに、同じ死に方するなんて、あんな死に方を選ぶなんて、考えられない」
鈴木ホノカはそう言うと鼻水をすすった。
「理由、か」
尾形ミシモはそう言うとハンカチを握りしめた。
「案外、お祓いとか効くかも。ほら、なんて言うの?プラシーボ効果って言うの?」
土師マユミはそう言うと苦笑いを浮かべた。突然背中に何かを突きつけられたような恐怖からくる、ひきつった苦笑いである。
時はヒロフミの火葬から二日後の夜、未だ解けきらぬ雪が日陰に佇む月曜日。菱山カナコの家で執り行われた遺体無き通夜に取り急ぎ駆けつけた帰り。場所はヒロフミの葬儀の前日、マユミ達が集ったファミリーレストラン。喪服姿に見覚えのある面々にあの時と同じ店員が訝しの視線を送る。
「葬儀は、いつになるのかな」うつむいたまま、またぽつりとアヤが言う。
「今回はヒロフミの場合と違うからな。あいつの場合家の外だったけど、目撃者も何人かいて、騒動に比べればすんなりと葬儀に至ったわけだが、今回は本格的に検死をする筈だし、多少なりともずれるわな。警察の捜査も、ヒロフミの時とは比じゃないだろ」タケハルが抑揚無く応える。
「それって、カナコの両親が殺したってこと?そんなことあるわけないじゃない」タケハルを睨みつけるホノカ。
「別に俺が疑ってんじゃなくて、警察はその性質上否応無しに疑うって話しだ」
「喧嘩はやめてぇ、か」
「おい」
冗談口調のマユミをミシモが静かに叱った。
「ま、とにかく、だ」
「何がとにかくよ!」
話をまとめようとしたカズタカがホノカのヒステリックな怒りを買った。
「でへぇ」この事態を全く想定してなかったカズタカはわけのわからぬ声を発し、呆然とした。
ややもすると収拾がつかなくなる事態に発展する可能性を秘めたホノカのヒステリーにミシモが助け船を出す。
「とてもじゃないけどこんな状況で、落ち着け、とは言えない、だけどホノカ、話くらい聞いてみようよ」ミシモはそう言いながら、ホノカの肩を少し爪を立てて、ぐいっと強く掴む。ひしひしと伝わる痛みが感情に訴えかける力をミシモは知っていた。
その正面でカズタカは、「落ち着けって野崎に言ったの俺だっけ?」などと考えていた。
「で、何?」
ミシモに促されたカズタカは、一瞬間を置き、その実何を話す予定だったかを忘れていた、タバコを一吸いすると何事も無かったかのように語りだした。
「あれだ、状況の整理をしたい。まず、改めて確認するが、あの遺書に内容の違いは無かった、でいいんだな?」
「みんなのと一言一句確認したわけじゃないけど、私とミシモのは初めの宛名のとこだけ違っただけで、一言一句同じだった筈。そういう風に私とミシモで言い合った記憶があるから確か。だから、みんなのも、少なくとも、私達五人は同じものなんじゃないかな?みんなから聞いた内容は同じなんだし」
マユミとミシモは、あの日あの後立ち寄った、えんぴつビルにテナントされていた狭いドーナツ屋の二階で、ヒロフミの遺書を早速読み比べたのだった。そして、あろうことか二人はその遺書を店に置き忘れたのであった。そのことに二人が気付いたのは地元に帰る電車の中であり、地元駅に着いてから店に電話をかけたが、そんなものは無い、とのことだった。
「俺とタケハルもだ」
「私も、私達も、あの後、カナコと二人で一緒に読んだ」
「出てこない。部屋にある筈なのに、探しても出てこないの。探しても探しても。ずっと探したのに。机の上に置いたのに」
アヤが怯えながら言うように、ヒロフミの遺書を失くしたのはマユミとミシモだけではない。アヤもホノカもカナコもタケハルもカズタカも、皆読んだ端から失くした。マユミ達はドーナツ屋に置き忘れ、ホノカ達はカフェに置き忘れ、カズタカ達は火葬場に置き忘れ、そしてアヤは“部屋で”失くした。
「野崎、落ち着け」
そう言ったカズタカは、はっ、としてミシモの方を見たが、ミシモは別段何ともない様子でアヤを見つめていた。
「ま、とにかく、だ」何食わぬ顔で仕切り直そうとしたカズタカはまたしても、はっ、としてホノカの方を見たが、ホノカは別段何ともない様子でアヤを見つめていた。
「とにかく、マユミの言ったように」ミシモが話を切り出した。。
