だったら俺がやる
「だったら俺がやる。」
誰もやらないのだったら俺がやる。
誰もやりたくないのだったら俺がやる。
誰もやりたがらないところを率先してやる。
誰もやりたがらないところを見つけ敢えてそこだけを俺らがやる。
マーチンルーサーキング、ネルソンマンデラ、マハトマガンジー...
そんなに大きなことでなくてもいい。
ほんの些細なことでもいい。
周りの人より能力が劣っていたとしても
リーダーであれば、
せめて「勇気の象徴」ではありたい。
あり続けたい。
スタバのコーヒーはなぜ苦いのか
考えられへん食べ物
コンタクトレンズ
ぼくは昨日、明日のきみと出会う
僕がFacebookやTwitter、それにブログで情報を日々発信するのは、実は君に見つけてほしいからなんだ。そして見つけてくれた君に忘れてほしくないからなんだ。
提携やプロダクトの情報をメディアに載せてもらったりするのも奥底にある本当の目的は、君に知らせたいからなんだ。
君は非常に優秀で頭がいい。僕はそのことを知った。逆立ちしたって僕は君には敵わない。僕よりぜんぜん優秀で器用で頭がいいから、本当は君が起業した方が圧倒的に成功確率が高い。間違いない。でも僕より確率が高い君だってまだまだ失敗する可能性は高い。君が今、身を置いている環境に比べたら、それは遥かに将来が不安だと思う。だからこそ、僕が先に0から会社を創り上げ、なんとかして事業を大きくし、有名にして失敗する可能性を低くする。そして成功する可能性をできるだけ大きくしていく。確かに今は働く環境は整ってない。でも挑戦する環境はすでに整っている。どんどん良くなる。その状況をここで君に伝えたい。これからも見ていてほしい。そして、よしこれはいけるぞ!と思ったら、ぜひ助けに来てほしい。君が助けてほしい時でもいい。君のタイミングでいい。
僕は君に見つけてもらいたくて、僕は君に知ってほしくて、何年も何年も前から日々決して休むことなく、今この瞬間の状況と考えをここに書き綴っているんだ。
会社名を「終わりなき物語」にしたのもそうさ。
君がいつか僕を見つけて、新たな物語が始まる日を夢見て。
君と初めて会った日のことを僕は今でも鮮明に覚えている
「何かを0から始める」時についての話なのですが、最初って何も知らないですよね。
ネットでなんでも知ることができる時代だといってもネットに出ているのはやはり表面的な情報で、ビジネスでもなんでも情報というより「コツ」みたいなところは出てきませんね。49800円の情報商材を買っても書いてありませんよね。そこを知りたいですよね。この場合、絶対にやるべきことがあります。
「その道の経験者に直接教えてもらうこと」です。これ絶対やった方いいです。
「はじめまして、◯◯を始めたいのですが、◯◯さんが第一人者だと◯◯さんや◯◯さんや◯◯くんから伺いました!なんとしても、是が非でも、是々非々で前前前世から知りかったので教えてください!逆に僕からお出しできる情報は今はないかもしれませんが、10年後には必ず!必ずやお返します!」
これだけです。あなたが別に「◯◯さんは第一人者だしお忙しいからご迷惑なんじゃないか。」とか考えなくていいんですよ。あちらが判断することだから。むしろ倍の勢いでいきましょう。あなたがおもんばかる必要は1ミクロンもないんです。
これで90%はOKです。その方が素晴らしい人間であればあるほど必ずリアクションは来ます。そんなものすごい勢いでガンガン迫ってくる人間はなかなかいないので、スルーするわけがありません。まず1回会ってやろうとなります。トップになればなるほど、物理的に忙しい仕事はありません。特に年末は、頭の中は未来のことでいっぱいでも、忘年会で口の中や胃の中はいっぱいでも手は空いてます!20時に出席するところを21時に出席してもそんなに効果が変わることがない内容の忘年会はあると思うので、あなたが有望とさえ感じさせれば、必ず時間を作ってくれます。必ず空いてる時間があります。将来有望さらには脅威になる可能性大の勢いでかましてくるんだから。10年後回り回ってスルーしたことを悔やむ姿を想像して、うわわわわってなってから、あわわわわってなって、必ずリアクションしてきます。
