主体性こそ集大成-Beyond the Borders- -12ページ目

【保存版】電撃退任! アドウェイズ・インドネシア 高野勇斗氏 激白

 

ジャカルタ・インターネット界隈で知らない人はいないであろうアドウェイズ・インドネシア代表の高野勇斗氏が先月、自身のフェイスブック上で、退任の電撃発表をおこなった。その投稿には700件の「いいね」、248件のコメントが寄せられ、物議を醸した。今回、帰任前の高野氏を捕まえ、退任の背景と今後の去就について伺った。

 

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【ご報告】

多くの方々にとってFacebookでのご連絡となり大変申し訳ございませんが、今月をもって、アドウェイズインドネシアの代表を退任し、来月に日本(東京)へ帰任することとなりましたことをご報告いたします。また同時にアドウェイズシンガポールのDirectorも退任予定です。後任につきましては、確定次第速やかにご連絡させていただければと思います。これからの展開に関しても追ってご連絡させていただきたく思います。

 

インドネシアはジャカルタの地に、初めて降り立ってから、3年半が経ち、当時入社4年目、28歳であった私もあと数ヶ月で32歳になろうとしており、あっという間に時が経ったなぁとしみじみ感じております。当時、古巣の西日本事業部のメンバーには、「今まではみんなの力を合わせてここまでやってこれたが、ここからはソロになり、アーティストでいうならミリオンヒット、紅白出場、アリーナ超満員を目指す。もう大阪にもどることはない。見守ってくれ!ニャー!」とメールを残し、インドネシア語はおろか英語もできないのに、息まいて大阪からインドネシアに渡ったのを、先週バリで語り合って思い出しました...

実際は、もちろん海外、特にアジアは、国内と比べ、そんな甘いものではなく、私がただただ未熟であるがための失敗、判断ミスがもたらす苦労、苦悩、苦痛、苦境が尋常じゃないほどでのレベルで、そのあまりの激痛にひとりもがき苦しむことも何度も何度もありましたが、ここでいろいろ振り返えることはまだしないでおこうと思います。まだまだ夢の途中で、激動の真っただ中に身をおいているためです。5年後、10年後になって、その痛みが、良い思い出に変わり、「今」の自分を形作るために必要不可欠なものであったと自信をもって話せる日を迎えられるよう、これからもまだまだ精進いたします。

 

そして今、こうして筆を進めていて改めて強く感じるのが、インドネシア、一緒に働いているスタッフ、顧客、そしてかかわってくれた方々への感謝の気持ちです。もうこの3年半で「ジャカルタ(バリ)」「インドネシア」というワードを何度使ったかわかりません。それほど何度も気づきを与えていただきました。そして私を受け入れて、ビジネスをさせていただき本当に感謝しています。そしてその機会を与えてくれたアドウェイズ、そして社長の岡村というめちゃめちゃグレートな会社と男への感謝の気持ちです。弊社の経営理念は「金儲けより人儲け」なのですが、もう僕がアドウェイズの全社員の中でダントツ一番、「挑戦機会とそれがもらたす経験値」としては儲けさせていただいていると思っております。そろそろ恩返ししないと一生かかっても返せないのではないかと思い、焦っております。

 

と、まとまりがなく、話が長くなりましたが、インドネシアの皆さま、私は今月、来月頭はまだジャカルタにおります!時間の許す限り、より多くの方と直接お会いしてお話ができればと思います。

 

引き続き、アドウェイズ、アドウェイズインドネシア共々よろしくお願いいたします。

 

高野

(Facebookより引用)

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6月2日にフェイスブック上で発表された退任宣言ですが、突然の発表に驚いた方がたくさんいたと思います。日本へ帰任されるんですか?

 

高野勇斗氏(以下、高野) はい。7月上旬で帰任します。実は、昨年末から弊社内で決まっておりました。年明けから、その準備をしておりました。

 

インドネシアへは戻ってくるんですか? アドウェイズ自体を辞めてソロで戻ってくるという噂もありますが?

 

高野 将来のことはお答えできません(笑) Facebookで書いたとおり、2007年4月に新卒で入社しすぐ、そして今日まで、経験も能力もない未熟な僕に、幾多の挑戦の機会を与えていただき、そのための環境やトップとしての権限、裁量を与えてくれたアドウェイズへの感謝の気持ちが尋常ではないほどなので、帰国いたします。

 

わかりました。では、本題に入る前に素朴な疑問からいいですか? そもそも高野さんってジャカルタで何やってたんですか?

