この週末も、
いろんな方とセッションでお会いし、
変化が起こる瞬間に、
何度も立ち合わせていただきました。

そして、
早々に定員締め切りとさせていただいた
シークレット講座も、
無事に終えることができました。

ご参加くださった皆さま、
本当にありがとうございました。



今回の講座でも、
参加された方々の世界への眼差しが変わり、 
過去の延長線上ではない、まったく別の世界へと不連続に「ワープ」してしまう、
そんな不可逆な変容が起きていました。

▽前回の講座はこんなことをやりました。
内容は予定していた、
新T理論(認知潜在ポテンシャル理論)でした。

これを、
6月に入り系が変わる前に、
もう一段深く導入することができたのは有り難いことです。

数式を一緒に読み、
その構造を描いた形式化の表現である、
グラフにも繋げてゲシュタルトを創っていく。

そうすることで、
数式は単なる記号の羅列ではなくなります。

抽象度が上がり、風景が変わり、
立体的な言語として立ち上がってくる変化です。

 
低い抽象度でばらばらなものが、抽象度が上がると一つの整合的なものになる。それをゲシュタルトと言います。(略)
抽象度が上がるごとに新しいゲシュタルト(=全体)が生まれる。ゲシュタルトが生まれるごとに新しい価値が生まれるわけです。
(苫米地英人著『圧倒的な価値を作る技術[ゲシュタルトメーカー]』)

それは、

人間のみが持つ抽象化能力でしたね。

 
「ゲシュタルト」は、
人類のクリエイティビティの源となっています。(略)
部分と全体との関係です。部分と全体は、双方向性を持っていてダイナミックに関わっているのです。
(苫米地英人著『Dr.苫米地の「能力」の使い方』)

これは、
変化とは個人の中で完結するものではなく、
“関係の中で立ち上がる現象”ということにも・・・

当初からKhronosでは、

言葉の定義を大切にしてきました。

言葉が世界を創るのですから、
それを曖昧なまま進んでいっても、
誤解され間違った解釈が生まれていくだけです。


言葉が上滑りしていく。



そして、
観えている世界がどんどん濁りボケていく。

これが恐ろしいのは、
そうやってスコトーマが深まっていくと、
分断された間違った方向へ向かい、
間違った盆地へ落ちていっても、
そのことに気づけなくなるということです。

それを踏まえて、
何か主張をしたのであれば、
reason whyに答える、
ということをいつも大切にしてきました。

なぜなら、
そこにその人だけが持つ、
思想であり、哲学が眠っているからです。

その人が持つコアと言ってもいいかもしれません。
けれど、
それにほとんどの人は答えていないのです。

リルケが語るように、
謙虚な誠実さを持つ」ということでもあると思います。
自分の主張を言い、
言いっぱなしで終わっているということは、
情動を吐き出しているだけで、
思考していない」ということと同義です。

ゴミはゴミ箱へということで、
モーニングページに書きましょうということは、
新年講座でも一緒にみてきましたね。

そういうものが多いのは悲しいことです。

ここで思い出したいのは、
思考する」ということは、
意識に上げることであり、
情報空間の操作であり、
すなわち「気功」をしているということでした。


 
気功とは情報操作であり、我々の思考と呼ばれる計算はすべて情報操作です。
ですので、考える人は(動物は)すべて「気功をしている」のであって、それ以外はありえません。もちろんそう定義すれば、気功という概念自体がチェシャ猫のように消えてなくなります(が、それで良いと僕は考えています)。

逆に言えば、そう見做せないレベルで「気功」を語るのは危険だなと思います。
目隠しをして車を運転するようなものだからです。目を閉ざしていて運転しても良いのはGoogleカーくらいなものです(未来はそれが普通になって欲しいですし、その未来がはやく来て欲しいものです)。

論理のない好き嫌いを、

好きなように垂れ流していくことは、
分断のひとつの形だと思います。

多様性が広がっているようで、
本質的には硬直化していくこと。



つまり、
人の話を聞かなくなる、
自分の殻の外に出なくなる、
出なくてもいい世界になる。

それは、一見すると、
自由に見えるかもしれません。

けれど、
出なくてもいいということは、
間違った盆地に落ちていても気付かず、
アイデアの交流も起こらなくなるということです。


 
分断された世界への移動であり、
かりそめの安定を感じる状態空間の中で、
無為で無思慮な時間の浪費が進んでいくばかりの人生への道です。
価値は、物理空間ではなく認知空間に宿る

そうなれば当然、

淘汰の対象になっていきます。

つまり、
理論の可能性を最大限に使える、
High-Shared TCZに巻き込まれる人にはなれないわけですね。

殻から出れないのですから。

だけど、
そういう人が圧倒的に増えていきます。

それが
いま多くの人々が向かっている、
分断された世界への移行なのだと思います。


 
認知戦の核心とは、個人の認知フレームワークに介入し、その思考プロセスや意思決定に影響を与えることである。従来の行動主義的アプローチでは外部刺激と観察可能な反応に焦点を当てていたが、認知戦ではこのフレームワークを超え、内面的な認知機能そのものを標的とする。このアプローチは「個人の認知への攻撃」とも呼ばれ、認知科学から得られた洞察によって支えられている。(略)
認知戦とは、人間の認知や意思決定の自由に直接影響を与える技術であり、個人のプライバシーや自律性を侵害する可能性を持つ。(略)
認知戦の本質とは、個々人の認知をシミュレーションし、それによって個別レベルで精密な介入を可能とする点にある。

こういった、

抜け出すことが難しい状況の時代に、
軽やかにそれぞれがゴールに向かって変化していける、
そんな場を仲間と創れているのはありがたいことです。



そして、
解像度の高い厳密な言葉としての
新T理論が導入できたことで、
それはより強固なものになっていきます。
(気功も認知戦も「理論とコア技術は同じ」だとおっしゃっています)

今回は、
認知潜在ポテンシャル理論の
定理1から定理3、
そして結論までを扱いました。

このタイミングで、
最近、師匠が導入した、
Arg minトラック(アーグミントラック)
という、ゲシュタルトも重ねることができました。

今回のシークレット講座も、
集まってくださる方々の感度が高いからこそ、

自然と深くなっていきました。

こちらが一方的に教えるというより、

対話の中で理解が進んでいく。

抽象度が上がり、
ゲシュタルトが生まれ、
観ている風景が変わり、
その解像度が高まっていく。

そういう変化の時間でした。

参加された方々は、
ぜひこのあとの変化も楽しんでいてください。

そして、
今回タイミングが合わなかった方も、
またどこかの機会でご一緒できたら嬉しいです。

言葉を取り戻すことは、

世界の解像度を取り戻すことです。

そして、

世界の解像度が変われば、

移動できる未来も変わっていきます。

今月のスケジュールはこちらを確認してください。


引き続き一緒に楽しんでいきましょう。

ではでは、今回はこの辺で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

追伸:
感想・ご質問、大歓迎です! 
たった一言でも構いません。もし何か感じたことがあれば、ぜひシェアしてください。言葉にすることで、見えなかったものが形になり、次の扉が開いていくのです。
あなたの一言が、次の扉を開く鍵になります。
どんな小さな気づきでも、それが新しい変容の始まりになります。そして、“場”をさらに深める力になります。