この記事を書いてたら

「お金を使うこと」に対する

事実も見えてきました。







「お金を使うこと」だけを見れば

紙幣や硬貨という物理的な側面で

お金はなくなるけれど。


「お金と交換された何か」を見れば

お金がなくなったとは

言えないんです。




お金はただ

交換した何かに

姿を変えただけ。


だから

お金を使っても

お金がなくなったことには

ならないんです。




それどころか。


家電や車などの耐久消費財や

家や土地などの固定資産的なものなら

不要にならない限りずっとあって

それらを使った「経験」が自分の中に残る。


日用品などの消耗品や

一日三食の食事など

買ってもすぐ消えていくものの「経験」すら

自分の中に残る。


そういう視点で見たら




お金を使えば使うほど

お金と交換された何かから得た

「経験」が積み重なっていく。


お金を使うとは

貴重な人生経験を

増やしていくこと。




つまり




お金=経験。


お金とは

使えば使うほど

増えていくもの。




これが

「お金を使うことの事実」であり

「本物の貯金」であるとわかりました。


実際の貯金だって

「経験」のひとつですが

何のために貯金するのかが大切であって。


だからお金持ちは

ただ所有するだけの貯金には否定的で

経験を増やすための貯金には肯定的なんだと

気がつきました。






私たちってどうしても

物理的な面だけを見て

不安になったり安心したりする

傾向がありますよね。


現実ってやっぱりリアルだから。


お金を使った時は

お金がなくなっていく様子が

ダイレクトに見えて不安になるから

お金と交換したものを見れなくなる。


きっと




「現実を見て

 その現実を頑張って生きなさい」




みたいに教えられてきたのも

不安が生まれる原因なのでしょうけど。


私も

現実を見ることは大切だと思ってますが

今ある現実を頑張って生きるべきとは

思ってません。


「現実を見なさい」とは

現実を漠然と見て頑張ることではなくて

現実の「ある」と「明らかな事実」を

見ることが重要だよって意味だったんです。




現実への視点を凝らして

「ある」と

「明らかな事実」を

探し出してみよう。


現実の中で起こる事象の

「明らかな事実」は

たったひとつしかないし。


現実の中の

「ある」を見始めたら

わんさか出てきます。




前回の記事でも書いた

財布の中の現金だけを見るって

小さくて狭い世界を見て生きてる

ということだったんです。


「現実を見て生きる」って

そういうことじゃない。


小さくて狭い世界から離れて

もっともっと広く遠目から見てみる。


そうすれば

お金がない世界と

お金がなくなる世界は

ただの幻想だったと納得できますニコニコ




お金を使っても

地を蔓延るクローバーのように

私のそばでどんどん増えていく♡






藤本さきこさんの

こちらのブログ記事を読んで

私もやってみることにしました。








そしたら・・・




私たちが今住んでいる賃貸アパート

私の愛車

電気・ガス・水道等のライフライン

整った車道や歩道

市役所や病院

銀行や郵便局

子どもたちが通っている学校

子どもたちが遊んでいる公園

夫の職場と私の職場

行きつけのスーパーやドラッグストアetc.




これらはすべて

私たちが買ったり使ったりする以前に

莫大な額のお金がかけられて

用意されているもの。


つまり

姿を変えた無数の札束が

ありとあらゆるところに

存在しているということ。







ということは




専業主婦の私の間近にも

無限のお金があった

ということ。


専業主婦の私も

無数の札束に囲まれている

ということ。


専業主婦の私も

無数の札束からの恩恵を

存分に受けていた

ということ。


これで

「お金がない」と

嘆いて生きるのは

大きな大きな見当違いだ

ということ。




私は一体

今まで何を見ていたんでしょうか(笑)。


ものすごく恥ずかしくなって

自分の見る目の無さに絶望しました。


「お金がない」とは

目先のお金しか見ていない人(←私のこと)