 

高野 まぁ、そこからですよね(笑) ジャカルタですと、今ではアドウェイズインドネシアってインターネットに関するなんでも屋だと思っている人が多いかと思いますが、アドウェイズグループとしては、インターネット広告、特に成果報酬型広告(アフィリエイト)の会社なんです。でも、インターネットは変化がはやくトレンドがどんどん変わるし、国によって状況も全然違うので、ひとつのことにしがみついているとすぐ負けてしまう。なので、アドウェイズインドネシア自体もこれまでいろいろな事業を手がけてきました。実際、2011年2月5日にこちらに来たときと比較しても環境はかなり変化しています。当時は、まだスマートフォンを使っている人も少なく、スマートフォンと言ってもブラックベリーが主流で、インターネットの市場自体が立ち上がっていませんでした。その状況の中で、日本のアドウェイズが主力としているインターネット広告は早すぎた。かといって、「すみません、時代が早すぎたんでやっぱり帰っていいですか?」とも言えないので(笑)、とりあえず未来につながるための準備として、なんでもいいからインターネット周りのことをやろうと思ったんです。いろいろな人に会いまくって、「うちは、インターネットの会社です!」ってふれ回っていたら、「ホームページ作ってくれ」と言われ、「楽勝っすよ」、「Facebookのマーケティングやってくれ」「うちは実はFacebook専門の会社なんですよ」って受注させてもらって。そうやってホームページ制作事業・ソーシャルメディア事業・ゲーム事業からアプリ開発まで自然と拡がっていったという感じです。だから、インターネットのなんでも屋っていうイメージを持っている方が多いのかもしれないです。実際そうなので。

 

 

今、アドウェイズ自体の本事業は、インターネット広告なんですか?

 

アドウェイズ自体は今、世界に11拠点あってインターネット広告が主軸の事業になっています。アドウェイズが上場できた(東京証券取引所マザーズ上場に2006年に上場)のも、自社開発の成果報酬型インターネット広告サービスが大きな要因になっています。成果報酬型の広告は、掲載するだけならタダ、クリックしてもタダ。ただ、会員登録や商品購入、資料請求などのアクションがあった際に、成果報酬として広告費をいただくという広告モデルで、それが強みとなって上場まで漕ぎつけたと。パソコンだけでなく、モバイルでもいち早くはじめていたので、首位に立つことが出来たという経緯があります。現在は、PC、モバイル向けの成果報酬型広告とスマートフォン向けの広告がメインです。売上構成比としても、広告事業が9割以上の売上を占めています。今年、3月期の決算では315億円中300億円くらいが広告事業の売上ですね。中でもスマートフォン向けの広告サービスの割合が大きいです。

 

 

インドネシアだけでなく広く海外展開をされてるんですね?

 

中国は2003年より進出していますし、2011年からは一気に世界展開しようと、インドネシアをはじめ、フィリピン・ベトナム・タイ・シンガポール・インド・台湾・韓国・アメリカと一気に拡大しました。最近では「アジアスマホナンバーワン戦略」といってアジア中のスマートフォン広告市場をメインに展開しています。スマートフォンは国を超えて連携できるので、私たちのアドネットワーク(広告網)に広告を出しませんか、という営業を各国でおこなっています。普通のバナー広告と違うのは、ただ告知するだけではなく、なんらかのアクションにつながっているかどうか測定ができるということです。そのためのツールはほとんどの会社がまだ自社で持っておらず私たちの強みになっています。また、海外ではとくにLINEの代理店としてLINE上に広告を出しませんか、というのも伸びていますね。

 

 

全世界戦略の中でインドネシアの位置付けについて教えてください。

 

高野 インドネシアは東南アジアで今後一番ポテンシャルがある地域。着任当時は、いわゆる3つのインフラが整っていなかった。インターネット・物流・決済のインフラです。インターネットの速度も遅くモバイルもブラックベリーが主流。物流も今でこそ代金引換やバイク便などの方法も出てきていますが当時はそんなになかった。決済についてもクレジットカードを持っている人自体が限られていました。でも、3年経って徐々にではありますが、それらは解消に向かっていて、eコマースの市場も拡大してきている。スマートフォンのユーザーも増えて、スマートフォンのアプリをつくる人たちも出てきていて、インターネット広告全体の市場も拡大してきています。

 これまでは、イケイケドンドンで、ホームページ制作事業・ソーシャルメディア事業・ゲーム/アプリ開発事業と多角的にやってきたんです。でもそれはある意味、立ち上げ当初の「日銭を稼ぐ事業」で、その裏側では、本来弊社が得意とするインターネット広告サービスの開発に取り組んでいました。ようやく3年経ってこれまで準備してきたものと外部の環境が一致しだしてきて、メインの事業に集中できるようになってきたという感じです。

 

 

●インドネシアでは、立ち上げ当初の時期をインターネット関連の受託事業で日銭をキープしつつ、本事業のインターネット広告の事業を育ててきたということですね?

