「クレームは宝の山」ということで、「クレーム買います!」というビジネスがあるらしい。
消費者のクレーム(=不満や問題点)を聞き出してそれを新製品やサービスの改善につなげようというビジネスである。
実際に様々なクレームをもとに清貧の改良やサービスの改善をすることで、売り上げの拡大につながった実例を紹介していた。
どんな仕事をしていてもクレームはつきものである。時には的外れなクレームで被害を被ることもある。
ただ成長している企業や、成功した運動体は、これらのクレームをクレームとして終わらせないで、そのクレームの問題点を探り、問題点の改善をはかり、次の成長の材料にしてきたことがわかる。
そのようになったときに「クレームは宝の山」となる。
当ブログ村、家庭連合(統一教会)では様々なブロガーが家庭連合(統一教会)の様々な問題点や課題を指摘したり、問題を解析したり、提案をしたり、時には弁護したりを繰り返している。
時には的外れと思うような記事もあるが、それはそれである意見としてはありうると思って読ませてもらっている。
思い起こせば統一教会はその成立の初期からクレームの連続であったかもしれない。
日本においても「親泣かせ原理運動」という批判に始まり、最大の批判と思われる「霊感商法批判」、その後ことあるごとにマスコミや共産党などから批判非難の対象になってきた。
残念なのはその社会からの批判や避難、すなわち「クレーム」を「宝の山」にはできないまま来たように思う。
どちらかと言うと「自己正当化」や「自己弁護」、批判者への逆批判に終始して社会的批判を自己の成長や、発展に活用できないできたのが実情であるように思う。
もしや「統一教会」が社会から様々な批判や非難をしてきた内容を謙虚に受け止め、どのようにしたら幅広く社会の人々から受け入れられ、賛同され、支持される運動にしていくことができるかとたゆみない努力を続けていたら、「統一原理」「統一思想」「統一運動」は世の中から受け入れられて限りない発展を遂げていたに違いない。
真のお父様のご存命中にじゅうぶん「神の国」の実現は可能だったと思う。
クレームを宝の山にできていれば!
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