今回は、ポリアモリー当事者の書いた小説「どんなステキな色か見せて」を紹介したいと思います。
 

著者の比嘉ダイヤさんはカウンセラーで文筆家。

レズビアンとして、セクシャリティについて積極的に発信しています。

この本の中では、カウンセラーとして見てきた数百人のアダルトチルドレンを、一人の人物として登場させているとのことです。
 

※アダルトチルドレン:

親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などのみられる機能不全家族で育ち、成人してもなおトラウマを抱えた人。

私は、ポリアモリーとスピリチュアルには親和性があると考えています。
ただ、私個人は正直、スピリチュアルの世界に距離を感じていました。

ポリアモリー当事者のなかにスピリチュアルな人って多いのですが、そういう人たちの発信に対して「ツインソウルとか前世とか龍神とか、よく分からない概念と絡めてポリアモリーを語られても、なんかちょっと怖いなぁ…」という気持ちがどこかにあったのです。
 この本を読むときも、最初は「ポリアモリーをスピリチュアルに解説し、オススメする内容なのかな?」と思っていました。
でも意外なことに、主人公のエリは、元々は”スピ嫌い”だったことが綴られていたのです。
 

不幸を悪霊のせいにするような、いわゆるスピリチュアルビジネスが大嫌いだったの。だからあえてスピリチュアルっていう言葉をずっと避けてたんだよね。その業界には絶対近づくもんかって思ってた。

レベルの低いスピや科学ってこういう調子でしょ。「目に見えないものは存在しない」「科学で証明できないものは存在しない」「未知のものは怖い」「こっちが正しくてあっちが間違い」「不幸は悪霊のせい」「あいつさえいなければ上手くいく」「自分の思い通りに相手を動かしたい」「今の不幸をごまかして見ないフリしよう」あーあ、ガッカリしちゃうよね。イライラピリピリしてるじゃん。そういうの全然好きじゃないな。


人を否定したり脅したりして何かの価値観を押し付けるスピリチュアルビジネスが嫌いだったものの、エステラとの不思議な出会いをきっかけに、思いきってスピリチュアルの勉強を始めたエリ。

ところが、世間には”スピリチュアルに対するアレルギー”というものがあることを知ります。
 

スピリチュアルを深く学び始めてから、どうも多くの人が、スピリチュアルという言葉にアレルギーを持ってることに気が付いた。やたら過剰反応するんだよね。もちろん、オカルトビジネスとか霊感商法とかのせいで「押し付けられるんじゃないか」「勧誘されるんじゃないか」っていう抵抗があるのは無理もないよね。でも、それだけじゃなかった。突き詰めて言うと、知らないものに対する恐怖だよね。知らないものを拒絶して追い出そうとするような、そういうヒステリックな反応がよくあったよ。だってスピをカムした時の反応と、セクシャリティをカムした時の反応って、すごくよく似てるんだもん。「ほんとは動揺してるくせに、自分の持ってる知識だけでなんとか分かったフリをしようとする」「話をよく聞かないで一方的に決めつける」「頭ごなしに否定しようとする」そういう調子。あたしがスピリチュアルの話をした人の中には、そんな強いアレルギー反応を見せる人たちがけっこういたの。

 

知らないものに対する恐怖。

私は、この”スピ差別”が自分の中にもあることに、ハッとしました。
自分自身がポリアモリーとして「知らないものに対する恐怖からのバッシング」を受けることが多いのに、知らないものを恐れて拒絶する気持ちは、自分自身の中にもあったのです。
結局、「知らないものが怖くて、拒絶したくなる気持ち」は誰の中にもある。

そんな気持ちをもつな!と他人や自分を責めても仕方ありません。

自分の中の差別感情そのものを否定したり抑圧しようとするのではなく、「あ、いま自分は怖がっているな」「怖いのは知らないからだな」と自分の”気持ち”を客観的に眺めて、「じゃあ、知れば怖くなくなるのでは?」あるいは「知らなくて怖くても、否定しないでいることもできる」など、自分の”行動”に配慮をもつことが大切なのではないでしょうか。

この本を読んでも私は正直、スピリチュアルがよく分かったわけではないし、天使とか霊視とかを完璧に理解できたとも思っていません。

エリの周りでは不思議なことが起こりまくっていて、何それ???と首をかしげることばかりです。
でも私としては、「エリの身に起こる出来事も、エリの考え方も、よく分からないけれど、彼女とはなんだか仲良くなれそう」という気がします。

たとえエリと分かりあえなくても、「ふーん、あなたはそうなんだね」ってお互いに興味をもつことができそう。

こういうポジティブな人と一緒にいたら、楽しいだろうな。
エリと私は、考え方も違うし、表現の方法も違う。

でも、自分の中にある「知らないものに対する恐怖」による差別感情がどういう動きをするかを知っていれば、分からないけど否定しない、という行動をとることはできると思います。
私がエリと仲良くなるのに、スピリチュアルを理解したり、自分自身がスピリチュアルになる必要はないと感じます。

エリは、自分自身がスピリチュアルであっても、私(つまり読者)に、スピリチュアルを押し付けてこないからです。

私にとっては分からない部分もある物語だけれど、全部が分からなくてもいい。

不思議な出来事に振り回されて、混乱したり悩んだりしていても、最終的には自分に起こった出来事を前向きに受け入れていくエリの天真爛漫さに惹かれます。
この本を読んだことで、私が感じていたスピリチュアルに対する距離感が、すこし和らいだように感じました。

私は、自分自身がスピリチュアルでなくても、スピリチュアルな人と仲良くなれる。
自分自身がモノガミーでなくても、モノガミーの人と仲良くなれる。
逆に、ポリアモリーであっても、「ポリアモリーはモノガミーより尊い!」「誰もがポリアモリーとして生きるべき!」といった考え方の人とは、仲良くなれる気がしません。
大事なのは、自分や相手がどういう価値観や生き方をしていても、自分の価値観を他人に押し付けたり、他人の価値観を否定したりしないことだと思います。
「ふーん、あなたはそうなんだね」と温かく”受容して・放っておく”ことができれば、自分と違う価値観の人とも、仲良くなれるものではないでしょうか。