主体性こそ集大成-Beyond the Borders- -6ページ目

星に願いを


これは2007年入社した会社の大阪支社立ち上げの時のエピソード。

 

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皆様お疲れ様です。高野です。原稿の締め切りを過ぎて竹田さんに迷惑かけっぱなしです。すみません。

 

さて、社会人になって早2年半、なにか時間というのものは常に不足しているものだと思うようになりました。学生時代は山ほどあったのに。時間に追われているか、反対に自分自ら時間を追っているのかはわかりませんが。

 

そう考えている時にふと冬の夜空を見上げると、僕はいつも思い出すことがあります。それは、2年前、大阪支社立ち上げ1年目に、浴と2人で歩いた寮への帰り道を。

 

おそらく深夜12時を過ぎたぐらいだったでしょうか。浴が僕からちょっと離れて、家族に電話していました。

 

「おとんは大丈夫か。無理したらアカンよ。おかんも疲れたまってるから無理したらアカンで。あと、ちょっとたつひこ(弟)に代わってくれ。」

 

「お、たつひこ、ウエストのサイズいくつや。ずっとそのジーパンはいてるやろ。にーちゃん給料出たから、買うたるから。にーちゃんと一緒に買いに行くの恥ずかしいやろ。だからウエストのサイズだけ教えてくれ。あとおとんとおかんのプレゼント実家送ったから、おまえが先に受け取ってくれ。じゃあがんばれよ。」

 


電話が終わり、浴がもどってきた時、僕はとっさに、夜空を見上げた。

 


「いや、それにしても、今日の冬の空きれいだな~」と僕は言った。

 


「せやな~」浴は言った。

 


僕は寮に着くまで、ずっと空を見上げていた。

 


だって、前を向けば、

 


涙がこぼれ落ちてしまいそうだから。

 

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(2009年12月アドウェイズ社内報)

 


後に知ったのだが、2007年当時、浴のお父さんは末期ガンでその後お亡くなりになりました。お母さんも体が良くなかった。ただベンチャー立ち上げ期の僕らに休みなどなかった。

 

その中のわずかな時間を使って、専門学校生であった弟を気遣って電話した時の話。

 

 

17の少年に火をつけた光景

毎年ここに来ると謙虚な気持ちになれるんです。

自分は本当まだまだだなって。まだまだやれることがたくさんあるんだって。世のため人のためではなく自分のためでもあるんです。

都会の喧騒の中にずっといると、迷う時やブレる時も多少出てきたり、時には傲慢という悪魔が襲いかかってきたります。

ここで目をつぶって手を合わせていると、生きたくても生きられなかった人の声がそこかしこから聞こえてきて、心を重ね合わせているような気になるんです。

「助けてください。お願いします!」

「坊や、どこ。どこにいる。」

「お母さん熱いよ、助けて!」

「もうすぐ楽になるからね。助けてあげられなくてごめんなさい。」

「私だけが生き残ってごめんなさいね。本当ごめんなさいね。」

「もうちょっとでそっちに行くけんね。待っとってね。」

71年間という歳月の中で、いろいろな人のいろいろな人生が語りかけてくるんです。

僕は、広島出身ではありません。長崎出身でもありません。被爆者の子孫でもありません。身内に被曝した人も戦死した人もいません。人種でマイノリティーになった経験がなく差別された経験もありません。

ただそこに潜む問題、そして過去の問題をも、自分の問題と捉えること、日本人から敷衍し自分を世界市民と考え、それを解決しようとすることで主体性がどんどん高まってくるんです。
まだまだいけるところまでどこまでもいこうという気持ちになるんです。

ここに来るまでは劣等生でした。ここに来てから、「何を勉強するか」や「どのように勉強するか」ではなく「なぜ勉強するのか」「なぜ生きるか、いかに生きるか」がはっきりとしたのを覚えています。

改めて17歳の時に、ここ広島に訪れることができたことに感謝したいと思います。



大林さん 23歳

本日、10時から休憩挟まず3社3時間、営業の問い合わせに対してミーティングした。10時からは証券会社、11時からは人材会社、12時からはリサーチ会社。

先週の大手不動産会社の方もそうなのですが、営業の方は必ずミーティング前に僕や会社のことを調べてくれていて、「僕も早稲田なんです。」「私も早稲田出身なんです。」とか(3社連続早稲田大学出身で驚いた)、「インドネシア経済専攻していたんです。」など、共通部分を探す努力をしていてすばらしいと思う。