 

高野 はい。まぁぶっちゃけていうと、ものすごいたくさん失敗しました。このインタビューのメインですね(笑) 事業を急拡大しすぎて、ピーク時には社員が28名いたんです。ただ、事業の選択と集中をしていく過程で、自社開発の成果報酬型広告サービスとスマートフォン向け広告サービスの事業以外は撤退して、今月末で私の帰任を含めて最終的に社員は8名になります。私自身、絶対に解雇はしない主義なので、社員には配置転換を提案していたのですが、私の対応方法が未熟すぎたのに加え、インドネシアの場合、ジョブ・ディスクリプション(自分の担当領域)ベースで働いている意識が強いのもあり、なかなか適合できなくて結果的に人数が激減したという経緯です。

 

 

●なるほど。では本題の、退任の経緯について教えてもらえますか。

 

高野 私の意識にはないのですが、身分上会社員なので、だいたい2~3年単位で変わるものですよね。なのでそろそろ帰任….というのは建前で。ホンネとしては、私が入社して今まで手掛けてきたところ、つまり得意としているところって、0から1にするところなんです。最初に未開拓の市場に向かって、ガンガン攻めて立ち上げるんですけど、1から10にスケールさせるところって、戦略、戦術に加え、やはり事業単位で、日々の進捗を追い、そしてコツコツ改善する力、いわゆるオペレーション能力が必要で、その部分は得意ではないので、それがより得意の人間に任せる。あとは一番コストが高いのがどう考えても僕自身なので(笑)、事業を縮小する上、インドネシアに社長としてとどまる必要はないだろうと考えました。

 

 

インドネシアでの立ち上げの役割はひとまず終えたと。アドウェイズ内での異動を一つのきっかけとして、独立も考えているんですか?

 

高野:そこ押しますね~(笑)深堀してきますね~(笑)お答えできませんが、1つ申し上げると、僕は、アドウェイズという当時100名弱のベンチャー企業に入社したときに2年で辞めると言って入りました。急成長する必要があるからいろいろ挑戦させてくれと。そう考えてみますと、起業を前提として新卒でこの会社に入社しているので、よく今考えてみればいすぎですね(笑) 何年いるんだと。話を1つ前にもどしますけど、昨年末に会社を事業転換したときに、パソコン開いて、メールを受信したら、ものすごい量の退職届がきたんですよ。結果として3ヶ月で20人近く辞めました。西日本事業部時代、私が採用した人間は、1人も社員を辞めさせたことがなかったのですが、事業転換のためとは言え、社員と彼らの家族を路頭に迷わせてしまったのではないかと感じ、退職届を読みながら犯罪を犯してしまったのではないか思うような気持ちに毎日襲われました。これは僕だけ居座り続けることはできないなと思って、日本に戻ろうと決めました。今後の私の展開に関しては、これまで岡村(アドウェイズ社長)がここまでの事業に挑戦させてくれたのに、お返しもせずに不義理に去るというのはできないので、日本に戻ってから考えたいと思います。

 

 

男気を感じますね。それにしても、高野さんもいろいろ苦難を味わってきてるんですね。岡村社長との出会いは新卒で入社したときですか?

 

高野 はい。当時から「世界のインターネット商社」というデカイ経営目標掲げていたところと中卒でチンピラみたいな社長の岡村に惹かれて入社しました(笑) 僕は同期入社が70名いるんです。当時、90名ぐらいしかいなかったと思うのですが、その時に70名新卒採用してるんです。どう考えてもイカれてるじゃないですか。ところが、入社する前に、貸金業法と利息制限法が撤廃されて、大口の金融系のクライアントが広告出稿を控えたんです。一気に赤字転落して、採用したはいいものの会社は火の車で、たぶん70名中50名は配属場所なくなってしまった。入社日、座学4時間くらいでさあ終わり。ウコンの力とサプリメントを渡されて、これ売ってこいっていうんですよ(笑)。それが1か月くらい続いて、その後、新設された部署などに配属された同期はどんどん辞めていく。当たり前じゃないですか。僕もこれはまずいと思ったんですよ。このまま東京にいたら2年しかないのに、同期も多いし、頭角をあらわすのに時間かかるなと、周りを見渡して考えてみると、東京以外はオフィスが出ていないなと。そこでたまたま「大阪支社設立メンバー募集」があったので、大阪出身新卒同期2名ないし3名と大阪支社をつくったんです。大阪時代は、同時僕の営業力がすごいと思っていたのですが(笑)、今考えると、そのときアドウェイズが扱っていた自社プロダクトがすごくよかったこともあって1年後には売上が上がってきて、小倉(現在インドネシアに駐在)という同期も大阪に異動してきたことも相俟って、名古屋・福岡と西日本事業部の立ち上げをして、2010年12月にジャカルタに来たわけです。西日本での成功体験があったので、かなり過信した部分もありました。インドネシアで今までで致命的な失敗を3つしました。

 

 

致命的な3つの失敗……。気になります!

