主体性こそ集大成-Beyond the Borders- -13ページ目

まず社員を幸せにする

社会全体を幸せにするという経営目標がある。

ただ、目標を達成するために、共に働く社員が幸せにならなければならない。

社員を幸せにしなければならない。

社員が不幸で社会が幸せなんてありなえい。

まずは社員の幸せを考える。

インドネシアに駐在して3年が経ちました。


本日2014年2月5日でインドネシアジャカルタに住んで3年が経ちました。


「1年目で名前を浸透させる。2年目で事業を創る。3年目で事業を他より深化させる。」という目標で進んできました。


というのは後付けで、多くの挑戦を恐れず、誰よりも早くガンガンして、多くの失敗を経験して即効で改善していくという気持ちだけで進んできました。

本当に毎日毎日今まで経験していなかったことにぶつかりました。

それは現在進行形で日々続いています。


驚いたり、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、苦しんだり、笑ったり、悩んだり、心身ともに休む暇がないという感じでした。
それは、その降りかかる多くが、当時28歳、現在31歳の自分の実力よりかなりハードルが高いというのもありました。
ただそこに食らいつき、ものすごく多くのことを学ばせていただきました。



今年は個人的には内面、外見両方を成長させて、周りに一目置かれるような、めちゃめちゃおもろくてやさしくて、かつかっこいい男になろうと思います。

そしてその僕が代表をつとめるアドウェイズインドネシアを業界No.1のめちゃめちゃかっこいい社会貢献企業に最高の仲間とともに成長させていきます。



皆様ご指導ご協力のほどよろしくお願いいたします。


僕は決してあきらめない。何度でも復活する。成長して。意思ある限り。


高野勇斗

ジャカルタ洪水から考える”Understand”するということ


 先週土曜日からジャカルタで降り出した雨が月曜日まで降り続き、洪水を起こした。

ジャカルタの一部の地域では家が浸水し、家財道具がめちゃめちゃになり、ケガをした人もいる。と報道を見たり、今スタッフからも報告を受けた。


今週月曜日の早朝、スタッフから連絡を受け、状況を理解した。去年の経験もあり、緊急に対応した。

ただ、私がスタッフの問い合わせに対し、下した判断は、「今回の洪水は、去年の大洪水ほどではないので、有給扱いとし、状況がひどい場合は、証明してもらえれば個別に対応する。」ということにした。

その後、確認をしたら、地域によっては状況は深刻であったため、対象者は、去年の洪水の経験により会社規則に追加した「天災、災害、ストライキ特別休暇」とすることにした。

 実は、上記のことは、高層マンションに住んでいて、ドライバーもいて、自由にタクシーを使える暮らしをしている日本人には非常に気づきにくい。気づかないどころか、生活状況を理解せず、逆にインドネシア人を非難する、批判するようなことも起きる。


海外では、自分の常識では判断せず、常に周りの人から状況を聞き、その社会で生きる人のことを理解するよう努めなければならない。

その人の生活を知り、その人の立場に立つ。

それが、Under(立場) + Stand(身をおく)=Understand(理解する)

なのだろうな。

非常に、いろいろなことを考えさせられる国インドネシア。

20代で来てよかったと強く思う。感謝してもし足りないほどの成長をさせてもらっている。

給与遅延事件

 インドネシアの現地法人立ち上げから3年を振り返り、最も印象的な話をしたいと思います。



 その事件は今も忘れぬ2013年5月10日(金)、ジャカルタオフィスで起きました。



 その前月の4月、私とともにインドネシア現地法人の立ち上げをし、総務や経理、本社対応などを担当していた日本人駐在員がタイ現地法人へ異動。現地スタッフに引き継ぎをして間もない頃でした。


 昼過ぎから社内には慌ただしい雰囲気が漂っていました。スタッフがなにやら真剣にパソコンに向かって作業をしています。なにかメッセンジャーで社員同士が会話しているようです。


 それからまもなく、経理担当者から「高野さん、給与振込の承認ができてません。すぐに承認してもえらますか?」と言われました。


「まだ承認してませんでしたか?すぐに承認しますが、今日は給与支払日ですよ。間に合いますか?」と返した私に、「間に合いません。今日は金曜日ですから来週月曜日になります」との返事。



