からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -53ページ目

アラクネ(23)~再投稿~

「ほらねほらほらほらほらほらほらほら。ほらね。ほらほら。見たでしょ?言わんこっちゃない。ね。タケハルが死んだ。けど私じゃなかった私じゃ。これもベラブル様のお陰なのよ。御力の賜物なの。私は生きる。死なないの。殺されないの」

己タケハル死亡の知らせを受けたその日、尾形ミシモ、鈴木ホノカ、武者カズタカは野崎アヤに呼び出された。例のファミリーレストラン。アヤはミシモ達の蛮行を知らなかった。場所を変更してもらおうにも集合を呼びかけるアヤからのメールが来て以降、アヤと連絡が取れなくなったのだから致し方なしなのであった。また、ミシモはこのような挑発行為が嫌いではない。が、久しぶりに会うアヤが開口一番言った言葉の数々には閉口しきりであった。

「俺言ったことあったよな。それも普通の反応だって」

混乱を鎮めようと条件反射で一旦トイレへと逃げたホノカとカズタカ。男女を分かつ扉の前でカズタカがホノカに囁いた。カズタカの右目尻には薄くも確かに赤い出来たての擦過傷。

「あたしは今のところなんとか平気。逆にアヤがかわいそうと思う。だけど、ミシモが」

さすがに、ホノカも感傷的になっている。

「暴れ出したら今度は止めような。今度はさ、晴れる気分もありゃしない」

ふとカズタカが後ろを振り向くと、スーツ姿のサラリーマンと思しき男がトイレの順番待ちをしていた。その男の背後に一瞬ちらりとやたら髪が長い男がいたような気もしたが、とにかくカズタカは急いで扉の中へ入り排便を済ますと、座席に戻った。ミシモとアヤは静かにアイスティを飲んでいた。だが、ホノカも戻るとアヤがまた息急き切って喋り出した。

「ねえ。みんなも。死なないよ。死なない。ベラブル様に護られるの。だから、ね。入ろう。入ろうよ。ね。入ろう。みんな幸せになれるよ。みんな。みんな。だから、入ろう。みんな死なないの。護られるの」

その様子を店長は営業スマイルも忘れこねくり回して団子になったすね毛のような表情を浮かべながら凝視していた。

「お気持ちだけいただきます」ミシモは冷静であった。

「俺、無神論…いや、強いて言えば不可知論者だから」カズタカは適当に嘘をついた。

「あたし平々凡々な日本人だから」言葉に一番嫌悪感を乗せたのはホノカだった。

宗教や摩訶不思議なパワーに頼りたい気持ちは三人にだってあった。しかし、第一印象というものがある。この宗教は、宗教に貴賎があるのならば賎であると判断せざるを得ない、思い込まざるを得ない、アヤの善意の押し売りであった。

「何よ!このウデムシの御守りが気に食わないの!?そんな目で見ないでよ!あんた達もあいつらと一緒ね!私はあなた達を救おうとしてるのに!蜘蛛に対抗出来るのはウデムシの姿で現出なされるベラブル様しかいないのに!いいわ。もういいわよ!あんた達なんか勝手に死ねばいいわ!腹を裂いて死ねばいいわ!」

アヤはぷくりと膨らんだ頬の内側の皮一枚を噛み破りながらそう喚くと、ずかずかした足取りで店を出ていった。店を出る時に、レジに居た店長と目が合うと、「お前もか!ウデムシに食い殺されろ!」と、暴言を吐いた。代金は払っていかなかった。

「さて、今日もカズタカのおごりで解散か」

このファミレスで、次に呆気にとられたのはミシモ達になった。

「いや、落ち着け尾形。俺はここ最近お前らと会うようになって気がついたことがある。それは俺達三人の中で一番金を持っているのは三人の中で唯一まともな職業に就いているお前だということだ。なあ鈴木」

「へ?だから何?レディファーストってもんがあるじゃない」

ホノカは無表情に呟く。

「いや、レディファーストってもんはだな、例えばレディファーストの根付いている国ってもんは往々にして女性のスポーツが弱いもんだ。北朝鮮だって女子サッカー強いだろ?だから」

「別に、あたし達アスリートじゃないし」

「いや、そういう意味でなくてな。俺が言いたいのは、レディファーストにみる女への、まあ言ってしまえば、時と場合に合わせて優しく扱ってやるから、男のやることに口出しすんじゃねえっていう封建時代的なさ、レディファーストってなもんは女性を社会的に弱くする為の体裁であって、それを建て前にして男にたかるってどうなの?女の沽券に関わらない?まして今や女性が強い時代だよ。かかあ天下の謂われじゃねえが、女が金を稼いで家計を支えることが珍しくもない時代に、貧乏人から金を搾取するのはどうなのよ。こんな言葉がある。封建社会は女を男にし、自由社会は男を女にする。言うなればこの世は」