セリフだったんですね。


専業主婦とは

お金のない人じゃないってことが

明白になりましたね。


ここに気づいたら

すでに今まであったお金たちに

感謝せずにはいられなくなりました。


といってもコレ

決してポジティブシンキングを

してるわけじゃないんです。


キラキラ

キュンキュンした気持ちで

見てるわけでもないんです。




ただ淡々と

ニュートラルに

「あ、お金あった」

という感覚。


本当だ。


確かにお金あった。


今まで気づかないまま

「お金がない、お金がない」

って言ってて本当にゴメン。


今までずっと

そばにいてくれて

本当にありがとう。


そしてこれからも

あなた方からの恩恵を

存分に受け取ります。


今後とも

よろしくお願いします。




そんな

お詫びとともにお礼をする感じ。






私の

マイパワースポットである

あづま運動公園の銀杏並木も。







体育館内にある

子どもたちの軽運動場も。







子どもたちが小さい頃

いっぱい遊んだキッズルームも。







これらもみんな

たくさんのお金がかけられて

できたもの。


私はここでも

たくさんの恩恵を受けていました。


それでいて

「お金がない」って思ってたんだから

どんだけ強欲なんだよって思う笑い泣き


財布の中にあるお金だけを見て

出ていくお金ばっかりを見て

「お金ない、お金ない」って

言ってたもんな・・・。


こうやって今一度

立ち止まって辺りを見渡してみることって

ものすごく大切なんだと

今回気づかされました。






お金がないと嘆く前に

お金を稼ぐ稼がないの前に




まずは

今あるお金の存在を

素直に認めよう。


財布の中の現金や

出て行くお金ばっかり

見てないで。




そうやって意識的に

すでに豊かである自分に気づくことが

豊かさを土台にしてお金を引き寄せるための

第一歩になるんじゃないのかな


しかし

「あるを見る」って

こんなに簡単なことだったんですねニコニコ






前回の記事の続きです。







専業主婦であろうがなかろうが

ワーキングママであろうがなかろうが

私たち女性がまず

やらなければならないこと。


それは




自分の孤独の中に

存在している

自分の女性性を

呼び覚まし

満たして生きること。




その上で

生活をしたり

仕事をしたり

遊んだりするのです。


すると

孤独の世界も

満たされていくのです。






女性性とは

老若男女関係なく備わっている

「感じる(感性)」の部分。


それを無視して生きてしまうと

苦労の絶えない人生を送りかねません。


そこまでいかなくとも




漠然とした不幸感のある

無色でボヤけた人生を

生きることになります。




お金や時間があったとしても

温かく見守ってくれる家族がいたとしても

自分の女性性が満たされていなければ

満足を感じることができないのです。


昔の私が

まさにそうでした。


夫は優しくしてくれる

子どもたちはとにかく可愛い

生活に困ってるわけじゃない。


それなのに・・・




なんでこんなに

モヤモヤ

するんだろうチーン




って。


そうなってしまった原因は

私が自分に感じさせることを

禁じて生きていたからです。







とにかく

頭で考えたことだけを軸にして

生きていました。


そしたら

私の内面はみるみる荒み

家族も苦しみ始めたのです。


一番苦しかったのは

長男の不登校だったな。







女性は感じて生きないと

性格ブスになるだけでなく

顔までブスになるんです。


私は

もともとブスなので

それがさらにブスになった感じ。


笑ってるつもりでも

目は笑ってないというか

死んでる感じ・・・。


「目は口ほどにものを言う」

ってこういうことなんだなって

思いましたね。


で、そんな時の女性の内面って

写真で表すと

こんな状態になっています↓。




カラッカラ・・・。




この状態を土台にして

生活しても仕事しても遊んでも




満たされることは

まずありません。




だから

自分で自分を

満たしてあげるんです。


他人ではなく




「自分で」です。




そして

自分で自分に

何をしてあげればいいかというと




誰の役にも立たない

お金にもならない

非生産的行動をするんです。




自分を

喜ばすためだけにね







私的に

オススメなのはこの2つ。




手仕事をするパー飛び出すハート


自然に触れるクローバー飛び出すハート




私は専業主婦なので

家事は毎日の手仕事です。


食器を洗ったり

洗濯物を干したりね。


あと趣味が裁縫なので

趣味の領域で

手仕事をしています。







手仕事が苦手なら

自然に触れに行くのもいいですね。


お散歩がてら森林浴をすると

自然から放たれるエネルギーを

自分にチャージできます。







そんな非生産的行動が

女性性を呼び覚まし

潤いを与えてくれるんです。




「そんなことして一体何になるの?」




って思えることを

あえてやるんですよ。


私たちって

どうしても何かにつながることを

やりたがってしまいます。


なぜなら

今までそう教えられてきたからです。


それが正しいことだと

教えられてきたからです。


でも、ちがうんです。




何かにつながること

何にもつながらないこと

どっちも大切だし

どっちも正しいことなんです。




特に女性にとっては

何にもつながらないことをやる方が

とっても大切だったのです。


私たちはそれを

知らなかっただけ

教えてもらえなかっただけ。


自分で自分を

楽しませるためだけに

非生産的行動を今すぐ始めようニコニコ






専業主婦とは

「無職の人」「無収入の人」

「働いていない人」

なんていう言葉の設定があった昔の私↓。


(9年前くらいです♡)







