作家(志望者)にとっての読書量。 | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

真名さんブログの創作考 にコメントをつけようとしたのですが、意外と長文になったのでエントリを立てさせてもらうことにしました。


>大きなお世話かもしれませんが、作家さんには、あるいは作家を志すひとには、読書家であってほしいなあ、と思うのです。


自分が世間一般でいうところの「読書家」であるかどうかには、実は甚だ自信がありません。

読書家と言うと、世間では多くの作品を呼んでいるひとのことを指すようなんですが、そういう意味では私はとても読書家とは言えないのです。

 
よく「作家を志すなら○○(←高名な作家の名前)くらいよんでないとね」というセリフもききますが、そういうときに名前の出る作家(太宰治だとかドエトエフスキー、ヘミングウェイだとか)の作品を読んだ記憶もトンとないです。ま、だいたいが純文学というものに縁がないもので。

国産の話題の作家の作品も、ほとんど手に取ることはないです。石田衣良や伊坂幸太郎、京極夏彦、法月倫太郎、まったく読んだことがありません。だいたいが新刊で最後に買ったのが大沢在昌というアリサマ(シャレに非ず)で……。


その代わりと言ってはなんですが、私は読んで面白かった作品は何回でも読み返すタイプです。

トリックが分かっていようが、オチが分かっていようが、面白ければ何度でも読み返します。場面によっては暗唱できるくらいまで読むこともあります。

それは同時に、読み返したくならないような本は手に取らないということでもあるのですが。

 

ただ、技術的な側面としては読書量はそのまま文章力に直結しますね(反面教師の分も含めて、ですが)。特に語彙を増やすには(種類はともかく)文章を読むか、辞書を引くしか方法がないので、読書量はそのまま作家の地力になると思います。

それというのも、先日ちょっとヒロイック・ファンタジーの書き出しを書いてみようとして、そういう作品の要素が自分の中から枯渇しているのを感じて、ちょっとガクゼンとしたのですよ。
これもやはり、そのジャンルの先人の仕事を吸収していない(昔、したはずなのですが……)ことが、その原因かと。

物語というのはどのようなものであれ、長い年月のうちにほとんど書き尽くされていて、現代作家がやっていることは(少なくとも小説というジャンルでやっていることは)、これまでの先人たちの仕事に新しい切り口を持ち込むことでしかないのですが、それにはやはり、先人の仕事を吸収する「読書」という作業は必要ではないかと思います。

それと読書量(多くの作品を読むスタイルであれ、少数を繰り返し読むスタイルであれ)が作家にもたらすものは、おそらく「その作家の基準を作り上げる」効果ではないかと思います。

作家にとって一番満足させたい読者は、誰よりも自分自身ではないかと思うのですが、その面白さの基準は自身の読書体験からしか生まれ得ないわけでして。

 

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私は書こうとしている作品の方向性が限定されていて、そのジャンルの先人の作品を丹念に読んでおけば、あとは「それに上乗せするオリジナリティ」での勝負になるのですが、そういうジャンル分けのされていない分野で創作される方は大変なのだろうな、と思います。

いつかは、そういう創作にもチャレンジしようと思ってはいるのですが……。