からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -186ページ目

“コスメティックもろざし”楽しい学校〈七十〉

一向に画面は変わらない。時計の針の音が聞こえる。
3人はなにも口に出さない。ピリピリした静寂を携帯電話の着信音が崩す。
ピロロロロ、ピロロロロ。
こんなときに知子は、
「着メロ、標準のにしといてよかったわ。ナイス私」
と、思った。こんな時になにを…いや、こんな時だからこそ心がバランスを求めるのだ。
携帯電話を開く。非通知着信。
「はい」
「あっ、もしもし?加府知子さんですか?」
「そうですけど…どちらですか?」
「加府さん。こちらは警察です。落ち着いて聞いてください。ついさっき加府信蔵さんがテレビの生放送中に何者かによって拉致されました」
「私もテレビを観てました」
知子は落ちついている。頭の中が重く渇いている。神経が研ぎ澄まされている状態に近い。
「つきましてはあなたを保護並びに捜査に協力してほしいのですが…今どちらにいらっしゃいますか?」
「友達の家です」
「そうですか。ではとりあえず自宅に帰ってきてください。時間はどのくらいかかりますか?」
「1時間ぐらいです」
「わかりました。私共はすでにお宅の前にいますからなるべく早く来てください」
「はい、わかりました」
相手が電話をきった。
「なんか家に帰ってこいって…警察が」
「警察か…」
ミチコが言う。
「知子大丈夫?私達も行くよ」
と、B子。
「…そうね。そうしてもらうと助かるわ……」
知子は笑顔をつくったが、当然顔色は悪い。
「じゃあ行こう」
ミチコはカバンを手にとって部屋を出てった。ミチコの両親は実家に帰省していて不在だ。だからこそミチコんちでバカ騒ぎしようということになったのだ。しかし今バカ騒ぎどころではない騒ぎが始まった。
酒はひとりビール缶一本ほど、酒の力というよりも場の雰囲気とテンションの力で酔っていた。足取りたしかに駅へ。タクシーより電車のほうが確実だ。
駅のホームでB子が、
「今、私達が襲われる可能性もあるんじゃない?」
と、言った。
「今は知子んちに行く!それだけ!」
ミチコが強く言った。
電車は滞りなく知子んちの最寄り駅へ。3人は東口の商店街を駆け抜ける。
この道にはかつて3人が通っていた学校がある。
ちょうど学校の正門前にさしかかった時、3人の前にがたいのいい色黒の男が立ちふさがった。
B子が言った、
「今私達が襲われる可能性もあるんじゃない?」
という言葉が3人の脳裏をよぎる。とっさに3人は身構える。
「知子さんですか?さきほど電話をしたものです」
その男は言った。
「あぁ、警察の方ですか」
3人はほっと息をついた。
「そちらのふたりは?」
「友達です。ついてきてもらいました。まずかったですか?」
「……いえ、とんでもない。ではこちらへどうぞ。こちらの学校に関係者のみなさんに集まってもらいましたので」
と、言ってスタスタと校内に入っていった。
3人も続き、久しぶりの校内へ。
「……知子?」
校内へ入っていく知子達を遠くから見ていた人物があった。


“コスメティックもろざし”〈六十九〉

信蔵の家に脅迫状が届いたのは夏の雨の日、土曜日。
「貴様を殺す。平成極東プラネタリウム革新軍」
新聞や広告の文字を切り抜いたもの。
「毎度毎度、ご苦労なこって」
信蔵はつぶやき、脅迫状を握りつぶした。
いつものことだった。脅迫状や、カミソリの刃、銃弾、糞、使用済みコンドーム。これらが週に一度は事務所兼仕事部屋に送られてくる。さすがに銃弾やカミソリの刃は警察に届け出るが、他のものはいまのように握りつぶして捨てるだけだ。
握りつぶしてから、
「わざわざ自宅に送ってくるとは…一応警察に届けを出しておくか」
と思い、ぐしゃぐしゃになった脅迫状をカバンの中にいれた。
「じゃあ知子。行ってくる。…あっ、それから今日はどこかに泊まりなさい。金は持ってるか?」
知子の部屋から、
「持ってるよ。お父さんさぁ、私の話聞いてた?今日はミチコが結婚式の準備で帰ってきてるからミチコんちで独身最後のパーティーするっていったじゃん。そのまま泊まるとも言ったわ」
「…そうだったかい?」
「楽しんでこいとも言ったわ」
「……………俺が?」
「他に誰がいるのよ。もういいから。行ってらっしゃい」
信蔵は午後10時からの生放送のニュースへと出かけた。
こんな間抜けな会話が父との最後の会話になろうとは、知子は思いもしていなかった。

