“コスメティックもろざし”〈六十五〉
向かい合うブタクマと知子。まわしはつけない。スカートの下にジャージをはいただけ。まわしはぶかぶかで使いものにならないのだ。
知子はわけがわからないながらも腰を深く沈める。毎日していた体勢が思ったよりきつい。
腰を沈めたブタクマが静かに手をついた。
条件反射で知子はブタクマにぶちかまし。がっしとブタクマは受けとめた。いつも通りだった風景、視界。
知子は一心不乱にブタクマを押す。脇をしめ、下から手を突き上げるように。
裸足のブタクマはマットに根を張ったように動かない。知子の体重が130キロあったころからそれは変わらない。
それでも知子は押し続ける。目にはうっすら涙が。
どのくらい経っているのだろうか、10秒か30秒か1分か15分か……。まったくわからなかったが、やがてブタクマの体がぐらりと揺れた。
知子はこれまた条件反射。ブタクマの弱くなった場所を的確に攻める。
グイグイと土俵際へと追いこむ。そして土俵際、ブタクマのピンチ……か?
ブタクマは土俵際で知子を受けとめた。そして知子の脇の下に手をいれて、一気に頭上高く、たかいたかい。ふわりと浮く感覚。空中にいる知子と目が合う。一瞬の間。
ブタクマはそのまま知子を土俵の外に出した。
「強くなったじゃないか」
「……初めて相撲したときと変わらないじゃん」
知子は必死で涙を我慢する。
「そういえばそうだな」と言って、ブタクマは、ふふふ、と笑った。
「知子、卒業おめでとう。この先なにがあっても、この相撲場であった出来事がお前の力になってくれるさ」
知子の目からついに涙がこぼれ落ちる。
その時、相撲場の扉が開いて、
パパパパパパーン、
と、音がした。
ふり返るとメイコ先生が少しの煙と色とりどりの紙を吐きだしているクラッカーをいくつも持っていた。
「あら、少し鳴らすタイミングが悪かったわね」
メイコ先生は笑った。
知子も泣きながら笑った。
「知子、卒業おめでとう。はい、これ」
メイコ先生は紙袋を知子に手渡した。中には色紙。大きな手形。
「恥ずかしがっているところを無理矢理押してもらったのよ」
「これ、ブタクマの?うわぁ、あんまり嬉しくねぇ」
「でしょ。嫌がらせよ。あなた達が卒業するたび、私はひとつ老いていくんだから。悔しくて仕方がないわ」
ブタクマは自身の手形のぞんざいな扱いに少しふくれっ面。
「さぁ、今日はやることいっぱいあるでしょう。もう行きなさい」
「うん」
知子はカバンを肩にかけ、
「じゃあメイコ先生さようなら、また会う日まで」
知子は相撲場を出た。相撲場から姿が見えなくなった時、
「それからブタクマぁ、世話になったよ。じゃあな」
知子は叫んだ。
「ふふふ、いい娘だわ」
「えぇ、本当に」
続
知子はわけがわからないながらも腰を深く沈める。毎日していた体勢が思ったよりきつい。
腰を沈めたブタクマが静かに手をついた。
条件反射で知子はブタクマにぶちかまし。がっしとブタクマは受けとめた。いつも通りだった風景、視界。
知子は一心不乱にブタクマを押す。脇をしめ、下から手を突き上げるように。
裸足のブタクマはマットに根を張ったように動かない。知子の体重が130キロあったころからそれは変わらない。
それでも知子は押し続ける。目にはうっすら涙が。
どのくらい経っているのだろうか、10秒か30秒か1分か15分か……。まったくわからなかったが、やがてブタクマの体がぐらりと揺れた。
知子はこれまた条件反射。ブタクマの弱くなった場所を的確に攻める。
グイグイと土俵際へと追いこむ。そして土俵際、ブタクマのピンチ……か?