その中で、2社目に来た大林さんが、もう目が輝いていて輝いていて、彼の事業とは関係ない話を試しにしてみたら、大きくうなずいてメモをとり、自社のサービスを話す前の導入部分の間合いもよく、わざと彼の上司の話を聞いて、その上司の悪口を言わせようとしたら、決して言わず、その人柄や経歴を尊敬し、持ち上げるような話をしていて、非常に感動した。自社の批判を社会でするような人間は、その問題を自分の問題と捉えられない、つまり主体性がないので、まったく信頼できないからだ。その意味でも彼は、新卒入社2年目とは思えないし、大企業で働いている人間とは思えないほどの、幅広い好奇心と主体性の持ち主だった。

彼は絶対近い将来起業するな〜。もう間違いない。将来、自分にとって何が役に立つかわからないから、その全部を吸収しようとしているし、人脈も構築しようとしている。目標を見据えているから。人、モノ、カネ、情報をすべてできるだけ吸収しようとしている。快活な振る舞い。めちゃめちゃ営業を楽しんでいた。
目が輝いていた。絶対起業するわ。核心から確信にかわった。

今日11時から12時の時間は、すばらしい若者に会えて非常に幸せな時間だった。僕は目が輝いている若者に会えるのがたまらなく楽しい。1年で3人も4人も現れるものじゃないから。はぐれメタルに遭遇したような気分。


競合サービスがたくさんあれど、必要がある時は、大林さんに発注しよう。そう強く思った。

大林くん、チャプターエイトを僕を見つけて営業かけてくれてありがとう!早稲田OBネットワークも、君がいうなら登録するよ。

良い天気だ!よし午後もがんばろう!

ピニャコラーダ

あのですね、ふと思い出して、もうめちゃめちゃ腹立つというか虫ずが走るというか腹の虫が収まらないというか傷がうずくというかなんか今でもまったく理解できないことがありまして、ずぅぅぅっっっと誰かに話したかったことがありまして言わせてください。


前職時代にお会いした方なら必ず知っている人間なのですが、大阪支社から新たに進出した名古屋、福岡、インドネシア、シンガポール全拠点に付き添ってくれた小倉という男がいます。この小倉という男はですね、営業職ではあるのですが、草食系男子というかお菓子系男子でして、趣味がカフェめぐりであったり、ペペロンチーノを作るのがうまかったり、食べ物の写真をブログでアップしたりと、非常に育ちが良く真面目で繊細な男なんですよ。


あれはですね、もう3年ぐらいもう経ちますかね。インドネシアにいる時に、日本の大企業の方が2名出張でいらっしゃいまして、ミーティングした後、夕飯でも行きましょかということになりまして、おしゃれなお酒の飲めるインドネシア料理屋に行ったんです。で、ですね、最初に乾杯のドリンク頼みますね。インドネシアはイスラム教圏ということもあり、お酒がビール以外はけっこう高いんです。


高野「お二人は、ドリンク何にされます?」


大企業の方「僕はビールで。」


大企業の別の方「僕もビールで。」


高野「僕もビールにします。小倉は、何にする?」


小倉「僕は、ええと、ピニャコラーダで。」


え?えええええ?いったい何?なんかの呪文?
メニューにないし、メニューを見ながらうんうんうなづいた挙句に、メニュー閉じて、ピニャコラーダ?メニューにないのに、何にうなづいてたんだいう話ですよ。何?飲み物?食べ物?掛け声?何?

