主体性こそ集大成-Beyond the Borders- -14ページ目

『海賊とよばれるほどの男になるために』

「なんで読まないの?」
「なぜ読まないのか?」
「ぜひ読んだ方がいい。」
「高野さんにとって必要な本。」



1つお詫びがあります。以前Facebookにてアップしてはおりましたが、昨夜まで『海賊のよばれた男』を読んでおりませんでした。私は小説を読むのが大の苦手で、買った小説の98%は途中で挫折しております。現代モノを除いては、想像力と読解力が未熟なせいか感情移入ができず、古くは、米文学ゼミでの『ハックルベリーフィンの冒険』『グレートギャッツビー』、入社後は『坂の上の雲』『竜馬がゆく』『二つの祖国』『不毛地帯』から『V字回復の経営』....などなど挫折した小説は、枚挙に暇がありません。


その中で、7月にテソンに真剣な顔で薦められて買ったものの、読んでおりませんでしたが、その後も上記の言葉をいただいたたり、私が理解しているものと思って、小説の言葉を引用して話していただいたり、私の投稿やブログに関連付けて話していただいているにも関わらず、実はまったくついていけておらず、落胆させて申し訳ございませんでした。多くの推薦をいただいたので、上巻を読みました....感想やコメントなど下巻読後にさせていただきたいと思いますが、本のページの端を折る行為と涙が止まりません。


本当にありがとう。


本当にありがとうございます。

上巻で、一番涙が止まらなかったところ。


「戦争に負けて占領軍に統治されてから、自分たちはいつのまにかGHQを君主のように思っていたのではあるまいかと思うと、(甲賀は)自らの不明を恥じた。しかし店主は違う。統治はされていても、精神的には常に対等であったのだ。」(P128)

これを読んだ瞬間、『アウシュビッツは終わらない』(朝日選書)のP.42の場面が即座にフラッシュバックしたからです。

「ラーゲル(強制収容所)とは人間を動物に変える巨大な機械だ。だからこそ、われわれは動物になってはいけない。ここでも生きのびることはできる、だから生きのびる意志を持たねばならない。証拠を持ち帰り、語るためだ。そして生きのびるには、少なくとも文明の形式、枠組、残骸だけでも残すことが大切だ。我々は奴隷で、いかなる権利も奪われ、意のままに危害を受け、確実な死にさらされている。だがそれでも一つだけ能力が残っている。だから全力を尽くしてそれを守らねばならない。なぜなら最後のものだからだ。それはつまり同意を拒否する能力のことだ。そこで、我々はもちろん石けんがなく、水がよごれていても、顔を洗い、上着でぬぐわねばならない。また規則に従うためではなく、固有の特質と尊厳を守るために、靴に墨を塗らねばならない。そして木靴を引きずるのではなく、体をまっすぐ伸ばして歩かねばならない。プロシア流の規律に敬意を表するのではなく、生き続けるため、死の意志に屈しないために。
 善意の人シュタインラウフはこんなことを言った。だがこうしたことを聞きなれていない私の耳には、ひどく奇妙に響いた。理解し、受けいれることができたのは、一部分だけだった。」



僕が17歳の時、広島で感じた、誓ったことはまさにこういう人間になることだったのだ。時代も状況も違えど。こういう人間になることだったのだ。

『わたしのすべて―なぜ生きるか、いかに生きるかー』

宣言

今までたくさん悪いことをして、人さまに迷惑をかけてきたので、残りの人生をすべて貢献活動に充てないと、人生の収支上プラスにならない!!

他の人が経験し得ないストーリー

30歳を超えた頃に気づいたことを初めて書きます。


自分の人生というのは、徐々に(死ぬまでの)未来より(生きてきた)過去の方が長くなっていきます。

そして、人生が有限であることに気づくのです。

子供の頃というのは、目の前に広がる未来の方が途方もなく長く感じられるため、自分が貧しい家庭であるとかブサイクである、他と比べて劣る部分や少数派に属しているというコンプレックスみたいなものに悩んでいたんだと思います。人種や国籍で悩んだ人だってたぶんそう。
だって、その時、そんな自分と長い長い未来まで付き合っていかなければならないと思うからです。
生んだ親を憎んでグレたり、環境を恨んだりもする。

でも、長く生きてくるとそれはいつの間に逆転します。
そういうものは、大多数の人間が経験し得ない、マネのできない「ストーリー」に変貌するからです。ストーリーは常に生きてきた道にできた轍なのです。生まれてくる場所は選べないのは不公平だと感じていたのに、いつのまにか感謝するようになります。他の人と違う方が、周りの気を引かせる、興味を持たせることができるからです。

そういう環境で育った人は、親に感謝するのが少し周りの人より遅れるだけです。親も周りの子より感謝されるのは少し遅れますが、愛情という投資をあきらめなければ、その分感謝の大きさは他の何倍も大きくなって返ってくると思います。

ということでうちの母親、昌子に感謝。すでに開始してるのもあるし、遅れているのもあるが、最大級の親孝行を開始する。うれしさのあまり早死にしないように。

急成長したければ回れ!