ミシモのとにかく発言に、ええ!?、と、頭の中で驚愕の叫びを挙げたカズタカだったが、俺はこんな時に何を一人できりきりと舞っているんだ、と、情けなくなり、おとなしく聞くことにした。
「今となっては確かめようがないし、全員の遺書が同じ文章だという確証は得られなかったけど、内容は同じ、これでいいね?」
「ああ、そうだな」タケハルが応える。
「そしてあの遺書、あの文章はヒロフミが書いたもの、でいいのね?」
「親父さんが言うには、だけどな。まあ、嘘をつく必要もないし、あれをヒロフミ以外が書けるとは思えない」
「全体的にはぼんやりとだが、所々はっきりと覚えてる。あの内容は一緒に遊んだ俺達とヒロフミにしかわからない、従ってあれはヒロフミ本人が書いたと考えて支障はないだろう」
カズタカが、ようやく、言ったように、「本腰を入れて読む」前に失くしたからか、それにしても不思議なことに皆が皆、どこにでもあるA4コピー用紙に印刷された遺書に書かれていた文章を所々虫に食われ“続けている”かの如く明確に思い出せないのであった。
続
、いいや」と思った。グレたと云っても、親や姉に直接的に迷惑をかけるようなことはなく、家族仲は良好で多感な時期にも親や姉と買い物に出掛けたりした。幼さの残る顔でタバコを吸うカナコを見ても、親は笑って、とにかくカナコが悲しい顔をせぬようにしていた。この頃からカナコは、「楽して生きていたい」と思うようになった。学校生活も、行けばみんなと会えて楽しいに決まっているはずなのに、たった十五分の通学時間が苦で苦でしょうがなく、休みがちになった。それでも両親は暖かく見守っていた。やりたい事なんて無いに決まってるじゃない、とばかりに、カナコはなんとか高校を卒業するとフリーターになった。てきとーに誰かと結婚して、てきとーに楽して生きていきたかった。それなりに楽しく日々を過ごしていると、小学校の同窓生が死んだというニュースがテレビで流れた。これを機に久しぶりにみんなと会えるかな、と思うとカナコは嬉しさを我慢出来なかった。電話で久しぶりにマユミと話すと、カナコは口実を作り、マユミに会いたい旨を記したメールを送ったのだった。カナコが自らの手で腹を引き裂いて死ぬ五日前のことである。
「あたし、死にたくない」
野崎アヤはうつむいたままぽつりとつぶやいた。
「そりゃそうだ。誰も望んで死にたくなんかない。自殺願望のある奴だって望んで自殺願望を抱いたわけじゃないからな」
己タケハルはそう言うとごくりと水を飲んだ。
「ま、落ち着けよ。まだそうと決まったわけではないだろ。偶然と言ってしまえばあれだが、多感な女性がヒロフミの死やおばさんのあの姿、そしてあれに感化されたとも考えられる。他にも、集団心理、集団妄想、集団幻覚って考えもある。あ、いや、まだ集団と決まったわけではないけど」
武者カズタカはそう言うと頭を掻きながらタバコを呑んだ。
「だけど、カナコが自殺すること自体考えられないのに、理由だって無いのに、同じ死に方するなんて、あんな死に方を選ぶなんて、考えられない」
鈴木ホノカはそう言うと鼻水をすすった。
「理由、か」
尾形ミシモはそう言うとハンカチを握りしめた。
「案外、お祓いとか効くかも。ほら、なんて言うの?プラシーボ効果って言うの?」
土師マユミはそう言うと苦笑いを浮かべた。突然背中に何かを突きつけられたような恐怖からくる、ひきつった苦笑いである。
時はヒロフミの火葬から二日後の夜、未だ解けきらぬ雪が日陰に佇む月曜日。菱山カナコの家で執り行われた遺体無き通夜に取り急ぎ駆けつけた帰り。場所はヒロフミの葬儀の前日、マユミ達が集ったファミリーレストラン。喪服姿に見覚えのある面々にあの時と同じ店員が訝しの視線を送る。
「葬儀は、いつになるのかな」うつむいたまま、またぽつりとアヤが言う。
「今回はヒロフミの場合と違うからな。あいつの場合家の外だったけど、目撃者も何人かいて、騒動に比べればすんなりと葬儀に至ったわけだが、今回は本格的に検死をする筈だし、多少なりともずれるわな。警察の捜査も、ヒロフミの時とは比じゃないだろ」タケハルが抑揚無く応える。
