日韓および東アジアの古代史から近現代史まで
日韓および東アジア関係史において様々な葛藤が生じているが、例えば従軍慰安婦問題や中国における南京大虐殺資料の世界遺産登録など、歴史を学ぶものには許しがたい捏造や歪曲が現実の政治や国家間の葛藤を産み、現実の我々の生活にも影響を及ぼしている。
「従軍慰安婦」問題における韓国政府及び韓国の活動家、言論の動向には許しがたいものがある。今回ジュネーブの国連委員会で杉山外務審議官が、「日本軍による強制性の事例は見られなかった。」「問題の発端は吉田清治氏による捏造とそれを拡大した朝日新聞にある。」「性奴隷との表現は不適当」と明言することで日本政府としてのこの問題への明確な態度が明らかになった。昨年末の日韓合意、そしてすべての事実関係が明らかになってきている状況にもかかわらず相変わらず韓国内の「反日」は止まない。
平成19年に祥伝社黄金文庫で、伽耶大学客員教授の崔基鎬氏による「歴史再検証 日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実」という本が出版されて話題になった。その中で崔氏は次のような内容を書いている。
●初代統監・伊藤博文の功績
●日本人の税金で賄われた朝鮮の鉄道建設
●李朝時代の悪名高き三つの制度
●韓国歴史教科書の、目に余るウソ・デタラメ
●総督府による治山治水事業
●日本が朝鮮に植え付けた精神的大革命
●併合で生き返った朝鮮経済
●現在の北朝鮮は、李朝500年のクローンである
●忘恩の国民に果たして招来はあるのか
崔教授はこの本を書いた当時88歳で、その後の消息は存じ上げないが、ご健在なのか?ご健在としてもかなりのご高齢である。崔教授はこの本の外にも何冊か併合時代の事実を語る本を何冊か書いているが当然のことながら韓国内では反日政治勢力から激しい批判や攻撃にさらされてきた。日本の国内でも一部の人たちから批判されていた。しかし日韓併合時代を客観的に検証した第三国の欧米などの学者による検証からもこの時代の日本の統治が当時としてはかなりの「善政」であったと評価を受けている。私も様々なこの時代の事実関係を学んでみたが、学んでみると崔教授の訴えて来た併合時代の話が事実を語っているものであることがよくわかるようになってきた。
韓国民族に未来はあるのか
崔教授は先の本の終章で韓国国家の将来を懸念しておられる。歴史の真実に向き合おうとせず、捏造や歪曲された歴史認識に支配された韓国とその国民がその行きつく先が偽りと嘘による呪縛の世界であることは明らかである。
真実や事実に基づく信頼や信用が当てこそ人と人との関係もうまくいく。国家間でも当たり前の話である。
日韓関係にある「反日」と「謙韓」を同次元で扱う人がいるがそれは根本的に間違っている。韓国の「反日」は事実や真実に基づくものではなく、捏造されたり歪められた歴史教育や歴史観に基づいている。日本の「謙韓」は韓国のあまりにも事実を歪曲した日本非難と対日蔑視の歴史観に対してのものである。
地球を俯瞰してみれば半島国家である韓国という国は日本との関係を良くしてしか世界に出ていくことができない。そうでなければ大陸の中国かロシアにより頼むしかない。長い半島国家の歴史はその大半が大陸国中国の歴代王朝に従属する歴史であった。その後近代になってロシアが南下してきたが、今でも一番大きな影響を行使しているのは大陸の中国である。大陸中国の王朝は交代を繰り返してきた。王朝の交代のたびに翻弄されてきたのが半島の国家のれきしでもあった。
古代からの半島国家と日本の関係史
半島と日本列島、一衣帯水とは言われるが、その歴史の大半はお互いの干渉を避けて来た歴史でもある。半島に三国が鼎立していた時代から新羅が大陸の唐と組して百済・高句麗を滅亡させて以来、半島を支配する王朝は交代しても中国大陸の歴代王朝には冊封の礼を取り続けて来た。
その間、日本は武家政治などの政治体制の変化はあっても皇室をいただいての独立国の体制を維持し続けて来た。
古代史を垣間見れば半島国家と日本列島の国家とはきわめて密接な関係があったことがうかがわれる。しかし白村江の戦いで倭軍が唐と新羅の連合軍に敗れて以来半島と列島の交流は極めて限定された関係となって近代まで来ていた。
この韓半島の国家指導層には日本のことを倭奴として蔑視してきた歴史があったことが江戸時代の朝鮮通信使が残した記録などからも知ることができる。
半島国家の中でも支配層に属する人々に日本蔑視の感情が芽生え育ってきた歴史を理解すことはできる。特に李朝500年の歴史時代は両班という支配階層が国家の支配権力を握り、諸外国には鎖国政策をとりたい中国の国家とは冊封体制、日本とは通信使というような表向き儀礼的な関係しかなかった。
近代に至り、東アジアへの欧米列強の植民地拡大の中で東アジア各国が生き残りをかけた戦いをして行かざるを得ない時代に、欧米列強に浸食されていく清国に北から南下するロシアとのせめぎあいの中で、日本は思い切った開国と近代化政策により欧米列強に対抗し得る力量をつけて行っていた時代である。
そういう時代的背景の中でなされた「日韓併合」は何だったのか、どのようなものだったのか?正当で客観的な理解がなされなければ日韓および東アジアの近現代史を正しく理解することはできない。
さかのぼれば両国の微妙な関係は古代史にまで至らなければ理解することの難しい感情的なこともある。蒙古軍・漢軍・高麗軍による元寇や、豊臣秀吉による朝鮮出兵にも言及しないといけないだろう。
当然、日韓併合時代を論じるには、日清戦争以来の対中あるいは対ロシア(その後ソ連)との関係、また太平洋を挟んでの日米関係、その中での日中戦争や日米戦争、戦後の東西対立の中での半島情勢や米国による占領政策や日米関係も白根家ればならない。
いずれにせよ古代史から近現代史に至るまでの事実に根差した正しい客観的な歴史認識を通さなければ現実を正しく理解することもできないし、今後の我々の行くべき道筋も見えてはこない。
統一教会(家庭連合)も現代史になればその一翼を担って来ている。問題は歪曲された歴史が統一教会の歴史にも影響を及ぼしててきたことが事実である。
一見その歴史観の相違が深刻な国家間の葛藤を引き起こしているように見えるが、最終的に歴史の事実は事実をもとにしてしか動かない。歴史認識の違いからくる葛藤は一時の亡霊のようなものである。夜が明けてすべてが白日の下にさらされれば現実の事実が支配するようになる。
どうやら夜明けは間近なようである。だからこそ、真実と事実の歴史を知ってその事実に向き合うことが何より大切になっているのである。