からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -191ページ目

“コスメティックもろざし”〈四十五〉

亡き母悦子から託された想いなのか、知子は太りやすかった。
意識があるうちは食った。風呂に浸かりながらも食った。
知子のアゴがふっくらした頃、陽はまた昇り、月曜日。
行きたい、とか、行かなきゃ、とか、行きたくない、とか考えることも出来ずに知子は制服姿になった。
スカートを履く感覚がいつもと違う。
体は膨らんだが、といっても流石に見た目はっきりとわかるほどではない、表情や雰囲気はげっそりとえぐれている。
学校に行く道すがらコンビニに寄り、エクレアを3個食べた。口元はチョコ色。天気は曇り。
甘いものを食べてる時だけ知子の目に生気が宿る。
学校に着き、トボトボと廊下を歩く。
普段ならば後輩や先輩から声をかけられる。しかしこの日は誰にも声をかけられない。誰も知子が通ったことに気がつかなかった。
いや、気がついた奴が1人だけいた。
「………………?」
ブタクマは知子が自分をまったく無視、普段は意識しあって無視している、してすれ違ったことに非日常性を感じた。
知子とすれ違ったあと甘いミルクのような匂い、それとどことなく“見たことがある”匂いがブタクマの鼻腔をかすめた。
教室に入った知子に、
「おっ、やっと来たよ。まったく待たせやがって」
と、ミチコとB子が近寄って来た。
ゆらゆらと揺れながら知子は自分の席に座った。
ミチコとB子は初め興奮していて知子に起こっている異常を目に留めることが出来なかったが、距離約1メートルに近づいた時にようやく気づいた。
それは告白の失敗を意味していることは想像出来たが、万が一、知子が自分達を騙そうと演技をしている可能性に賭けて、
「知子、…………どうだった?」
ミチコは聞いた。
「……えっ、…あぁ、ミチコ、B子おはよう」
「お、おはよう。ねぇ、それでタカオ君とはどうなったの?」
質問とは関係無い知子の返事に面食らったものの、というよりも面食らったからこそミチコは知子に追撃の一手を繰り出した。
「あぁ、ダメダメだったよ。なんか彼女がいるんだってさ」
知子はあっさり白状した。
知子の中で、ミチコとB子が自分をハメた、という疑念は消えていた。
実際2人は何も知らない。
「そ、そうか。…残念だったね」
「ははは、残念でした。」
「…ははは、まぁ頑張ったよ。…ていうかそれ非道くない?」
「それによく考えたら遠距離恋愛になるからね。どうせ長く続かなかったよ」
「B子、それは言い過ぎだろ」
「そう?」
「そうって、お前は悪気が無いから怖いよ、ねぇ知子」
「あはは、でも本当そうね、何も考えてなかったわ」
3人はいつも通りきゃぴきゃぴ笑いあう。
しかし知子はどこか気が抜けている。そして猫に追い詰められたネズミのような空元気だ。2人はそれに気づかぬフリをしていた。


“コスメティックもろざし”ダシはとれた〈44〉

周りが、墨汁をぶちまけたみたく、真っ黒になったような帰り道、通りがかった、子供の頃から外装が変わらないケーキ屋さん。
ショーウインドウに並ぶショートケーキだけが輝いて見えた。
知子は産まれてから一度もケーキを買ったことが無い。
父である信蔵がひどく嫌っているからだ。
それは信蔵が知子を太らせない為に、知子を大事に思うが故に自身の愛を知子に求めないことから発するものだ。信蔵は知子を愛している。だから太らせたい、が、しかしそれは知子を肉体的、精神的に追い詰めることは明白である。
妻悦子への愛、己から知子への愛、亡き妻から知子への愛、それらが混じりあったギリギリの愛なのだ。
家に入るなり知子はカバンをぶん投げて、ケーキの入った箱をかきむしるようにして開けた。
ライオンが獲物の臓物を食いちぎるかのようにショートケーキに食らいつく。
ショートケーキに巻きついていたビニールが口から垂れる。
構わずに食らい続けあっという間に食い終わった。
続けて2個目も同様に食らう。
最後の1個にかじりつく。
最後のイチゴを口に入れた時、
ガチャリ、
と、音がした。
するはずの無い音に驚いて振り返ると、そこには書斎から出て来た父がいた。
「やぁ知子、おかえり。……………サボタージュだよ、あんな仕事クソだ」
信蔵の目はどこか虚ろだった。
父の登場に一瞬驚いた知子だったが速い身のこなしで自分の部屋に入っていった。
父との仲は悪くないが、今父と話しをする心境ではない。ましてや一目見て父が“ハレの日”だとわかったのなら尚更だ。
「なんだぁ、パンダみたいな顔して………………ん?」
信蔵はテーブルの上に食い散らかされたケーキの残骸を見た。
泣き顔の娘と食い散らかしてあるケーキ、現状を汲み取った瞬間信蔵の愛が爆発した。
信蔵は笑顔を浮かべてぶつぶつとつぶやきながら家を出て行った。