ブタクマは土俵際で知子を受けとめた。そして知子の脇の下に手をいれて、一気に頭上高く、たかいたかい。ふわりと浮く感覚。空中にいる知子と目が合う。一瞬の間。
ブタクマはそのまま知子を土俵の外に出した。
「強くなったじゃないか」
「……初めて相撲したときと変わらないじゃん」
知子は必死で涙を我慢する。
「そういえばそうだな」と言って、ブタクマは、ふふふ、と笑った。
「知子、卒業おめでとう。この先なにがあっても、この相撲場であった出来事がお前の力になってくれるさ」
知子の目からついに涙がこぼれ落ちる。
その時、相撲場の扉が開いて、
パパパパパパーン、
と、音がした。
ふり返るとメイコ先生が少しの煙と色とりどりの紙を吐きだしているクラッカーをいくつも持っていた。
「あら、少し鳴らすタイミングが悪かったわね」
メイコ先生は笑った。
知子も泣きながら笑った。
「知子、卒業おめでとう。はい、これ」
メイコ先生は紙袋を知子に手渡した。中には色紙。大きな手形。
「恥ずかしがっているところを無理矢理押してもらったのよ」
「これ、ブタクマの?うわぁ、あんまり嬉しくねぇ」
「でしょ。嫌がらせよ。あなた達が卒業するたび、私はひとつ老いていくんだから。悔しくて仕方がないわ」
ブタクマは自身の手形のぞんざいな扱いに少しふくれっ面。
「さぁ、今日はやることいっぱいあるでしょう。もう行きなさい」
「うん」
知子はカバンを肩にかけ、
「じゃあメイコ先生さようなら、また会う日まで」
知子は相撲場を出た。相撲場から姿が見えなくなった時、
「それからブタクマぁ、世話になったよ。じゃあな」
知子は叫んだ。
「ふふふ、いい娘だわ」
「えぇ、本当に」
続
“コスメティックもろざし”転換〈64〉
夏が過ぎ、知子は受験勉強に励む。知子の学校は有名大学の付属校である。まず6割はそのまま上の大学へ進む。だがひとつ問題がある。女子大なのだ。夢もへったくれもありゃしない。もちろんやりたいことを見つけその為に希望する大学を受験する生徒もいるが、多くの生徒は“狩り”に出るため他の大学を受験する。
知子は“狩り”が目的ではないが受験する道を選んだ。相撲は一段落ついた、と思っている。ブタクマは相撲の推薦で大学に行けるぞ、と言ってくれたが、それも受験するひとつの理由になった。
どん底にあった自分に上のほう、光のあるほうからロープを投げ入れてくれたもの。ブタクマ、メイコ先生、ミチコ、B子、そして相撲。今はあの時のことを思い出してもへっちゃら。思い出し笑いすら浮かべる。なぜなら夏、あの日よりも優勝した日、流した涙、汗、鼻水も優勝した日が勝っている。優勝した日に比べればあの日のことなど、台風に向かって扇風機を回しているようなものだ。
完全に立ち直ることが出来た。ならばいつまでもおんぶにだっこしているわけにはいかない、と、思ったのだ。
受験することをブタクマに告げると、それは相撲をやめることを意味する、ブタクマは静かにうなずいて、「よく頑張った。お前が本気で取り組めばきっと受かる」と、言った。
ブタクマは知子の気持ちがよくわかった。自らの経験と知子の気持ちがオーバーラップしたからだ。もちろん、知子には相撲を続けてほしい、という気持ちもある。が、どうして知子を引きとめることが出来ようか。ブタクマは自分を面倒見てくれた両親の気持ちがわかった気がする。きっと両親は今の自分を祝福してくれているだろう。なぜなら今、俺は知子を祝福しているのだから。
ミチコとB子も受験をする。ミチコは「獣医になりたい」と突然、なんの前触れもなく、言いだして、北海道の大学を受ける気だ。B子は美大を受ける。
3月、卒業式。知子達はみんな第一志望の大学に受かった。
知子は優勝した日以来、あまり甘いものを食べなくなり、練習をやめてからは食事も相撲を始める前の、あの日よりも前の量に戻った。体は一気にしぼんだ。太りやすく、痩せやすい。母からの愛と遺伝。父信蔵は少し残念そうである。
体重はとうに60キロをきっていた。あまった皮でぶよんぶよんになりそうなものだが知子はそうならなかった。
教室、最後のホームルーム。むせび泣く少女達。担任からの言葉。高校生活の終わり。解散。
知子は体育職員室へ向かう。
扉を二度打ち鳴らす。
