からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜 -184ページ目

“コスメティックもろざし”〈八十〉

真っ暗闇。どうやら横になっているらしい。知子は起きあがろうとした。
ぼぉん、
「あた、たたた」
頭をぶつけた。何に?もちろん車のトランク天井部に。だが知子はとっさに状況を判断することできなかった。
「なになになに?ミチコ?B子?」
言いながら辺りを手探り。八方塞がり。わけがわからぬまま真っ暗闇の中、恐怖が知子を包む。
「おか……お父さん…」
言い知れぬ恐怖、寂しさに耐えきれず知子はつぶやいた。
お父さん?
そうだ。ミチコんちでテレビを観てたらお父さんがスタンガンを…それで警察に呼ばれて、家に帰る途中、学校の前で刑事に会って、それから誰もいない校内を…。
ブロロロロログイーン。「あぁ!?」
車が走りだしたのだが、知子にはそれがわからない。冷静に考えればすぐわかることなのだが、今はとてもじゃない。瞬時に知子がイメージしたのは、美術品などを輸送するときに使う大きな、都合よく人ひとり横たわるほどの、木箱に入れられてフォークリフトでどこかへ運ばれている様子だった。車のトランクに入れられている、というほうが簡単だろうに。思いこんだら最後。感じるスピード感すらイメージを後押しする。
動きだした“木箱”。木箱ぐらいならなんとか…。
ぼぉん、ぼぉん、ぼぉん。
知子は天井部を全力で殴りつけたが、それは虚しく響く音をだすだけだった。全力と書いたが、いかんせん寝っころがってのパンチでは…。ましてやトランクの天井部は衝撃を吸収する仕組みになっているのだからたまらない。
それでも知子は天井部を殴り続ける。
ぼぉん、ぼぉん、ぼぉん。
誰もいない校内をミチコとB子と刑事と歩き、視聴覚教室の前に。扉を開けて、中に入るミチコとB子。そうだ。お腹に鈍痛がして。気づいたら床を見てて。苦しくて。カバンを落としたのよ。
殴るのを止め、知子は自分の肩周りを中心に再度辺りを手探りする。カバンは無い。
「記憶は…確かなようね…」
ぼぉん、ぼぉん、ぼぉん。
幾度も幾度も殴る。殴っても殴っても虚しい。
そんな中、加速のスピード感から減速のスピード感に変わったのを知子は感じた。
「まずい、船!?船に乗せられる!いつも決まってそうだもの」
なにがいつも決まっているのか知らないが、知子は焦り、パンチの回転を早くする。
ぼんぼんぼんぼんぼんぼんぼんぼんぼん。
減速から停止へ。きっ、と木箱は止まり、知子は揺さぶられる。
体を通して響くエンジン音、振動音が小さくなる。
と同時に、遠くの方から、サイレン音。
「………救急車?パトカー?どっちだっけ。消防車ってなによ!?」
知子はパニックの極致。
「誰かあああぁぁぁ、助けてえええぇぇぇ」
知子は段々大きくなるサイレン音に呼応するように叫んだ。しかし叫び声は当然サイレン音にかき消されている。アホだ。
パンチの連打と叫びに息が切れ、知子は大きく呼吸をすることになる。
「はぁはぁはぁはぁ………………海!?」
吸いこむ空気の中に、わずかに生臭く甘ったるい潮の香り。
「あぁ、やっぱり。船はまずいわ。英語できない…」
ぼぉん、ぼぉん、ぼぉん。
木箱は再び動きだした。