 

高野 一つは税金。国外の企業とのクロスボーダーによる税金です。とくにソーシャルメディア事業でフェイスブック広告の代理店をやっていましたが、そこで大きくやってしまいました,,, FacebookやGoogleの本社ってどこか知ってますか? 米国?いや、アイルランドなんですよ。アマゾンはルクセンブルク。これってタックス・ヘイブン国なんです。つまり他の国とクロスボーダーによる租税条約を結んでいない国を本社所在地にしてるんですよね。国をまたいでビジネスをしたときに、税金をどうやって払うか。租税条約があれば、お前の国のやつがこっちでビジネスしてるから、その分の付加価値税(VAT)寄こせってなるわけです。でもタックス・ヘイブン国かつFacebookを相手にすると、租税条約がないし、クレジットカード払いなので、税金が還付されないのです。それに加え、Facebookが支払うべき、20%の法人税の額もインドネシアで申告していて支払っていたのです。

どういうことが起こるかというと、フェイスブック広告の代理店として、ある企業の広告を請け負うとするじゃないですか。たとえば100万円で請け負ったと。そのうち80万円はFacebookへ広告費として出稿。残り20万円がマージンだとしますよね。そうすると残った利益に対して当然インドネシア政府への税金が発生します。ただ、それだけじゃなくFacebookへ払った80万円に対する税金に関しても、Facebookの代わりに払えって言われるんですよ。一旦、アドウェイズがインドネシア政府に払って、その後、アドウェイズがアイルランドにいって返してもらえって言われるのと同じです。でも、そのコンタクトができない。普通の取引であれば、海外に送金するときは税金分を差し引くんです。でも、フェイスブックはクレジットカード決済なので、あとから返してくれといっても返してもらう方法がない。これが一つ。(あとから、事業撤退及びFacebookシンガポール法人と取引に移行)

 

二つ目は、人事・労務に関することですね。まず、就業規則はできるならプロにお願いし、細かく書かないとダメですね。僕が作った就業規則でうたっていないがために、レバランボーナス(THL)を対象ではない人に払わなければいけなくなったり、医療費にしても際限なく使う人もでてきたりして……。そしてまた規則を改正すると。また問題が起こると。人事採用に関しても、僕は、想像以上に上昇志向があるメンバーに、宣言以上の権限移譲をすることが西日本で成功した要因だと思っていて、僕自身はプログラミングもデザインも日々の進捗管理もできないので、そういう自分に足りないところを感謝とともにやっていただくことをすごく大事にしてきたんですけど、インドネシアでもそれをそのまま適用してしまったのです。インドネシアのスタッフは任せられることに慣れてなくて、責任を負いたくない人も多い。結果として大部分が失敗でしたね。考えてみると、大阪時代というのは営業所であったので、総務の機能は東京にあって、全部東京でやってくれていたんですよね。インドネシアではそういった機能も全部一から構築しなくてはいけなかった。なかなか私は社内にとらわれ、営業に回る時間を捻出できずに、労務にばっかり追われてしまったのは失敗でした。

 

三つ目は、これが一番大きいのですが、自分自身への過信です(笑)権限移譲すると言っても最後は自分で決める。そのために、理解するために毎日勉強するのですが、そのサイクルがインドネシアでは追いつきませんでした。自分で事業展開のスピードを速めたのはいいものの、自分が追いつけない状態に追い込まれました。

 

 

ずいぶん謙虚で高野さんらしくないですね(笑)。ではでは、前向きな話題に。アドウェイズ・インドネシアのこれからについて教えてもらえますか?

 

高野 アドウェイズ・インドネシアの代表取締役社長の後任は未定ですが、インドネシアの現場のトップは小倉になります。第二創業期にあたる今、彼が最も適任だと判断しました。事業としては、メインの2事業に絞っていきます。一つは、2013年10月に発表した「Smartdriver( スマートドライバー)」というインターネット向けの成果報酬型の広告サービス。もう一つは、今年1月に発表した「Appdriber(アップドライバー) 」というスマートフォン・アプリ向けの成果報酬型の広告サービスです。アドウェイズが全世界で主力サービスとして扱っているこの二つの事業が3年かかってようやく芽を出しはじめたので、そこに絞って展開できるようになったのが今回の異動の背景でもあります。実際に、この事業が順調に推移し、5月をもって早くも黒字転換いたしました。

 

Smartdriver(web向け成果報酬型広告サービス)

http://smartdriver.asia/

 

Appdriver(アプリ向け成果報酬型広告サービス)

https://appdriver.asia/

 