 その瞬間、私は事態の深刻さを認識しました。完全に私の責任ですが、給与の支払い部分の担当者との引き継ぎがうまくできていなかったのです。



 発展途上のインドネシアでは、多くの人が給料日に合わせてローンの支払いや公共料金の支払いを設定しています。また、貯金をしている人間も少なく、給料日前に文字通り一文なしの人もいます。給与支払いの遅延は、社員にとって死活問題。会社として絶対に避けなければならないことと強く認識しているつもりでした。



 場合によっては、暴動が起きたり、訴えられたりするケースもあります。私は現地法人設立時のまだ会社規則も作成してなかった時に、提携銀行間以外の送金は2営業日かかることを知らず、当時、3名の社員に対し給与遅延を起こしてしまったことがあります。一時的に立て替えましたが、そのような対応をもってしても、人材紹介会社経由で相当なクレームを受けました。



 現地の社員数は25名に上ります。支払い額も相当な額です。私は、一瞬パニックに陥りましたが、社員にこの事がわかれば必ず動揺が広がります。会議室に移動し、解決方法を考えることにしました。


 最悪のタイミングでした。この日は金曜日で、金土日と3日も遅延が起きることに加え、もう一人の駐在員である日本人がめったに取らない有給でオーストラリア旅行に出かけていました。給与額分の工面の困難さに拍車がかかりました。


 少しずつ社員の中には給与が振り込まれる時間になってもATMに入っていないことに気づく人が増えはじめ、もはや仕事どころではない状況に追い込まれてしまいました。


 私は、まず急いで両替所に行き、「ありったけの自分が持っている日本円をルピアに換える」ことを優先しました。ただ、アベノミクスの影響で日本円が最も安い1円=90ルピア(現在は1円=約115ルピア)ということもあり、私の所持金全額を持ってしても総支給額の20%にも達しませんでした。


 焦る私は、クレジットカードで限度額まで海外キャッシングを繰り返しました。それでも総支給額の35%程度にしか達しません。もはや万策尽きたと思った私は、少しでも早く彼らの不安を取り除こうと、かき集めた大量のルピア(ルピアは日本円でいう千円札までしかないため、非常に膨大な札の量になります)をオフィスに持って行き、社員を集めました。



「今回、私の重大なミスで絶対してはいけない給料の遅延が起きてしまいました。大変申し訳ございません。ここにあるのは、私の持ち金すべてを両替して、持ってきたルピアです。皆さんの給与額に満たないですが、これをお渡します。金土日曜日でかかる費用に充てて下さい。返済はいつでもかまいません。大変申し訳ございませんでした」と、深く頭を下げました。



 そしてそのお金が必要か不必要かにかかわらず、経理担当の人間から、社員に等分に配ってもらいました。焦燥していた私は、罵声を浴びせられることを覚悟していました。


 しかし、驚くことに、誰一人、そのような人間はいなかったのです。寄せられたのは罵声ではなく、みんなが私に「テリマカシー。センキュー。タカノサン」という感謝の言葉でした。私は涙を堪えるのに必死でした。



 そして週明けの月曜日、さらに驚くことが起きました。出社した私に、経理担当者から「高野さん、これは皆さんから返ってきたお金です。どうぞ。」と大量のルピアを手渡しされました。火曜日、水曜日になり、すべてのルピアが戻ってきました。


 大量のルピアを前に、嬉しさがこみ上げました。私は積まれた大量のルピアを数えることをしませんでした。いや、正確に言うと数える必要がなかったのです。


 経理担当者は、社員にお金を配る際、10枚を一束にして、輪ゴムではなくそれをホッチキスで留めて配りました。

 

 私が見たルピアのすべての同じ箇所にホッチキスが留められていました。



 つまり、誰もお金に手をつけなかったのです。



 それはインドネシアに来てインドネシア人の誠実さと優しさを感じた瞬間でした。そして、同時に全力でインドネシア発展に寄与する人間になろうと改めて感じた瞬間でもありました。

戦争がこわい




戦争がこわい


戦争がこわい


戦争が怖い


戦争が怖い


戦争は恐ろしい


戦争は恐ろしい



小学校の頃から、決して消すことも忘れ去ることもできず、常に僕の根底にあるものである。


発想、意見の根底にはそれがある。


なぜ、あんな戦争を犯してしまったのか。なぜ、戦争中にあんなことを犯してしまったのか。
何度も何度も調べた。何度も考えた。僕が大組織に対する畏怖の念もそこから来ているのかも知れない。犠牲になるのは常に、下にいる弱いものだ。意識してわかってる人間は、その組織にいるのか。



