アラクネ(21)~再投稿~ | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

アラクネ(21)~再投稿~

タケハルの働いている寿司屋を地元の人間に訊ねると、「あー、昔コンピューター寿司だったところね」、と必ず答えるであろう。

十人程のカウンター席と、奥に四人掛けの座敷がある店。もちろん、今ではコンピューターを排した、普通の下町の寿司屋である。しかし、今でも地元の人間にはコンピューター寿司と呼ばれる少しいなたい店である。コンピューター寿司とはなんぞや、と思われることであろう。根幹部はそれにかなり近いものがあるのだが、昨今の大型回転寿司チェーン店に配備されている機械仕掛けをイメージした者は負けだ。ましてや寿司を握っているのはロボットではなく普通のおっさん、タケハルの伯父であった。大体にして店主の目が常に行き届く程の小さな店なのだ。なぜそのようなコンピューターシステムを導入した?そのことをタケハルの伯父に訊ねると決まって、「魔が差した。気がついたらとりかえしがつかぬところまできていた」と伏し目がちに答える。しかし、当時コンピューター寿司という物珍しさでやって来た客も確かにいて経営状態が上向いていた時期もあったのだから、今も貼られるレッテルを甘んじて受けるべきである。また、やはりそれほどのインパクトを地元の人間に残したということは芸能業界に於ける一発屋の如く、それなりに社会的娯楽として意義があった
と云って良いだろう。

さて、コンピューター寿司とは。カウンターテーブル一席一席に据え付けられた単行本二冊並べた程の四角いパネルがあり、メニューと値段が書かれている。メニューと値段の下には小さな凹みぽっちがあり、これをテーブルに繋がれているペンライトで押すと注文出来るというものである。注文出来るだけではなくいつでも合計金額を見ることが出来るという当時にしては最先端の画期的なシステムである。ただし、大型回転寿司チェーン店であるならば、だ。常に目の前に店主がいる店でこのシステムの合理性と有効性が存分に発揮出来たか、まして当時回転寿司そのものが今ほど普及していなかった時代、庶民が大将とのやりとりを楽しむ時代、果たして三年も経たぬうちにタケハルの伯父は賭けをすることとなる。すなわち、店を畳むか借金をして初めからやり直すか。伯父は後者を選び、なんとか賭けに勝ったと云えよう。

今日はたこぼうずが店に来た。たこぼうず家族は月に一度程の頻度で店にやってくるのだが、今日は珍しく家族連れではなく、父親と二人きりの来店であった。タケハルはたこのストックを確認する。三十貫は握れる。しかし少し足りない。このたこぼうず、なんでも本日は小学校卒業記念での来店らしいのだが、あだ名の通りたこしか食わない。他のネタを食べられないのもあるが、それで仕方なくたこを注文しているのではなく、たこが大好きなのである。坊主頭で肥満体型のたこぼうずはよく食う。三十貫など平気で食らいつくす。たこぼうずが来ると店のたこがネタ切れになることはしょっちゅうであるが、ある時など動けなくなるまで食って、吐いて帰った。おあいそした時に、立ち上がると同時に吐いたのである。おそらく喉元までたこを詰め込んだ結果であろう。将来が心配な子である。

この日も当然たこぼうずはたこを注文する。注文の仕方が豪快かつ合理的で、それしか食わないのだから当たり前といえば当たり前だが、いきなり二十貫注文したりする。それを見て伯父やたこぼうずの父親は目を細め、「そんなにたこが好きなら将来はたこ漁師になるしかねえな」などと言う。たこぼうずもまんざらでなく、にこにこと笑う。

この日の客はたこぼうず親子の他に常連の客二組で、タケハルがたこぼうず親子につくことになった。あっという間にたこ二十貫をぺろりと平らげ、父親は、「ったく、安上がりな奴なのか高くついてるのかよくわからねえな」と言って嬉しそうにビールをあおる。

二十貫が済んだら後は二貫ずつの追加注文が待っている。店のたこが無くなるまでそれは続くのである。この日はあと十貫。あと五回。

「たこください」

「はいよ。たこ一丁」

「たこください」

「はいよ。たこ一丁」

「たこください」

「はいよ。たこ一丁」

三度目のたこ交換をしたところ、店内に不思議な空気が流れた。タケハルはその理由がわからなかった。「へへ、コンピューターに戻すかい?」たこぼうずの父親が言う。

「へ?」タケハルが間の抜けた返事をすると店内に酔客のささやかな笑い声。

「なにそれ?」たこぼうずはこの店がコンピューター寿司時代の頃に生まれてすらいない。

コンピューター寿司に関する一通りの説明を父親がたこぼうずにしている間、伯父はいたたまれない表情で静かに日本酒を一口含んだ。

「あの、たこください」

「はいよ。あと一回で今日はラストだよ。たこ一丁」

タケハルが勢い良く言うと、また、店内に不思議な静けさが訪れた。たこぼうずは何が起こっているのかわからず、いたいけな表情でタケハルを見つめている。

「おいおい、君はさっきから何を」父親が何か言いかけたところで、

「タケ、お前何言ってんだ?」

と、伯父が冗談ではない目をしてタケハルに、店主として店の空気をいびつにせぬよう抑えて、注意をした。

「はあ?何か?」

何が起こっているのかわからぬタケハル。

「何ってお前、ははは、ちょっとすいやせんね。ちょいと失礼させてもらいますよ。母ちゃんちょっと!」

従業員の伯母を呼び、その場をあとにするタケハルと伯父。

「タケ、どうした?何やってんだ?俺もこんなことで一々叱るつもりはねえが」

伯父は動揺すらしていた。

「はあ、あの、俺何かしたんですか?」

「やっぱりわかってねえか。そうじゃなきゃしねえもんなぁ」

「はあ」

「お前な、あの子がたこ注文したろ」

「はい」

「たこ一丁って言ってたよな?言ってるつもりだったよな?」

「はあ」

「お前…何回目からか、蜘蛛一丁って言ってたぞ」

タケハルは出すべき言葉が見つからなかった。蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛、八つ脚。

「ま、最近タケの身の回りに起こったこた俺ぁ知ってるつもりだよ。んなもんで俺ぁ怒るつもりも叱る気にもならねぇ。疲れてるんだよな」

伯父が言った「疲れてる」がタケハルには、「憑かれてる」、というニュアンスで聴こえた。

「つ、憑かれてなんか」

「まあいいやな。今日は友達来るんだろ?」

「あ、はい」

「さ、お客さんに頭下げて仕切り直しだ」

「はい、すいませんでした」

「いいってことよ」

二人の寿司職人が店内に戻ると、最後のたこを注文することなく、たこぼうず親子の姿はなかった。「次来た時にしっかり謝るんだよ」伯母が言った。

「ねえ、たこのこと専門用語でくもって言うんじゃないの?」

「それは、聞いたことねえな」

そんな会話をしている道行く親子をやたら奇妙に思ったミシモであったが、すぐに忘れた。