スマートドライバーとアップドライバー、この二つの大きな違いは対象のデバイスとマーケットの違いです。スマートドライバーはインドネシア国内のオンラインショッピングの会社を主なクライアントとして、インドネシア国内向けのウェブ(パソコン・スマホなど)上に広告を出します。オンラインショッピングの場合、インドネシアの人は例えばシンガポールからなかなか物を買わないですよね。海外のお店から買うにはクレジットカード決済が前提となりますし、送料も高くなりますから。だから、インドネシアのオンラインショッピングの会社さんは国を越えられないんです。そこで、インドネシア国内のウェブサイトに広告を出し、購入までもっていきたい。ただ広告を出すだけだと費用対効果を測りにくいので、我々のスマートドライバーを導入して頂いて、購入に対する成果報酬で広告を出稿して頂けるという仕組みです。

 一方で、アップドライバーは、スマホのアプリ上に、ゲームやアプリの広告を出すことができます。これはデジタルコンテンツなので物流などの制約を受けない。ゲームやアプリは、例えばパズルゲームなど、どの国の人も同じゲームをやってますよね。ゲームだけでなく、Instagramやカメラのアプリなどもそうです。たとえば、中国のゲーム会社がインドネシアのユーザーを集めたいと思ったら、インドネシアでゲームをやっている人が多いアプリに広告を出すことができる。つまり、アップドライバーは全世界のネットワークを通じて各地で営業をしているんです。

 

 

●アップドライバーについては、インドネシアのユーザーを取り込みたい全世界の企業がターゲットになるわけですね。スマートドライバーは国内のeコマース市場の発展次第というところでしょうか?

 

高野 当面はそうですね。ただ、スマートドライバーは、中国以外ではインドネシアでしか展開していないので、インドネシアを起点にタイやベトナム、インドなどに展開していくことも考えています。インドネシアは今後の東南アジアへ向けた発信基地になる大事な国になると考えているので、インドネシア現地法人としては、スマートドライバーにも同様の力を入れていくことになります。

 

●ありがとうございます。最後に、高野さんご自身の去就がどうしても気になります。

 

高野 ものすごい押しますね…(笑)お答えできないのですが、僕今年8月で32歳になるんですけど、今まで全力で走ってきて、今年ふと立ち止まって過去を振り返ったんです。そして、過去の失敗や過ちを取りもどしたい衝動に駆られたんです。これが「後悔」ですね。でも、どれ1つ取り戻すことができないとわかった。ただできることは、自分の意思で、次のチャプターに進むことだと。この先、もし成功を掴むことができたら、今まで起きた出来事(チャプター)はすべて成功するために必要な構成要素だったのだと思うことができる。つまり良い思い出に変えることができる。だから今は、絶対立ち止まってはならないと思ったのです。そう考えた瞬間から、今まで蓄積した経験はなくなってないし、まだ31歳だし、資金がないわけでもないし、仲間もいるし、多くの方々と知り合ったし、あるあるづくしでかなり未来は明るいなという思いになりました。そして、自分の強みというのは、今までやってきたことの掛け算だと考えました。まず「営業」をやり、そして「ゼロから1の立ち上げ経験」、「IT」「経営者としての経験」そして最後は「東南アジア、インドネシア、特にジャカルタ」。最後は完全な思い込みですが、「ジャカルタと言えば」みたいなところも少しはあるだろと(笑)僕の強みは、このキャリアの掛け算の積と考えているので、その強みをいかしたビジネスを今後どういう形であれ行い、最終的には、市政、道政、国政に参画し、日本ひいては世界の持続的発展に寄与したいと考えております。

 

 

影と光‐アウシュビッツの一枚の写真

2年前、30歳になってすぐにポーランドのクラクフからバスで2時間弱のところにあるアウシュビッツ強制収容所に向かった。

30歳になったら、必ず1人で行こうと決めていた。

17歳の時広島の原爆ドームに行って以来、突き詰めていくと自然とアウシュビッツ行くことなしには、30代を走り抜けられないと考えていた。クラクフに宿泊し、3日連続でアウシュビッツに向かった。

2012年8月のことである。


そこでいろいろのものを見聞きしたのだが、最近なぜか毎日毎日思い出すものがある。夢にも出てくるものがある。


それがこの「眼鏡の山」の写真である。






これはすべて当時の強制収容したユダヤ人から没収したメガネである。
「髪の毛の山」「くつの山」「義手義足の山」「眼鏡の山」である。すべて展示されている。

想像してほしい。


まず「働けば自由になれる」と書かれた強制収容所の門をくぐったら、髪の毛、まゆげがすべて刈られる、剃られる、服もくつも奪われる。その状態の収容者の写真が壁に所せましと並べられている。


その後である。眼鏡と義手義足も奪われるのである。何もそれを溶かして軍需品に作り変えることにすら目的としていない。それを奪うことで、人間としての尊厳を奪うのである。


眼鏡や義手義足というのは、その人にとっては、体の一部である。
それがなければ、もはや意のままに行動することは不可能である。それを奪われたのである。
もはや働くことはできない。自由になることはできない。
眼鏡を奪われたということは、光を奪われ、働く意思を奪われたのである。