僕は戦争が怖い。


僕は戦争が怖くて仕方ない。


僕は戦争で人を殺すのも、人が死ぬのも見たくない。


戦争には絶対に反対だ。


声を大にして反対だ。


僕は戦争で死ぬのが怖い。家族を失うのが怖い。


子供の頃から、それで夜、何度もうなされて起きたことがあるだろうか。


でも、


僕は、戦争をしないために、戦争をさせないために、死ぬのは怖くない。


いや、怖くないといえば嘘になるが、戦争で死ぬよりぜんぜん怖くない。


たとえそれに対し、批判されようと、非難されようと、なんと言われようと


貫ける勇気のあるビッグな人間になろうと今までやってきたのだ。


これからも変わらない。



僕は戦争がこわい。



戦争が怖くて仕方がない。


毎年、8月6日に広島に行くのだが、その度に、新たに発見された戦没者の遺品を見て、
戦争というものが、怖くて怖くて仕方がなくなる。


決して消えることはない。


今日、映画『永遠の0』を観た。


僕は、戦争が怖い。


戦争を常に恐れている。


「戦争」が頭から永遠に消えることはない。


決して忘れることはない。


決して。

どこに行っても絶対に譲れないもの

弊社は、担当者に賄賂を渡す、マーケティング費用の一定パーセントを金品でキックバックすることは、すべて禁止です。

「高野は、インドネシアのことをわかっちゃいない。」それでも禁止です。「どこでもやってる」という文句も受け入れられません。

それが原因で、失注しても、契約を切られても、信念を曲げることは、個人と組織の意思がリンクできないに加え、まったく人として「おもろない」手法なので、トップとして許可できません。

利益と公益を同時かつ両方追求していくことにこそ、その理念、そしてその理念を共有する人材がいるからこそ、仮に事業が同じでも、サービスが同じでも、のちのちどこにも負けない、どことも違う「価値」を創出できるのです。

循環するものはすべて、短期的に良くても必ず長期的には繁栄できなくなります。

僕が大事にしているのは、金では買えない、そういう根本のところなのです。

みなさんの必死さ伝わります。みなさんのがんばりに心から感謝します。



今朝のじゃかるた新聞の記事にもありましたが、「高級住宅がどんどん建設される一方、インドネシア全国で1500万戸の住宅が不足」とのこと。「家もない人が街にあふれているのを横目にして、誰も住む予定のない、投機目的の高級住宅をよう作れるなあ。」と思っても、衣食住が満ち足りてない人にとっては、今やってることの目的もわからず、まずは自分を満たすために働くしかない。金持ちは利益を上げることしか考えてない。または自分のやっている範囲の事業に意味を与える、何かの役には立ってると思いこむことしかできない。

ここは政治家の出番なのです。政治家が、金にまみれるようではもう終わりです。

公益を追求するために自分を犠牲にして命を賭してもいいと考える者しか、政治家になってはいけないのです。

【5kmルール】ジャカルタでもっともっと輝くために

昨日、初めてジャカルタの東にあるブカシにタクシーで行って見たのだが、

渋滞が比較的ない土曜日で、オフィスから高速道路をすべて使って1時間10分ほど。

料金150,000RP(1500円)。往復300,000RP(3000円)。これを劣悪なバスやアンコットを2回以上乗り継げば、片道2、3時間かかる。料金往復20,000(200円)~40,000RP(400円)。
月400,000RP(400円)~800,000RP(8000円)の自腹での出費。

自分で行ってみて、そこに住む人たちに聞いてわかったが、これはかなりきついな。

住む場所でハンデがある。電車の通勤時間を有効に使おうとか、ジャカルタのあの環境では無理だ。勉強する時間もない。盗難を防ぐため常にバッグを見ていなければならない。ケータイもいじることができない。

