昭和史を振り返ってみると | キビコジのブログ

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昨日は失業武士の話から、日清日ロ戦争~日中戦争、日米戦争の時代について記事を書いた。

歴史は表向きの歴史は学校でも学ぶが、その歴史の背後の問題はあまり我々は学んでいないのが実情である。

日本は日米の戦争で歴史的な敗北を喫した。その後日本は戦勝国アメリカの統治を受け様々な伝統的な文化が否定され、米国流の自由主義や価値観が導入された。また9条に象徴する非軍事国家政策が行われ今日に至っている。

今回、安保法制整備に反対運動がそれなりの盛り上がりを見せて、安保法制の必要は認めるが今すぐの制定は必要ではないのではとの世論が圧倒したかの如くであった。

自由民主党は本来憲法改正(自主憲法制定)を目標にして自由党と民主党(当時、今の民主党ではない)が合併してできた政党である。
しかるに国会で常に多数を占めてきながらもまだまだ、憲法改正(自主憲法制定)は道遠しの感がある。

日本はなぜ泥沼の戦争に引き込まれ、結局国体以外のすべてのものを失う形で敗戦の時を迎えたのか?
当時の日米の圧倒的な国力の差を考えれば、日米開戦は無謀の限りで、とても勝てる見込みのない相手だった。その米国に日本はなぜ無謀にも戦いを挑んだのだろうか?優秀な司令官として名高かった山本五十六は何を考えて真珠湾奇襲攻撃を実行したのだろうか?

日中戦争もしかり、中国中原は当時軍閥が跋扈していたところで、満州はともかく中国中原に踏み込めば、日本軍は行くあてなく泥沼の戦乱に巻き込まれることは想像できたはずである。にもかかわらず、その中原に日本軍は足を踏み入れてしまった。満州事変を引き起こし満州国の成立を画したとされる石原莞爾将軍は中原へ侵出することは考えていなかったと言われている。
それではなぜ日本は泥沼の中原に足を踏み入れてしまったのだろうか?

日中日米戦争は「油に始まり、油に終わった」とこれは昭和天皇も述懐されたことである。

第1次世界大戦で戦勝国の一員となった日本だが、英米仏などの戦勝国家は民族自決を掲げながら国際連盟を結成、世界新秩序を模索しようとしていた。一方そのころ世界のエネルギー資源は石炭から石油に移行していっていた時代である。自動車も船舶も、そして航空機は石油なしでは動かない。ところが日本はこの石油資源の確保が遅れていた。

第一次大戦の戦勝国の一つとして太平洋諸国の信託統治を任されていた日本であるが、この地域の統治を続けるためにも資源が必要であった。
ところが石油資源の産出国は欧米諸国が握っていて、日本が資源確保のために進出していくことを危険視して、日本への石油資源の供給を急激に締め付けるようになってきた。

石油なしには戦争の遂行はもちろん、国家経済も成り立たない時代がやってきていた。


<今日はここまで、また明日続きを書きます。>



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