私は子供が欲しいのか、それとも欲しくないのか…

答えを出しきれないまま揺らぐ日々のなかで、私は友人からある本を紹介されました。

タイトルは、『誰も教えてくれなかった子どものいない女性の生き方』。

今回は、この本を読んで考えたことをお伝えしたいと思います。
 

『誰も教えてくれなかった子どものいない女性の生き方』には、子供のいない人生の受け入れ方とその後の人生を自分らしく生きる方法や、パートナーとの関係性について、30~60代の女性たちの声が詳しく紹介されています。

何に気持ちを向けていくのか、どこを見て歩いていけばいいのか、そんなヒントがたくさん詰まった1冊。

著者のくどうみやこさんは、「すべての女性が生きやすい社会」をめざして子供のいない女性を応援する「マダネ プロジェクト」の代表を務めています。

この本のなかで、特に私の心に刺さったのが、「子供が好きではない」「子供が欲しいと思えない」という女性たちの悩みに触れた部分でした。

多様な生き方を尊重すべきとの声が聞かれる一方で、世間ではまだ子どもを産み育てることが賞賛されているように感じます。だからこそ、子どもを持たない選択をした人は自ら主張することなく、生きづらさを抱えながら過ごしているのでしょう。さらに「子どもが好き=いい人、やさしい人」「子どもが苦手=冷たい人」とのイメージがあり、子どもが好きではないから欲しくないと言えば、人間性まで否定されかねません。子どもが欲しいと思うのが普通で、欲しくない人は勝手にレッテルを貼られてしまうため、余計に声にしづらい。(pp.79-80)

周りはみんな子どもが欲しいと思っているのに、自分はそうは思えないのは変なのかと悩まれるかたが意外に多いことを知りました。欲しくない人は、欲しい人に比べると少数派になってしまうので、周りに同じ考えの人がいないと孤独感を感じるとおっしゃるかたも多いです。(pp.83-84)

この辺りの記述は、まさに私自身のことだ…と思いました。

前に、さらりと「自分は子供好きというわけではない」と書きましたが、実は私にとってこのことは結構なカミングアウトです。

 

下手したらポリアモリーであることより言いづらいかもしれません。

ポリアモリーを「あの人もこの人も好き!」と言うとなんとなくポジティブな感じもするのですが、「子供が好きではない」と言ったところで「そうなんだ!素敵だね!」という反応が返ってくる気はしません(肯定されたいというわけではありませんが…)。

子供が好きとか嫌いとかって、食べ物や音楽の好き嫌いとはわけが違う、何か“人間性に関わる好み”のような重たいイメージがあります。

それに、「子供が欲しくてたまらないのに授からない人もいるのだから、『子供が欲しいと思えない』という私の悩みは大したことじゃない。

悩んでるなんて言っていいレベルじゃない」と、自分の悩みを自分で矮小化してしまっていたように思います。

だからこそ「自分だけじゃない」ということを知って、慰められる思いがしました。
 

けれど、そんな私に最近、とある心境の変化が訪れました。

妹に子供が産まれたのです。

この姪が意外と可愛くて、そう感じる自分にちょっと驚いています。

おそらく私にとって、姪は子供だから可愛いわけではなくて、私が彼女個人を好きなんだと思います。

“子供”という大きなカテゴリ全体としては苦手でも、“姪のXXXさん”といういち個人としてなら、私にも関係が築けるのかもしれません。

彼女のために何かしたいな、という気持ちがあります。

とはいえ、妹の替わりに母親役を務められるかは分かりません。

食べさせたり飲ませたり、おむつを替えたりするような、いわゆる「ケア」的な育児はできそうにありませんが、育児の一環として何かを教えたり、どこかへ連れていくようなことはしてみたいと思っています。

性教育を施したり、海外旅行へ連れて行ったり、一緒にキャンプやダイビングもしたい。

私が世話をしないと死んでしまうような、生き物として無力な状態の子供を育てる自信はありませんが、たとえば「乳離れした」とか「おむつが取れた」というステータスの子供なら、私にもできることがあるかもしれないと思うのです。

ポリーラウンジの幹事会のメンバーである小島雄一郎さんは、「子育てを構造化してシェアしよう。」の中で、子育てを年齢別・分野別に66の“競技”に分類しています。

この記事にもあるように、育児って、もっと細分化して考えた方がいいのかもしれません。

自分が育児のどの部分をやりたいか(できるか)・どの部分をやりたくないか(できないか)を明確にすれば、自分が“子供”に何を求めているのかも見えてくるし、その結果として自分で産むのか、あるいは自分の子供でなくてもいいのかも含めて決められるように思います。

もし、「自分で産まなくてもいいけれど、育児には関わりたい」というなら、養子縁組制度や里親制度を利用することもできます。

『誰も教えてくれなかった子どものいない女性の生き方』によれば、里親制度のなかには、週末や年末年始・夏休みなどに短期的に子供を家庭に迎える「週末里親」や「季節里親」もあるそうです。

認定要件が合えば、同性カップルや、未婚者や単身者でも里親になれるとか。

これなら親戚の子供を泊める感覚で、私にもできるかも…という気がします。

こういうのだって立派な育児ですよね。

また、この本で「ジェネラティビティ」という概念を初めて知りました。

これは精神分析学者エリクソンがつくった言葉で、性別を問わず、仕事、ライフワーク、教育などの営みによって影響を与える後輩、後継者、教え子などの次世代の主体を育み、育てていくことを指すそうです。

そういえば30歳を過ぎた頃から、私には「自分の知恵や知識を誰かに受け継いでから死にたい」、端的に言えば「弟子をとりたい」というような気持ちが芽生えました。

そういう意味では、私が欲しいのは子供ではなく“弟子”なのかも…?

子供が欲しいかどうかとはまた別に、私はジェネラティビティが強い人間なのかもしれません。

育児について、どのような道を選ぶのか、まだ最終的な結論は出しきれていません。

ですが、自分の気持ちを見つめつつ、これからの生き方を考えていきたいと思います。