「失礼します」
「あら知子。来ると思ってたわ」
メイコ先生がお茶をすすりながら言った。
「先生、ブタクマは?」
きょろきょろと右左。ブタクマの姿はない。
「あぁ、相撲場にいるわよ」
「そうですか。じゃあ行ってみます。失礼します」
相撲場の扉を開ける。
ブタクマはマットの掃除をしていた。
「来たか」
ブタクマは息を吐いて、
「お前やり残したことがあるんじゃないか?お前は一度も俺に勝ってないだろう」
続
知子は“狩り”が目的ではないが受験する道を選んだ。相撲は一段落ついた、と思っている。ブタクマは相撲の推薦で大学に行けるぞ、と言ってくれたが、それも受験するひとつの理由になった。
どん底にあった自分に上のほう、光のあるほうからロープを投げ入れてくれたもの。ブタクマ、メイコ先生、ミチコ、B子、そして相撲。今はあの時のことを思い出してもへっちゃら。思い出し笑いすら浮かべる。なぜなら夏、あの日よりも優勝した日、流した涙、汗、鼻水も優勝した日が勝っている。優勝した日に比べればあの日のことなど、台風に向かって扇風機を回しているようなものだ。
完全に立ち直ることが出来た。ならばいつまでもおんぶにだっこしているわけにはいかない、と、思ったのだ。
受験することをブタクマに告げると、それは相撲をやめることを意味する、ブタクマは静かにうなずいて、「よく頑張った。お前が本気で取り組めばきっと受かる」と、言った。
ブタクマは知子の気持ちがよくわかった。自らの経験と知子の気持ちがオーバーラップしたからだ。もちろん、知子には相撲を続けてほしい、という気持ちもある。が、どうして知子を引きとめることが出来ようか。ブタクマは自分を面倒見てくれた両親の気持ちがわかった気がする。きっと両親は今の自分を祝福してくれているだろう。なぜなら今、俺は知子を祝福しているのだから。
ミチコとB子も受験をする。ミチコは「獣医になりたい」と突然、なんの前触れもなく、言いだして、北海道の大学を受ける気だ。B子は美大を受ける。
3月、卒業式。知子達はみんな第一志望の大学に受かった。
知子は優勝した日以来、あまり甘いものを食べなくなり、練習をやめてからは食事も相撲を始める前の、あの日よりも前の量に戻った。体は一気にしぼんだ。太りやすく、痩せやすい。母からの愛と遺伝。父信蔵は少し残念そうである。
体重はとうに60キロをきっていた。あまった皮でぶよんぶよんになりそうなものだが知子はそうならなかった。
教室、最後のホームルーム。むせび泣く少女達。担任からの言葉。高校生活の終わり。解散。
知子は体育職員室へ向かう。
扉を二度打ち鳴らす。
「失礼します」
「あら知子。来ると思ってたわ」
メイコ先生がお茶をすすりながら言った。
「先生、ブタクマは?」
きょろきょろと右左。ブタクマの姿はない。
「あぁ、相撲場にいるわよ」
「そうですか。じゃあ行ってみます。失礼します」
相撲場の扉を開ける。
ブタクマはマットの掃除をしていた。
「来たか」
ブタクマは息を吐いて、
「お前やり残したことがあるんじゃないか?お前は一度も俺に勝ってないだろう」
続
“コスメティックもろざし”〈六十三〉
知子と胡桃皮さんは土俵中央で、互いが互いを支えあっているかのようにつりあっている。
うおおぉぉぉおぉ、
知子の脚に力が乗る。強烈な胡桃皮さんの圧力を押し切り、後退を余儀なくさせるほどだ。
うっ、やばい。
力で押した知子を胡桃皮さんは受け流し、投げを打った。完璧なタイミング、完全に体を奪われた。知子の体が宙に浮く。
しかし負けられるものか。前回胡桃皮さんに負けてから半年ほど、短いといえば短いがすべてを費やしたのだ。時間を、生活を、青春も、容姿も、恋も。
がしっ、
知子はなんとか片足を残した。再び胡桃皮さんのまわしを掴む。
だがしかし体は投げにより反対向きになった。すなわち、今まで胡桃皮さんが向いていたほうを向いている。体一つ分土俵際に近づいて。
体勢も不十分。胡桃皮さんの圧力に耐えられない。ずりずりと押されていく。
足が俵にかかる。その瞬間知子は全力で胡桃皮さんの右腕をきった。と、同時に右腕で胡桃皮さんの左腕の肘関節をきめて、きめた腕のほうへ俵の上を動く。
ぐらりと前のめりに胡桃皮さんが揺れる。
かかった!