“コスメティックもろざし”〈七十九〉

「ミチコ、あそこに誰か倒れてる」
B子が地面を指差した。
ミチコ、B子の背に冷たい汗が流れる。
「ふたり…ふたりだわ。B子、ふたり倒れてる」
ひとりに覆いかぶさるようにもうひとり。裏門から出るには避けて通れない位置。メイコ先生はミチコに背負われている。考えている時間は無駄だ。
ミチコとB子は意を決して裏門に飛び出た。
「ミチコ!ブタクマだ!上に乗ってるの、ブタクマだわ」
B子は倒れているブタクマに近づいた。B子の額には大きな大きなたんこぶひとつ。
「ブタクマ!ブタクマ!」
B子はブタクマを揺さぶった。が、反応がない。
「………死んでるの?」
「わからない。ブタクマぁ!」
B子は絶望的な気持ちでブタクマの背中を叩いた。力の加減なしに、思いっきり。幾度も幾度も。
「きゃ」
幾度目だろうか、B子の手をブタクマの背中が弾いた。B子は尻餅をつく。
ブタクマは一気に、ごろごろと横に転がり、B子を見た。その目は血走っている。
が、B子を見た瞬間、顔から殺気がとれた。
「B子…か。無事か?!」
ブタクマはのそりと立ちあがった。
「ブタクマ!…よかった…死んでるのかと思った……」
ミチコが安堵の言葉をかける。
「ミチコ!………!!」
「ブタクマぁ。メイコ先生が、メイコ先生が大変なの!お腹を刺されて、腕も切られて…。私達を助けるために…」
B子の感情が交錯する。緊張と緩和、生と死。それらは涙となってB子の体から溢れでる。
「くっ…」
ブタクマは唇を噛みしめた。最悪の事態、なのか最小の被害なのか。ブタクマはただ唇を噛みしめることしかできない。
「ブタクマ!知子は!?知子はどうしたの!?」
ミチコが叫ぶ。
「………知子は連れていかれた」
「そんな…」
「俺が奴らを追う!お前等は先生を病院に運べ!急げ!!」
ブタクマはミチコとB子の落胆をふき飛ばすように言った。
「う、うん」
「ブタクマ、大丈夫なの!?」
ミチコの問いかけに、
「心配するな。大丈夫さ、知子は俺の…」
命に変えても…と言うのは今のふたりには酷だ、とブタクマは思い、
「とにかく、大丈夫だ。行き先はわかっている。さぁ、早く行け!」
と、言った。
「B子、行くよ」
ミチコは走りだした。
ちらりとブタクマの下に倒れていた人物を見る。顔はぐしゃぐしゃだが、服装はあのニセ刑事のもの。
「ちくしょう…」
そうつぶやいて、ミチコとB子は医療を求め校内を出ていった。
ひとり校内に残ったブタクマ、立っているのがやっとというほど体がいうことをきかない。だが意思は体を突き動かす。体みたいな脆弱な奴に心は負けやしない。その意識さえ、今にも消えそうなものなのだが…。
よろよろと裏門に停めてある黒い車、おそらく加藤の車へ。
ドア、カギはついている。
ブタクマは車に乗りこみエンジンをかけた。
「ピンポーン、300メートル先、右折、です」
ナビに設定されていた目的地。I県はO港。
「あいつのバカさ加減にはついていけん」
ブタクマは消えそうな意識のなか、アクセルを踏みしめる。目指すはO港。


“コスメティックもろざし”〈七十八〉

暗くて静かな校舎、体こそくっついていないが、3人の心音は、互いの脈動を感じて同調している。
メイコ先生、B子、ミチコの隊列は老兵に向かって一直線、まっすぐに駆ける。
老兵は真っ向から向かい討つことを選んだ。時間は刹那、横に逃げれば壁。後ろに飛べば攻撃力を失う。なにより戦士としてのプライドが、女子供の攻撃を回避する選択をさせない。
老兵はその曲がったナイフを折れた手も添え両手で握りしめた。
握りしめたナイフを突っ込んできたメイコ先生の腹めがけて突き刺す。ナイフを腹に突き刺したままメイコ先生を盾にして陣形を崩す考えだ。その老兵の作戦第一は成功した。すなわち、ナイフはメイコ先生の肉に刺さった。
メイコ先生は崩れ落ちる。しかし力強く。老兵のナイフを肉に包みこんで離さない。
誰も見たものはいないが、メイコ先生は腹を刺されながらも、ニヤリと笑っていた。
老兵はバランスを失い、がくりと前傾姿勢。そこにB子。頭と頭がごっちんこ。
B子は前でなにが起こっているのかわからなかった。ただ突然地に伏したメイコ先生に為す術なく足をとられ、その身を振り子のように、ロケットのように宙へ。
僅かな滞空時間、見えたものは老兵の無防備な顔。
「ぎひゃぁ~」
ロケットB子は地に降りると頭を押さえてごろごろ転がる。
「頭がぁ、粉々にぃ」
と、叫ぶ、もはやロケットではないB子。もちろん頭は粉々にはなっていないが、それほどの衝撃だったのだ。
ならば老兵は?
老兵はナイフを握ったまま動かない、否、動いている。血走り、見開いた目でナイフを、メイコ先生に腹に刺さったナイフをより深く刺そうと押している。おそらく意識はもうない。メイコ先生が言ったように、若いB子の頭蓋骨は骨粗鬆症を気にしなければならない年老いた老兵の頭蓋骨を通して脳震盪を起こさせた。だがしかし、生まれついての戦士、意識を失っても本能が敵を逃がさない。
メイコ先生はナイフの刃を“左腕”ごと掴んでナイフの進行を防いでいる。
ぎぎぎぎっ、と音がしてきそうな緊張感溢れるやりとり。まさしく闘争。命の取りあい。
プツプツと左手の指々が落ちてゆく。
「オラァァアアァ」
ミチコは、メイコ先生の後ろから、力いっぱい木刀を振りかざし、豚を叩くよう、老兵の頭をぶっ叩いた。幾度も幾度も。
だが老兵はナイフを離さない。力もみなぎっている。それはメイコ先生の体のふるえからわかった。
ミチコは頭を叩き続ける。もはや木刀から伝わる頭の感触は、「こつ」ではなく「ぐにゃ」だ。
頭の3分の1がカルデラのように窪んでいる。
ミチコが、
「ウワァァァァ」
と叫んで、ゴルフのスウィングのように横から顔を叩くと、ようやく、サルスベリのような肌をした怖ろしい老兵は倒れた。それに続いてメイコ先生も力尽いたように突っ伏した。
「メイコ先生!ダメよ!メイコ先生!メイコ先生!メイコ先生!!」
ミチコとB子が叫ぶ。B子の額からは血が一筋たらりと流れている。しかしそれ以上にメイコ先生の腹からは血がとめどなく……。あまつさえ左腕から大量に血液を失っているというのに。
呼びかけに応えるようメイコ先生は、
「おかしいわね……………チャイムがならないわ……………」
と言って目を閉じた。
「メイコ先生!?メイコ先生!」
「…………………」