次に知子が父をみたのはその生放送のニュース番組。
パーティーとは名ばかりで、テーブルのうえにはポテチとビールとウィスキーだけ。
それでも知子、ミチコ、B子は十分盛り上がった。盛り上がりのさなかミチコがつけたテレビ。14型の小さな画面に父の姿。
「ちょっとやめてよぉ。せっかくの酔いがさめちゃうでしょ」
「いいじゃん、私も知子の親父さんには世話になったしね。あぁ思い出すわ、あのご馳走になったラーメンやお寿司。画面越しで申し訳でありますが、私は人にもらわれていきます」
ミチコはテレビに向かってぺこりとおじぎをした。
「なんじゃそりゃ」
知子が空とわかっているビール缶を口元に運び、思いっきり首をのけぞらした。ビールが一滴二滴知子の唇を湿らす。
その時、
「なにこれ…」
と、ミチコとB子。
「えっなに?」
知子がふたりに視線を向ける。
ふたりはテレビを見ていた。
知子はテレビを見た。
14型の小さな画面の中で父が黒い服を着た男達ともみあっている。信蔵の手には携帯電話のようなものが握られていた。
知子は血の気がひいた。
それは父が護身用に買ったスタンガンだった。父の目が血走っている。
番組は無情にも続く。黒い服の男を取り押さえようとした元暴走族のヘッドで現在教師という男があっという間にのされた。黒い服の男のパンチが顔面をとらえた瞬間、
「かぽっ」
という音がテレビを通してよく聴こえた。
ここらでようやくスタジオが阿鼻叫喚に包まれ、そして、
「しばらくお待ちください」
という文字と花畑の映像に切り替わった。
ただごとではないことが起こった。
知子は父の、
「今日はどこかに泊まりなさい」
という言葉を思いだしていた。


“コスメティックもろざし”〈六十八〉

知子が太りだして、きっかけに信蔵も一枚かんでいるのだが、信蔵は狂喜した。結果的に妻悦子の生命をすり減らした信蔵の愛の形。理性と娘への愛により拒んでいたものから解放された喜び。それは精神に至高の幸福をもたらした。信蔵はとても幸せだった。
しかしそれも1年ほど。知子が相撲をやめて痩せだしたのだ。みるみる痩せていく知子。しかし信蔵は知子に「太れ」とは言えない。やはり娘の体が心配だった。再び理性と愛により自身の愛の形を胸の奥にしまった。
それが信蔵をどこかやけっぱちにさせた。これはダイエットのリバウンドに似る。痩せる前より太る。以前はぎりぎり胸にしまえた感情がしまえきれない。しかし、どうしようもできない。信蔵はそのストレスを仕事にぶつけた。知子を愛し始める前の、世の中すべてのものに噛みつこうとする顔に戻った。あの頃は若かった。が、今はキレたおっさんだ。異様である。狂っている。しかも仕事でもすべてを吐き出せないようで信蔵の精神は荒れた。すなわち“ハレの日”は以前より“ハレ”に、“ケの日”も以前より“ケ”に。周期の間隔も短くなった。
知子はそんな父をどうとも思わない。薬が増えたかな、と思うぐらいだ。記憶がある時から多かれ少なかれこんな感じの父だった。知子にとってはこれが日常でありそれ以外のなにものでもない。
そして知子が大学3年になった時、信蔵はとんでもない情報を入手する。それは去年の選挙、圧倒的得票数で勝った根来首相、否、根来親子に関する情報。
「根来は人体実験を繰り返し、究極の特殊部隊を組織しようとしている!武力により日本を支配しようとしている!」
信蔵は生放送のワイドショーでがなりたてた。
若い頃なら一笑に付されただろう。今もたいがいは、
「あ、この人ついにイっちゃった」
と、受け止められた。
が、この十数年、だてにテレビに出続けたわけではない。今では信蔵の過激な発言、行動の信者ともいえるファンも多い。テレビを見ていた100人中5人ぐらいはこの言葉を信じたらしい。この生放送のあと、根来首相の支持率が就任後初めて70パーセントをきった。この発言は週刊誌にも取り上げられ、一部で物議を醸し出した。