つまり、わずかな生きる希望、未来すらも奪われたのである。


そう思った時、私は「光を与える」喜び、「光を与える」ことで叶えられる希望が現代には、たくさんあるのではないかと考えるようになった。自分にできることはまだまだあるんじゃないか。


影を見ることで、闇を見ることで、光が見えてきたのである。




今でもこの眼鏡の山の写真を見ると、
「影と光」が同時に私に何かを強く語りかけてくるように感じるのである。

若者よ、海外に出よ2

また勝負に出るいつかの時のために、去年末に3年ぶりに東京に1ヶ月滞在した時に感じたことをブログにも残しておこう。

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極論っぽいことを言わせていただきますが、


日本は東京にいた1ヶ月間、なにも長い文を書く気が起きなかった…

予想外のことがあまりに起きなさすぎる日常生活。

緊迫感がない。

矛盾や格差に苛まれ、心がかきむしられることもない。

その後、一人で部屋にこもり哲学にふけることもない。

道端に人が溢れているわけではないし、瀕死の人が転がっているわけでないし、転がっていても手や足や目の玉はしっかりある。

外を歩いていても、大気汚染で気管支炎にかかることもない。

デモが起きて、渋滞で2時間遅れて相手に怒鳴られることもないし、

反対に笑って大丈夫と言われて安堵感を得ることもない。

ネットが止まってウワー!ってなることもないし、

オーダーしたメニューはなんとオーダー通りそのまましっかり出てくるし、

言葉は100%理解できるし、みんな良い人だから一緒に笑ったりしたけど、

日常で悲しんだり、苦しんだり、大声で叫びたくなることはなかった。


すべてが予定調和な日々だった。


本当に素晴らしすぎる国だ。


この国で生まれ育ったことに心から感謝している。


でも、ここに僕がいなくても、日本は問題なく予定どおりに時を刻んでゆくだろう。東京オリンピックが楽しみだ。


だから、もどろう。あの場所。インドネシアはジャカルタへ。


完全に3年前と逆転しちゃったな(笑)


3年前はすぐにでも日本に帰りたかったのに....


ありがとう、インドネシア。


さあ行くぞ!

若者よ、海外に出よ

10年後に、もう1度同じことを言えたらうれしいと思いますが、


20代で海外に出た方がいい。


ただ海外に出るだけではダメで、責任ある立場で毎日毎日ボコボコにされて、苦労、苦悩、苦痛、苦境を味わって成長速度を究極に速めた方がいい。

「責任ある立場」と「海外で外国人として働く」という2つの経験を同時にするほど、「孤独」というものを感じ、仲間や家族の存在に対するありがたみを心の奥底から感じられる時はない。


日本でのビジネス慣習がわかったらすぐに、給料が半分になっても、福利厚生がなくなっても、若いうちに手を挙げて外に出ること。


「若いうちの経験」に勝る報酬はない。時間と金、人脈は失われうるが、経験だけはぜぇぇっったいに失われない。失われないのは経験だけ。できるだけ早いうちに蓄積しとくべき。


目先の損得を考えず、周りと過度に比較せず、自分の夢までの進捗とのみ比較すること。


長期的に余りあるほどの回収が可能であると考えている。


20代で身につけるべき最も大事なもの、それは語学やコミュニケーション力と見せかけ「主体性」だと考える。


その主体性を自分の集大成になるまで高めること。



もし失敗して、すべてを失っても、集大成化された主体性さえあれば、


誰かが必ずそれを見てくれていて、何度もチャンスが自然と訪れ、


そして何度でも挑戦することができる。




人生って、楽しくて、すばらしい。


主体性があれば、いつでも君は、君の人生の主人公になることができる。


高野勇斗

アドウェイズインドネシア代表退任のご報告


多くの方々にとってFacebookでのご連絡となり大変申し訳ございませんが、今月をもって、アドウェイズインドネシアの代表を退任し、来月に日本(東京)へ帰任することとなりましたことをご報告いたします。また同時にアドウェイズシンガポールのDirectorも退任予定です。後任につきましては、確定次第速やかにご連絡させていただければと思います。これからの展開に関しても追ってご連絡させていただきたく思います。

インドネシアはジャカルタの地に、初めて降り立ってから、3年半が経ち、当時入社4年目、28歳であった私もあと数ヶ月で32歳になろうとしており、あっという間に時が経ったなぁとしみじみ感じております。当時、古巣の西日本事業部のメンバーには、「今まではみんなの力を合わせてここまでやってこれたが、ここからはソロになり、アーティストでいうならミリオンヒット、紅白出場、アリーナ超満員を目指す。もう大阪にもどることはない。見守ってくれ!ニャー!」とメールを残し、インドネシア語はおろか英語もできないのに、息まいて大阪からインドネシアに渡ったのを、先週バリで語り合って思い出しました…

