あなたは、ときにポリアモリーと並べて語られることのある「アロマンティック」や「アセクシュアル」を知っていますか?

アロマンティックとは他者に恋愛的に惹かれない人のこと、アセクシュアルとは他者に性的に惹かれない人のことを指します。
 

先日、このアロマンティックやアセクシュアルの人々に関する大規模な調査結果が公表されました。

こちらのアンケートでは、アロマンティックやアセクシュアルの人たち1685人を対象に、一人ひとりのあり方や経験について尋ねています。

アロマンティック/アセクシュアル・スペクトラム調査2020
「他者に恋愛的/性的に惹かれない」アロマンティック/アセクシュアル約1700人対象の調査結果が公表

“スペクトラム”という通り、アロマンティックやアセクシュアルにもいろいろな人がいます。

「誰に恋愛感情を感じるか」と「誰に性欲を感じるか」とは別のこと。

その掛け合わせも人それぞれで、恋愛感情がなくセックスをしたくないアロマンティック・アセクシュアルもいれば、恋愛感情はあってセックスはしたくないロマンティック・アセクシュアルや、恋愛感情はなくセックスはしたいアロマンティック・セクシュアルもいる、という具合です。

私が主催しているイベント「ポリーラウンジ(ポリアモリーに興味をもつ人の交流会)」にも、時折ポリアモリーなアセクシュアルの人たちが参加してくれています。

ポリアモリーなアセクシュアルとは、恋愛関係における指向はポリアモリーで、性的な指向はアセクシュアルということ。

「合意のもとで複数の人とセックスのないパートナーシップを結ぶ」人達もいるのです。

つまり、複数の人に対して恋愛感情をもち、全員の合意のもと交際するけれども、セックスしたいわけではない、ということになります。

勘違いされがちですが、ポリアモリー・アセクシュアルというのは必ずしも「複数の友人がいる」ことと同じとは限りません。

そもそも、友達と恋人の区別をしない人もいます。

「どうして友達と恋人を区別する必要があるの?」でも書いたように、私自身も、アセクシュアルではないもののどちらかというとそのようなタイプです。

アセクシュアル当事者にもポリアモリー当事者にも、恋人と友人とを厳密に分けない人はけっこういると認識しています。

しかし、人によっては友達に対する友情と恋人に対する恋愛感情との間に厳然とした区別があり、その上で友達にも恋人にも性欲を感じない、という人もいるのです。
 

ポリアモリーとアセクシュアルの掛け合わせについては、Meetupのコミュニティ「Tokyo Polyamory & Open Relationships Social Group」などを通じて海外のポリアモリー当事者達と話している中で、海外と日本の違いを感じることがあります。

ポリアモリーというと、アメリカをはじめとする海外では「複数人と合意のもとで、セックスを含む恋愛関係を結ぶこと」というニュアンスが強いのに比べ、日本のポリアモリー当事者の中には、前述のように複数人に恋愛感情はもつけれどもセックスはしない「アセクシュアルなポリアモリー当事者」が比較的多いように感じます。

「セックスしないポリアモリー」を名乗る人もいます。

同じポリアモリーといっても、その関係において「複数人とのセックス」にどれほどのウェイトが置かれているのか、ということにはアメリカと日本で違いがあるのかもしれません。

ポリアモリーにも“お国柄”は表れるのではないかと思います(もちろん、モノガミーのあり方だって国ごとに違いはありますよね)。

日本のポリアモリー当事者の中には、アメリカで生まれた当時のポリアモリーの原義を守ることにこだわる人もいます(私は”ポリアモリー原理主義”と呼んでいます)。

しかし元はひとつの概念であっても、それが世界中に広まる中で、それぞれの国や土地に合わせてローカライズされてゆくというのは自然なことではないでしょうか。

ポリアモリーというと、複数人と性愛関係を結ぶ、つまり複数人とセックスをするというところばかり取り沙汰されて、性的に奔放な人たちだと決めつけられたり、ビッチやヤリチンだと揶揄されたりしがち。

けれど、ポリアモリーというあり方は、本質的には「誰とセックスするか」よりも「誰を好きになるか」「誰とどのような関係を結ぶか」の話なのです。

ポリアモリーの中にも、複数人と恋はするものの複数人とセックスをしたいわけではない人達もいる、ということは、アロマンティックやアセクシュアルといった概念とともに、もっと広く知られてほしいと思っています。