(むしろ、大御所の方よりノウハウがない駆け出しの起業家の方が逆に忙しいんです。忙しいというより将来が不安で心に余裕がなくて会ってくれない人が多いのです。でもそういう起業家の方こそ、会うべきです。彼らがチャンスを運んでくれてきているのです。)
あなたが学生なら99%きます。可能性がある未来しかないので。20代なら共通の友人がいたり、同じ会社出身や同じ大学、同郷などなにかしらの共通のものがあれば必ず来ます。加えてあなたから提供できるような、人がなかなかしえない経験や技術があれば180%会ってくれます。
この手のことは、年をとればとるほどできないらしいのです。恥ずかしいのか億劫なのかどうか。なのであなたがまだ学生のうちに、20代のうちにやっておきましょう。
この前、上記のことをまずやれば大丈夫と学生に言ったところ、コンサル契約とかお金を請求されたとかそういうことがあったのですが、学生に会うことに対してもしっかり請求するというのは、裏を返せば子供扱いしない、対等に扱うというスタンスの素晴らしいビジネスパーソンでもあるのでそれはありがたく受け止め、次にいきましょう。そしてその人には、10年後にもう1回会いにいきましょう。逆にお金を請求できるぐらいにパワーアップして。
そして会ったら必ず御礼を言いましょう。その日、その翌日、次に会った時。その方のおかげで、何かが成し遂げられたら、その度に報告にいきましょう。そして、何か困難に直面したら、その度に相談にいきましょう。
「◯◯さん!◯◯のおかげで無事サービスを開始することができました。ありがとうございます!またご報告しますね。」
「◯◯さん!やばいです。人生最大のピンチです!隕石が落ちてきてうちがスパークルしそうです!なんとかお力添えいただけませんでしょうか。」
君の名はすでに覚えられていて喜んで力になってくれるでしょう。僕もそういう方々にたくさん出逢いました。僕もまだまだ聞きに行きまくります!
一期一会から「なんでもないや」より君の相談なら「なんでもいいよ」という関係を築いていきましょう!
お互いがんばろう!
いけるところまでどこまでもいこう!
醍醐味
最近強く思うことなのですが、人生の醍醐味というのは、多くのことが「思い通りにいかない」ことだと思うのです。
自分の前に立ちはだかることに挑戦した結果、それが「思い通りにならなかった」時に、ああ楽しいな、ああこれはやり甲斐があるぞ、ああこれはなんとかして見せるぞ、と腕をまくる自分がそこにいることで、自分はなかなか難しいことに挑戦しているんだという実感が湧き、それが人生を非常に深みがあるもの味があるものにしていると思えるのです。
そして何より楽しいことは、自分という存在は望みさえすれば他の「何者」にでもなれるということだと思うのです。自分が生まれた時の肌が何色だろうと差別を受けることはないし、親がどんな職業だろうと機会が完全に奪われることはないし、自分がどんな思想を持ちどんな宗教を信仰しようとそれを表明しただけで逮捕され拷問されたり刑務所に入れられることもないのです。路上で「お前は片腕がない方がたくさん稼げるから」と腕を切られ物乞いを強要されることもないのです。
生まれた時から多くの人は「何者」にでもなれる選択の自由と挑戦の自由があるのです。だからこそやはり同時に人生というものは、大半のことがなかなか「思い通りにいかない」のです。そうは問屋がおろさないのです。それを試行錯誤し、あの手この手で問屋に卸してもらうこと、その過程自体に、人生の醍醐味、楽しさやわくわくがあり、喜びを感じる瞬間に出逢えるのだなと思います。
今年もまだまだいけるところまでどこまでもいこう!