実際は、もちろん海外、特にアジアは、国内と比べ、そんな甘いものではなく、私がただただ未熟であるがための失敗、判断ミスがもたらす苦労、苦悩、苦痛、苦境が尋常じゃないほどでのレベルで、そのあまりの激痛にひとりもがき苦しむことも何度も何度もありましたが、ここでいろいろ振り返えることはまだしないでおこうと思います。まだまだ夢の途中で、激動の真っただ中に身をおいているためです。5年後、10年後になって、その痛みが、良い思い出に変わり、「今」の自分を形作るために必要不可欠なものであったと自信をもって話せる日を迎えられるよう、これからもまだまだ精進いたします。

そして今、こうして筆を進めていて改めて強く感じるのが、インドネシア、一緒に働いているスタッフ、顧客、そしてかかわってくれた方々への感謝の気持ちです。もうこの3年半で「ジャカルタ(バリ)」「インドネシア」というワードを何度使ったかわかりません。それほど何度も気づきを与えていただきました。そして私を受け入れて、ビジネスをさせていただき本当に感謝しています。そしてその機会を与えてくれたアドウェイズ、そして社長の岡村というめちゃめちゃグレートな会社と男への感謝の気持ちです。弊社の経営理念は「金儲けより人儲け」なのですが、もう僕がアドウェイズの全社員の中でダントツ一番、「挑戦機会とそれがもらたす経験値」としては儲けさせていただいていると思っております。そろそろ恩返ししないと一生かかっても返せないのではないかと思い、焦っております。


と、まとまりがなく、話が長くなりましたが、インドネシアの皆さま、私は今月、来月頭はまだジャカルタにおります!時間の許す限り、より多くの方と直接お会いしてお話ができればと思います。

引き続き、アドウェイズ、アドウェイズインドネシア共々よろしくお願いいたします。

高野

名前も姿も残らなくていい


僕の名前も姿も残らなくていい。


人に覚えてもらわなくていい。


ただ、僕らが行う事業が社会の役に立つ。少しでも役に立つ。


僕の仲間が活躍する。


みんなが笑顔になる。


もうそれだけでいい。


人に受け入れられるのは、それだけでいい。







「ビッグになる」という意味


「将来ビッグになりたい」


そう思ってきた。


ビッグとはなんだろうか。


一発当てて、知名度を上げて、有名になって、規模を拡大する。


そんなことだろうか?


そうであれば没落も早いだろう。裏付ける、伴うものがないからだ。


それはあまりにも、もろい。


僕は気づいたんだ。


ビッグな人とは何がビッグなのだろうか。


何がその人をビッグにさせているのだろうか。


大きいのは、「心」だ。


寛大な心、やさしい心、謙虚な心、誠実な心...


愛されている人。


ビッグかどうかは周りが決めることなのだ。


つまり将来をビッグになるということは、


「心」を高めるだと気づいた。


いつから?


たった今からはじめよう。


決して遅くはない。



そう思わせるのも、



「心」だ。





















アルケミスト

会社の1つ後輩で、去年11月に福岡で起業した埴渕から、

先月いろいろ語りあった時に「この本良かったので、ぜひ読んで見てください。」と
薦められた本。

ビジネス本でも学術書でもなく、まさかの童話だった。

小説など物語系書籍はあまり感情移入できない僕は、
「知らなかったなー。日本に戻ったとき買って読んでみるよ。」と言ったら、

「PDFあるんで送っておきます」と言われたので、第一章だけ読んでみることにした。

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「世界最大のうそって何ですか?」と、すっかり驚いて、少年は聞いた。

「それはこうじゃ、人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり、宿命によって人生を支配させてしまうということだ。それが世界最大のうそじゃ。」


少年は人の「運命」がどういうものかわからなかった。


「おまえがいつもやりとげたいと思ってきたことだよ。誰でも若い時は自分の運命を知っているものなのだ。まだ若い頃は、すべてが可能だ。夢を見ることも、自分の人生に起こってほしいすべてのことにあこがれることも、恐れない。ところが、時がたつうちに、不思議な力が、自分の運命を実現することは不可能だと、彼らに思い込ませ始めるのだ」


「あの男も、子供の時は、旅をしたがっていた。しかし、まずパン屋の店
を買い、お金をためることにした。」
「(僕と同じく)羊飼いになればよかったのに」と少年は言った。
「そう、彼はそのことも考えたよ。」と老人は言った。「しかし、パン屋の方が羊飼いより、立派な仕事だと思ったのさ。パン屋は自分の家が持てる。しかし、羊飼いは外で寝なくてはならないからね。親たちは娘を羊飼いにやるより、パン屋にやりたがるものさ。」

「結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。」



少年はもはや、羊飼いではなかった。そして何も持っていなかった。帰って一からやりなおすお金もなかった。....(重要シーン).....彼は自分のことをどろぼうに会ったあわれな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険家と考えるか、そのどちらかを選ばなくてはならないことに気がついた。

.........................................................


