からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -199ページ目

“コスメティックもろざし”(五)

「あっ誰かがブタクマに捕まった」
校庭をコの字型に囲う校舎の窓から野次馬達の視線が知子と校門の番人に集まりだした。
ブタクマと呼ばれた男はチラッと校舎を見上げた。
「げっ、こっち見た」
知子の通う学校は大学の付属校で、中高一貫教育の女子校である。校舎の4階と3階の一部は中学生の教室になっている。高校生の野次馬達はブタクマの一瞥に笑い声や手を振ったりして応える余裕と経験があるのだが、中学生、特に1、2年生は窓から距離をとったり、中にはカーテンを閉めてしまう教室もある。それでも恐る恐る物陰やカーテンの隙間等から野次馬を続けているのだが。
「フン」
ブタクマは鼻息とも声ともつかない音を出して知子に目をやる。
「カバン、開けろ」
この頃になると知子の同級生や親交のある後輩達はブタクマの生贄が知子であることを認識している。だからこそ俄然その野次馬根性に火をつけた。知子とブタクマには浅からぬ因縁があるからだ。


“コスメティックもろざし”前夜祭(4)

知子は産まれてから18年目、初めて自暴自棄に陥いることになる。
思えば朝からツイてなかったのだ。目覚まし時計は時を告げること無く静寂を守った。いつもより力を入れてペダルを踏みしめた瞬間、通りを吹き抜けるビル風が知子のスカートをめくりあげた。「眼福、眼福」後ろから聞こえた声に恥ずかしさと怒りがこみ上げた。
「…………当たり前じゃない、今日のパンツは特別なんだから。うん?そういえばそんな歌があったような……」乙女の心と山の天気は変わりやすい。
「山口桃恵だぁ」
今まさに閉じられようとしている校門に向かって“立ち漕ぎ”に切り替えた時、知子はやっとその歌を歌っている歌手の名を思い出した。思い出すと同時に速度を得る気合いを入れる必要があった為つい声に出してしまった。というよりも叫び声に近かった。
突然の叫び声、しかも人名、に驚いたのか、門番は校門を閉める手を止めた。
人1人分の隙間を獲物に狙いを定めた鷹のような猛スピードで通過する事に成功した知子は前ブレーキをかけつつ左手を離し、小さくガッツポーズをした。
「おい、カブトムシ、止まれ」
知子は後ろを振り向いた。まだガッツポーズは原型を留めている。声の主を視界にとらえたとき、知子は思った。
「あぁ、今日はツイてない…」


“コスメティックもろざし”耳を傾ける(三)

知子が産まれて18年目、信蔵は再び幸せに包まれることになる。
ある夏の終わり、信蔵は、信蔵が苦労して手に入れた“ビクターの犬”の蓄音機を眺めて、難しい顔をしている。難しい顔をしているのは、50を過ぎたオヤジが1人家の中でニヤニヤしているのは如何なものか、という意識があるからなのだが、脳は表情を汲み取って、頭の中に渦を巻き始める。思想、主義、宗教、心理、社会情勢、思春期、死。
“し”が染み着いてやがる。
頭の中で様々な言葉や言葉にならないイメージが渾然一体となってあちらこちらを暴走する。誰だ、火を持ち出したのは。火炎瓶は不発したが、原爆は辺り一面をペンペン草1本生えない土地に変えた。雨が降り続け、爆心地は湖になった。雲が退き、湖に一筋の光が差し込んだならば、珠のオーラにくるまれた赤ん坊が水面に浮かびあがるのに理由はいらなかった。
知子。
俺はかつて娘を一度でも愛したことがあるのだろうか?
うなだれた信蔵に大脳新皮質は容赦なく鞭を打ち、今まで何度も開けそうになり、その度に幾重にも封印を施してきた扉を開けさせようとするのであった。


“コスメティックもろざし”愛のカタマリ(二)

加府信蔵は幸せだった。妻の悦子の体重が200㎏を越えたからだ。
「よぐやった、ひぐっ、君は最高だ、最高の女だ、くっ」
信蔵は泣きながら、嗚咽すら交えながら吠えた。そんな彼に向かって巨大なベッドに横たわっている悦子はゆっくりと落ち着いた口調で言う。
「ショートケーキを食べたわ、シュークリームも食べたわ、チーズケーキもチョコもお饅頭もバケツいっぱいにして食べたわ、もちろんハチミツはジョッキでおかわりよ」言い終わると悦子は笑った。といっても悦子の顔はいつも笑っているように見える。顔にある大量の脂肪により線より細く垂れ下がった目と、ぷっくり膨らみ、いつもえくぼが表れている頬は、消える事なき肉の仮面の如く悦子の顔に“笑顔”を刻んでいるのだった。
「思えば長い道のりだった。君に出逢って3年。…元々太りにくい体質だったのだろう。君はようやく100㎏を超え、僕達は結婚した」落ち着きを取り戻した信蔵は言いながら悦子の体によじ登る。悦子の顔の横に両手をつき、悦子の顔を見つめる。強烈な、汗と砂糖が混じったような匂いが彼を刺激した。
「それから6年、君はついに僕の願いを…」
声は途中で途切れた。悦子が信蔵の頭をそのグローブのような手で包み、重力に任せて生クリーム程柔らかな胸に沈めたのだ。
「あなたの、そして私の願い」
腹の底から慈愛に満ちた声だった。
「汗がもったいないわ」
信蔵と悦子は愛で結ばれてから9年目にして初めて体で結ばれた。


“コスメティックもろざし”コスメティック(一)

加府(かぶ)知子は静かに息を吐き、そのマスカラの効いたまつげを震わせ瞳を閉じる。
瞼の裏にあの頃の大嫌いな自分の姿が見えた気がした。
「ごめんね、信じてくれなくて構わないけど、今、すごく好きになれたよ」
呟きながら再度マスカラまつげを震わせた。アクリルの中にいるような透き通る夜空いっぱいに輝く満月が、あの頃の自分の笑顔に見えた。
「今ならわかるよ、笑ってもいいんだ」

知子の目にみるみる涙が溜まっていく。
「いけない、パンダになっちゃう」
知子は涙がでるのをかろうじてこらえ、足元のバケツに左手を突っ込み、まだ半分凍っているオキアミを“ゴソッ”と崩れ落ち無いことが不思議なくらい盛った。振り返ると同時に夜を舞うオキアミ。満月の輝きはオキアミをキラキラとコスメティックに輝かせる程に。

待ったなし

自然と知子は生臭い左手の“くぼみ”を舐めた。
その瞬間、指の隙間越しにもの凄い勢いで自分に向かって突っ込んでくる肉の塊を見た。