ポリアモリー当事者によく向けられる批判、「子供がかわいそう」。
取材を受けていても、「子供はどうするんですか?」と、毎回のように尋ねられます。
そこで今回は、ポリアモリーとして生きる私の、子供を産むこと・育てることに対する想いについて、お伝えしたいと思います。
今のところは、「積極的に子供をつくるつもりはないので避妊をしているが、もし妊娠したら必ず産みたい。その時は、パートナー達や友人達も含めた“子育てチーム”をつくって皆で育てたい」というのが私の考えです。
ただし、子供が産まれても、誰かと法的に結婚するつもりはありません。
現状の日本の婚姻制度は、私自身の生き方には合っていない…と思っています。
今はこういった子供観を持っている私ですが、20代の頃から今まで、自身の出産や育児に対する考え方は大きく変遷してきました。
学生時代は、いつかは子供を産んでみたい!と強く思っていた私。
一方で、「産んではみたいけれど、育てられる自信はあまりない」という不安もありました。
1人で育てられるかは分からない、でも産んでみたい。
それなら、子育てができそうな人と結婚して、一緒に暮らしつつ助け合って育児をするのがいちばん便利に違いない。
…つまり私の場合、あくまでも結婚は”子育てのための手段”で、恋愛のゴールとしての結婚というイメージは最初から薄かったのです。
万全の準備を整えてから結婚して子供をつくるために、まずは社会人としてしっかり稼いでおかないと!と考えていました。
ところが海外に留学した時に、当時の恋人からデートレイプを受けて妊娠。
私は、学問を修めるためには、今はまだ産めない…と人工妊娠中絶を選択しました。
その代わりというわけでもないのですが、この経験をきっかけに中絶問題について深く考えるようになった私は、専攻する学問を生命倫理学に変更しました。
そして中絶や脳死臓器移植をテーマに論文をまとめ、大学院を修了したのです。
就職後、社会人3年目の時に結婚。
その頃は、「29歳までには出産したい」と考えていました。
しかし、私が原因で夫婦関係が悪化したため、関係性の再構築に向けて、積極的に妊活をおこなうことにしました。
けれど、産婦人科に通ってタイミング法などを試みたもののうまく妊娠することができず、結局は離婚。
その後ポリアモリーとして、今のパートナーとお付き合いするようになりました。
最初は「結婚せずに改めて子供をつくろう!」と思っていたのですが、周りの同世代の人たち(特にシングルマザー)の子育てがとにかく大変そうなのを目の当たりにするにつれて、私はあんなに頑張れない、あんな生き方はできない…と、出産や育児をためらう気持ちが強くなってきました。
かといって、もう一度子育てのために婚姻制度を利用する気にはなれず。
そうやってだんだんと出産に対する自信を失いつつ、今に至ります。
今は、ポリアモリーとして生きていくなかで、里親制度を利用して里子を預かることをパートナー達と検討しています。
自分自身で子供を産むことについては、ほぼ諦めかけているような状態です。
必ずしも自分は子供好きというわけではないと思うし、子育てにも相変わらず自信はないのですが、そんな自分を恥ずかしく思う気持ちもあります。
大抵のことには「失敗しても何とかなるさ!」と飛び込んでいける私ですが、もし、子供を愛することに失敗したら?と思うと、不安をぬぐいきれません。
それに、今は恋愛や仕事や趣味に打ち込んで充実した毎日を送っていることもあり、こういう全力疾走の人生を楽しむためには、子供はいない方がいいのでは…?とも思います。
旅行にだって毎月のように行きたいし、デートやサバイバルゲームやダイビングもしたい。
ポリアモリーや恋愛や性に関する活動だって、まだまだやってみたいことが尽きません。
それに、そもそも“定住”したくない私に、育児ってできるものでしょうか。
そんな不安や、妊娠したのに中絶してしまった、妊活したけれどうまく授からなかった…という経験もあり、今の私は周りの人が結婚したり子供が産まれたりしたときも、なんとなく手放しで祝福することができません。
会社員時代も、同僚などが出産して、部署の皆でお金を出し合ってお祝いを送ろうという話が出ても、申し訳ないけれど辞退してしまっていました。
そして、そんな自分にモヤモヤするのです。