が、知子も自身の鋭い動きの勢いにより胡桃皮さんの左腕を離してしまった。
離れた2人、目と目が合う。
胡桃皮さんはものすごく険しい必死の形相だ。
「なぁんだ、胡桃皮さんも必死なんじゃん」
知子はそう感じた。
体に力がみなぎる。
2人は土俵際で再度ぶつかりあった。
がっちり組み合う。胡桃皮さんは素早く左右に知子をふる。
「力勝負なら私がいける」
知子は胡桃皮さんの投げをことごとく受け止める。微動だにしない。
知子は胡桃皮さんのまわしを掴むと、上体を押しつけてギリギリと引きつける。胡桃皮さんもそうはさせまいと腰を引く。
一時たりとも力を抜けない。
まわしを引きつける腕がちぎれそうだ。それでもより強く。より強く。
どれほどの時間がすぎたのだろう。ともかく、知子にはやけに長く感じた。他人の九九暗唱を1の段から9の段まで聞かされたような…。そして、胡桃皮さんの体が突然軽くなった。
どたん、
知子は倒れた。胡桃皮さんを下にして。
「おおおおぉぉぉぉぉ」目の前でブタクマが両手をあげて叫んでいる。
知子は行司のほうを振り返る。軍配は知子側に。
観衆のスターマインのような拍手が聞こえてきた。
周りを見渡す。途中から景色がにじむ。知子の目に涙が溢れている。
目から鼻から口から流れでる液体を止めることができない。
土俵から下りる際知子は、足元が見えないので、段を踏み外して転んだ。倒れていく体。
途中で顔がなにかにぶつかった。
ぶつかり覚えのあるもの。ブタクマの胸だ。
知子は抱きついて号泣した。
「おいおい、勝ったのはお前なんだぞ」
ブタクマは知子の頭をぽんぽんした。
続
うおおぉぉぉおぉ、
知子の脚に力が乗る。強烈な胡桃皮さんの圧力を押し切り、後退を余儀なくさせるほどだ。
うっ、やばい。
力で押した知子を胡桃皮さんは受け流し、投げを打った。完璧なタイミング、完全に体を奪われた。知子の体が宙に浮く。
しかし負けられるものか。前回胡桃皮さんに負けてから半年ほど、短いといえば短いがすべてを費やしたのだ。時間を、生活を、青春も、容姿も、恋も。
がしっ、
知子はなんとか片足を残した。再び胡桃皮さんのまわしを掴む。
だがしかし体は投げにより反対向きになった。すなわち、今まで胡桃皮さんが向いていたほうを向いている。体一つ分土俵際に近づいて。
体勢も不十分。胡桃皮さんの圧力に耐えられない。ずりずりと押されていく。
足が俵にかかる。その瞬間知子は全力で胡桃皮さんの右腕をきった。と、同時に右腕で胡桃皮さんの左腕の肘関節をきめて、きめた腕のほうへ俵の上を動く。
ぐらりと前のめりに胡桃皮さんが揺れる。
かかった!
が、知子も自身の鋭い動きの勢いにより胡桃皮さんの左腕を離してしまった。
離れた2人、目と目が合う。
胡桃皮さんはものすごく険しい必死の形相だ。
「なぁんだ、胡桃皮さんも必死なんじゃん」
知子はそう感じた。
体に力がみなぎる。
2人は土俵際で再度ぶつかりあった。
がっちり組み合う。胡桃皮さんは素早く左右に知子をふる。
「力勝負なら私がいける」
知子は胡桃皮さんの投げをことごとく受け止める。微動だにしない。
知子は胡桃皮さんのまわしを掴むと、上体を押しつけてギリギリと引きつける。胡桃皮さんもそうはさせまいと腰を引く。
一時たりとも力を抜けない。
まわしを引きつける腕がちぎれそうだ。それでもより強く。より強く。
どれほどの時間がすぎたのだろう。ともかく、知子にはやけに長く感じた。他人の九九暗唱を1の段から9の段まで聞かされたような…。そして、胡桃皮さんの体が突然軽くなった。
どたん、
知子は倒れた。胡桃皮さんを下にして。
「おおおおぉぉぉぉぉ」目の前でブタクマが両手をあげて叫んでいる。
知子は行司のほうを振り返る。軍配は知子側に。
観衆のスターマインのような拍手が聞こえてきた。
周りを見渡す。途中から景色がにじむ。知子の目に涙が溢れている。
目から鼻から口から流れでる液体を止めることができない。
土俵から下りる際知子は、足元が見えないので、段を踏み外して転んだ。倒れていく体。
途中で顔がなにかにぶつかった。
ぶつかり覚えのあるもの。ブタクマの胸だ。
知子は抱きついて号泣した。
「おいおい、勝ったのはお前なんだぞ」
ブタクマは知子の頭をぽんぽんした。
続
“コスメティックもろざし”〈六十二〉
知子はこの大会のことを思い出す時、渡辺さんが胡桃皮さんに負けたこと、一回戦の相手がやたら強かったこと、どうやら柔道で国際大会に出るほどの選手だったらしい、それと胡桃皮さんとの決勝戦しか思い出せない。完全に一回戦から決勝戦までの間が抜け落ちている。
それもしょうがない。知子は思う。心に刻んだ思い出はあまりに大きすぎて、記憶の枠内からどうでもいいことを押し出してしまったに違いない、と。
それなら一向にかまわない。あれほどの思い出が残るのならば。
知子は順調に決勝まで来た。胡桃皮さんも同じく決勝へ。
果たして自分の相撲があの胡桃皮さんに通じるのか?