幸せだったといえば

幸せだったんだけど。


「働かざるもの食うべからず」みたいな

社会的思想に怯えて

なんとなく後ろめたさを感じて

生きていました。


いくら夫が

「専業主婦でいてくれて助かるよ」って

言ってくれてもね。


子どもたちの授業参観のとき

他のお母さんたちの仕事云々の会話が

耳に入ってきて感じたモヤモヤ。




「みんな働いてるんだ。

 えらいなぁ・・・」


「それに比べて私は・・・」




って、自分と他人を

比較しては自己嫌悪・・・

比較しては自己嫌悪・・・

なんてやってましたよ。








でも、今はまったく違う。




私は堂々と

家に引きこもる

専業主婦でいたい!




と、心の底から思っています。


今は

理由があってパートをしているけれど

それでも私は専業主婦ですって

名乗っています。


そして

外で働く理由がなくなったら

私は今すぐにでも

家に引きこもることを選択します♡


久しぶりに外に働きに出て

ハッキリわかりましたもん。




「あぁ私は

 家にいることが

 本当に大好きなんだな」




って。


もちろん家にいるより

外に出た方が好きな女性もいるけれど




私は

断然「家にいたい派」です。




その理由は

家にいる方がめちゃくちゃ楽しいし

心の底からホッとするし

活力が湧いてくるから。




「でもそれじゃあ

 収入がなくなっちゃうじゃん」




という

声が聞こえてきそうですが

私は




専業主婦という

役目を活かせば

専業主婦でも収入を

生み出せるのでは?




と、思ってるんです。


昔の私みたいに

「専業主婦=無職で無収入」

という言葉の設定をしていれば

そりゃ収入がなくなると思っちゃいますね。


だけど

前回の記事でも書きましたが

辞書で調べてみると




専業主婦(夫)とは

主婦業に専念している

女性(男性)です。




「お金のない人」

「無職の人」

「無収入の人」

だなんて一切書いてないんですよ。


だから




専業主婦として

家の外で稼いでもいいし

家の中で稼いでもいい


専業主婦として

お金を稼いでも

お金を稼がなくてもいい。


専業主婦として

自由にやってれいばいい。




「専業主婦」と「お金」を

スパッ!!と切り離して




堂々と

専業主婦で

いればいい♡




ってことです。


世の中には

専業主婦であることが

恥ずかしいと思っている女性も

少なくないんですね。


決して

そんなことないのに。。。






ちなみにですね。


私は

子どもたちがまだ小さい頃

一時的ではありますが

おうちでお金を稼いだことがあるんです。


金額にして

2〜3ヶ月で22万円くらい。


(これを人に教えていたら

 継続的にお金を稼げていたかもしれないけど

 お金を稼ぐ手段を教えることが私の好みではなかった)


今もパートで働いているけれど

それは今とりあえず

手っ取り早く稼ぎたいからっていうだけ。


要は

家にいるかいないかの

違いでしかないんだよね。


でもね

専業主婦の子育てママとして

今までいろいろやってみた結果

何よりも大切なことがわかりました。


私たち全女性が

やるべきことがあったんです。


それは・・・


次に続きます。






専業主婦である私ですが

実は最近




ポイントカードを

ハサミで切って捨てました♡


ポイントカードの

スマホアプリも消しました




スーパー

ドラッグストア

ホームセンターetc.


生活必需品を購入する

お店のポイントカードはすべて処分。


元々お店のポイントを貯めることには

さほど興味がなかったのですが

今回ポイントカードを持つこと自体も

スパッとやめることにしたんです。


あと

「ポイントカードお持ちですか?」

って聞かれて面倒だからという理由もあって

持っていたんですがそれもやめました。


「ないです^^」って

言うだけでいいんだよなと思って。


そしたら

お店の人にポイントカードを

見せる作業が無くなって

買い物でお会計する時とってもスムーズ。


あ、でも♡


大好きな裁縫屋さんの会員カードだけは

持ってるだけで幸せを感じるので

財布に入れてますラブ




ホントこれだけ(^^)