誰かに教えてもらった方が、成長が速いっていうけどさ、

自分で試行錯誤して、失敗して、遠回りして、そして学んだ方がより良いと思ってる。

知識知恵の習得は遅れるかもしれないけどさ、「失敗を恐れない勇気」と「ゆるぎない自己経験」という副賞がその度に君にプレゼントされ、

最後には、他の誰とも違い、周りを惹きつけるストーリーとなり、そして君の人生を決定づけるものにのちのちきっとなるからさ!


きっと。

組織のトップがしてはいけないこと

最近、鍋を囲んでインドネシアの社員ほぼ全員と話しているのが、

組織のトップは、1人の社員から他の社員に対する苦情、クレーム、批判、文句があった時、

必ずそれを鵜呑みにして行動したり、成敗してはいけない。

両方の意見、事情を必ず聞いて、一人より全員が良い方向に向かう最良の選択を模索する。

特に短期的に見て活躍している人、長期的に活躍が期待できる人は見極めて、峻別しておく。

上記理由だが、そもそもトップである自分が採用したんだろという採用責任と、

自分で採用していなくても、自分が採用を誰かに任せたんだろという権限委譲責任が

発生するからである。

本当、入社して一度も誰からも教えてもらったことないのに、スラスラここで論じる力、それは間違っているかもしれないがそれに対する勇気を与えてくれて、その前にそんな環境を常に提供してくれて、すべてを悟らせてくれた本当に良い会社。

最近「若いうちから責任ある仕事を任せてくれる会社を選んでいる」という大学生に会うが、任せてもらうという受身でなく、任せさせるほどのアイディアと情熱をアグレッシブに発揮すれば、任せてくれる土壌、文化がある会社を選ぶのはすごくいいと考えます。

あと10,000回失敗すること!

今まで数え切れないぐらいの「失敗」をしてきた。


この「失敗」というのは、もっと良い方法があったのではないかという失敗から、致命的な失敗までさまざまである。

周りにもそれを奨励してきた。

「よくぞ、失敗してくれた!でも、ここで即キャッチアップすればなんとかなるんだろ。法律を犯してるわけじゃないし、未来のことなんかわかんないんだから。別に死なないだろう。誠意を見せろ!仮にダメでもな、周りにざまあみろとかそれ見たことか言われて、足すくわれる程度だろ。こっちはより勝率が低い勝負やってるんだから気にすんな。それを飛び越えて、休まずガンガン前に進むぞ。人生が有限なのでしょうがない。もたもたしてられない。」

最近インドネシアで思ったこと。自分と周りに対して。

失敗の数が足りなさ過ぎる。マジで。ぜんぜん攻めてない。

攻めてなくはないけど足りなさすぎる。より未知で不確実な要素が多い、

インドネシアで日本にいる人間と同じ程度と数の失敗でどうする。

もっともっと行くしかない。当たらない、当たらない。

もうしょうがない。今、俺が31歳なので、30代で10,000回ぐらい失敗しないとちょっと追いつけない。俺の夢のことも考えろ!笑 俺の夢にもちょっとは付き合え!笑 組織の夢とリンクしてるし、後悔させないから。

とにかく失敗するためには、挑戦するしかないから、その挑戦するネタを少なくともな、
全員で1,000,000,000,000,000個、ヤクルト一本に含まれる乳酸菌の数ぐらい考えるぞ。

体にいいこと。つまりすべて社会に良いことしかダメだ!!!

ああああああ!!!

ニャー!!!

国会議員は数合わせだけになり、政党に埋没する

東京オリンピックが決定し、自民党の長期政権が予想され、

国、世界の未来を創る影響が強いとされる国会議員になることは、

もはや与党維持のための数合わせだけになり、

今の制度ではいくらネットを解禁しようと個人の夢を政党と理念とリンクさせて

達成することは難しいのではないか。

と思って、知事、市長、町長など比較的小さい組織でも、

トップとして主体性を発揮し、知名度拡大と功績を蓄積した方が、

国を世界を変えられそうだぞ、その後中央に攻め込んでも遅くはない。


という人が続出はしないが、増えそうな予感。

インドネシアでは、国会も大臣も未経験の州知事が大統領候補ダントツNo.1。

あとはポピュリズムとの戦い。

と思うような良いテーマの雑誌だった。霞ヶ関なう。


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個をもって尊しの時代?