金を出したく無いが為、たらたらと愚弁を弄し始めたカズタカに、

「要するに金を出したくないと?」

と、ホノカがぴしゃりと言った。

「あ、ああ。いやいや、だってほれ、また葬儀もあることだし、今かなりの金欠なんだ俺。財布の中にある一万と小銭が全財産なんだ」

「だから何?」

「だから、だから、俺今回はそれなりの金額を包みてえんだよ。それには今から節約を心がけなくては」

「また何か売ればいいじゃない。戸籍とか」

「おい」

「腎臓とか」

「おい!悪魔かお前らは」

たかられる男はどうせ死ぬなら次にしてくれと半ば本気で願った。

「じゃあ、そういうことで、追加で甘いもんでも食っていこうか」

「いいねぇ。甘いもんにはミラクルなパワーが宿っているといわれる」

「…わかったよ。もうどうにでもなれ、どうにでもしろ。いっそ殺せ。ひと思いに俺を殺せ。ブラゼル様だかベラブル様ぁ、俺を殺してくれ」

「その意気やよし。じゃあ、すいませーん」

あのウェイトレスの姿は見当たらない。ちょうど背中合わせの席で先程すれ違ったスーツ姿の男が暇そうに携帯をポチポチと弄くっている。

「うわ、キモ!ゲロゲロゲェ」

「最後のゲェは余計なんじゃないか語呂的に、だがどうした鈴木」

「ちょっとこれ見てよ」

ストロベリーサンデーの細長いスプーンをはみ直してホノカは携帯をミシモに渡した。

「まずは俺からじゃないのか流れ的に、だが予測の範疇であったことは否めない」

カズタカは独り言。

「うわぁ、ちょっとなにこれ。どうしたのこれ」ミシモも驚きを隠さなかった。ホノカに合わせたのではなく、本心から漏れた驚きであった。

「いやさぁ、さっきウデムシってアヤが言ってたから検索してみたら、これが出てきてさ」

「ウデムシねぇ。どれ……」

カズタカはもちろん、己の携帯電話を使って検索した。

「げ、なにこの生き物」

「げ」

「え?」

背中合わせの男が不意に発した驚きの声に三人は一斉にそちらへと顔を向けた。

「…ははは、いやぁ、すみません。聞き耳を立てていたわけではないのですが、つい私もす、み、みなさんにつられて、すみません。ウデムシ、ですか、はは、それを検索してしまいまして、ははは、こんな生物がいるのですねぇ、いやぁははは、お話に水を差してすみませんホント」

男はそう慌てた様子でまくし立てるととそそくさと帰り支度を始めた。

「いえ、そんな」

男の顔を見てミシモは既視感に襲われた。どこかで見た顔であった。どこかで、だが思い出せない。

男が清算を済ますと、

「あいつ、記者か?」

と、カズタカがぶっきらぼうに呟いた。

「私もそう思った」とミシモ。思い出せないものは目先の都合の事由へと結びつけられることは必定である。

「あたしのストーカー様が、あ、れ?あのキモカワイくないあれ?うわぁ二次元に逃避してぇ」

ホノカはやけになったのか、グラスの底に溜まったヘドロ状の生クリームとアイスクリームとストロベリーソースの混合液をぐいっと一気に飲み干した。

「しっかし、このまばらな店内でなぜわざわざ隣同士に座る?」

「いや、私達が来た時には既にいた気がする。だから、混雑時から取り残された三角州的なものと考えれば不思議ではない」

「野崎が来た時はどうだったんだろうな。ま、勘ぐり過ぎか」

「そ、そうよ。認めないあたし。あんな奴があんな奴が」

「そんな問題か?ところで、アヤはどうする?」

「何あんた、アヤを連絡網から外す気?」

ミシモの言う連絡網とは土師マユミの死後から再開された定期的に行われる空メールの送り合いである。

「いや、そんなつもりではないが」

「ああまで言われたらほっとくしかないでしょ。こっちからは繋がりだけ残してね。なんか、裁判で不利にならないようにしてるみたいで気に食わないけど。宗教対立の一端を見たわ」

「自分が絶対に正しいって思い込むと人間終わりだなぁ」

「あんたなんかそれっぽいけどね」

「おいおい、俺が一番信用しない人間がどういう類の人間か知ってるか?それは考えを変えない奴だ。世の中は一本筋の通った人間がもてはやされる傾向にあるが、それが世の中の求心力の発生源になっているが、しかし本当に信用出来る奴ってのは実はころころと意見を変える奴さ。もちろん、てめえの都合の良い方良い方にころころ変わっちまったらそいつはただの言い訳野郎だが」