ふさふさの絨毯、革張りの椅子。骨格のいい机。
根来首相は椅子にすわり、タバコをくゆらせ雑誌を読んでいる。
豪華な装飾の扉が開く。
「呼びましたか」
黒いスーツの男がふたり。ひとりは金剛のようにでかい。もうひとりは、でかい男に比べれば小さいがそれでも一般男子の体格よりもがっしりしている。
根来はふたりを一瞥すると、
「これを知っていますか」
と言って、雑誌を机の上に投げだした。
見開いたページに、
「根来一族の陰謀」
と、でっかく書かれている。
「はい」
でかいほうの黒スーツが答える。
「今いいところなんだ。わかるよねぇ、ねぇ。外国からも協力してもらったしさ。ねぇ、バレるとまずいよねぇ。国際問題になっちゃうからねぇ」
根来はタバコを灰皿に押しつけ、にじる。
「大元は加府信蔵なんだよ。彼は恨まれているからねぇ。右左ヤクザ警察神様良い奴悪い奴関係なしにねぇ。…………ここはひとつ派手にやろうか。ねぇ、闇の中でやっちゃうと疑われちゃうからねぇ。わかったかい?」
「はい」
今度はふたり同時に答えた。


“コスメティックもろざし”信蔵の舌〈六十七〉

最近の加府信蔵は狂っている。
信蔵の肩書きはジャーナリストだ。若い頃、悦子と出会った頃信蔵は三流大衆娯楽雑誌の記者だった。
「怪奇!海を渡る犬の群れ!」
「現在の最低価格、りんご3つでやり放題!」
「整形する前が好きだった」
などを書いていた。仕事は、最低の仕事だったが、後年わりと役にたった。何事も経験である。しかし、あることないこと、お構いなしにとりあえず記事をぶちあげる。そのことに疑問を感じていた。いつしか「本当のことだけを書きたい」という思いが胸から飛び出してきた。
悦子と結婚して信蔵はフリーライターになる。主に政治、社会問題を取り扱った。
嘘だらけの世界だからだ。わけいってもわけいっても嘘の山。尽きることのないネタ。怒りを原稿にぶちまける。徐々に信蔵の書くコラムは話題を集めだした。
悦子が死んでから、信蔵は益々過激になっていった。次々と政治家の汚職を暴く。ヤクザ、警察、宗教、思想、国際問題、ところかまわずすっぱ抜いた。悲しみを、怒りに、行動に変えた。そうするしかなかった。家のポストに銃弾が入っていたこともあるし、道を歩いていたら突然殴られたこともあった。
そんなある日、信蔵はワイドショーにコメンテイターとして出演した。知子が3歳の時だ。
悦子が死んでから信蔵は躁鬱病を患っていた。いや、元々そんな気質の持ち主だったが、嘘、を取り払うことでより表層に出てきたのだろう。ワイドショーに出たその日は躁状態だった。生放送。信蔵はがなりたてた。司会のアナウンサーは呆然とし、共演者は苦笑い。信蔵は共演者の胸ぐらをひっつかみ、「人の話も聞けないのか!この成金の文化人め!」と言って、その文化人の悪行を喋りだした。その文化人は最初、血管を浮かべて、真っ赤になって怒ったが、その顔がみるみるうちに青くなる。
数日後この文化人は逮捕された。
これがウケた。信蔵はそれからぽつぽつとテレビに呼ばれるようになった。
テレビに出始めて信蔵の生活は変わった。まずテレビの仕事と、それに追従するよう執筆の仕事が舞い込み、収入が増えた。そして不思議なことに娘を愛するようになった。家で原稿を書いている時、知子が泣きだしたりすると仕事にならないので、知子を実家に預け平気で1週間、2週間ほっておいたものだが、毎日家に連れ帰るようになった。うまい具合の怒りのはけ口を見つけて余裕が生まれたのだろう。
知子は最初の頃こそ、「“家”に帰りたい」と泣きぐずったが、すぐに信蔵が自分を愛していることに気がついたようだった。1ヶ月後、知子は信蔵に精一杯、今までの分を取り戻すかのように甘えた。そして信蔵も、時間こそあまり無いが、力の限りそれに応える。
それが仕事に影響した。“顔が丸くなった”といってテレビの仕事が増えたのだ。ワイドショーのレギュラーが決まった。
知子が父離れをしだした中学2年生の頃から信蔵はテレビやラジオ、そして原稿書きで忙しく、週に1回、土曜の昼しか休みをとれなくなったほどだ。忙しさのせいか父離れのせいか父としての役割に一段落ついた安堵からか、知子を愛するようになってから比較的安定していた精神が再びバランスを失うようになった。
知子は信蔵の調子の具合を、“ハレの日”、“ケの日”と呼んでいる。