“コスメティックもろざし”〈七十七〉

「……………確かな手応えを感じたぜ。えぇ、おい。まだ意識はあるのかい?」
加藤の独り言が虚しく夜の闇に吸い込まれていく。
ブタクマは加藤の足元に這いつくばったまま、まったく動かない。
「どれ」
加藤はブタクマの頭を軽く蹴る。頭は蹴りの衝撃で一瞬横を向き、また地面にくちづけをした。ヨーヨーのように軽い蹴り心地。一瞬見えたブタクマの死んだ魚の目。
「終わった…な。」
加藤はブタクマの死を確信した。
「…………ホウレンソウ、か」
加藤はポケットから携帯電話を取りだした。
「あぁ、ラニオさんよ、今しがたブタクマを始末したぜ。他の奴らも、まぁ予想外な事態があってグルカ兵のひとりがやられたが、大丈夫だ。問題ないだろ?で、残骸はどうする?こいつらもO港に持ってくのか?………………そうか、わかった。ではO港で」
電話をポケットにしまう最中、加藤は自分の両足、かかとになにかが絡みついているのを見た。
それはブタクマの手だった。
気づいたと同時に加藤は尻餅をつく。自慢の脚力で反撃を試みようとするが、無力。
ブタクマの手は加藤の足首を脱臼させるほど強く握っていたのだ。
尻餅をついた加藤がぐいっとブタクマに引き寄せられる。馬乗り、マウントポジション。近代総合格闘技必殺の位置関係。ましてや加藤は空手出身、寝技に精通していない。
加藤が見た最期の光景。
それは視界いっぱいに広がるブタクマの大きな手のひらだった。
「…………お喋りが過ぎたな…………」
ブタクマはぐしゃぐしゃになった加藤の顔、そして後頭部から流れでる血を確認すると、意識を失った。

「先生、ほんとに大丈夫?」
「バカ!大丈夫なわけないでしょ!?」
「B子、ミチコ、今はそんなことはどうでもいいのよ」
メイコ先生の顔からは既に生気を感じられないほどだった。
3人は裏門へと急ぐ。それしか選択肢はない。
階段を降りきり、一階につく。長い廊下、この先を曲がれば………。
しかし、
「キャキャキャキャキャキャ、オンナ、シンダカ?スモー、シンダネ」
曲がり角の先から老兵の声。
「先生、こっちよ!」
ミチコはふり返り、走りだそうとしたが、
「ミチコ、ダメよ。逃げることばかり考えていると、人間は弱くなるものよ。おそらく、逃げたらやられるわ。こいつは今、ここで倒す。左腕の恨みも放っておけないわ。それに……」
メイコ先生の言葉に足を止めた。
「で、でも」
「B子、左腕を貸して」
「えっ、はい」
B子は持っていたメイコ先生の左腕を渡した。
「ミチコ、木刀を準備して…あなたがやるのよ。大丈夫、人間歳には勝てない。こいつもただのよぼよぼジジィだわ」
曲がり角から老兵が現れた。
「ミツケタヨ、プリティーガールズ、オット、オンナ、マダイキテタネ、シブトイシブトイ、キャキャ、モウ、セックス、ナシネ、コロス、ダケヨ」
「ミチコ、B子、突っ込むわよ、バラバラにならないで、私の後ろに続いて。どんなことがあっても、あなた達はこいつを倒すことだけを考えて行動すること、わかった!?行くわよ」
返事を待たずメイコ先生は右腕に左腕を持ち老兵へと走りだした。


