私はよく、ポリアモリーにおいては男女平等であることが重要、という話をしています。
ポリアモリーについて発信していると、女性ジェンダーと男性ジェンダーの間の格差、つまりジェンダーギャップが見えてくることがよくあります。
今回は、そのようなポリアモリーにおけるジェンダーの問題について、考えてみたいと思います。
(なお話をシンプルにするため、この記事では主に「複数の男性と交際しているポリアモリー女性」「複数の女性と交際しているポリアモリー男性」について考えていますが、もちろん全てのポリアモリーカップルが”女性”と”男性”から成り立っているわけではないし、すべてのポリアモリーカップルが「1対他」の形で付き合っているわけでもありません。)
ポリアモリー当事者にもいろいろな人がいますが、それが女性か男性かによって、カップルの様相が異なる場合があります。
たとえば男性のポリアモリー当事者には、独占欲のあるタイプ…つまり、自分は複数の女性パートナーをもつけれども、彼女たちが他の男性パートナーをもつことには合意しない、という人がしばしば見られます。
一方で女性のポリアモリー当事者が(私も含めて)、男性パートナーに対して他の女性と付き合うことを許さない、という話はあまり聞いたことがありません。
もちろん、私の知っている範囲のポリアモリーカップルの話でしかないので、正確にはもっと大規模な統計が必要ですが、この差は興味深いものです。
もしかしたら、男性は“男社会”の中で競争原理を植え付けられているからこそ、自分のパートナー女性が他の男性とも交際したいという時に、競争意識が芽生えがちなのかもしれません。
以前、ポリアモリーを取材しているメディアの人と、こういう話をしたことがあります。
「男性のポリアモリー当事者より、女性のポリアモリー当事者の話を聞いている時の方が、より『今までと違う生き方だ!』と感じる。何が違うんだろう?」
その時に出てきた仮説は、「ポリアモリー女性の方が、従来の恋愛や結婚の規範からより遠く隔たっているのかもしれない。ポリアモリー男性は女性に比べて、既存の規範により“近い”のではないか?」というものでした。
ポリアモリーな関係性を築くには、たとえば主体性や積極性、自分のしたいことやしたくないことを自覚して伝える言語能力、相手のしたいことやしたくないことを理解して擦り合わせるコミュニケーション能力などが必要です。
しかし世の中には、「女はこうあるべき、男はこうあるべき」という性役割(その性別に対して、社会的に期待されている役割)が溢れています。
たとえば、「男は女をリードするもの」「女は男に従い、受け身でいるもの」といった規範意識。
このような価値観は、対等な関係における合意が必要なポリアモリーとは対立しやすいものです。
それらの規範を刷り込まれていると、カップルの中で女性が男性に対して意見することの方がより難しく、ポリアモリーの実践にあたって超えるハードルがより高くなるのではないでしょうか。
また一夫多妻やハーレムといった、男女の力関係に傾斜がつきやすいパートナーシップの形が既にあることも、全員が対等なポリアモリーというパートナーシップを結ぶことを難しくしているように思えます。
このポリアモリーにおける男女の差の背景にあるのが、ジェンダーギャップです。
男女平等が実現されているか否かを計る指標として、「ジェンダーギャップ指数」というものがあります。
世界経済フォーラムが、男女のジェンダー格差の大きさを国別に比較して毎年発表しているものです。
2023年の各国のジェンダーギャップ指数ランキングにおいて、日本は153カ国中125位でした。これは、今までの日本としては過去最低の順位です。
【ジェンダーギャップ指数2023】過去最低125位、男女格差の改善どうすれば?
このように男性ジェンダーと女性ジェンダーの格差や性役割の違いが大きな日本においては、男性が複数の女性パートナーをもつ形のカップルと、女性が複数の男性パートナーをもつ形のカップルにおいて、その関係性に差があることは想像に難くありません。
ジェンダーの平等さとか関係性の対等さって、目には見えないもの。
だから、ジェンダーギャップの解消を目指すといっても、それが実現されているかどうかを確かめるのは難しいし、“100%完全に対等な関係”を成立させることも、ある意味不可能に近いのかもしれません。
けれども、大切なのはそれを「目指し続ける」ことなのだと思います。
ジェンダーに限らず、年齢や生まれ育ちや学歴など、私たちはあらゆる要素であらゆる偏見をもってしまいがちです。
まったく差別をしない、偏見をもたないでいるということもなかなか難しいことだと思います。
しかし大事なのは、「自分の中に差別意識があるかもしれない」「偏った価値観を刷り込まれているかもしれない」と自省する気持ちを忘れないことではないでしょうか。