「ホノカって確かレバー苦手だったよねぇ」

「うん、ホルモン系全般苦手ぇ」

「なぜ今急にそんな他愛のない話を!?」

この期に及んで馬鹿話しか出来ない三人の心中とは如何ばかりか。推して知るべし。

清算の段になり、死に体となった男がレジに向かうと、

「お代は結構です。前回頂戴致しましたから」

と、店長。

救いの神はここにいた。後光の差すむさいおっさん店長を見てカズタカはうっすらと涙目になり心の中で幾度も幾度も頭を下げた。が、

「そういうわけにはいきませんよ」

救いの神は破壊神尾形ミシモの出現により押し切られた。

ホノカはその様子を見てただただ楽しそうに満面の笑みを浮かべ手を叩ききゃははと笑っていた。ホノカはただ楽しかった。身に降りかかっている事態が緊張と緩和を生み出し、楽しさを引き立たせていたのかもしれない。

鈴木ホノカが水死体となって発見されたのは己タケハルの葬儀も終わらぬ一週間後のことであった。その腹は縦に裂かれていたが、肺からは川の水が検出された。死因は溺死である。そしてその“鈴木ホノカ殺人事件”の犯人はすぐに警察に捕まった。野崎アヤである。




アラクネ(22)~再投稿~

「超すごかったんだよ!最後の方なんか店長みたいなおっさんにボッコボコに蹴られてもミシモは離さなかったんだから!超かっこよかった!」

興奮覚めやらぬ様子ではしゃぐホノカ。常連客は「今日はにぎやかだね」と言い残し、店をあとにした。貸切である。

「すっぽんみたいにさ!」

「確かにありゃえぐい決め具合だったな。恐ろしさを覚える程だった。かのインテリジェントモンスターを彷彿とさせたな。あの人、脚が伸びたんじゃねえの?片脚だけだが。ふふん」

カズタカも爽快感を隠しきれない。

「でさ、帰る時にミシモが、弁償代だ釣りはいらねえ、って言って万札ぴらって投げたら、何を思ったかあの女、それびりびりに破ってさ。きゃは。傑作!」

これにタケハルの伯父が応え、

「はあ、うちの母ちゃんもそうだが女を怒らすもんじゃねえな。かわいらしい顔して、おっかねえもんだ。その点うちの母ちゃんはかわいらしさのかけらもねえ。ったく、踏んだり蹴ったりだな」

と、言うと、

「うるさいねえこの人は、踏んづけられたり蹴られたりの間違いだろ。踏んだり蹴ったりしてるのはあたし。あんたなんかあたしが嫁に来なけりゃそこらで野垂れ死んでるよ」

そう言ってタケハルの伯父と伯母は、あとは若いもの同士でとばかり店の奥に引っ込んだ。

「おい、どうした?」

カズタカに言われ、ひとり凍った顔の寿司職人は手を止めた。その手には最後のたこが握られていた。

「あ、ああ。それはすごいな。俺も行けゃ良かった。行っとけば」今日の出来事を回避出来たのに。

先程のことが気になってはいるものの、わざわざ恥を晒してまでみなに言う程のものではない、とタケハルは判断した。

「何そのたこ」

ホノカの注文はかっぱ巻きだった。

「ああ、このく、も…ううん、たこな。中途半端に残っちまって」

今口から出た、蜘蛛、は単なる言い間違いである。

来る途中にたこぼうず親子の会話をちらりと聴いていたミシモも、タケハルの蜘蛛発言とたこの関係にピンとはこなかった。

「あたし達ゃディスポーザーじゃないってのに。ゴミ処理じゃねえっての。かっぱ巻きよかっぱ巻き。酢飯と海苔とキュウリによる奇跡の集合体、青竹にござ巻いて人体再現試し斬り、かっぱ巻き巻きかっぱ巻き」ホノカは楽しそうに口ずさんだ。

「なんじゃそりゃ。たこはサービスでいいよ。在庫一斉放出だな。まかないともいう」

「だから、それをゴミ処理ともいう。あたし達ゃディスポーザーじゃ」

ホノカが言い切る前に、タケハルが、

「いらねえか?あと、今日の具合だと、大トロも中途半端に余ってるなぁ。そうか、いらねえか」
と、ああそりゃ残念だとばかりに小さく言った。。

「あたしののどちんこって高速回転するの知ってる?」

「のどちんこってお前。仮にもレディがお前」とカズタカが苦笑う。そんなカズタカを無視しミシモが、

「おい、ヒラメにウニにエビにイカにあとなんかひかりもんは中途半端に余ってないの?」

と、欲張った。

ミシモは今日の一件でとてもすっきりしていた。糞詰まりをいきんでいきんで排出したあとの体のよう、ぽっかりと穴が空いたように身も心も軽くなった。便秘の排出に切れ痔がつきもののように、蹴られた背中の痛みが愛らしく心地良い。そして土師マユミを亡くした痛みも。今まで槍を持った虫歯菌みたいな悲痛に刺され苛まされてきた、またその悲痛を煩悶をあるがままに受け入れてきたが、その痛みも背中の痛みにより一枚のフィルターを挟んだかの如く、鈍くなった。