しかしなぜ

そういうことをしたのかというと




お金を

自由に使える領域に

行きたいと

本気で思ったからです。




私は最近

気づいたんです。




ポイントカードに

縛られてる時点で

お金を自由に使えていないと。




ポイントカードを持っていると




無意識に

ポイントカードありきで

お店を選びがち。




買いたいものがある。


どうせ買うなら

ポイントが貯まるお店でって。


例えば

スーパーで食材を買っている時。


ついでに家電を買いに行くなら

電器屋さんに行かないと買えないけど。


電池くらいなら

スーパーやドラッグストアでも

売っているので買えますよね。


そこでポイントが貯まるからと

いちいち電器屋さんなり

ホームセンターなりに買いに行く・・・。


何気なくやってるようだけど

それって




ポイントカードと

ポイントが貯まるお店を

基準にして

自分で自分に

不自由なお金の使い方を

させているんですよね。




で、そういう行動を続けていくと




「お金は不自由に使うもの」

というデータが

自分の中に刻まれて行く。




その結果




お金に

不自由する人生が

出来上がっていく。




と、私は気づき

「めっちゃ嫌だなぁ」と感じて

ポイントカードを処分するという

行動に至りました。


本質は

お金を出して電池を買うことであって

お金を出してポイントをもらうことじゃない。


今自分が来ているお店で売ってるなら

そこで買えばいいんですよね。


そうすれば

いちいち移動してまで

お店を変えなくていいから




自由なんですよね。


思い立った時に買えるから。




この「思い立った時に」ってのが

実に重要で。


なぜなら私は

そこに自由だけじゃなく

豊かさも感じるからです。


だって

ポイントに振り回されてないどころか

買いたい時に買える

環境にいるわけですからニコニコ






こうやって

ポイントカードの話をすると

「◯◯を買うなら◯◯の方が安い!」

も、そうです。


これも自分で自分に

お金に不自由する人生を

生きさせることになる

行動なんですよね。


私が思うに

専業主婦でも

お金を自由に使えるようになるには




今のお金の使い方に

「自由さ」を取り入れること

だと思ってます。


だからまずは

「ポイントカード」や

「少しでも安いお店」に

振り回されていることに

気づくことが大切だなって。




おそらく




専業主婦とは

→お金を稼いでいない人

→お金を自由に使えない人




なんていう

イメージや思い込みがあるから

そういう行動に踏み込むのかなって

私的には思うんですけど。


自分でお金を稼いでないと

自由にお金を使うことに

なんとなく後ろめたさを

感じちゃったりしてね・・・。


ちなみに

昔の私がそうでしたから(笑)。


でも

専業主婦(夫)の意味を辞書で調べると




主婦業に専念している女性。

(もしくは男性)




つまり

そこにお金がどうのこうの

収入がなくてどうのこうのは

一切絡んでない(笑)。


専業主婦は

お金がないとか働いてないとかなんて

単なる人それぞれの

勝手な言い分だと私は思っています


これについては

次の記事で詳しく書きますニコニコ




昨日家族とキャンプした時に拾った梅の実。

緑色がとっても綺麗♡

食べられるのかな(笑)。






私は

高校を卒業して

社会人になってから

ずーっと頭だけで生きてきました。


「頭で考える」を中心に生きてきました。


オンナの肉体を

頭の奴隷として使ってきました。


そしたら




我慢がベースの人生になりました。

子宮が壊れました。
夫婦関係がうまくいかなくなりました。
子どもが不登校になりました。




今はすべて解決されていますが

一番衝撃だったのは

やっぱり子どもの不登校でした。






不登校になったのは

我が家の長男。


小学2年生の冬休み明けから

学校に行き渋るようになったんです。


その時は

不登校という感じではありませんでしたが

あまりにも行き渋るため

結果的に私が毎日学校についていくことに。


2年生の3学期中は

ほぼ毎日私がつきっきり。


3年生になったら

普通に行けるようになったのですが

やっぱり時折

行き渋る時がありました。


そして4年生にもなると

行き渋りは数えるくらいに減りましたが

3学期になったら遅参しての登校が

目立つようになりました。


そんなこんなで

2月の下旬くらいから

コロナが流行り出し

全国で学校や幼稚園などが一斉休校。


その長期休校が終わった

小学5年の6月から

長男は完全不登校になってしまいました。




明日は、子どもの日ですね。

今年の端午の節句は何を感じるのかな♡

長男は、今年受験生です^^




今振り返れば

長男が不登校になった原因が

私にはわかります。


それは




私が

自分の人生を

生きていなかったことで

感情麻痺になっていた。




これが

長男の不登校の原因です。


長男が学校の行き渋りを始めたころ

色々聞いたんです。




「学校でなんかあったの?」

「いじめに遭ってるの?」

「先生に怒られたの?」




でも長男は

イヤ〜な顔をするんですよ。




「そういうことじゃないよ」




みたいな感じで。。。


長男が不登校になった原因を

他にも色々と考えました。




「長男の性格が学校に合ってないからかな」

「夫がいないからかな」

「私がダメなお母さんだからかな」

「私が働いていないからかな」

「私がいつも怒ってるからかな」




当時の私は我を忘れて

とにかく子ども、子ども、子ども。


夫は隣県ではありましたが

単身赴任で平日は家にいなかったので

全部一人で家事と子育てを

やっていました。


「我が子がかわいいな」

「ご飯が美味しいな」なんて

感じてるヒマがなかったんです。


いや、本当は




自分の心が

感じたがっているのを

自分の頭が

禁じていたのです。




感じたからって

何になるの?


