費やされた莫大な戦費~日露戦争後の国民の不満が日米衝突の導火線 | キビコジのブログ

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日露戦争では9万人の戦没者に20億円(現在の2兆6千万円)もの戦費を費やした。これは当時の国家予算の4倍にも相当する多額なものだった。ところがポーツマス講和条約の結果は国民を満足させるものではなかった。
先の日清戦争の時には当時の清国の国家予算の二年半分の賠償金を得ていたがポーツマス講和条約で得たのは、南樺太の領有権、旅順・大連の租借権、南満州鉄道の権益などでロシアは賠償金の要求には一切応じなかった。このポーツマス講和条約の締結にあたって仲介に立ったのあアメリカであったが、日本国民の矛先はアメリカにまで向かっていった。
アメリカにしてみれば戦争終結の労を取ったのに日本はなぜそこまで要求するのかということであろう。「戦争に勝利して南樺太ほかの利権を獲得したのにその上金までほしがるのか!」セオドラ・ルーズベルト大統領の発言が日本国民の怒りを買った。
日本においては総力戦であったが、ロシアにしてみれば広大な領地の東の端で一敗地にまみえたという立場であり、必要ならもっと戦いを継続してもいいという立場だった。日本は勝ったとはいえもうこれ以上戦争を続けることは困難な状況は明らかだった。そこを何とか仲介してまとめ上げたのがアメリカであった。アメリカの立場もわからないではない。
しかし多大な犠牲を払って勝利したと思っている日本国民にはその当時それを理解するすべもなかった。
その後アメリカにおける日本への不信、日本におけるアメリカへの誤認が拡大していく。その後1924年の排日移民法が日米の亀裂を拡大していくきっかけとなっていった。(「排日移民法」というのは実は日本側の通称で、実際には東欧や南欧の出身者もその対象だった)
  ―この項続きます―

旅順の攻防戦や日本海海戦に日本は勝利した、勝利に沸き返ったは多大な国民の犠牲があった。しかしその勝利の見返りは国民の生活にすぐに応えるものではなかった。そこに国民の不満が拡大した大きな原因があったのですね。

いまでも「戦争反対」「九条を守れ!」と金科玉条のごとく叫ぶ人々が沢山いるが、第二次世界大戦の敗戦の参加を味わった立場からは当然の言葉かもしれないが、戦いに至った経過や問題点を総括し、反省することなしには再び戦争を防ぐことも、その犠牲を教訓にしてより発展的な時代を築いていくことはできないでしょう。


ここ家庭連合(統一教会)ブログ村の様々な論議のテーマは、実際に生じている様々な混乱や対立の原因や問題点を明らかにしてその解決点を明らかにしていくことであろう。安易な判断や一派に偏した見解やコメントはあまり役には立たない。

今日取り上げた日米戦争の導火線となった日露戦争後の日米間の不信や亀裂の問題はその不信や亀裂が拡大した結果の日米戦争の事実と結果がどのようなものだったのかを考えれば、両国の不心拡大の原因と結果を明らかにすることはとても意味のあることであろう。

人類歴史は限りなく発展や進歩を目指すものではあるが、その経過においては様々な愚かな戦いや葛藤、矛盾を通過していかざるを得ないようである。
偽りや誤った判断の結果がもたらす不幸をどのように克服していくのか!われわれ人間が持つ知恵や良識の蓄積が求められているのではないだろうか。



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