「大将が居なくてよかった。あの人後先考えないところあるからな。悪いがうちは慈善事業じゃないんでね」

「寿司屋が慈善事業じゃなけりゃ何が慈善事業なんだよぉ。うわ、さっき見栄張って諭吉やらなきゃよかった。新渡戸、じゃなくて一葉でよかったんじゃねえの?そもそも払う必要あったの?得してねえかあいつら。あー今になって惜しい」

「ミシモかっこわる!前言撤回幻想がびーん」

「せめて友達割引とかしろよぉ。食い逃げるぞ」

「逃げきれるかよ。友達だからこそ、敢えて利益率のいいものを注文するもんじゃねえのか?」

「それは違うだろ。友達だからこそ友達に不利益を被らせるんだ。本当の友達同士ってのは互いに気を使ったりなんかしない。相手をおもんばかったりしない。そんなことは浅い付き合いだからこそしなくちゃならないものだからな。互いにそれなりに楽しむなんてそんな都合のいい関係なんてクソだね。本当の友達ってのは」

カズタカは自分に酔いしれているかのように語った。が、

「じゃあさぁ、余りもん寄せ集めて丼ものとか出来ないの?内容によっては三百円まで出す。動いたらお腹減った」

「わかった。三百円出すならそれなりのものを提供しよう」

「あ、じゃああたしもそれ」

「お、おい」

「何?カズタカあんた注文は?」

カズタカの戯言、繰り言はミシモ達に一切聞かれていなかった。

「あ、そうなんだ」

悟り、諦め、虚無、呟き。

「は?なんだよ、カズタカ」

しんとした。

「タケハル、俺には優しさをくれ」

カズタカが呟いた。

「…悪いな。うちはハンバーガー屋じゃねえもんで」

それから四人は話をした。馬鹿話の陰に本音を交えながら。

「野崎ってどうしてるんだ?」

「連絡が取れない。おばさんに聞いたところ、まあ、元気っちゃ元気らしいよ。なんかの宗教にはまったらしいけど。仕事も休んでるらしい」

「ま、それも普通の反応だわな」

ころんと鳴るロックアイス。タケハルが手持ち無沙汰と皆にほめられたい一心から包丁で削ってみせた、まろやかな氷球。

「野崎って、仕事何やってんの?」

「確かホテルって言ってた。どこかは知らないけど」

「ホテルか…ホタテ食うか?」

「しっかし、俺らも本腰を入れなきゃならないのかもな。この一連の事態、事件を、アニミズムの観点からみると」

「アニミズムの観点からみる?そんなこといったらあたしかっぱ巻きの幽霊に殺されるっての。あ、そうだ、あたし最近ストーカーが出来たみたい!」

「鈴木、それは嬉しそうに報告することなのか?」

「だって初めてだからね!」

「ストーカーねぇ。記者じゃねえの?雑誌の」

「あ、そっか。ミシモの言うとおりかもしれない。うわ、一気にげんなり」

「初めからげんなりするべき問題だぞホノカ」

「あたしの恋心つんつん返せぇ」

「それを自滅という。しかし恋心ってお前」

「まだそうと決まったわけではないけど。気をつけなね。カズタカみたいな変態かもしれない。そいつが記者だとしても、ひょっとしたら私達を助けてくれようとしている人物だとしても、カズタカみたいな変態かもしれない」

「しつこいよ!俺は変態じゃねえ!むしろ変態じゃねえから悩んでんだ!変態ってのはエネルギーの塊だからな」

「変態になりたいなんて、変態じゃない」

「そうともいえんのだこれが」

「ホタテを汁にしてみた」

「普通に出せよ。手を加えんな手を。まずかったら金払わねえ」

「ホタテをなめるなよ、か」

「カズタカお前は黙ってろ!永遠に」

「ミシモ、ねえ、ホタテってやつはかっぱ巻きよりうまいの?」

「ホノカ、なんかそれ、ひどく切ない背景を感じるセリフだわ」

酔うことが許された空間、時間、雰囲気。体に染み渡るアルコールが彼氏彼女らを夢見心地に誘う。夢見心地に。

平日ということもありパーティーは早めにお開きとあいなった。ミシモは部屋に帰ると、大学時代マユミと二人で研修に行った先の、思い出の日本酒を静かに飲み、空になった猪口を夜空に輝く月に向けた。「あんたのフィニッシュホールドは便利ね。あれは使えるわ。なはは」。月の光が逆光に、ミシモの表情を知るものは誰もいない。

