「美しさは意図的に創造するもの」
それをメッセージとして、
「Aphrodite Project(アプロディーテープロジェクト)」を2025年に立ち上げました。
「Khronos(クロノス)」は、
現在も、その歴史の流れにあります。
このプロジェクトの中で、
大切なキーワードである“ダイアローグ”についても、「対話の中で進化する」ということで一緒に観てきました。
外部の影響によって覆い隠され、見えなくなっているだけ。
それを取り戻すことこそが、本当の美の創造であり、それが「機能美」として表れるのです。
また、「美しさは意図的に創造するもの」という視点が、多くの人の意識を揺さぶりました。
APはこれにより美を再定義しました。
これは、単なる美容の話ではなく、生き方そのものに関わることです。
あなたは、無意識のうちに「本当の自分とは何か?」という問いを抱えていたのではないでしょうか?
社会のルールや価値観に縛られ、本当の自分を見失う感覚──この違和感にあなたは気づいていましたか?
もしかしたら、ずっと胸の奥で感じていたもの。
でも、それを言葉にするのは、まだ難しかったのかもしれません。
APのメッセージが、その輪郭をはっきりと浮かび上がらせたのではないでしょうか。
そうであったならとても嬉しいことです。
美しさは、自分の内側だけでするものではなく、世界との対話のなかで洗練されていくものです。
例えば、バレエや茶道などの芸術は、極限まで研ぎ澄まされた「型」があるからこそ、そこに自由が生まれます。
それは、一見すると厳格な型の中に閉じ込められているように見えるかもしれません。
けど、その型こそが、無駄のない美しさを生み出し、自由への入り口となります。
それと同じように、僕たちの生き方においても、自分の本質に忠実であることが、自由への扉を開く鍵となります。
この“対話”ということの中に、
「美しさ」や、気功、情報空間、
マネタイズ、コミュニティなどに共通する大切なものが眠っていると思います。
それが、
マネタイズ講座のフィードバックで、
丁寧に書いていただけた、
「未来へ一緒に移動するプロセス」となるからです。
そこに必要なのは、共通の未来です。
生きるとは、何かに向かって放たれていること、一つの目標に向かって歩くことだ。
そしてその目標は、わたしの道程でもなければわたしの生でもない。それはわたしがわたしの生を賭けるもの、したがってわたしの生の外に、彼方(かなた)にある何物かである。もしわたしが一人でわたしの生の中をエゴイスティックに独歩する決心をしたとすれば、わたしは前進しないし、どこへも到達しない。わたしは同じところをどうどう巡りする。これが迷路であり、どこにも通じていない道、自己自身の中を歩き回るにすぎないので、自己の中で迷いこんでしまう道なのである。
(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』p204)
目の前で起こっている対話を、
自分ごととして一緒になって楽しむ。
こちらが一方的に教えるというより、
対話の中で理解が進んでいく。
ひとりで頑張っていたら、
絶対に観えなかったものが、
同じ空間にいるだけで観えてしまうことがたくさんあります。
こういう一見すると、
当たり前のように感じてしまうこと。
それを、
「理想を共有した仲間と一緒に移動する」
そのプロセスを経ていくと──
なぜか傍から見ると奇跡のような変化が起きていくのは、これまで一緒に観てきた通りです。
それは、
適切な場に入った瞬間から始まっているプロセスです。
ただ、
それは認知空間に広がり、
とても密教的なものですから、
表の顕教の世界から理解することは難しいのかもしれない、というのは上の記事でも一緒にみてきました。
最初から完成された設計図があり、
それを一方的に現実へ押しつけるのではなく──
「あなたたちはASUNAROという組織というか会社というかネットワークの、代表、ということなんだけど、リーダーという解釈でいいんですか?」
ネットワークなので、リーダーはいませんし、ピラミッド型の会社組織になっているわけではありません、男の子がそう答えた。まるで何十回と説明していることを単に繰り返しているようだった。(略)
「そういった役割分担のようなものはどうなんですか?やはりリーダー的な人材が必要なんじゃないのかな?」
組織的設計的にできたものではないわけです。つまり、こういう組織を作ろうとトップダウンで決めて、設計図に沿って部署を設置したり、人材を配置していったりしたわけではないので、リーダーというのはいないんです。
(村上龍 『希望の国のエクソダス』)
目の前で起きている対話の中で、
まだ言葉になっていない未来の形を見逃さずに捉えていく。
それは、
クリエイションの世界でも同じでした。
美しい服とは
僕はある時点からデザイン画を描くのをやめました。次のシーズンの服をイメージした時、そのイメージがあまりにすごすぎて絵にできなくなった。
もちろん言葉とか資料で、こんな感じでいきたいというものをスタッフに示しもしますが、まずはボディーに布を垂らしてイメージする。布と対話するのです。
天然素材は生き物のようなものです。極論すると、その布がどういう服になりたがっているか。布を手にした時の重さや軽さ、垂れる感じや落ち感で考えるんです。「タッチ(手触り)」がすべて。布はどうなりたがっているかを自ら教えてくれる。それをシルエットや動き、分量、そして具体的なイメージと合体させていく。
ただ、そういう作業を何回繰り返しても、最終的にどうなるかは想像できません。クリエーションは発見です。発見できるこころの幅を持っていないと、それを見逃してしまう。そういう意味で、見逃さないのがプロなんでしょう。(略)
言葉では表現しにくいのですが、シルエットと布地の動きが大切です。体が前に動いた時に、後ろにシルエットがちゃんと残る。コンマ何秒か遅れて服が後ろに残る。その瞬間がものすごくきれいなのです。
(山本耀司『服を作る モードを超えて』)
「Yohji Yamamoto」について、
「鵺(ぬえ)」についてはこちらも。
あと、
Khronosのブログタイトルを決めた理由も絡んできます。
小夜子は、映像、音楽も含めた周りの空間すべてを「着る」ことを企図していた。同時期の別のインタビューでは、「着ることは生きること」と答えている。「私は、人間は心が身体を着ているという言い方もできると思いますし、もっと言えば、人間はそれを取り巻くすべてのものを着ている。空気も光も」。
「着る」という行為は、他者との協働であり、外界との交流であり、つまりは生きることそのものである──。(略)
「何でも着られる」と言いつつ自らを刷新し続けたその人は、つまるところ、人間の可能性そのもの、「未来」を着ていたのだ。
(東京都現代美術館編『山口小夜子 未来を着る人』)
山口小夜子さんですね。
ちょうど師匠が記事にされていて、
タイミングが重なり有り難いことです。
「スーパーモデルの創り方」相当に楽しそうです。
(まといのばブログ)
いろんな対話を通して過ごしていくと、
これまでバラバラに存在していて観えることすらなかった構造が、有機的に繋がり、別々のものではなくなっていきます。
ひとつの構造として観えてきます。
そういう構造が観え始めたとき──
人生はもう、
平凡なチェックリストではなくなります。
ランダムネスを含んだ、
未来へ向かう創造的な物語として動き始めます。
そういう発見の連続が、
創造性であり、
利他性に繋がっていくものなのだと思います。
一緒に楽しみながら、
物語を進めていきましょう。
ではでは、今回はこの辺で。
また次回の記事でお会いしましょう!
Khronos / The salone|Hiro
追伸:
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