いきなり、小倉がおかしくなったんちゃうかと思いまして、自分の中で反復してみたんです。そんなおかしなるわけないと。何かの聞き間違いやと。たぶん、こいつアラビアータって言ったのかなと思って、「いやいやなんでドリンク頼まんともう〆を食おうとしとんねん。パスタは最後やろ。」と。または、マンマミーヤって発音したのかな思いまして「何にいきなり驚いてんねん。」と。その後考えすぎて、トリニダードトバコて言ったのかな思えてきて「いやいやここはインドネシアやぞ。」とか、もしかして大企業の方が、アルパチーノに似てるからか、「誰がイタリアの俳優やねん」と。ファビアーノ思っても、「なんでブラジルのサッカー選手がいきなり訪ねてくるねん。」と完全に理解できないんですよ。それで、


高野「わかった。じゃあ、ビール3つとピノノワールをグラスで。」


小倉「ちゃうよ。ピニャコラーダやん。」


もうわかります?絶対、考えられないでしょ!?どう思います?

そもそもピニャコラーダってなんやねんと。

ビール、ビール、ビール、ピニャコラーダ

リズム的にも考えられないんですよ!ありえないんですよ!流れ的にも、オーダー的にも。ビジネス的にも考えられないんですよ。

もうそれはそれは、乾杯するのに17分ぐらいかかりましたよ。

ビールなんて、徐々にあったまってきて、店員が「氷入れますか?」聞きに来るぐらい待ちましたからね。

なんなんですか?ピニャコラーダって。一体なんなんですか?ピニャコラーダ?って。

誰か教えてください。

アカン!考えられへん!絶対に理解できひん!ごっつ腹立ってきた!

なぜ日曜日夜の渋谷はアベックのケンカが多いのか

あのですね、毎週日曜日夜に感じることがあって、1つ言わせてもらっていいですか。みなさん、渋谷という街知ってます?世界有数の若年層の人口密集地帯ですよ。僕ね、この街に21歳から24歳までずっと入り浸っていましたし、今もまた住んでおります。

その頃から「え?なんで?え?なんでなん?」って函館の片田舎から上京してきてからずぅぅぅぅぅっっっっっっと言いたかったのですが、


もうね、めちゃめちゃ日曜日の夜に、カップルのケンカが多いんですよ!!!この街は!!!めちゃめちゃ多いんですよ!なんでなんですか!?

もう、渋谷という街を人に例えると、頭のてっぺんから足のつま先まで至るところで勃発してるんですよ!紛争が。ある人は大声、ある人は半べそ、ある人はわめき泣き、またある人は大泣き、それを見たサラリーマンがもらい泣き。ってなんでおっさんまで泣くことあるねん!笑


毎日歩いていてわかるのですが、やはり特に日曜日夜のカップルのケンカの量がハンパないんですよ。半端というものが微塵も感じられない完徹ぶりなんですよ。なんでなんでしょうか?

一番ケンカが多いのが、駅の改札周辺なんです。もうね、微妙な位置でカップルがケンカしてるもんだから、改札も開いていいのか、閉じていいのかわからないんですよ。開いたり閉じたり、おかしなってるんですよ。誤作動起こしてるんですよ。パタンパタンから、途中パタパタパタってなってるんですよ。駅員もね、切符切っていいのか悪いのかわからず、改札バサミをカチカチやってるんですよ。わかります? SUICAタッチするところも、ピッってやると「あの子をこのまま置いて帰ってええんか?今なら入場取り消したるで〜」とか気の効いたこと言うようになってるんですよ。どんだけ渋谷駅改札賢なってるねんと。カップルのせいなんですよ。


さらに駅を離れた道端でもすごくて、そこらへんはもう大学生のカップルじゃなくて、大人のカップルがケンカしてるんですよ。「私帰る!」「おい、待てよ!」「いや離して!」とかやっているので、その前に座っている交通量調査のバイトの子が、カップルが行ったり来たりするたびにもうカチカチカチカチカウントして、もうめちゃめちゃおかしな交通量になってるんですよ。今日はあんどん行列でもあったのかぐらいの交通量になってるんですよ!その道は。本当ですよ!いろんな意味で渋滞してるんです。裏道なのに。

そして渋谷に住んでいる人ならわかると思いますが、目立たないところに小さい公園たくさんあるでしょ。公園というかちょっとした広場というか。ベンチが2つ3つ置いてある場所。

もうね、そこでも、女性のすすり泣く音というかむせび泣く音が夏の風物詩の蝉の鳴き声とコラボしよるんですよー。それを慰めている彼氏も大泣き。それを見た向かいのベンチのサラリーマンがもらい泣き。だから、なんでおまえも毎回毎回泣くことあるねん!と。どんだけ涙もろいねん!おい、メガネを取るな!おい、メガネを取ってまで涙を拭くな!ワイシャツの袖で涙を拭くな!奥さん洗うの大変やろー!