そんなに思い悩まなくていい
最近またいろんな学生や20代特に20代前半と会う回数が増えたし、いろいろ思うような事件もあったし、それと同時に本日去って行った20代前半もいるので一言。
20代の時っていろいろ悩み多いですよね。僕も悩んでましたよ。自分の事で。30代になると自分の事ではあまり悩みませんが、まあいろいろ悩みはありますよ。コンプレックスとかはさすがになくなりましたが。
20代の時に認識してほしいのはこれなんです。全員に当てはまるかわかりませんが、まず嫁(旦那)がいませんね。子供もいません。親もまだ若いし健康な上に、仕送りもしていないでしょう。奨学金ももらっていないか満額ではないしたいした額ではないでしょう。しかも実家が近くにあっていつでも帰れたりすれば食うにも困りません。
つまりあなたの悩みなんてあなたに関することだけなので、いや、それどころかあなたに関することにすら到達していないほど、実はたいしたことないのです。何にも縛られてないんですよ。だから、自由にやっていいのです。逃げてもいいし立ち止まってもいいのです。極論。
あと、あなたは何にもならなくてもいいのです。むしろなんでならなアカンねん。なんでならなアカンと思うねん。なんでならなアカンと思いはじめたんや。夢がなければなくてもいいのです。
覚えておいてほしいのが、あなたが成功しようが失敗しようが誰もぶっちゃけそれほど興味がないのです。あなたがただそう思い込んでいるだけなのです。「期待に応えるんだ!」と言っても、そんなに期待してないて。だからあなたが受けた恩も与えた人は忘れてるし、もしかしたらもう死んでるかもわからへんし。
そう思ったら、すごい楽じゃないですか。「社会が自分のことを必要としていないんじゃないか」なんて思わなくていいんです。そんなことで悩んで悩んで不幸になろうとしなくていいのです。ほあ〜んほええええ〜んと思ってるうちにあっという間に寿命が来て終わっても別にいいのです。誰でも必ず終わりがくるんだから。「いかにして憶えられたいか」なんて考えなくてもいいのです。そうならなきゃそうしなきゃと思うからそう思うだけであってね。
幸福度数ってあるでしょ。幸福指数。あれが高い国の人はほんわかぽあああ〜んとしてたりするんですよ。南国で直射日光に当たりすぎてぽああああ〜んてしたりね。ハエが鼻に止まっても、アリが鼻の穴に入っても気にならんくらいほああああ〜んとしてたりするのです。ハチに刺されたらさすがに気づくと思うけどね。
成功するのと幸せになるのはぜんぜん違うんですよ。
僕はね、僕はですね、この真逆を行くかもしれないですけどね、別にそれに従わなくてもいいんです。僕1人じゃ成し遂げられないことをやりたい時に、君の力がどうしても必要で、これからももしかしたらその道でけっこうな勢いで、いやむしろバッシバシ煽るかもしれないけどね、それにのっからなくたっていいんです。もし君が、なんかやりたくなった!ぬおおおおおおお!ってなったら、僕も、おおおそうか!ぬおおおおおおお!って言っていつかハイタッチする日が来るかもしれませんが、そうならなくてもいい。握手だけでもいい。
それは全部君が決めていいのです。
生きてるだけでまるもうけですな。
また飲もう。もちろんぜ〜んぶおごる。返さなくていい。
マイ広辞苑「貧乏について」
休日なので若干マニアックな話していいですか。
昔から僕だけの広辞苑、マイ広辞苑を作成中でしてそれに関することなのですが、
「貧乏」についてなんです。「貧困」と違って、貧乏というのは多くの人が経験したことがあると思います。
ある一定期間に陥る金欠からくる満足に「食えない状態」のことです。例えば、子どもの頃とか、上京した大学生とか、入社して間もない頃とか、アーティストや芸人、起業家のいわゆる売れない時代とか、結婚して子どもができて出費がかさむ時とかいろいろな状況で貧乏になりますね。
こういう家計が困窮し凹んでる人がいる時に、周りがどういう反応をしたり、どんな言葉をかけてやるかで、その人は良くも悪くもなると思うんですよ。友人とか同僚とか上司とか。金銭以外の支えが大事だと思うんです。
例えば、困窮している同僚を昼休みにランチに誘います。その同僚が「俺、弁当持ってきてるんだよね。」と言います。「おお、俺も弁当買ってくるから、そこのベンチで一緒に食べようや。」と答えます。ここまでは良いです。最も大事なのは、その後なんです。
その同僚が2段重ねの弁当を開けます。下の段にはびっしりと白米が詰まってます。そしておかずが入っているであろう上の段を開けたら、上の段にはびっしりともやし炒めが入っています。皆様ご存知のスーパーで特売日に1袋29円、2袋50円で売られている貧乏界の救世主もやし様です。
そのもやし炒めを見た瞬間なのです!最も大事なのは。
「うわ、うわわ!一宝菜やん!めっちゃうまそう!俺も好きやわ、一宝菜。ちょっと俺の肉団子と一宝菜ひと口交換してや。いただくで。」「うわ!味付けうまっ!完璧な一宝菜や!塩、コショウの加減が絶妙やわ。卵焼きあげるから、もうひと口くれや。」
これなんです!
大事なのでもう1回、これなんです!
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一宝菜【読み:イッポウサイ】
一見なんのことはない簡素なものや質素なものに対し、違う角度から意味や価値付けをおこないそのものを輝かせること。またはそのようなものや人。派生して、今はまだ眠っているが、磨けば光るダイヤモンドの原石のような状態や期間のこと。
例 「君はまだまだ青二才だが、一宝菜のようなところがある。いや一宝菜なのかもしれない。いや一宝菜そのものに見えてきた。その調子で諦めずに頑張りたまえ。」
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