“コスメティックもろざし”獅子身中の虫〈七十六〉

「カトウ、カトウ、タイヘン、オンナ、キタ、アイカタ、ヤラレタネ」
老兵の左腕はだらりと垂れて、老兵が身振り手振りで状況を説明する度、あり得ないほうに動く。メイコ先生と撃ち合った時に負傷したのだ。骨が折れている。しかし痛みは感じていないらしい。
「…で、なんでお前はここに来たんだ?始末したのか?」
加藤は低い声で校舎から駆け寄ってきた老兵に言った。
「イヤ、マダネ」
「なんだと!?ふざけるな!とっとと始末してこい!まさかできないわけじゃないよな?」
「カトウ、ホウコク、レンラク、ソウダン、コレ、ダイジネ、シャカイノジョウシキネ、ホウレンソウネ、カトウ、シラナイ、バカネ、キタ、オンナ、ダイジョウブ、ウデ、キリオトシタネ、モウ、ムシノイキヨ」
その時、老兵の後ろの闇、ゴミ置き場から、ガシャガシャと音がした。
ぱっと老兵は加藤のほうへマシラのように飛ぶ。
「コレ、ダレ、カトウ」
老兵は夜目がきくようだ。
「ほう、まだ息があったか。頑丈な男だ。こいつはジャパニーズ・スモー・レスラー。俺の友達さ」
「オォ、スモー、スモー、デブ、スモー、コイツ、コロス?」
「あぁ、俺がな。お前は早く残りを始末してこい。逃がしたらただじゃおかんぞ」
「オッケー、オッケー、ダイジョウブ、ミー、ミミ、イイヨ、ガッコウ、ナカ、オトヒビクネ、ドコニイル、マルワカリネ」
「させるか!」
闇の中からブタクマが叫んだ。失った意識に流れこんできた言葉。絶望的な焦燥感がブタクマの意識を呼び覚ました。
が、肉体のダメージは深く、思うように動けない。ブタクマは手元のゴミ袋を老兵に向かって投げた。
ゴミ袋はまっすぐ老兵に向かっていったが、突然空中で向きを変えた。
加藤が目にもとまらぬ蹴りを放ち、ゴミ袋を闇の彼方へと飛ばしたのだ。
「早く行きな」
「キャキャキャキャキャ」
老兵は乾いた笑い声を残して校舎の中へと入っていった。
「ふん、タフな野郎だ。まだやられたりないとみえる。しかし、可笑しい」
加藤はクスクス笑う。
「確かにお前以外にも誰か来たようだが、女とはな。いやはや、お強い友達がいたもんだ。ひとりやられてしまったらしい。だがそいつも死ぬぜ。いや、もう死んでるかもな」
ブタクマはなんとか立ちあがる。膝はふるえ、腕に力が入らない。
「あんな老人にあの人、あいつらが負けるかよ」
ブタクマは心の底から吐きだした。それは加藤ではなく、自身へのメッセージ。
「負け犬はよく吠えるもんだ。あいつらはただの老人じゃない。殺しのプロさ。それに俺達同様“コレ”でパワーアップしている」
加藤は注射を腕に打つ動作をした。
「今のお前はまさに“獅子身中の虫”だな。俺達獅子の前では、お前など小さな虫に過ぎない」
加藤は大げさに手を広げた。
「…バカにつける薬を打ってもらったほうがよかったな。“獅子身中の虫”の意味が違うぞ。いくら強い獅子でも体の中にいる小さな虫には勝てない、味方についていながら害をなすものをたとえる言葉だ。ははは、“獅子身中の虫”、文字通りいくら獅子のように大きかろうがお前等は、いつでも気の向いた時握りつぶせると思っている小さな俺達に勝てない」
「うるせぇ、殺す!」
加藤は怒り心頭。自身の知ったかぶりが原因なのだが…。怒りにまかせ強烈な前蹴りをブタクマの隙だらけのみぞおちに突き刺した。
ブタクマは体を“くの字”、その下がった顔面に加藤は膝蹴りを見舞った。
ブタクマは膝蹴りの衝撃でピンと背が伸びた。しかし維持することはかなわず、前のめりに、加藤の足元に這いつくばるような形で倒れた。