やっと家路に着きましたよ〜。駅から徒歩7分なのに、20分ぐらいかかるんですよ。日曜日の渋谷は。ああ、日曜日の渋谷。
本当平和な国に生まれてよかったわ〜。日本。
そして、ハチ公さん、モヤイ像さん、毎日毎日お疲れ様です!

政治家という職業

政治家は芸能人ではない。

町民、市民、県民、国民どのレベルであれ、その代表である。芸能人は代表ではない。

政治家は公僕であり、高い倫理観が求められる。潔白である必要がある。また政治家は、組織、体制を批判してもいいが個人を批判してはいけない。しかし自分個人は、常に批判にさらされることになる。
政治家は、皆に向かって自分の考えを発信しなければならない。その発信が命取りになる。がしかし発信を恐れてはならない。

政治家にとっての利益というのは公益である。私腹を肥やすことに注力してはならない。

そして、選挙に勝たねばならない。勝つためには自分を知ってもらわなければならない。知らない人を支持することはできないからだ。好かれても嫌われても自分の意見を表明し続け、自分を知らない人を減らしていく努力を怠ってはならない。

政治家というのは、極めて特殊な職業。



働けば自由になる

スタートアップをやれば必ず1度は遭遇するものと考えて書いておきます。

昨夜一通のメールからその状況に陥りました。

詳細は5年後に笑って話せればと思います。

多くのスタートアップの会社は、たった1つの競争優位生のある技術やサービスを有しています。その技術やサービスを、大企業が表面上だけでなく根本から知ることができれば、スタートアップの会社に勝ち目はありません。資金の提供や集客面での援助を条件に、提携を結び、技術やノウハウを取り、提携を直前で破棄します。

人、モノ、金、情報が圧倒的に不足している側が圧倒的に不利であり、この状況で勇気とやる気と主体性だけが秀でていてももはや勝ち目はありません。


こういう場合はどうすべきか。日頃から良くしていただいている10コ20コ上の経験のある先輩、専門家の方々に相談したところ、親身になって対応方法を考えてくれました。昨夜は2人の方々から「これこれが対応方法だから。証明書は大事だね。」本日、別の方は連絡した30分後にわざわざ渋谷まできてくれて「これがその会社の重役の名刺だから連絡して。」「これが弁護士の名刺。相談料は払っとくから連絡して。」とかもうそれはそれはすさまじく頼りになるもので、逆にこちら側に落ち度があったのではないかと社内を再度チェックするほどでした。本当に感謝しております。


本日お会いした方は、過去にドイツでの留学経験がある方で、メッセージで、

「”Arbeit macht Frei"ってありますよね。」

これを見た瞬間はっと気付かされました。この言葉は実は、僕がただ1つ知っているドイツ語であり、ただ1つスペルも間違わず書けるドイツ語の文章です。その方は、僕に気づかせるために送ったのは間違いありません。

これは、ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所の門の上に書かれた言葉です。ドイツ語です。

”働けば自由になる”