知子を不安が襲う。緊張、恐怖、虚勢、をない交ぜにした感情。吐き気すらしてくる。
だが決勝戦まで時間はわずかしかない。時計の秒針は誰にでも無慈悲に動き続ける。
ふと、「ブタクマと胡桃皮さん、どちらがつよいのだろう?」という疑問が頭をよぎる。
知子はいまだブタクマに勝ったことがない。何千何万と挑んだがすべて跳ね返された。
「きっとブタクマのほうが強いんだろうな」
知子はつぶやいて土俵に上がる。その目は先ほどまでの八方ふさがりの目と違い、光り輝いている。闘争心の光だ。
土俵上で相対する知子と胡桃皮さん。体格は互角。
場内のボルテージが沸きに沸く。観客なんかほとんどいない。大体が関係者だ。だからこそ沸く、この一戦への興味はそこいらのおっさん達とは違うのだ。渡辺さん対胡桃皮さんの場合は、渡辺さんが時代を取り戻すかどうかの闘いであった。奇しくも知子と胡桃皮さんの対戦は、新しい時代を確固たるものとした胡桃皮さんから知子が時代を取るかどうかの闘いだ。胡桃皮さんが不動の地位を見せつけるのか、知子が胡桃皮さんの築いてきたものを吹き飛ばすのか。
そしてなにより、
「知子は強い。胡桃皮さんは強い。ではどっちが強いんだ?」
という命題めいた強烈な興味。そしてこの命題の答えは禅問答のように形無きものではなく、格闘技の宿命、今まさに土俵の上で雌雄を決しようとしている。関係者はまばたきを忘れるほど土俵上の2人を見つめ、社会的多数から見た彼女達2人は決して美しい姿とは言えないが見とれてさえいる。
ブタクマも見つめている。思えばこの一戦が己の相撲人生の集大成になるのかもしれない。知子が卒業したら相撲部はどうなるかしらない。この先自分が相撲に関わるかしらない。
勝ち負けはどうでもいい。ただ悔いの無いよう、持っているものすべてをぶつけるんだ。ブタクマは祈るように願う。
まったなし。
知子は前回対戦時とは違い、しっかり腰を落とした。細い蜘蛛の糸一本を切らさぬよう張りつめるイメージ、ギリギリの前傾姿勢。
はっけよい。
知子はその糸を切って、エネルギーを解き放った。
続
それもしょうがない。知子は思う。心に刻んだ思い出はあまりに大きすぎて、記憶の枠内からどうでもいいことを押し出してしまったに違いない、と。
それなら一向にかまわない。あれほどの思い出が残るのならば。
知子は順調に決勝まで来た。胡桃皮さんも同じく決勝へ。
果たして自分の相撲があの胡桃皮さんに通じるのか?