知子は枕に顔を埋めて動かない。
枕からは頬についた生クリームのせいか、甘い甘いミルクの匂いがした。
「お母さん……………」
知子が枕に向かってそうつぶやいたのは、実に小学校低学年以来のことだった。

眠ったのか眠らなかったのかはわからない。
気がつくと陽が昇っており、猛烈な空腹感に襲われていた。
抗う術も無く知子は体を動かして部屋を出た。
冷蔵庫を開ける。
冷蔵庫の中には隙間も無いほどいっぱいのケーキ、チョコ菓子、プリン、そしてジュースにミルク。
知子は驚いた。この家ではあり得ないことなのだ。
しかしそれがあり得ている。
テレビを点ける。
そこにはいつも通りちゃんと父が写っている。
信蔵は笑っていた。
テレビを消す。
知子は心に開いた大きな空白を埋めるようにケーキ、チョコ菓子、プリンを、ジュースとミルクで流し込んだ。

知子が産まれてから18年目、信蔵は再び幸せに包まれた。
知子は産まれてから18年目、初めて自暴自棄に陥った。


“コスメティックもろざし”〈四十三〉

「よし、ばっちり」
知子はファミレスのテーブルに置いた鏡に写った自分を見て言った。
ここまで長かったなぁ、まつげをピンと震わせてしみじみ思った。
「げっ、時間がねぇ。あと5分だ」
えっ、ミチコの言葉に知子とB子はあ然とする。
「本当だ、いつの間にぃ~」
「お前が大根おろしハンバーグを頼むからだよ、なんでいま食うんだよ」
「え~、やっぱ肉は大事だよ」
言いながらミチコとB子はメイクの仕上げに取りかかっている。
「さて、行きますか」
「ちょっと待ってよ、私達は知子と違って仕上げるのに時間がかかるんだよ」
「そうだそうだ、この薄化粧お化けめ」
確かに知子は水を薄めたような美しい娘だが、決して薄化粧ではない。
現に時間が押している原因は、決して大根おろしハンバーグのせいではなく、3人が時が経つのを忘れてメイクに没頭していたからだ。
3人がファミレスを出たのはそれから5分後のことであった。
「ひぃ、汗が吹き出るぅ」
早足で約束の場所へと急ぐ。
約束の時間から10分遅れて着いた。
いた。そこには楽しげに話すD美と男の子達がちゃんといた。
「やぁ、遅れてごめんね」
「まったく、宮本武蔵じゃないんだから」
「いやごめんごめん、最初からちょっと遅れて行くって決めてたわけじゃなくてさ、こいつが突然メシを食いだしてさ」
「面目ない」
少女達と男の子達は街をぶらぶらと歩き、プリクラを撮り、またぶらぶらとマネキンを見つめたりした。
弾む会話はカラオケに吸い込まれて盛り上がりの絶頂を迎える。
カラオケ屋を出ると辺りは人工の光に満ちていた。
“東京にしかないファミレス”へと入った少女達と男の子達。
ガツガツとメシを食らいながら時間は過ぎていく。
あっという間に別れの時間が近づいた。
知子は次にタカオ君に会ったら言うと決めていたことを伝える為に、タカオ君と2人っきりのシチュエーションを創りだした。
3人の少女達は快く知子を送り出す。
駅前のロータリー、真ん中にはからくり時計、噴水、ベンチの横には知子とタカオ君。
「あ、あのさぁ」
「うん?」
「あの、私…あなたのことが好きみたい。つきあってください。…ってことなんだけど」
「えっ?」
「あの、つきあってもらえませんか?」
「あ、えっ?そんな…」
タカオ君は振り返りD美達がいるであろう場所を見た。
「嫌なら嫌でいいのよ」
知子はなかなか返事をしないタカオ君になかば諦めの言葉を投げかけた。
「………………なんでそんなこと言うの?」
タカオ君が知子の目を見て言った。
「えっ、なに?」
知子は心臓が口から飛び出しそう。
「まさか知子ちゃん、知らないわけないよね」
??????????
知子はもうわけがわからない。
「何が?」
「俺がD美とつきあってること」
知子の中で何かが音をたてて崩れていった。しかし頭は妙に冴えている。
「…………あははは、はは、……………だよね、冗談冗談。あははは」
「なんだよぉ。びっくりさせないでよ。ドキドキしちゃったじゃん。ほら、男は二足のわらじを履き分けてなんぼ、みたいな。どうせD美になんか言われたんだろ、浮気するかどうかとかさぁ」
「…ま、まあね」
既に知子の体から心は成層圏よりも高く放出されている。
「あ~、びっくりした。でもあれだよ、俺の選択は正解だろ?いや助かったよ、俺知子ちゃんみたいな地味な女タイプじゃないんだよね。ほら、知子ちゃんは特徴とか無いじゃん。タイプの女からだったらと思うとぞっとするよ」
屈託ない安心しきった笑顔でこのバカは言い放つ。知子は、確かに“地味”な格好や化粧法をしているが、それは指輪でいうならば、石の輝きを目立たせる為の無味なリングのようなもので、D美と知子を見比べた場合、100人いれば95人は知子の方が美しい、圧倒的に美しい、と答えるだろう。だがしかし、このバカは残りの5人に属していたようだ。
知子の脳裏にから笑う派手派手なD美の姿が浮かんだ。
「じゃ、みんな待ってるから行くわ。また遊ぼーね。じゃあまた」
タカオ君はさっそうと駅に向かって行った。

