「鬼と呼ばれた男」松永安左ェ門
彼は官僚や軍部に立ち向かった、闇雲ではなかった。引くところは引くことも心得ていた。しかし彼に一貫していたのは「自分たちが国を豊かにして行く!」という熱い情熱であった!
「統制経済ではだめだ!」「国に頼るやり方ではだめだ!」
全てを国家統制でやろうとして失敗したのが社会主義である。しかし現在の国のやり方には社会主義的な政策がたくさんある。貧しいものや弱いものに国が金を出して救っていく。それはそれで意義のあることだろう。しかしこういうやり方は限界が来る。国の予算には限りがある。国全体が富まなければ、自然と福祉も後退していく。
松永には信念があった。まずは国全体を豊かにしなければ国民生活を豊かにすることはできない。国全体を豊かにするには産業を活発化することである。そして産業を活発にするにはエネルギーの確保が問題である。松永の時代には水力発電が全盛のころである。日本は水資源や豊かだった。ダムを作れば電力というエネルギーだけでなく、治水にも役にたつ。水力は自然から与えられる無限のしかも無料のエネルギーだ。
戦後復興の時代に松永が信念を通し、マッカーサーまで動かして電力会社の分割民営化をしていなければ、戦後日本の高度経済成長はなかったかもしれない。
その後分割民営化した電力会社では電力料金の値上げを実施した。これには国民の反発が強かったが、それでも電力需要は伸び続けた。料金値上げで一時国民の負担は増大したが、国の負担は軽減され、そのほかの必要な投資に回された。産業は活発化して国民生活は結果的に向上し続けていった。
日清日露戦争以降の歴史を見る視点の中で「経済」の問題はとても大きい。
国家予算の半分以上を占めていた軍事予算の利権に群がった人々も多かった。本当にやむに止まれぬ状況の中で軍事費を調達した時代は過ぎ去っても一挙にそれを減らすことは難しい。
組閣の大命を受けながら「軍縮」を実行しようとした宇垣一成(うがきかずしげ)は自ら陸軍出身にもかかわらず軍部の反対で組閣をすることができず、組閣を断念し、幻の総理大臣になった。昭和12年の話である。
宇垣は当時のファシズムの流れには批判的で、中国や欧米にも穏健な姿勢を取り世評も高かった。
また昭和2年から朝鮮総督を務め、「内鮮融和」と「農村振興」をかかげ朝鮮各地の農村を視察してm割ったことから「朝鮮人のために唯一尽くしてくれた総督」と評価されている人物でもある。この宇垣一成については機会があればより詳しく紹介してみたい。
日本が日中戦争や日米戦争の泥沼に陥った一番大きな原因が「資源確保」という問題だった。
当時の日本はその資源の確保を軍事と統制で乗り切ろうとした。しかし結局は敗戦という結果ですべてを失った。
戦後の日本はその反省と失敗を教訓に経済成長を成し遂げ一時は世界第二の経済大国にもなった。
今はそれらのすべてを再検証して、次の時代のテーマに応える。それはトップの英断と主体的な国民の、民間の力の一致で成し遂げられて行くものであろう。
そのほかにも考えさせられることは多い。続きはまたブログに書いていってみたい。
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げん