“コスメティックもろざし”〈六十六〉

右を向いても左を向いても男、男、男、ひとつ飛ばして男。
ふらりと大学の相撲部を覗いた。土俵の奥、でっかい額縁のなかに、
“性根”
と、筆で書かれていた。
「性根、これが大学なんだわ。男と女の世界なんだわ」
ちがう知子!それは“性根”と左から読むのではなく“根性”と読むのだ!
ふふふふふん、鼻歌まじりに相撲部をあとにする知子。
キャンパスライフにたいした憧れなんぞなかった知子だが環境の力というのは絶対的なものがある。らしい。私は“狩り”目的で受験したわけじゃないと誇りにしてきた知子はどこへやら。

2年後、成人式。
久しぶりにミチコがこっちに帰ってきた。
「私は毎日牛や豚とこねくりあっているのに……君達はなににうつつを抜かしているのかね、え、膀胱炎のB子君にせっかくのきれいなストレートヘアーにパーマをあてやがった知子君」
「め、面目ない」
知子とB子はゴツンとファミレスの渇いた机に頭をぶつけて謝罪する。
「まったく、あの頃の志ってものはどこにいったんだかねぇ。私は恥ずかしいよ。恥ずかしくて鳥肌がたってきたわ。うぅ寒ぅ。北海道より寒いわ。なにか暖かいものなかったかしら……」
ミチコはなにやらカバンをゴソゴソ。あまりに芝居がかった仕草に知子とB子は様子を見守るしかない。
「あぁ、あったわ」
ミチコは小さな、まんじゅうがやっとこさふたつ入るか入らないかぐらいの箱を取りだした。そして真ん中あたりからパカりと開ける。
「これこれ、これをこの指に…」
と言って、ミチコは左手の薬指に指輪をはめた。
「あー、暖かいわぁ」
「ミチコ……まさか…」
「いやぁ、今度結婚する予定ですのでそん時はご祝儀よろしく」
知子とミチコとB子は高校を卒業して以来ほとんど連絡をとっていない。携帯電話の電波よりもつながる深い友情があるのだ。
「てめぇ、牛と豚はどうした?あ?あの硬派なミチコはどこにいったんだぁ!」
知子は髪をくしゃくしゃにかき乱す。
「ミチコぉ、できちゃった婚じゃないよね」
B子が聞く。
「これでも未来の獣医ですから。ちゃんとしてます。B子、ヤる前にはちゃんと手を洗わせなよ。だから膀胱炎になるのよ」
「いやぁ、美大でしょ。デッサンとかあるからさぁ、洗ったくらいじゃ汚れが落ちないの。爪の間とかさ」
「納得できねぇ、納得できねぇ。腑におちねぇよぉ」
「腑におちないって知子。そんなに変?」
「変てもんじゃないわ。いままで黒だ黒だって言っていた色が実は白だった、みたいな。でもいままで黒って言ってたんだから白くても黒って言いたいじゃない。あぁ腑におちない」
久しぶりの会話。盛り上がるのは必然。話題はミチコの相手、互いの色恋事情、流行りについて、大学生活、そして20歳について。
「いやぁ、マッポの目の前で酒を飲み干してやりたいわ。B子はなにかしたいことある?」
「え~、まずね、裸になって、裸の上から服の絵を描くの。それで街を歩いてみたい」
「B子…それ本気?変態じゃん。それに裸で街歩いたら20歳でも捕まるよ」
「えっ、そうなの?なんで?」
「なんでってお前…ワイセツ物なんたら罪だよ」
「ワイセツ?ワイセツってひどいわ」
「………知子は?」
「そうね、…投票かな」
「あぁそうか。知子はそうだよね」
「まぁ一応ね」
「なんか今年あるんでしょ、選挙。確か前の前の総理の息子が立候補するやつ。なんつったっけ?ほらあの……」
「ネコみたいな名前のやつ?」
「そうそう。ネコなんとか!」
「…根来(ねごろ)よ」