知子を不安が襲う。緊張、恐怖、虚勢、をない交ぜにした感情。吐き気すらしてくる。
だが決勝戦まで時間はわずかしかない。時計の秒針は誰にでも無慈悲に動き続ける。
ふと、「ブタクマと胡桃皮さん、どちらがつよいのだろう?」という疑問が頭をよぎる。
知子はいまだブタクマに勝ったことがない。何千何万と挑んだがすべて跳ね返された。
「きっとブタクマのほうが強いんだろうな」
知子はつぶやいて土俵に上がる。その目は先ほどまでの八方ふさがりの目と違い、光り輝いている。闘争心の光だ。
土俵上で相対する知子と胡桃皮さん。体格は互角。
場内のボルテージが沸きに沸く。観客なんかほとんどいない。大体が関係者だ。だからこそ沸く、この一戦への興味はそこいらのおっさん達とは違うのだ。渡辺さん対胡桃皮さんの場合は、渡辺さんが時代を取り戻すかどうかの闘いであった。奇しくも知子と胡桃皮さんの対戦は、新しい時代を確固たるものとした胡桃皮さんから知子が時代を取るかどうかの闘いだ。胡桃皮さんが不動の地位を見せつけるのか、知子が胡桃皮さんの築いてきたものを吹き飛ばすのか。
そしてなにより、
「知子は強い。胡桃皮さんは強い。ではどっちが強いんだ?」
という命題めいた強烈な興味。そしてこの命題の答えは禅問答のように形無きものではなく、格闘技の宿命、今まさに土俵の上で雌雄を決しようとしている。関係者はまばたきを忘れるほど土俵上の2人を見つめ、社会的多数から見た彼女達2人は決して美しい姿とは言えないが見とれてさえいる。
ブタクマも見つめている。思えばこの一戦が己の相撲人生の集大成になるのかもしれない。知子が卒業したら相撲部はどうなるかしらない。この先自分が相撲に関わるかしらない。
勝ち負けはどうでもいい。ただ悔いの無いよう、持っているものすべてをぶつけるんだ。ブタクマは祈るように願う。
まったなし。
知子は前回対戦時とは違い、しっかり腰を落とした。細い蜘蛛の糸一本を切らさぬよう張りつめるイメージ、ギリギリの前傾姿勢。
はっけよい。
知子はその糸を切って、エネルギーを解き放った。
続
“コスメティックもろざし”〈六十一〉
会場にいる人達の視線は土俵に釘付け。“てこ”を使っても離すことは出来まい。
土俵上で相対する渡辺さんと胡桃皮さん。開幕戦にしては豪華すぎるマッチメイク。
胡桃皮さんが頂点を盤石のものにするのか、渡辺さんが時代を取り戻すのか。決する時は間近。
まったなし。
無音、静けさが俵にしみいってしまいそうだ。
静寂の世界を切り裂いて、2人が動いた。
互いの全力を尽くしたぶちかまし。やや渡辺さんの体勢が崩れた。
胡桃皮さんはここぞとばかりに攻勢をかける。渡辺さんはなんとか組み手を得意の形にしようとするのだが、時すでに遅し。隙のない胡桃皮さんは渡辺さんになにもさせず、ずずずっ、と後退させていく。
がっちり捉えられたまま、最後は吊り出し。渡辺さんは足をばたつかせることしか出来なかった。
豪快に圧倒しての勝ち。あまりのあっけなさに会場の反応が薄い。
知子も、まさか、という思いでいっぱいだ。
渡辺さんは凄く強い。だが胡桃皮さんはもっと強かった。もはやその実力は別次元にあると言っても過言ではない。
圧倒的な強さ、衝撃が知子のもやもやを吹き飛ばす。渡辺さんが負けるのはイヤ、かといって胡桃皮さんが負けるのはイヤ。そんな考え、胡桃皮さんの前ではむなしいものに過ぎなかった。
背筋に冷たい汗を感じながら知子は自分の出番に向けてウォーミングアップを再開する。
ちらりと横目で渡辺さんを見る。タオルを頭からかぶりうずくまっている。
話しかければ渡辺さんは明るく対応してくれるだろう、しかし、かける言葉などあろうはずがない。
「思い上がるな。私はなにも出来ない。今は相撲をとるだけ」
ほっぺをぱんぱんと張り、知子は何度も頭の中で言葉を浮かべる。
もう出番だ。
土俵に上がる。
緊張で体がガチガチになっていることが手に取るようにわかる。息をしているかどうかもわからない。
相手を見る。土俵に上がる前は小さく見えたが、いざ正面に立たれると…でっかく……とはさすがに見えないが、小さくも見えない。
取組が始まる。
十分に腰を落としてタメをつくる。
はっけよい。