住宅費用が、コスでブカシが500,000RP(5000円)ほど。それに対し、ジャカルタ中心部で1juta(1万円)~1.8juta(1万8千円)。

最大のネックはここか。

今まで社員一律で、皆勤賞制度を導入し、ある程度の効果を上げているが、さらにもう一歩踏み込む。


オフィスから近距離に住む人に住宅補助を支給しようと考えている


具体的には、ジャカルタの中心部に住む人には、郊外に住む人と同額程度の料金になるような額を補助しようと思う。これで、通勤時間、通勤費用、通勤する心理的億劫さ、勉強時間や家族との時間などの捻出が可能になる。また勤続年数や勤務態度を考慮し、支給することにより、ロイヤリティーやモチベーションを高め、それが単なるバラマキにならないようにする。また家族と住んでいることや子供がいることで、引越しできない人も多いだろうから、その場合は、既存の皆勤賞制度も新たな条件を導入し、不平等をなくしていく。


インドネシアの社会をよくするために、まず、うちの会社を圧倒的に働きやすい会社にしていく思いを強くする。

僕が入社直前で決心したこと

最近学生がたくさんジャカルタ来ているのでその人たちのために書きます。

この前のインタビューで学生時代について話しましたが、入社直前まで社費でオーストラリアの語学学校に留学させいただきました。

そこで英語を学んだ記憶はあまりないのだけど、韓国からの留学生がものすごく多く、みんな親切で僕より流暢な英語でいろいろ教えてくれました。

函館の片田舎から出てきた僕が、母国語の異なる「外国人」とこれほど長期間交流したのは、生まれて初めてです。

当時、ビジネスの千倍ぐらい政治に興味があったため、韓国人と議論した中で最も印象残った話は、「徴兵制」です。(英語で歴史認識を議論することは質問されてもあえて避けていた記憶があります。)

日本ではあまり報道されていませんが、(シンガポールも同様)韓国には徴兵制があり、留学していた男性たちは、皆兵役を終えています。その体験を友人が話してくれたのですが、一部の研究職についた理系の学生以外は辛いと話していました。

配属先の自殺者の話やタバコ代がなぜ安く抑えられているかなども細かに説明してくれたのを覚えています。

当時の僕は、知名度を伸ばしていたサムスン、LG、ヒュンダイなど韓国企業の強さは、国内に雇用がないこととか政府援助より、この「徴兵制」にあると考えました。

徴兵制の体験と比べたら、今の仕事なんて屁でもない、留学なんて天国だと言うのです。(この前スウェーデンの徴兵制についても書きましたが、徴兵制という制度自体については明確に反対の立場です。)


日本には、幸いなことに徴兵制がありません。

ただ、この韓国の「強さ」の源泉を、「過去の苦しく辛い体験」に求めるなら、親元からも友達からも離れて、入社後、一定期間、圧倒的に1つの物事に主体的に取り組む体験をすればいいと考えることにしました。


そのような理由から、入社後すぐに、縁もゆかりもない大阪に支社を立ち上げることにしました。当時、同期が70名いたのですが、すぐ大阪に来てしまったため、他の誰と比較することもなく、そして誰とも比較されることなく、自分の夢と会社の夢が交差する点と今の自分の距離を縮めることだけを考えてここまで来ることができました。

若いうちに海外に留学させていただいたことが、今のインドネシア事業立ち上げまで導いてくれたのは間違いありません。感謝。
 

またいつか行こうブリスベン、ゴールドコースト(^ ^)

アト、スコシ...


俺がインドネシア語話せたら聞けたら、もっともっともっと力になってあげられるのに!

なんだこの耳は!口は!

みんな一度興奮したら、誰も英語なんて使わん!まったく英語力なんて使えん!

ただ、これを超えられるのもまた俺しかいない!

がんばれ、がんばれはやと!なんとかしろ、なんとかしてみろ、はやと!わー!

ナカマ

仲間をとことん信じようと思う。

この「仲間」というのは、どの範囲のことを言っているのかというと「志を同じくする者」とここでしっかり決めよう。志には、大きく二つの意味があるが、この二つを同じくする者と決めよう。仲間の最小単位である。同志と同義であるが、なんか仲間の方がしっくり来る。今までは、それを身内と言っていたりしていたが、血のつながりではなく、志を共有している者を「仲間」と呼ぶことにしよう。


その「仲間」を信じぬくというのは、8810回まで裏切りがあっても許し、不信に思うことがあっても、すべて取り払うということである。つまりほぼ永久に。