早稲田大学で行われた「田原総一朗×堀江貴文」の講演。

堀江氏の歯に衣着せぬ発言で会場からヤジが飛び、一時言い合いになったが、
堀江氏は批判されることに完全に慣れてしまっていて、
落ち着いて、論点をわざとすり替えてみせて聴衆を味方につけ、
事態を終息させるなど、華麗な振る舞いだった。これぞ、想定内(笑)
わかって言ってるもんな。

今日まで、功績ではなく、一個人としては良い印象はなかったが、今日それは少しばかり変わった。

完全に、「個」より「和」を重視するあまり、批判を恐れる日本人には、
決して参入できないマネのできない生き方。スタイル。
それをメディアを通しても貫徹。出所しても変わらず。


これだけ有名になり露出し続ける限り、日本にいる限り、
妬み、辛み、恨みで再びやられそうなほど、筋は通っているが、
思い切った口調と発言がけっこうあった。

勉強になりました。大隈塾に感謝。

$主体性こそ集大成-Beyond the Borders-

国を背負って立つ者が持つべきもの、捨てるべきもの

大学時代、毎日読んでいた新聞の箇所がある。「社説」ともう一つ「首相の一日の動向」。

各社掲載している。一人の人間の行動が早朝から深夜まで細かく掲載されているのである。


大学生のこの時である。私が「公」と「私」について深く考えたのは。


大学生のこの時である。国を背負って立つべき人間が持たなければならない、守らなければならないものと同時に、捨てなければならないものがあることについて考えたのは。


夢と覚悟がなければ、すぐに何かに襲われ、取り憑かれ、流されてしまう。そしてひとたび判断を間違えてしまえば、国民を路頭に迷わせ、時に殺めてしまう。


そう考えれば、自分がやっていること、悩んでいることのなんと小さきことだろうか。一所懸命にやって仮に失敗しても、なにもリスクがないではないか。


と、日本にもどり、久しぶりに電子版ではない、生の新聞を開き、昔とほぼ変わらぬ、掲載場所にある社説と首相動向読み、思ったことを書いてみた。

さあ、浅草に向かうとするか。

神はそれほど1人1人のことを見ていないわけでもない。

最近新興国で仕事をしていて、語学、特に英語ができない日本人、非常に目に付きます。
それどころか書けない、どころか読めない日本人が目に付きます。それでコミュニケーションミスが発生しているにもかかわらず、先進国ー新興国という目線から現地の人に責任転嫁をする主体性のないサラリーマン日本人が目に付きます。


ぶっちゃけ、それで大学出てるの?


世の中には、大学を出ていなくても、高校を出ていなくても、すばらしい才能を持ったは方は大勢いるし、成功している方もいらっしゃるのは重々承知の上で言いますが、僕のようなたいした才能もない一般人は、高いところに目標をおき、結果に過度にこだわらず挑戦しまくっていくのが大事なことだとつくづく思いました。



やはり、高校受験でも大学受験でも現状の偏差値が20だろうと30だろうと、大きな夢を抱き、最高峰のレベルに設定し、決意した瞬間、ド頭からガンガン目標に向かって攻めまくる。仮にその結果が不合格だとしても、それが僅差であれば、そこまでに必死で努力した上で得た知識や鍛えた忍耐力、根性などはまったく失うことがないのです。その蓄積した体験、経験こそ次の勝負で生きてきます。


そして高いところを目指したからこそ、そこまで届かなくても、そのちょっと下の木の枝に運よく引っかかったりします。神はそれほど1人1人のことを見ていないわけでもないのです。


過去に挑戦を回避した人も、一見すばらしい、成功しているという方がいるといいましたが、それもその時点までの、限定的な成功かもしれません。少なくとも、グローバルで戦うには、そのレベルは誰もが身につけていて、もはや当たり前で、そこで差がつかない、もっともっと高い勝負になってくるのです。


つまり過去に誰でも挑戦できるような何かを回避した経験がある人は、必ずのちのち大きな代償を支払うことになります。当たり前に乗り越えるべき挑戦からは逃げられません。

その時点で、自分の遠い将来までしっかり定まっていないのであれば、
常に不可能に見えても、目の前にある挑戦のうち、最高峰に挑戦し、ド頭からダメ元でガンガン挑戦していくこと自体が非常に意味のあることであるとのちのち気づく時が来るかと思います。


やるかやらないかは、その人次第なのですが、その当たり前の挑戦すらできない環境にある世界中の貧しい子供たちをなんとか救ってあげたい、引き上げてあげたい、人生はすばらしいものであるから。そういうことが次の僕にとっての最高峰の挑戦になってくると思います。


大学受験時代に代ゼミの現代文の先生、古文の先生の今でも覚えていて暗唱できる言葉を掲載します。


もし運命を決める神様がいるとすれば、それは今のあなたである。


今頑張れないヤツは一生頑張れない。



今から2時間後に、僕は人生で初めて英語の講演を1時間半、母校早稲田大学に留学している外国人向け(国際教養学部)にて行います。もしそれが仮にうまくいけば、この話は間違いではなかったということです。


行ってきます!