ハメられた?
ハメられたんだ。

知子は体の内側がとても痛くなった。

タイプじゃない。
特徴がない。

タカオ君が言った言葉が頭の中で鏡地獄のように乱反射してやまない。告白の結果は月曜日にミチコとB子に話すことになっている。
成功したなら家に泊めてヤッちまえ、とまで言われた。
2人はタカオ君とD美のことを知っていたのだろうか?
知子の思考は停止していて考える事が出来ない。
このままアスファルトに溶けていきたい。
そう思いながらも、それでもなんとか家に帰った。
手にはショートケーキの入った箱を握っていた。


“コスメティックもろざし”〈四十二〉

「ねぇ、そこに行こうよ」
ミチコが言った。自分の弱さを攻撃的な行動に変える娘なのだ。
「それは出来ないよ、ひよってるって思われても構わない。俺達にとっては絶対のタブーだ。特に満月の夜は」
男の子達は口々に行かないことを表明した。
「…………ねぇ、今の話本当なの?」
「あぁ、本当さ」
「本当に?」
「そうだよ」
「作りじゃなくて?」
「作り話じゃないよ」
知子とタカオ君が何度も繰り返し確認をしている時、
てろろろろろろ
と、D美の携帯電話が鳴った。
「家からだ」
と、言ってからD美は電話に出た。
「なに?どうかした?…………えっ、あっそうなの?ばぁちゃんは?あぁそう。…………そんなこと言ったっけ?……………切れた」
「どうしたの?」
B子が皆を代表して聞いた。
「う~ん、それがね。お母さんが家で料理を作ってみんなを待ってるんだって、みんなっていっても私達だけのことよ。いつ帰ってくるんだ、せっかく腕によりをかけて作った料理は冷めていくし、お腹は減るし、悲しくて死にそうだって言ってる。夕食を家で食べるかもってついうっかり言ってしまっていたみたいだわ」
「…………今10時過ぎてるわよ、相当怒ってるんじゃない?」
「いや、それは大丈夫。さみしくてみんなが待ち遠しくなっただけよ、まぁこっちは完全に忘れてたけどね」
「………………これは行かないとダメみたいね」
「ごめんね」
「いいのよ」
「あぁ、それはしょうがないな、ここで解散しよう」
「あ~、なんかそっちからそう言われるとムカつくぅ」
「えっ、いやそんな、俺達も惜しいよ」
「俺達も、って、私達の意見を勝手に決めないでよね」
「それは…」
「いや、悪いんだけど“行く”と決めたなら、なるだけ早く行きたいんだけど」
「そうね、悪いのはこっちよ。…じゃあまたね、今度はこっちに遊びに来てよ」
「あぁ、近いうちに行くよ」
知子とタカオ君、少女達と男の子達は、また会う日までの別れを告げた。
D美の家ではアメリカのホームドラマさながら、大きなお皿に色とりどりの料理がテーブルいっぱいに並べられていた。
「まったくお腹と背中がくっついてしまいそうだったわ…そうは見えないでしょうけど」
そう言ってD美の母親は笑った。崩れた妊婦のような体型の持ち主だ。
「すいません、夜遊びが過ぎまして…」
「ふふふっ、気が利く子ね。いいのよ、気にしないで。ゆっくりしていってね。あら、あなた、確か加府さんのお嬢さんじゃない?」
「はい…知子といいます」
「そうそう知子ちゃん。お父様のこと毎日見てるわよ、さぞ忙しいんでしょう?」
「土曜の昼くらいしか家にいないんすよ」
知子の変わりにミチコが答えた。
「あらそう、やっぱりねぇ、ほら、うちも親が1人でしょ。だから」
「ママ、話長いよ、料理冷めちゃうんでしょ」
D美が長くなりそうなママの立ち話を制した。
話しが止まらないママのおかげでこの日の遅い夕食は大いに盛り上がった。
母親ってこんな感じなのかな、知子は今まで何回も感じてきたことを感じて眠りに着いた。
次の日誰もいない家に帰った知子は少し泣いた。
恥ずかしいくらいピュアガールだな、知子は湿った枕につぶやいた。