『アルケミスト』第二章へ。

埴渕!メッセージ伝わったぞ。ありがとう!

とりあえず起業したてで、貧乏らしいから8月福岡で水炊きおごる!

たった1人のために書かれたブログ

将来、この文章を読み返して、顔を赤らめて懐かしむ日が来るのが楽しみだ。


親友が僕を励ますためだけに、


つまり僕ただ1人のためだけに


始めてくれたブログ。(2014年2月~)

Asphaltman
http://asphaltman.weebly.com/

「鋼の心」
http://asphaltman.weebly.com/1/post/2014/02/7.html

「負ける事が正しい事もある」
http://asphaltman.weebly.com/1/post/2014/02/6.html

「絶望は好転の扉」
http://asphaltman.weebly.com/1/post/2014/02/5.html

「人が前に進もうとしている時って1番かっこいいじゃん」
http://asphaltman.weebly.com/1/post/2014/02/11.html

「幸せの不幸の踏切」
http://asphaltman.weebly.com/1/post/2014/02/2.html


何度も何度も読み返したし、その度気づかされたり、励まされた。
この5つの文章がなかったら、正直僕は危なかった。


ブログ名は、親友が大学時代に組んでいたバンドの代表曲「アスファルトマン」
ここで歌詞を紹介したいと思います。


♪うまくいかないことはつづくもんだね 

今日もザマさ

わかっちゃいるけど どうにもできない

全部 俺のせいさ

毎日変わらない 電車に乗って

誰からも注目されることもなく

1日が終わって 明日になって

疲れたなんて言えやしない


アスファルトマン アスファルトマン

そうさしがない アスファルトマン

アスファルトマン アスファルトマン

そうさ悲しみ アスファルトマン


くだらないと思っているんだろ

情けないと思っているんだろ

笑ってくれていい 想像つくだろ

明日一年先の 俺の姿が


不可抗力なんて言葉は知らない

有言実行だけがあるだけさ

魂なんてここじゃ邪魔なだけだ

アスファルトマーン

俺が盾になります アスファルトマン

でかい椅子に座ってるやつのために

大事なもの全部 

捨ててきたんだ♪


親友へ


俺はこの日この瞬間のこの感情を


決して忘れない


ありがとな!




将来、この文章を読み返して、顔を赤らめて懐かしんでいる自分に会えるのが楽しみだ


高野勇斗

Be bold to what you stand for

昨日の話だが、ある1人の社員に呼ばれた。マンスールだ。


くわしくは、前回の新卒インド人社員マンスールを読んでほしい。

内容は、前回と同様だが、状況は違う。今回は僕のことを思って、読み取って、話してきたのだ。

「両親がいない私は、あなたのことを父親だと今でも思っている。僕は、周りが去っても絶対にあなたを置いてこの会社を去らない。ロイヤリティーの高い社員だけ採用しましょう。これからも目標を目指してNever give up!で行きましょう。」(ブログのタイトルは、マンスールのお母さんが生前マンスールに何度も言っていた言葉)


改めて彼のやさしさと慈悲深さを感じ瞬間だった。このような人間を採用できたことを非常にうれしく、そして誇りに思う。


社員数が多くなると、多くの問題が起こる。統率が取れず、手に負えないことが起きる。
海外であると言葉も文化も習慣も違うので、トップ1人の人間の発信、伝達力で全員を統率することも同じ方向を向かせることも非常に難しい。


オペレーションを怠ってきた場合、人数を少なくし、ロイヤリティーの高い社員、主体性の高い社員、日本語ができる社員だけを採用した方がいいと思うこともある。完全なないものねだりである。

でも、やはり仲間を多い方がいいと思った。。

苦労し、人を育てて、悪戦苦闘して、その壁を乗り越えていく。苦しみも2倍だが、喜びも2倍だ。そう思ってきたのだ。間違ってないはずだ。先人がやってきたのだから、それを逃げてはダメだ。


「今」の自分に組織を合わせてはダメだ、「未来」の自分、成長した後の自分をありありと思い描き、そこに合わせるのだ。そうでないと事業も大きくならないし、それはより多くの人々に感動と幸福を与えることはできないということだ。



僕は何をしたいのだろう。


僕は何を目指しているのだろう。


僕は何を達成したいのだろう。


僕はなぜ生まれてきたのだろう。


挑戦しなければ、失敗はない。でも、失敗しなければ、大きな成長はない。


僕が成長しなければ、僕の描くは未来はいつまでもやって来ない。


そのためには、挑戦を恐れてはいけない。


僕はそうしたいんだ。


僕はそうしたかったんだ。


そのためにやってきたのだ。



しっかりと再びここに刻もう。


自分を見失わないように。


描く未来が消えてしまわないように。


マンスールへ、本当にありがとう。


高野勇斗