大河ドラマ「花燃ゆ」20日の放送では、長州藩において、財政悪化のために職を解かれそれに不満を持った兵士たちが立ち上がって、これを鎮圧しようとする毛利元徳と「兵士たちの声を聞いてほしい」と嘆願する楫取素彦(主役井上真央演ずる美和の義兄)が描かれていた。
徳川を倒して新政府を打ち立てた長州藩だが、うち続く戦いに戦費を使い、極めて深刻な財政危機に陥っていた。名君として名高い父敬親から家督を譲られ知藩事に就いた元徳としてはやむを得ぬ財政事情のため奇兵隊などで戦った兵士たちを解雇せざるを得なかったのである。
楫取は奔走した。最後は隠居しまた病に臥せっていた敬親に訴えて反乱兵士たちとの対話を実現しようとした。
しかし、新政府樹立間もない中央政府は、長州の反乱が全国に及ぶことを懸念して、木戸孝允率いる鎮圧軍が聴衆に派遣され、楫取の願いもむなしく反乱兵士たちは鎮圧され、処刑されていった。
共に幕府軍と戦った長州の兵士たちの声を聞きれることができず、最期はその命を失わせてしまったことを楫取は深刻に受け止めるのである。
明治の新政府になって、多くの失業武士が路頭に迷う結果となった。また奥も解散となり女性も失業する事態となった。
その後の西南戦争は同じく維新の勝ち組であったはずの薩摩の失業武士たちが起こした反乱である。
さて、明治維新前後と言うと欧米の列強が競って東アジアに進出してきた時代であった。
日本は欧米諸国に危機一髪のところで飲み込まれることから免れ、独立を保つことができた。
それは、欧米の先進技術を導入し富国強兵に努めたおかげである。
日清、日ロ戦争から第二次世界大戦の敗北までは迫りくる欧米の植民地争奪戦からいかに自国を守り自国の権益を死守するかに必死だった時代である。
さて、明治新政府の成立と廃藩置県によってその職を失った武士たちはどのような道をたどって行ったのであろうか。政治や事業に向かっていったり学問にその道を見出そうとしていった者たちもあり様々であった。そのような中、軍人の道を選んだ者たちも多かった。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」などはこのあたりの事情や状況をよく書いている小説である。
欧米が虎視眈々と狙うアジア情勢の中で、日本が富国強兵策をとり日清日ロの戦争を戦ったことは当時の状況としては避けがたいものだったかもしれない。
ただ、日本は明治になり欧米に門戸を開放したものの、欧米諸国の経済的な力に立ち向かうにはあまりにも時間も資金も不足していた。
また日清日ロの戦争を戦うために膨大な資金を必要とした。
先日NHKでテレビ90年の特別ドラマで「高橋是清」を取り上げていたが、高橋は日露戦争を戦う戦費を確保するために奔走した人物である。残念ながら2・26事件で蔵相をしていた高橋は青年将校に命を奪われる結果となったが、アメリカから引き起こされた大恐慌の中でも独自の経済、財政政策で経済、財政の危機を乗り切った人物でもある。
第一次世界大戦終了後の国際情勢の中で、日本は国際連盟から脱退、日独伊防共協定を結び、英米仏の連合国と対峙する結果に陥っていく。
この時代、軍事費は肥大して国家予算の過半を占める状況が続いていた。
第二次大戦における日本の戦いは、第1次大戦後世界がエネルギー資源として石炭から石油に移行する時代であった。石油資源を持たない日本はその資源を求めてアジアに進出していかざるを得なかった。しかし結局はその資源争奪戦に破れたことが日本の最大の敗因だったのかもしれない。
今日のブログテーマは「失業武士の悲劇」である。
日本を取り巻く近現代史を検証してみれば、結局戦争の原因は資源をめぐる国家の生き残りをかけた戦いであり、また一方では巨大化した軍事費の利権に群がる戦いの結果であったともいえる。
「時代の変革」は避けがたいものである。これまで権力の中枢にあった武士階級、また戦いと戦乱の時代に必要とされた武士や、軍人がその職を解かれたときに、どのような行動を取るのか!?
現実最後の共産党独裁国家としてその末路が注目されている、中国と北朝鮮、いずれも今後いかなる進路を取るのか!?
過去同種の国家の末路を見れば明らかなように、今後は国家権力を握ったり、多大な軍事費にその利権にあずかる者たちの末路は危険である。
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