一体

どこの誰が得するの?


「今ここ」に

立ち止まってたら

やることがどんどん

溜まっちゃうよ。


ほら

感じてないで

立ち止まってないで

掃除・洗濯・飯炊き

サッサとやれよ。




って。


そんな頭からの命令に

私は自分を疑うことなく

服従していました。


私の肉体の中で




「今ここ」で生きたい心の私。


「今ここ」で

生かせない頭の私。




の、二人が

パワハラをしパワハラをされ・・・。




あの頃の「今ここ」にも

幸せや豊かさが

たくさんあったというのに。




当時の私には

心からの笑顔はありませんでした。


いつも

自分の頭の声に怯えて

生きていましたから。


長男は

そんな私をそばで見ていて

苦しかったそうです。


でもまだ小さかった長男は

その苦しみを言葉にできなくて

不登校という形で

自分の本音や願いを私に伝えていたんです。


でも私は

その長男の私への想いを

全然感じ取れないわけです。


とにかく

不登校を解決せねばと

死ぬ物狂いでした。


でも解決すべきは




長男の

不登校じゃなくて


私の

自分の心と

自分と頭の

向き合い方だった。




長男は私に

それを伝えたくて必死だったし

私以上につらかったと思います。






今日の朝

子どもたちを送り出してすぐ

福島市のあづま総合運動公園に

行ってきました。

 

ブログでも前に話したのですが

 

 

 

ここは

私のマイパワースポット。

 

 

 

自然が本当に豊かで

行くたびに心身が癒されます。






 

ここには

家族との思い出もたくさん詰まっているので

私にとってはおうちの次に

大切な場所なのです。

 

 

 

車から降りた瞬間

とても美しい木漏れ日を見れました。

 

 

 

まるで「動く絵画」を見ているよう。

自然は無料で楽しめるエンターテイメントですね。

 

 

 

この運動公園のすべてが

私のお気に入りではあるんですが

とくにお気に入りの場所はココ。

 

 

 

体育館のラウンジ。

 

 

 

ゆったりとした音楽が流れていて

高級ホテルにいるような

感覚になるのです。

 

しかも

窓から見えるこの景色。

 

 

 

 

 

 

ただ

ボーッと眺めるだけで

とっても贅沢な気持ちになるのです。

 

全然飽きないもんだから

ずっとここにいてもいいかもって

思ってしまいます(笑)。

 

今日は

家で淹れた珈琲と手帳を持っていき

ここでのんびりと

珈琲時間&手帳時間を過ごしてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

パワースポットといえば

流行った時のように

有名な神社とかでなくても

全然いいんですよ。

 

だって

「マイ」パワースポットですから。

 

 

 

自分が

「なんかいいなぁココ」と

感じる場所であれば

どこだっていいんですよ。

 

 

 

でね。

 

外にマイパワースポットを探すのも

すごく楽しいですし

私自身もオススメしたいのですが。

 

やっぱりまずは

 

 

 

おうちを

マイパワースポットに

することを

オススメします。

 

 

 

これが

女性が幸せに生きていくうえで

非常に大切なことだと私は思っています。


おうちは生活する基本の場所ですが

「とりあえず生活できればいい」と

思っていませんか?


でもそういう考え方が実は

女性の人生を

ボヤけさせてしまうんですね。


おうちは「ゼロ次社会の場」です。


ぱっと見

社会の情景は見えませんけども

おうちの中には




自分と家族との

人間関係があります。


そしてその前には


自分との自分との

人間関係があります。




実はそこが

人生を生きていく上での土台

社会に出て幸せに生きていける土台と

なるんです。


社会に出ようが出まいが

まずはその時点で

自分が幸せを感じられるように

整えて行くこと。


その方法の一つが

「おうちをマイパワースポットにする」

なのです。


とくに専業主婦の子育てママは

つい忙しさに振り回されてしまって

自分のことを後回しにしがち・・・。


気づいたら一日が終わっていて

ココロもカラダもヘットヘトチーン


だけど

そういう日々を過ごしていると




いつしか

自分の気持ちや本音が

わからなくなってしまうんです。


自分で自分の存在を

感じなくなってくる。




それで人生に

幸せを感じるわけがないですよね。


おうちは

人間が安心して暮らしを営み

生命を育んでいく場所ですから

疎かにしてはなりません。






おうちを

マイパワースポットにする方法は

わかりやすいことで言えば

 