誰もいなくなった店の後片付けを始めたタケハル。カウンター前の冷蔵ショーケースを掃除していると、冷却管の周りに溜まる白い棒状の霜の中に、同じ色をした蚕の繭みたいな塊を見つけた。それはたこの置いてあった場所であった。

「布巾のきれっぱしか」タケハルはそう思っただけだった。だが、それは紛れもなく、ジグモの巣であった。

一ヶ月後、たこぼうず家族がやって来た日、己タケハルは調理場で腹を割いて死んだ。作中、腹を裂く、と、裂の字を充てて来たが、タケハルの場合、腹を割いて、と書くのが適している。手に持った柳葉包丁で腹をかっさばいたからだ。




アラクネ補足

はい、どうも曲がりなりにも作者です。ちょいと今このブログで絶賛連載中(注、当時)ラブファンタジー「アラクネ」の補足をしたいと思います。いわゆる、「10倍楽しめるアラクネ」ですね。またの名を、書くのがめんどくさかったこと、のコーナーですね。これからもちょいちょい出てくるかも!?なんて…。
というわけで今回は作中に出てきたファミレスの話です。舞台のモデルとかそんなこたどうでもいいんです。んなこた一切関係ないんですよ。
実はこのファミレスには作中には登場していない、また登場予定もない隠れキャラクターがいます。まあ、作中に一切登場してないという隠れっぷりですがね。常連客の橋本モトハシさん(28)その人であります。この人はねぇ、作中に書かれていないだけで毎回ちゃんと定位置に座っていました。僕はちゃんとそれを意識してました。一切出ないけど。
彼は地主の息子なんですが今は完全なニートで、ほぼ毎日同じ時間に店に来ます。店員達につけられたあだ名はレノン。そうです。後期ジョンに似た風貌をしています。長髪にヒゲに丸めがね。その姿で襟を正すようにピンと背を伸ばした姿勢で聖書を読むが如く手に持った本を読んでいます。その姿は神々しささえ漂っていますが、残念ながら彼は生来のオーラの無さで、見事空気になっています。
なんといっても彼の凄いところは尋常じゃないほど髪の毛が早く伸びるところです。作中既に何回かファミレスのシーンがありましたが一回ごとに元々腰まであった長髪が30センチぐらいずつ伸びてます。ヒゲも。けむくじゃらです。毛星人です。はい、1ヶ月後も数日後も30センチぐらいずつ。何故なら彼も髪の毛を切ることがあるから!矛盾してません!尋常じゃないほど髪の伸びるスピードが早いのです。
そして!今から彼に関する重大な情報を発表します。それは…なんと彼が読んでいる本、革のブックカバーをしている本、その中身は単行本サイズのどうしようもないエロ本です!そう、彼は内向的性豪なのです。彼はそういうある種の野外プレイが好きなんですねぇ。
そしてそしてさらに重大情報!ここだけの話、彼の髪の毛が異常に早く伸びる秘密は彼が持て余している銀河クラスの性欲と頭皮が密接に結びついているとかいないとか…。
以上、補足のコーナーでした!引き続きアラクネをお楽しみください。果たして彼が日の目を見ることはあるのか、このファミレスのくだりがまた出てくることも疑問ですが、たまには彼のことを思い出してくださいね。ではまた次回!

アラクネ(21)~再投稿~

タケハルの働いている寿司屋を地元の人間に訊ねると、「あー、昔コンピューター寿司だったところね」、と必ず答えるであろう。

十人程のカウンター席と、奥に四人掛けの座敷がある店。もちろん、今ではコンピューターを排した、普通の下町の寿司屋である。しかし、今でも地元の人間にはコンピューター寿司と呼ばれる少しいなたい店である。コンピューター寿司とはなんぞや、と思われることであろう。根幹部はそれにかなり近いものがあるのだが、昨今の大型回転寿司チェーン店に配備されている機械仕掛けをイメージした者は負けだ。ましてや寿司を握っているのはロボットではなく普通のおっさん、タケハルの伯父であった。大体にして店主の目が常に行き届く程の小さな店なのだ。なぜそのようなコンピューターシステムを導入した?そのことをタケハルの伯父に訊ねると決まって、「魔が差した。気がついたらとりかえしがつかぬところまできていた」と伏し目がちに答える。しかし、当時コンピューター寿司という物珍しさでやって来た客も確かにいて経営状態が上向いていた時期もあったのだから、今も貼られるレッテルを甘んじて受けるべきである。また、やはりそれほどのインパクトを地元の人間に残したということは芸能業界に於ける一発屋の如く、それなりに社会的娯楽として意義があった
と云って良いだろう。