という意味です。

門をくぐった人々が自由になることはありませんでした。

ただ働くだけでは、自由になることはない。

力を持ったものに負けてしまうのです。

その力とは、現代では何を指すのでしょうか。

5年後、2020年に明確に回答したいと思います。改めて考えるきっかけとなりました。

ゼロから起業して挑戦し続けることは、多くのことを身を持って経験し成長するために最適なものだ。

不利な状況にあるからといって、僕は投げ出す気にも、逃げ出す気にもならない。

毎日毎日学ぶことばかりだ。むしろワクワクしている。

支えてくれている多くの人に感謝。

まだまだまだいけるところまでどこまでもいく。

生きる意味を教えてくれた

広島原爆ドーム、広島平和記念公園が僕に生きる意味を与えてくれました。命の尊さを教えてくれました。
 

あの場所で、「生きたい。生きたい。生きたい」という多くの無言の叫びが17歳であった僕の耳にはしっかりと聞こえたからです。

修学旅行生の中で、僕だけに強く呼びかけたのではないかと思えるようなそれはそれは大きなものでした。


「生きたい。生きたい。」と叫んだ人々が生きることができなかった未来が、今僕が立っているこの場所、この現在という瞬間なのだと認識しました。


生まれてはじめて生きる意味、生きる意義を見出した瞬間でした。


「戦争をすれば、勝っても負けても、人は死ぬ。つまり全員負けることになる。」ということもわかりました。

一国の代表がするべきことは2つ。

1つは、国民の生活を向上させる。そしてもう1つは、国民の平和を守る。


自国だけが繁栄することはできない。
 

その後、海外での経験からその考えは強くなりました。


自分の言葉を持ち、自分の言葉で理解できるようになりました。
 

1999年9月に広島にいかなければ、なにも行動することもなく自堕落な生活を送っていたかもしれない。
 

あれから16年。
 

本日、米国の大統領がきます。


みなさんがあれほど強く「生きたい、生きたい」と願った未来のこの場所に。
 

今年も8月6日、8月9日にお会いできればと思います。

地震で得たもの

子どもの頃にした体験。

特にハンマーで殴られたような衝撃的な経験、壮絶な体験が、その子に問題意識を植え付け、その問題を解決できる人になりたい、解決できる職業に就きたいという夢を持つことが、その人のやる気を無限大に引き出し、夢に向かう原動力になっている。

そのような人々の力が日本を発展させる原動力になってきたと言っても過言ではない。
例えば、親を不治の病で亡くし、それを治すことができなかったという思いから医者を志すというのもそれに当たる。

それを原体験という。

先の阪神大震災や東日本大震災など未曾有の大地震を経験してきた日本。
地震は日本列島のどこに住んでいても避けることができないとその度に痛感させられてきた。
ただ、その衝撃的な経験から、多くを学び反省し、多くの災害対策、防災対策といった問題解決を行い、その度に日本は強くなってきた。

今回も日本国民全員で救援、復旧のために行動し、乗り越え、明るい未来を創っていきたい。
熊本で起きた地震において、お亡くなりになられた皆様に心よりお悔やみ申し訳あげます。そして、今この時も寒空の下、度重ねる大きな規模の余震が続き、避難を余儀なくされている被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

ビビデバビデブー

高野おまえな、そんなぶくぶく太りやがって中年のおっさんやないかー!
そんな体で誰がおまえについて来るねん。

男には三重モテない苦というものがある。

それは、「チビとハゲとデブ」や。「チビでハゲでデブ」は最悪や。リズム良くいうと「ビビデバビデブー」や。濁音だらけからしてモテないオーラ丸出しの言葉や。

その中で、「チビ」と「ハゲ」だけはどうしようもできひん。毎日鉄棒にぶら下がろうが、牛乳1リットル飲もうが、やさしくシャンプーしようが手遅れや。だからもうそれを補うために、それはそれはごっつおもろなるか、頭良くなるか、お金稼ぐかでがんばるしかない。ただ長身でフッサフサの仕事できるマンが出てきたらそれは終わりや。逃げるかしかないで。同じ土俵で戦ったらアカン。絶対アカーン。アカカカカーン、カーン。

ただ、「デブ」だけはちゃう!ぜんぜんちゃう!これは遺伝や環境の問題ちゃうねん。自分の問題やねん。自分で改善できるねん。デブは、甘いもの好きなだけちゃうねん。自分にも甘いし、考えも甘いし、詰めも甘いし、もうダルダルのチョコレートフォンデュやねん。毎日デロ~ンなってんねん。

おまえは顔はブサイクやけど、身長もそこそこあって、髪フッサフッサして、起業家やなんやゆーてるのに、その体はなんやねん!昔はブイブイ言わしてたかもしれんが、今ではブヒブヒゆーてるで。こらああああ!!!くおらららら!!!!!

春終わる前に、おまえに春が来るよう努力せいぃぃぃー!!!!ビビデバビデブーにしたるわ!