 

  • 断捨離する
  • 掃除する
  • 整理整頓する

 

 

これはもう

基本中の基本だし

めっちゃオススメの方法でもあります。

 

でもさらに色濃く

おうちをマイパワースポットにする方法が

あるんですよ。

 

それは

 

 

 

マイスペースを作る♡

 

 

 

これをやると

マイパワースポットの中に

さらに濃厚なマイパワースポットが

できるんですよ。


神社で言えば

本殿みたいな感じです。

 

だけどわざわざ

自分の部屋を確保しなくて大丈夫です。

 

 

 

ほんの一角でいい。

 

 

 

これなら

賃貸でも狭いおうちでも可能ですよね。

 

で、そこを

 

 

 

「ここは、私が一番私でいられる場所ニコニコ

 

 

 

と、感じられるように

自分で作っていくんです。

 

そしてマイスペースには

 

 

 

自分の好きな物だけ

置いてください。

 

 

 

推しの写真を飾ったり

お気に入りのアクセサリーを

あえて見えるように収納するとかね。

 

で、それ以上に

感覚を研ぎ澄ますべきところは

好きな物以外の

必ず使う物への「好き」も怠らないってこと。

 

 

 

自分のモチベーションを

ベストな状態に保てるような

物を使うということ。

 

 

 

たとえば、ゴミ箱。

 

ゴミは

ゴミ箱に入ればそれでいいと思います。

 

でも

ゴミがちゃんと入ることにプラスして

「なんかカワイイ」「なんか美しい」と

感じるデザインのゴミ箱をあえて使うのです。

 

そうやって

自分の世界観を保っていくのです。


女性って

ビジュアル(形)から入っていく方が

うまくいくことが多いじゃないですか。

 

だから

ゴミ箱ひとつさえも

自分の「なんかいいな♡」を

怠ってはならないのです飛び出すハート


私で言えば

裁縫のときに使うトレー。







前は100均で買った物を使ってましたが

おしゃれな文房具屋さんで

めちゃくちゃおしゃれなトレーを

見つけちゃったんです。

 

もうね、一目ボレだったんですよ。

 

落ち着いたグリーンに

頑丈な材質。

 

私のマイスペースに

ピッタリなデザインだったので

即買いしました。

 

こんなふうに

「自分の好き」の感覚が

研ぎ澄まされていると

「これがイイ!」に簡単に出会えるのです。

 

 

 

自分の

「これがイイ!」で

選んだものを

マイスペースに置く。

 

 

 

これで

自分の世界観に浸れるマイスペースと

自分の女性性を呼び覚ませる

マイパワースポットなおうちを

作ることができますよ。


おうちのマイパワースポット化より先に

最初っからおうちの中に

マイスペースを作ることから

始めるのもいいと思います


むしろ

その方が楽しいんじゃないかな飛び出すハート




「私の神聖なマイスペースの周辺も

 美しくしたくしたいなぁ♡」




って、思うようになってきますから♪







自分の「好き」ばかりで

散らかっている空間ってサイコー。

 

 

 

明日は、子どもたちもお休み。

 

今夜はのんびりできるので

マイスペースで

裁縫を楽しみまくりましたラブラブ

 

 

 

 

 

我が子が小さかった時の

私の子育て最盛期。

 

今振り返ってみれば私も当時

世間一般でいう孤独感というものを

感じていました。

 

だけどそれは

子育て相談電話で相談しても

他のママさんたちと関わり合っても

解消されることはありませんでした。

 

なぜかというと

その孤独感の正体とは

 

 

 

「ねえ、お願い・・・

 私のことも見て

 私にもっとかまって悲しい

 

という

もう一人の私からの

サインだったからです。

 

 

 

どおりで

自分以外の人を頼っても

解消されないわけです。

 

本当の私は誰かに

労わってほしいわけでもなく

自分の現状を理解してほしいわけでもなく

孤独感を解消してもらいたいわけでもなく

 

 

 

ただ純粋に

我が子だけでなく

私自身にも

手をかけてあげたい!