「それって、カナコの両親が殺したってこと?そんなことあるわけないじゃない」タケハルを睨みつけるホノカ。
「別に俺が疑ってんじゃなくて、警察はその性質上否応無しに疑うって話しだ」
「喧嘩はやめてぇ、か」
「おい」
冗談口調のマユミをミシモが静かに叱った。
「ま、とにかく、だ」
「何がとにかくよ!」
話をまとめようとしたカズタカがホノカのヒステリックな怒りを買った。
「でへぇ」この事態を全く想定してなかったカズタカはわけのわからぬ声を発し、呆然とした。
ややもすると収拾がつかなくなる事態に発展する可能性を秘めたホノカのヒステリーにミシモが助け船を出す。
「とてもじゃないけどこんな状況で、落ち着け、とは言えない、だけどホノカ、話くらい聞いてみようよ」ミシモはそう言いながら、ホノカの肩を少し爪を立てて、ぐいっと強く掴む。ひしひしと伝わる痛みが感情に訴えかける力をミシモは知っていた。
その正面でカズタカは、「落ち着けって野崎に言ったの俺だっけ?」などと考えていた。
「で、何?」
ミシモに促されたカズタカは、一瞬間を置き、その実何を話す予定だったかを忘れていた、タバコを一吸いすると何事も無かったかのように語りだした。
「あれだ、状況の整理をしたい。まず、改めて確認するが、あの遺書に内容の違いは無かった、でいいんだな?」
「みんなのと一言一句確認したわけじゃないけど、私とミシモのは初めの宛名のとこだけ違っただけで、一言一句同じだった筈。そういう風に私とミシモで言い合った記憶があるから確か。だから、みんなのも、少なくとも、私達五人は同じものなんじゃないかな?みんなから聞いた内容は同じなんだし」
マユミとミシモは、あの日あの後立ち寄った、えんぴつビルにテナントされていた狭いドーナツ屋の二階で、ヒロフミの遺書を早速読み比べたのだった。そして、あろうことか二人はその遺書を店に置き忘れたのであった。そのことに二人が気付いたのは地元に帰る電車の中であり、地元駅に着いてから店に電話をかけたが、そんなものは無い、とのことだった。
「俺とタケハルもだ」
「私も、私達も、あの後、カナコと二人で一緒に読んだ」
「出てこない。部屋にある筈なのに、探しても出てこないの。探しても探しても。ずっと探したのに。机の上に置いたのに」
アヤが怯えながら言うように、ヒロフミの遺書を失くしたのはマユミとミシモだけではない。アヤもホノカもカナコもタケハルもカズタカも、皆読んだ端から失くした。マユミ達はドーナツ屋に置き忘れ、ホノカ達はカフェに置き忘れ、カズタカ達は火葬場に置き忘れ、そしてアヤは“部屋で”失くした。
「野崎、落ち着け」
そう言ったカズタカは、はっ、としてミシモの方を見たが、ミシモは別段何ともない様子でアヤを見つめていた。
「ま、とにかく、だ」何食わぬ顔で仕切り直そうとしたカズタカはまたしても、はっ、としてホノカの方を見たが、ホノカは別段何ともない様子でアヤを見つめていた。
「とにかく、マユミの言ったように」ミシモが話を切り出した。。
ミシモのとにかく発言に、ええ!?、と、頭の中で驚愕の叫びを挙げたカズタカだったが、俺はこんな時に何を一人できりきりと舞っているんだ、と、情けなくなり、おとなしく聞くことにした。
「今となっては確かめようがないし、全員の遺書が同じ文章だという確証は得られなかったけど、内容は同じ、これでいいね?」
「ああ、そうだな」タケハルが応える。
「そしてあの遺書、あの文章はヒロフミが書いたもの、でいいのね?」
「親父さんが言うには、だけどな。まあ、嘘をつく必要もないし、あれをヒロフミ以外が書けるとは思えない」
「全体的にはぼんやりとだが、所々はっきりと覚えてる。あの内容は一緒に遊んだ俺達とヒロフミにしかわからない、従ってあれはヒロフミ本人が書いたと考えて支障はないだろう」
カズタカが、ようやく、言ったように、「本腰を入れて読む」前に失くしたからか、それにしても不思議なことに皆が皆、どこにでもあるA4コピー用紙に印刷された遺書に書かれていた文章を所々虫に食われ“続けている”かの如く明確に思い出せないのであった。
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