さて、コンピューター寿司とは。カウンターテーブル一席一席に据え付けられた単行本二冊並べた程の四角いパネルがあり、メニューと値段が書かれている。メニューと値段の下には小さな凹みぽっちがあり、これをテーブルに繋がれているペンライトで押すと注文出来るというものである。注文出来るだけではなくいつでも合計金額を見ることが出来るという当時にしては最先端の画期的なシステムである。ただし、大型回転寿司チェーン店であるならば、だ。常に目の前に店主がいる店でこのシステムの合理性と有効性が存分に発揮出来たか、まして当時回転寿司そのものが今ほど普及していなかった時代、庶民が大将とのやりとりを楽しむ時代、果たして三年も経たぬうちにタケハルの伯父は賭けをすることとなる。すなわち、店を畳むか借金をして初めからやり直すか。伯父は後者を選び、なんとか賭けに勝ったと云えよう。

今日はたこぼうずが店に来た。たこぼうず家族は月に一度程の頻度で店にやってくるのだが、今日は珍しく家族連れではなく、父親と二人きりの来店であった。タケハルはたこのストックを確認する。三十貫は握れる。しかし少し足りない。このたこぼうず、なんでも本日は小学校卒業記念での来店らしいのだが、あだ名の通りたこしか食わない。他のネタを食べられないのもあるが、それで仕方なくたこを注文しているのではなく、たこが大好きなのである。坊主頭で肥満体型のたこぼうずはよく食う。三十貫など平気で食らいつくす。たこぼうずが来ると店のたこがネタ切れになることはしょっちゅうであるが、ある時など動けなくなるまで食って、吐いて帰った。おあいそした時に、立ち上がると同時に吐いたのである。おそらく喉元までたこを詰め込んだ結果であろう。将来が心配な子である。

この日も当然たこぼうずはたこを注文する。注文の仕方が豪快かつ合理的で、それしか食わないのだから当たり前といえば当たり前だが、いきなり二十貫注文したりする。それを見て伯父やたこぼうずの父親は目を細め、「そんなにたこが好きなら将来はたこ漁師になるしかねえな」などと言う。たこぼうずもまんざらでなく、にこにこと笑う。

この日の客はたこぼうず親子の他に常連の客二組で、タケハルがたこぼうず親子につくことになった。あっという間にたこ二十貫をぺろりと平らげ、父親は、「ったく、安上がりな奴なのか高くついてるのかよくわからねえな」と言って嬉しそうにビールをあおる。

二十貫が済んだら後は二貫ずつの追加注文が待っている。店のたこが無くなるまでそれは続くのである。この日はあと十貫。あと五回。

「たこください」

「はいよ。たこ一丁」

「たこください」

「はいよ。たこ一丁」

「たこください」

「はいよ。たこ一丁」

三度目のたこ交換をしたところ、店内に不思議な空気が流れた。タケハルはその理由がわからなかった。「へへ、コンピューターに戻すかい?」たこぼうずの父親が言う。

「へ?」タケハルが間の抜けた返事をすると店内に酔客のささやかな笑い声。

「なにそれ?」たこぼうずはこの店がコンピューター寿司時代の頃に生まれてすらいない。

コンピューター寿司に関する一通りの説明を父親がたこぼうずにしている間、伯父はいたたまれない表情で静かに日本酒を一口含んだ。

「あの、たこください」

「はいよ。あと一回で今日はラストだよ。たこ一丁」

タケハルが勢い良く言うと、また、店内に不思議な静けさが訪れた。たこぼうずは何が起こっているのかわからず、いたいけな表情でタケハルを見つめている。

「おいおい、君はさっきから何を」父親が何か言いかけたところで、

「タケ、お前何言ってんだ?」

と、伯父が冗談ではない目をしてタケハルに、店主として店の空気をいびつにせぬよう抑えて、注意をした。

「はあ?何か?」

何が起こっているのかわからぬタケハル。

「何ってお前、ははは、ちょっとすいやせんね。ちょいと失礼させてもらいますよ。母ちゃんちょっと!」

従業員の伯母を呼び、その場をあとにするタケハルと伯父。

「タケ、どうした?何やってんだ?俺もこんなことで一々叱るつもりはねえが」

伯父は動揺すらしていた。

「はあ、あの、俺何かしたんですか?」

「やっぱりわかってねえか。そうじゃなきゃしねえもんなぁ」

「はあ」

「お前な、あの子がたこ注文したろ」

「はい」

「たこ一丁って言ってたよな?言ってるつもりだったよな?」

「はあ」

「お前…何回目からか、蜘蛛一丁って言ってたぞ」

タケハルは出すべき言葉が見つからなかった。蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛、八つ脚。