 

 

 

それを願っていたのです。

 

我が子は可愛いし

子育てしなきゃならないのは

わかっているけれど

本当は自分にも構ってあげたかった。

 

だけど子どもが小さいうちは

どうしても子どもの方に手がかかるし

子育てだけじゃなく家事もしなきゃなので

ママは自分の時間なんてほぼ皆無です。

 

 

 

するとママは

もう一人の自分を

置いてけぼりに

せざるを得ない・・・チーン

 

 

 

それでいて

一日があっという間に

終わってしまう。

 

「大変なのは今だけだから」と

頭ではわかっていても

心はツラいんですよね。

 

なぜかっていったら

やっぱりそれは

 

 

 

ママは

母親である前に

オンナだからです。

 

オンナは

感じる生き物であり

感じたい生き物

だからです。

 

 

 

私は

母親という役目も大切だけど

母親以前のオンナを主軸にして

生きたかった。

 

それに

 

 

 

オンナだから

母親になることもできたし

オンナだから

可愛い我が子に

出会うこともできたのです。

 

 

 

あの頃これがわかっていたら

もっと有意義な子育てができたよねと

ちょっと後悔しているんですよ(笑)。

 

 

 

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だから

このブログを書いているんですけどね。

 

 

 

世の中の

専業主婦の子育てママたちに

伝えたくて。

 

 

 

疲れた時は

どうかお子さんを預けて

一人の時間を楽しんで

羽を伸ばしてください。

 

そして

忙しい子育ての日々の中にも

感じる機会が実は数多にあります。

 

子育て以外にも

やることがいっぱいあって

イライラモンモンかもしれませんが

そんな中でも

 

 

 

今やっていることに

集中してみてください。

 

 

 

我が子のプニッとしたほっぺたとか。

 

我が子の小さくてかわいいお尻とか。

 

子どもの食器を洗う時の

音や水の温度

流れていく泡の感じとか。

 

濡れた洗濯物を干すときの触感や

干された洗濯物が

キレイに並んでいる感じとか。

 

今の表面的な部分じゃなくて

もっともっと深層的な部分を

五感でじっくり感じて味わうのです。

 

 

 

食器に残った水玉がとても美しい♡

今日の「感じたこと」です。

 

 

 

そうやって

 

 

 

母親の自分である前の

オンナの自分に

いっぱい感じ取らせて

あげてください。

 

 

 

心の中が充実してきますよ。

 

それに。

 

一日一日が

何も感じないで終わるより

いろんなことを感じて終わる方が

断然良くないですか?♡




久しぶりにフェルトで縫い縫い

テディベアです♡






昨日

再び運動公園へ行ってきました。

 

この日は、体育館へ。

 

 

 

 

 

 

体育館のロビーでは

こんな美しい情景を見られるのです。

 

まるで

高級ホテルのラウンジのよう。

 

昨日はここで

この風景を眺めながら

読書をしてきました。

 

木が微風にゆらゆらと揺られて

眺めているだけで

ただただ幸せでした。

 

あの不規則感が

自然から放たれる心地よさだなって

つくづく思います。

 

 

 

 

 

 

そして。

 

この体育館は

子どもたちが小さい時に

しょっちゅう連れてきていたところ。

 

体育館の奥には

キッズルームがあって

一番上の長男が小さい時から

よく利用させてもらってました。

 

ボールプールに埋もれる長男を

いっぱい写真に撮ったんだよな♡

 

キッズルームまでの絨毯廊下を

長男が小走りで長女がハイハイで

競走したんだよな♡

 

次女が幼稚園に入る前も

ここに連れてきてお昼寝の時間まで

めいっぱい遊ばせたんだよな♡

 

金曜日の夕方は

次の日がパパが休みだから

ゆっくりできると思って

17時すぎまでいたときもあったよな♡

 

「さて帰るよ〜♪」って言いながら

絨毯廊下の壁に飾ってあった

秋のフェルト小物をみて

ほんわかとあったかい気持ちになったよな♡

 

そういうことを思い出してたら

 

 

 

私、車の中で

号泣しちゃいました・・・。

 

 

 

だって

 

 

 

もっともっと

いろんなことを

感じることが

できたはずだから。

 

もっともっと

子どもたちとの

愛おしい時間を

心の底から

感じ取れたはずだから。

 

 

 

つまり

 

 

 

当時の私は

私の中のオンナ(女性性)が

私の中のオトコ(男性性)に

感じることを

許してもらえなかったのです。

 

 

 

子どもたちとの時間を楽しみたくても

 

 

 

「さっさと帰ってメシつくれ」

 

「そんなことしてないで

 次のことやれよ」

 

「金も稼いでない無能オンナが」

 

「家にいて

 子育てばっかりしてる女に価値はない」

 

「お前にいったい

 何があると言うんだ」

 

 

 

そうやって私の頭は

私の心に「今ここ」を生きることを

禁じてきたのです。

 

だから

子どもたちのことを

急かしたことも何度もあった・・・。

 

そうやって

頭中心で生きてきた私は

 

 

 

あの幸せの日々の中で

感じ取れていないものが

たくさんあったな。

 