夏休みも終わりに近づいた頃、D美から連絡があった。
夏休み明けの土曜日に遊べないか、とのこと。もちろんタカオ君達が一緒だ。


“コスメティックもろざし”〈四十一〉

「あそこに、堤防の先に小さな灯台があるだろ?」
タカオ君は海岸線を指差した。ここから遠いのか近いのかよくわからないが、確かに海に突き出た堤防の突端に小さな灯台のような塔がある。
「今から話すのはあそこの話だ。あそこらへんの海の話」
タカオ君はふーっと息を吐いた。
「いや話じゃないな、だから大して面白くは話せないんだ」
「いいから、早く早く」
少女達は待ちきれずタカオ君を急かした。
「話は至ってシンプル、君達も何度か聞いたことがあるだろう。…………海の事故の話さ。海に引き込まれて溺れ死ぬ話………。」
ごくりと少女達ののどが鳴る。
「そ、それって、ほらよくある、海で写真を撮ったら海から無数の手が出てたってやつ?」
タカオ君の沈黙に耐えられず、ミチコが口を出した。
「そう、それだよ」
タカオ君はあっさり認めた。
拍子抜けしたのか、はたまた知っている話で安心したのか、少女達は、
「なんだぁ」
「あんまりタメるからさぁ~、ちょっちびびったよ」
などを言い合う。
「言ったろ、シンプルな話だって、聞いたことある話だってさ。ただし事実だ。…………この町では毎年大体20人ぐらいの人が海で死ぬ。ほとんどは観光客や釣り客だ。でも海水浴場でなんか滅多に死亡事故は起きない。…………そう、ほとんどあそこの海で死ぬんだ………」
少女達に再度緊張が走る。
「あそこは地元の人は近づかないからな、それが逆に魅力なんだろう、遊びにきた大学生が堤防から飛び込んだりするんだ。………もちろん立ち入り禁止だし、事故の注意書きはあるよ、それを守る奴もいるけど守らない奴もいるのさ」
タカオ君はやるせなく言った。本当にやるせないようだ。
「これは作り話じゃないからね、事実だけを話すよ。…あそこはとても潮の流れが複雑で速いんだ。そしてその流れの力で堤防の海から下がえぐれてる。…ちょうど人一人分、シングルベッドぐらいね」
少女達はぞわっと背中の産毛が逆立った。
「そう、海に飛び込んだら最後二度と浮かび上がってはこない。そのえぐれてる場所に引っかかっているのが次の日の捜索で見つかるんだ」
タカオ君はため息をついた。
「でもこれで終わりじゃないんだ。実は飛び込みをする観光客と同じくらい釣り客も死ぬんだ。釣り客ってのは同じ場所に集まるもんなんだ。でも、それでも、多分飛び込みをする大学生と同じ理由で釣りをする奴がいる。そういう誰もいない場所に入っていって釣りをする奴ってのは素人じゃない。百戦錬磨の釣り客なはずなんだ。もちろん飛び込みなんかしないし、落ちるなんてことはないはずさ。他の堤防では落っこちる奴なんて数年に一人ぐらいしかいない。落ちる要素は無い。……………でも落ちるんだ、毎年、何人も」
「ま、まさか…」
知子は確信している。
「……くどいようだけどこれは作り話じゃない、事実なんだ。だから無数の手によって海に引っ張り込まれたなんてことは言わないよ。ここまでは事実だ。そしてここからはこの異常な事実から生まれた噂なんだけど、飛び込みをした死体と釣り客の死体には共通の傷がある、体の至る所に手の形をした傷が。…まぁこれは水中で岩とか貝とかで引っ掻いた傷だろうけどね」
おおぅ、と、少女達はリアクションした。どうしていいかよくわからないのだ。
「それともうひとつ、そういう不可解な事が起こるのは圧倒的に満月の夜が多い。…そう特に今日みたいなやけに明るい満月の夜にね」
うわっ、タカオ君が話し終わると同時に残りの男の子達3人が後ろから少女達をおどかした。
きゃぁぁぁぁああぁぁ。
夜、静かな港に少女達の叫び声が響いた。