「ま、最近タケの身の回りに起こったこた俺ぁ知ってるつもりだよ。んなもんで俺ぁ怒るつもりも叱る気にもならねぇ。疲れてるんだよな」

伯父が言った「疲れてる」がタケハルには、「憑かれてる」、というニュアンスで聴こえた。

「つ、憑かれてなんか」

「まあいいやな。今日は友達来るんだろ?」

「あ、はい」

「さ、お客さんに頭下げて仕切り直しだ」

「はい、すいませんでした」

「いいってことよ」

二人の寿司職人が店内に戻ると、最後のたこを注文することなく、たこぼうず親子の姿はなかった。「次来た時にしっかり謝るんだよ」伯母が言った。

「ねえ、たこのこと専門用語でくもって言うんじゃないの?」

「それは、聞いたことねえな」

そんな会話をしている道行く親子をやたら奇妙に思ったミシモであったが、すぐに忘れた。




アラクネ(20)~再投稿~

尾形ミシモには深い悲しみをあどけない怒りに代える理由があった。

配下に鈴木ホノカと武者カズタカを従え、向かうは例のファミリーレストラン。土師マユミ火葬の三日後。午後七時。火曜日。手にはゴシップ週刊誌。そして店内に目当てはいた。

「お、いたいた」

「ま、いなきゃ困る」

「怖いなぁ、一体どういう風に話せばいいんだ?」

「いくじなしは黙ってろよ」

来客を知らせる無機質な電子音が店内に響く。相変わらずまばらに埋まる席。

「いらっしゃいませ」

ミシモは誘導されるのを拒否するように無言でずかずかと喫煙席の一番奥の席へと歩を進めた。そのテーブルはミシモ達が最後に座った席であった。六人がけのテーブル。前回来た時と同じ陣形で席に着く三人。水が運ばれて来た。ミシモは水をさらに三つ要求した。

「三つか、誰の分になるんだ?」

「そりゃ、タケハルとマユミと、それにアヤでしょ」

「しかし、ヒロフミと菱山と土師ってラインも侮れないぜ」

「うるさい」

これから起こる修羅場を予期して少し浮き足立っているカズタカとホノカを叱るミシモ。カズタカはこのファミレスに良い思い出がまるでない。

「しっかし、こうも葬儀が続くと香典代も馬鹿にならんな。おれ買ったばかりのニャンテンドーMAX売って金つくったんだぜ」

「えっ、あたし今回払ってないよ」

「おい。そんなのありかよ。駄目だろ人として。せめて一万は用意するべきだ。つうか香典返しを」

「黙れ」

ミシモの中では今、獣が牙を剥いている。とてもじゃないが軽口は叩けない。やりきれぬ感情。どうしていいかわからぬ心のささくれ。モヤモヤ。一刻も早く自身の中に渦巻くこのモヤモヤを彼女に叩きつけたかった。それでマユミや自身が救われるわけではないことはわかっている。だが、そうせずにはいられなかった。

新たにコップが三つ運ばれて来た。運んできた見覚えのあるウェイトレスにちらりと目をやるとミシモは握りしめていた週刊誌をテーブルに、ストレス解消にパン生地を思いきり叩きつけるよう力一杯叩きつけた。どん、がしゃんがしゃん。店内に轟くレストランにありがちな音。テーブルの上にあったコップが倒れ、店員がテーブルに置こうとしたコップを手から落として割れた音。驚いて目を丸くしたのはホノカとカズタカもであった。しかし、二人はすぐに冷めた目に変わった。カズタカに至っては倒れたコップから流れて出る水が何故か全て自身の太ももに落ちてきているというのに、である。

「今週号におもしろい記事があってさ」とミシモは店内に漂う静寂に合わせ、静かに言った。

「ああ、おもしろい。珍しく興味深い記事だ」

「違うよ。間抜けな記事だよ。犯人すぐわかったじゃん」

ウェイトレスは全てを悟ったのだろう、下半身水浸しになっているカズタカに雑巾を渡す職務意識をも忘れ、真っ青な顔になった。

二人はミシモ程怒りややりきれぬ思いを抱え込んでいるわけではない。まして彼女に文句があるわけではないし、彼女に裏切られたという思いもない。言論の自由というものもある。しかし、それをわかっていてもなお、二人にだとて敵意はある。友の死を自己顕示欲に利用されたのだから当然である。彼女にはそれ相応の報いを受けてもらわなければ腹の虫が治まらない。