 

 

って、気づいちゃったのです。

 

そしたら

 

 

 

一度だけでいいから

あの頃に戻りたい。

 

 

 

そう思いました。

 

でも、もう戻れないの。

 

でも、戻ってみたいの。

 

もう一回

深く深く感じたくて。

 

子どもたちが大きくなって

寂しいと感じる時がある。

 

でも、もっと寂しいのは

 

 

 

あの頃

自分の心の赴くままに

自分から感じさせて

もらえなかったこと。

 

 

 

自分から自分を

置いてけぼりにされた感じ。

 

だけど

ココにくると

あの頃の情景が

思い浮かべられるのです。

 

寂しいけれど

ココにくればいつでも

感じられるのです。

 

思い出のキッズルームも

まだありました。

 

そこには

小さいお子さんが

お母さんといっしょに

遊んでいましたハイハイ飛び出すハート

 

 

 

 

 

私はこのときから

「今を生きる」の重さや

幸福感を感じました。

 

今では

長男は中3

長女は小6

次女は小4。

 

今この時だって

いつかは懐かしいと感じる時が

くるんですよね。

 

だからもっと緩んで

頭じゃなくて

オンナの感覚で

心から幸せを感じていたいです。

 

 

 

 

 

今日は雨。

 

少し気温が低くて寒かったです。

 

そんな天気の日も

私にとっては「感じる」日です。

 

だから

おうちにいるのもいいけれど

妙に森林浴に行きたくなっちゃって。

 

そこで今日の午前中は

私の大好きなマイパワースポットである

運動公園に行ってきました。

 

私はおうちにいることが一番好きだけど

こうやってひとりっきりで

自然豊かなところで散歩するのも

とっても好きなんです。

 

これね

ひとりで来るからいいんですよ♪

 

他の誰とも喋らず

私だけとお喋りしながら

散歩ができるから。

 

このように

自然の豊かな場所に行くと

私の女性性が飛び跳ねて喜びます。

 

 

 

 

 

 

到着した頃には

小雨が降ってきて

傘をさしながら散歩しました。

 

肌寒かったので

カーディガンの前側を

しっかり閉じてのんびりと。

 

芝生は少々水浸しで

アスファルトはしっとりと

濡れていました。

 

早朝にそれなりに

降ったんでしょうね傘

 

雨の日は

静かに一人で歩いてると

私が持っている傘と

草花に落ちる雨音が心地よくて。

 

 

 

ポチッポチッポチッ・・・

 

ポトッポトッポトッ・・・

 

 

 

ひとりっきりだから

自分の五感をフルに使える。

 

ココが孤独の良いところ。

 

そしてここから少し歩いたところには

子どもたちが遊ぶ

アスレチック広場があって

そこにも行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

子どもたちが小さい時は

3人を連れて

ここによく遊びに来てました。

 

アスレチックで遊んだり

お菓子やお弁当を食べたりしたなぁおにぎり飛び出すハート

 

懐かしい。

 

今は

次女を時々連れてくる感じ。

 

長男と長女は

遊び方が大人になってきたので

もう来ません(笑)。

 

今日は雨なので

小さいお子ちゃまたちはいませんでした。

 

それなのに私は

 

 

 

子どもたちの気配を

感じていました♡

 

 

 

それはきっと

私も子育てをしているから

ここに子どもたちを連れてきていたから

ここも私の好きな場所だから。

 

なのでしょう。

 

いや

もしかすると

 

 

 

子どもたちが大きくなって

寂しいのかも・・・私。

 

 

 

子どもたちが小さい頃は

忙しすぎて大変だったけれど

それを上回るほどの子どもたちの可愛さや

子育ての楽しさがあったから。

 

もちろんそれは今も変わらないけれど

あの子どもたちの小さい時期って

本当に限定的であっという間で。

 

実に貴重な時だったなぁって

しみじみと感じました。

 

今は今で

貴重な時だけどね。

 

 

 

 

 

 

そういうことを感じたら

「やっぱり私はオンナなんだな」って

再認識してしまいました。

 

家にいるのが幸せ。

 

家で家事をしていると心地よい。

 

子育てをしていると

あったかい気持ちになる。

 

そんな私だから

バリバリのワーキングママにもなれないし

おうちでの引きこもりも

やめることができないんです。

 

静かにおうちで

洗濯したり

料理したり

子育てしたり。

 

手帳を書いたり

音楽を聴いたり

珈琲を飲んだり

裁縫をしたり。

 

そんな日々が

私は大好きです。

 

今日の森林浴と散歩

めっちゃくちゃ楽しかったな飛び出すハート