知子はおもいっきり相手にぶつかる。並の相手なら吹き飛んでしまう知子のぶちかましだ。が、どっしりと受け止められた。ましてや80キロそこそこ、相撲の世界では並以下の体重の相手に。
組み合った瞬間、
「お、重い」
と、知子は思った。体格以上に相手が重い。相手の隙をつくろうと右に左に揺さぶろうとしているのだが、相手は地面に吸いついているよう、根をはったよう、動かない。
がっぷり四つに組んだまま土俵中央で2人は止まっている。
知子は状況を打破しようと一歩踏みこんだ。
相手はその足のひざに横から強烈な足払いを食らわした。
知子の体がわずかにぶれる。相手は勝負に打って出た。知子の踏み出した足を片手で脇に抱える。
否、抱えようとした。
が、知子とて生半可な者ではない。知子は相手が足を取りに来ることがわかると一気に相手を吊り上げた。相手も攻めに集中して防御がおろそかになったとみえる。
知子は相手のまわしを自分の胸のあたりまであげた。相手は下半身を吊り上げられ、知子の足にしがみついている形だ。
足を取られて動けないものの勝負あり。知子は相手をひっくり返して背中から後方に投げる。
相手は脇腹から土俵に落ちた。
続
土俵上で相対する渡辺さんと胡桃皮さん。開幕戦にしては豪華すぎるマッチメイク。
胡桃皮さんが頂点を盤石のものにするのか、渡辺さんが時代を取り戻すのか。決する時は間近。
まったなし。
無音、静けさが俵にしみいってしまいそうだ。
静寂の世界を切り裂いて、2人が動いた。
互いの全力を尽くしたぶちかまし。やや渡辺さんの体勢が崩れた。
胡桃皮さんはここぞとばかりに攻勢をかける。渡辺さんはなんとか組み手を得意の形にしようとするのだが、時すでに遅し。隙のない胡桃皮さんは渡辺さんになにもさせず、ずずずっ、と後退させていく。
がっちり捉えられたまま、最後は吊り出し。渡辺さんは足をばたつかせることしか出来なかった。
豪快に圧倒しての勝ち。あまりのあっけなさに会場の反応が薄い。
知子も、まさか、という思いでいっぱいだ。
渡辺さんは凄く強い。だが胡桃皮さんはもっと強かった。もはやその実力は別次元にあると言っても過言ではない。
圧倒的な強さ、衝撃が知子のもやもやを吹き飛ばす。渡辺さんが負けるのはイヤ、かといって胡桃皮さんが負けるのはイヤ。そんな考え、胡桃皮さんの前ではむなしいものに過ぎなかった。
背筋に冷たい汗を感じながら知子は自分の出番に向けてウォーミングアップを再開する。
ちらりと横目で渡辺さんを見る。タオルを頭からかぶりうずくまっている。
話しかければ渡辺さんは明るく対応してくれるだろう、しかし、かける言葉などあろうはずがない。
「思い上がるな。私はなにも出来ない。今は相撲をとるだけ」
ほっぺをぱんぱんと張り、知子は何度も頭の中で言葉を浮かべる。
もう出番だ。
土俵に上がる。
緊張で体がガチガチになっていることが手に取るようにわかる。息をしているかどうかもわからない。
相手を見る。土俵に上がる前は小さく見えたが、いざ正面に立たれると…でっかく……とはさすがに見えないが、小さくも見えない。
取組が始まる。
十分に腰を落としてタメをつくる。
はっけよい。
知子はおもいっきり相手にぶつかる。並の相手なら吹き飛んでしまう知子のぶちかましだ。が、どっしりと受け止められた。ましてや80キロそこそこ、相撲の世界では並以下の体重の相手に。
組み合った瞬間、
「お、重い」
と、知子は思った。体格以上に相手が重い。相手の隙をつくろうと右に左に揺さぶろうとしているのだが、相手は地面に吸いついているよう、根をはったよう、動かない。
がっぷり四つに組んだまま土俵中央で2人は止まっている。
知子は状況を打破しようと一歩踏みこんだ。
相手はその足のひざに横から強烈な足払いを食らわした。
知子の体がわずかにぶれる。相手は勝負に打って出た。知子の踏み出した足を片手で脇に抱える。
否、抱えようとした。
が、知子とて生半可な者ではない。知子は相手が足を取りに来ることがわかると一気に相手を吊り上げた。相手も攻めに集中して防御がおろそかになったとみえる。
知子は相手のまわしを自分の胸のあたりまであげた。相手は下半身を吊り上げられ、知子の足にしがみついている形だ。
足を取られて動けないものの勝負あり。知子は相手をひっくり返して背中から後方に投げる。
相手は脇腹から土俵に落ちた。
続