「犯人?、ま、正確に言うと“関係者”だけど。ちょっとすいませんけども関係者さん、じゃなくて店員さん。早くタオルか何か持って来てくれるよう誰かに言ってくれないかしら。ああ、あなたは動かないで良くてよ。動くと危ないじゃない。割れたガラスの破片で怪我したら大変だわ」

そう言ってミシモはテーブルの上で倒れているコップを優しく手に取ると店員の足下に投げつけた。がしゃん。また、レストランにありがちな音が店内に響いた。

「怪我したら大変」座った目でミシモは言った。

投げつけられたコップに脚を微動させたのはウェイトレスであったが、コップが割れた時すねに変な異物感を覚えても微動だにしなかったのはカズタカであった。ようやくといっていいだろう。他のパート店員が様子をうかがいに来ると、すぐさま踵を返し、店長を呼んだ。

「お客様、何かありましたでしょうか」

恰幅の良い四十男と思しき店長にそう言われた三人。

「とりあえず拭くものを貸していただけますか?」

カズタカが本音を吐露しながらも冷静に捌く。

「“相次ぐ怪死、仲良しグループに降りかかった呪い”、ねえ」

そう言ってミシモは再度コップを手に取った。びくん、と体を震わしたのは、カズタカ。

ミシモはそのコップに残った水をゆっくりと飲み干して、ことり、と静かにテーブルに立て直した。ほっと一安心したのは、カズタカ。

「びっくりしたよね。あたし達のことが記事になるなんてさぁ。まるで有名人ねあたし達」と笑顔で言ったのち下を向いたホノカは「誰かさんがたれ込んでくれたからね」とドスの利いた声で呟いた。

「ゆ、有名な事件ですからねぇははは」

三十女のウェイトレスはごまかし通す決心をしたようだが、時既に遅し。

「この記事にさぁ、関係者談って出てくるじゃない?まるでなんもかんもあたし達のこと知ってるみたい。おかしいなぁ、ここでしか、こんなこと話してないのになぁ」

ホノカがいやらしく尋問にかける。

「さ、さいでございますか」ウェイトレスは心ここに在らず。

「喋り過ぎたよ、関係者って名乗ってる彼女。私ですって言ってるようなもんだ。あの日あの時の場面、シチュエーション、俺は覚えてるよ。写真みたく覚えてる。店員の胸につけてる名札まで覚えてる。あの時ウェイターしてたのはムラヤマっていう若い男と、タカハシっていうこれまた若い男と、あー、あと一人居たなぁ、あれ?忘れちまった。おかしいなぁ。あっと、なんだっけかなぁ」

三十女の顔をねめつけてから視線を下に移すとカズタカは、

「あー、そうだそうだ。そんな名前だったっけ」

と、ねちっこい眼差し。動機をさておくと腐った女みたいな奴である。

「ほ、ほほほ、なぜその関係者は女性だとおわかりになられたのですかぁ」

「おわかりになられたってのは正解おめでとうって受け取っていいのかしら」

もちろんミシモには関係者がこいつだという確証こそ得ていないが確信に足るものは得ている。何故なら、

「いえ、そんなつもりでは」

「確かに、記事の中では個人を特定出来ないような配慮が見られるけど、あたし達は呪いだなんだだなんてここでしか話してないし。みんなで集まったのここだけだし。なによりさ、あー、笑っちゃう」

「ああ、まったくその通りだ」

「だから言ったでしょ。間抜けだって」

「ふふ。だってさ、関係者談の中にさ、私達がどんな人達だったか訊かれたんだろうね。ふふふ。こいつらのことでしょ。“かっこいい男の子達”って」

「全然かっこよくないのにね!にゃはは」

「いや、鈴木、否定はしないがそこじゃないだろ笑うところは。男の子の方だろ」

とのこと。

「だから何だってのよ!いいでしょ別に減るもんじゃなし!」

どうやら三十女は開き直ったみたいで、きぃーっとなった。

「あらあらまあまあ、やっぱりあなたでしたか。実は私達もあなたじゃないかなぁって思ってたんですけど証拠がいまいちで。自白してくれて助かりました。そうですかやっぱりあなたでしたかそうですか、あ、ちょっとそっちの席まで来てもらってよろしいですか?ガラスの破片で怪我したら大変ですからね」

ミシモがウェイトレスに変形足四の字固めを決めてカズタカや店長の制止を振り切りごろごろと、安全な、床を思うがままに回っている一方その頃、己タケハルは仕事場である寿司屋で寿司を握っていた。